第16話 燭台の明かり


 石造りの廊下は静寂に支配されていた。極力、足音を殺して歩くが硬い靴底が廊下と触れ合う度にコツコツと音をたてる。それが壁に反響し、春子の耳へと戻ってくるという工程を繰り返していると長く続く廊下の先に仄かな明かりが見えた。

 明かりは近づくにつれ、強くなり、得も言われぬ不安が去っていくのを感じて春子はほっと息をつく。深夜に城を抜け出す度胸はあれど、怪奇の類は苦手だ。力では敵わないため、どう対処すればいいのか分からない。


(ここが厨、確かキッチンというところでしょうか?)


 ひょこっと顔を覗かせ、部屋の中を一望する。部屋の中央には大理石の机が置かれており、その上には調理器具と思わしき道具が並んでいる。奥を見れば煉瓦で造られた竈門かまどと手洗い場があり、その付近に設置された棚には果物や香料と思わしき物体が入った硝子瓶がいくつも並んでいる。

 なにか簡単に口にでき、かつ減っても気付かれないものはないか入り口から観察するがそれらしいものは見当たらない。貯蔵庫は別のようだ。

 明かりは点いているが人の気配がないため、春子はこっそりと部屋に入った。きょろきょろと周りを見て、部屋の隅々まで観察するのに夢中になり背後から近づく気配に気付かなかった。


「姫?」


 かけられた声は、まるで親が子供にかけるように優しく、甘い。アランの声だ、と思っても急に声をかけられたことに驚いた春子は肩をはねさせた。


(嫌だわ。いつからいらしたの?)


 ばくばくと、別の意味で高鳴る心臓を呼吸で落ち着け、春子は平静を装うとにっこりと微笑みを浮かべる。


「アラン様、えっと、こんばんは」


 まず、なんて声をかければいいのだろう。食堂で眠り込んだことに対しての謝罪を? 部屋に運んでくれたことを? そこまで考えて、春子は頬を――覆うヴェールに触れた。運んで貰った時、きっと捲れたはずだ。この醜い顔を、優しい人に見られてしまった。

 不安から青くなった春子の顔は見えないはずなのにアランは慮るような眼差しを向ける。


「姫、お腹は空いていませんか?」


 まさかの問いかけに春子が面を上げると、アランは優しげに目尻を下げて笑う。


「寝る前に夜食をとりにきたんです。お腹すいてしまって」

「……同席してもよろしいのでしょうか?」


 伺うように問いかければ、アランは「ええ。もちろん」と頷く。


「ローレンスに夜食を用意して貰うので食堂で待っていて貰えますか?」

「では、お言葉に甘えて……。よろしくお願いします」


 春子は頭を下げると言われた通り食堂へ向かおうと来た道を折り返した。食堂はキッチンと春子の寝室の丁度真ん中に位置しているはずだ。今朝、教えてもらった間取りを脳裏に浮かべているとアランが慌てた様子で春子を止めた。


「お待ち下さい。危ないのでこれを」


 と言って差し出されたのは炎が揺れる燭台だ。

 なぜ燭台を差し出されたのか意味がわからなくて、春子はアランを見上げた。


「廊下、暗くて危ないので燭台これを持っていってください」

「アラン様のでは?」

「私は平気なので、姫が使ってください」


 そう言われたら断ることはできない。春子は感謝の意を伝えると燭台を受け取った。

 燭台を掲げると真っ暗だった廊下がだいだい色に淡く色付いた。アランが去った今、聞こえるのは自分の足音だけ。先程は恐ろしかったのに、不思議と怖くはなかった。






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