第12話 あまりの衝撃に


「大変だ!! 聞いてくれ!!」


 バン!! と大きな音をたてて扉が開け放たれた。廊下を駆けてくる足音が聞こえていたので、嫌な予感がしたローレンスが扉から離れてすぐだった。

 肩付近を扉がかすり、小さな痛みが走り、無意識に顔を歪める。痛みと驚きで歪めたつもりだったのだが、アランは廊下を走ったことを咎められると思ったようだ。


「大変なんだ! 走ったのは行儀悪かったが、話を聞いてくれたら俺の焦りも分かってくれると思う!!」

「自分で意味不明なこと言ってる自覚あります? とりあえず、そこの台に料理乗せてあるのでご自分で運んでください」


 痛む肩を擦りながらローレンスは冷めた目で主人を一瞥した。調理道具を手際よく片付けながら、台車をもっていくように命じる。本来ならローレンス自身が挨拶を兼ねて持っていった方がいいのだが、降り積もった仕事が終わったのは朝方。そこから朝食の準備を行えば、仮眠などとれるわけがない。寝不足と苛立ちが混じる形相で姫とあえば、間違いなく第一印象は最低最悪だ。

 なのでこの後、仮眠をとり、昼頃に挨拶に伺うつもりだった。早くでていって欲しい、と思いつつアランの言葉の先を待つ。


「姫が髪を切った。ばっさりと。地面まであったのに。肩下まで」


 二人の間に硝子がらすが砕ける音が響く。音を立てたのはローレンスの手にあったボウルである。就任と同時に買い揃え、手入をかかさず大切にしてきたそれは今はもう原型を留めていない。細やかな破片となり、差し込む陽光ききらきらと輝きを放っている。

 ローレンスは大切なボウルが砕け散ったことに一瞬だけ意識を奪われるが、優秀な頭脳はアランの言葉を繰り返した。単語のみで紡がれているが前後を入れ替えて繋げると「下ろせば地面まであったはずの姫の髪が肩下までの長さとなっている」だ。

 鬼無国は長年、鎖国体制を強いて他国と必要以上に馴れ合わなかったため、その文化や常識は独自のものが多い。アランが姫をめとることが決まって直ぐにローレンスは鬼無国についての情報を集めた。

 その一つに「髪は女の命である。女性は長く艷やかな髪を美しく保つため、手入を欠かさない」と書かれていた。その言葉はすぐアランに伝えた。長くて暑苦しいからと気軽に散髪を進めるな。鬼無の女性にとっては命同様なのだから褒め称えろ、と。


「あんた、姫になにを言ったんだ!」

「俺じゃない!!」


 免罪だと言いたげにアランは両手を上げた。


「あんたしかいないだろ! 到着した翌日に切るなんて、ここに来るときに何をしでかした!?」


 普段の温厚さは皆無な形相でアランに詰め寄る。これは自分のキャラではないと自覚はあるが、ローレンスは怒りを優先させた。


「姫が髪をばっさり切るなんて、命を削るものですよ!」


 それは例えなので実際に命は削られることなんてありえないが、神秘の島国である鬼無国ならありえることだとアランは青褪める。

 ローレンスもつられて顔を青くさせた。先程の勢いは失せ、地面に膝をつく。


「せ、戦争に? 鬼無が攻めて……」

「お、落ち着け。姫は普通な様子だった。もしかしたら俺の見間違いかもしれん」

「……膝下まであった髪を肩下まで見間違えます?」

「いや、ほら、俺、寝不足だし……」


 寝不足とはいえ、アランは魔獣多発地域の守護を任されている辺境伯だ。寝起きでも、寝不足でも、有事の際はきちんと状況を把握し、行動できるように切り替えはしっかりできるよう訓練してある。

 自分の目は確かにあの長く艷やかな長髪が短くなった姿を捉えていたが、アランはほんの僅かな望みを持つ。自分が寝不足のため、判断不足だったという辺境伯としてはあるまじき望みを。


「ローレンス、お前も同席してくれ! 俺一人だと無理だ!」

「私も無理に決まってます! 第一、見てください、この姿!」


 ローレンスは両腕を広げた。パリッと糊のきいた紺色の燕尾服。その上には、誰の趣味か裾や袖にフリルがひらめく薄ピンク色のエプロン。服装だけならまだ見れるが格好ではあるが、己の容貌は寝不足と過度なストレスから肌艶が失われ、無精髭が生えている。誰がみても近付くことを嫌がる身だしなみをしている。


「お願いだ! 俺達は盟友だろ!」

「乳母兄弟で幼馴染、上司と部下でしかないです」

「なら上司として命じる。俺と一緒に来てくれ!」

「この格好で姫の御前に立てと?! 第一印象って大切なの知ってます?」

「扉の後ろで見守ってくれるだけでいい!」


 アランはローレンスの腰にしがみついた。幾多もの魔獣を退けた勇猛果敢なヴィルドールの英雄が涙目で部下に助けを乞う姿なんて、ローレンスは正直見たくはなかった。幼い頃から一緒にいるため、アランが弱音を吐く姿は何度か目にする機会はあったが、ここまで情けない姿は初めてだ。気のせいか目眩がする。


「……本当に扉越しで見守るだけですよ」


 しばらく熟考した後、ローレンスは喉奥から言葉を絞り出した。対面しなければ大丈夫、と自分に言い聞かせる。さすがの鬼無人も席から扉まで距離があるのだから気付かないはず。

 正直、寝不足がたたって立ったままでも眠ってしまいそうだが、情けない主人を姫と二人きりにして姫の地雷を踏み抜くのは避けなければならない。ローレンスは自分の睡眠時間を犠牲にすることを選んだ。

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