第11話 老婆の声


「ひ、ひ……」


 ヴィルドールの昔話にでてくる老婆のような声はアランの喉から発せられている。野太く、勇ましい声が裏返っているのが妙に間抜けで春子は小さく笑いながら膝を折って、ドレスの端を持ち上げた。今日のドレスは、パールラベンダー。袖口が大きく、ゆったりとしているので動きやすくて気に入っている。


「おはようございます。アラン様」


 アランは答えず、老婆の笑い声を発しながら震える指先で春子の肩付近を指さした。


「か、髪が……」


 ああ、と春子は己の髪に触れる。昨夜、身代わりのために切り落としたので肩下までの長さだ。


「心機一転と申しましょうか……。思い切って、切ってみたのです」


 似合いますか? と首を傾げるが(いや、面紗があるから分からないわ)と春子は自分でつっこんだ。ここにはあのうざったい元夫がいないのだし、そろそろ面紗を取ってもいいが春子の容貌はヴィルドール人にとっては醜いというのは前の城で、周囲の言動と視線からよく身に沁みている。心優しいアランに嫌われたくないので、少しでもまともに見れるよう面紗は着用し続けるつもりだ。


「似合っています。似合っていますが、なぜ……」


 えっと、と口ごもる。仮面に隠されていない顔は悲痛に彩られており、春子はアランの心情を察した。

 どうやら、春子が髪を切ったのは心を痛めたからだと思っているようだ。


(実は身代わりのためなんて口が裂けてもいえません!)


 さすがの春子でも言っていいことと、悪いことの分別はつく。身代わりなんて単語、口に出せばなぜ? なに? と質問攻めにされる。そんな面倒なこと、絶対に嫌だ。


「暑くて、こうすれば涼しいと思って」


 我ながら苦しい言い訳だと思うが、これ以外にうまい言い訳は浮かばない。

 やはり、というべきかアランは眉間に皺を寄せて、なにやら考える仕草をした。


「確かにヴィルドールは暑いですもんね。あ、朝食にアイスを用意してありますよ」


 急な話題転換に一瞬、戸惑う。

 だが、アランの意識が髪から別のものへ変わるのなら、と春子は気付かないふりをすることにした。


「アイス?」


 聞き慣れない単語に小首を傾げると、アランは両手で丸を作った。アイスという食べ物を表しているのだろうか。


「えっーと、牛の乳を凍らせたお菓子です」

「氷菓子のことでしょうか?」

「確か氷を削って、蜂蜜をかけた食べ物ですよね」


 アランはローレンスがかき集めてくれた資料の内容を思い出す。春夏秋冬が巡る鬼無国は、冬に用意した氷塊を洞窟に貯蔵し、それを加工したものを夏に食べるらしい。手間暇がかかるため、高価な氷菓子は高貴な身分の人間しか口にできないと記されていた。

 ヴィルドールでも氷は高価だ。一年中を真夏に包まれたこの国では、冬国から氷を輸入しなければならない。整えられた貿易路も魔獣の襲来があるため、安全とは言えず、嗜好品である氷はほんの数キロが十数万の価値となる。

 資産がある貴族か王族しか食べることができない、その氷を使って作られるアイスを提供できるのは、父王が姫のご機嫌取りをするべく手配したからだ。

 ただでさえ、防衛費で国庫は火の車なのにと怒りたい気持ちもあるが、姫の機嫌を損ねるわけにはいかないため、またアランが身銭をきるわけではないので甘受しようとローレンスと相談して決めた。


「材料は違いますが冷たいので今日みたいな暑い日にもってこいですよ。姫もきっと気にいると思います」

「楽しみです。甘いものは好きなので」

「ならヴィルドール中のお菓子を用意して、お茶会でも開きますか?」

「それは楽しそうです。材料があれば、鬼無のお菓子も用意しますのに」

「手配します。もし無理なら代用の食材で作れるか試してみませんか?」


 その後も会話の内容はお菓子だけ。春子もアランも髪の事は忘れたように、どこかぎこちない会話をしながら廊下を歩き、食堂へと向かうのだった。



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