第17話 おそろいのマグカップ


 湯気がたつ陶器の器はマグカップというらしい。祖国の元と比べると繊細さに重点を置いた作りをしており、少しの力で壊してしまいそうだ。春子は力加減に気を付けて、恐る恐る両手で包むように持ち上げた。

 それを見て、向かいの椅子に腰を下ろしたアランが心配そうに「熱くありませんか?」と声をかけてきた。手には春子が持つものとおそろいのマグカップがある。

 手のひらに伝わる熱は確かに熱いが我慢できないものでもないし、これぐらいで火傷など負うこともない。素直にそう言えば、アランは僅かに口元を引き攣らせた気がした。

 その表情が意味することが分からなくて、春子は小首を傾げる。問いかける前に腹がくぅと鳴いたので断念した。腹部に力を入れて、空腹を紛らわそうとするが意味がない。更にくぅくぅと鳴るので春子は顔を真っ赤にさせて俯いた。


「今、ローレンスが作ってくれているので待っててください」


 腹の声はしっかりとアランにも届いたようだ。優しい笑顔で言われて、春子は更に俯いた。


「わざわざ……。あまりもので大丈夫ですのに」

「私の夜食ついでなので」

「アラン様はこんな夜遅くまでお仕事ですか?」

「ええ、まあ。魔獣は夜に活動するので見廻りに行っていました。——気にせず、飲んでもいいですよ」


 その言葉に甘えることにした。飲み物でも空腹はだいぶ誤魔化されるはずだ。ヴェールが浸らないように持ち上げ、マグカップの縁に唇をつける。音をたてるのは良くないと聞いたので春子は細心の注意を払いつつ、中の茶色の液体を口にした。甘やかな味をまた味わいたくてもう一度、口に含む。

 アランは「チョコレートとミルクを混ぜた飲み物です」と教えてくれた。チョコレートは苦く、喉に絡むので苦手だったがこれなら難なく飲み込める。合わせるものを変えれば色んな味が楽しめるのだな、と春子は思った。

 ミルクチョコレートがマグカップの半分になり、湯気もだいぶ薄れてきた頃、春子はおずおずとアランを見上げた。ヴィルドール人は男女共に長身の者が多いため、何度も首を持ち上げる必要がある。いつか首が長くなりそうだなぁ、とも思う。


「アラン様は魔獣と会ったことはありますか?」

「ええ、何度か」

「魔獣ってどういう生き物なのでしょう?」

「どうとは?」

「見たことがなくて、鬼無の魔獣は遠いご先祖様が退治したので会ったことがある人っていないんです」


 アランは両目を細めた。と言っても仮面により、半分は隠れている。


「姫は好奇心旺盛ですね。魔獣に興味を示すなんて」

「気になるものは知らないと気が済まなくて」


 それに、と春子はアランの表情を伺いながら続ける。


「魔獣を知らなければ、鬼無に報告ができませんもの」


 暗に「鬼無の力を借りれるぞ」と伝えれば、アランは更に両目を細めた。なにを考えているのだろうか。これを伝えたら魔獣に悩む人々はたいてい喜ぶのだが、アランの表情はそれとは正反対に思える。


「……ヴィルドールが鬼無と同盟を結びたがったのは、確かに軍事力を借りるためです」


 ゆっくりと瞼が持ち上がり、真っ赤な瞳が春子の姿を写し取る。浮かぶのは歓喜ではないことは一目瞭然で、春子は冷や汗をかいた。


(嘘が、バレたのかしら?)


 全てを見透かすその紅玉から目を逸らすなど不可能。不愉快な汗が背中を伝う感覚を顕著に感じながらも春子は動揺を隠すべく、その紅玉を見つめ返した。


(お兄様達に頼めば、恐らく鬼無は軍を出してくれるはず。確信はないけれど)


 もとより、両国の同盟を結ぶに当たって鬼無が——否、卯野家が魔獣を殲滅することを条件として掲示されたわけではない。ヴィルドールや他国が望んでいることは明らかなので駆け引きの道具として口に出した。

 春子の父は援軍を出す気は毛頭ないが、兄達は援軍を出す気でいる。嫁入り前から「俺達が住みやすくしてやるからな!」と何度も、しつこいぐらい言ってきた。どうにか春子は死んでおらず、生きていると伝えることができれば彼らはすぐにでも軍を派遣してくれるはずだ。

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