第10話 堅牢堅固な鉄の壁


 とんっ、と軽やかな音と共に地面へと着地した春子は、上半身を大きく反らした。大きく息を吸い込むと蒸し暑い秋夜の熱気と共に爽やかな緑の匂いが肺を支配する。

 その薫りにもう帰ることのない故郷に思いを馳せながら、春子は足音を殺しながら早足で駆け出した。


(だいたい一時間ほど走ればつくかしら?)


 城から真っ直ぐ南へと向かいながら、春子は前を見据えた。乏しい月明かりでは、この暗闇を完全に振り払うことはできないらしく、は闇と紛れて目視できない。この地に到着した時に方角とだいたいの距離は確認していたので、記憶だけを頼りに足を進めた。

 当たり前というべきか、領民はみな夢の中に旅立っているらしく、灯りも点かない民家からは寝息が微かに聞こえてくる。

 だが、足を進めるにつれ、前方からは火がぜる音に混じって囁かな話し声が聞こえた。


(まあ、見張りの方がいることは予想済みですわ)


 徐々に空気が張り詰めていくのを感じる。緊張と雰囲気から呼吸が荒くなるのを抑えつつ、春子は空を見上げた。


 ——防壁だ。


 まるで行く手を阻むように世界を遮断するは鬼無国では見たことがないため、その荘厳で重々しい雰囲気にあてられた春子は息を呑む。


(入国の時も見たけれど、夜だと恐ろしいものに見えるわ)


 ヴィルドール王国を含む、魔獣の侵攻に悩む各国は自国を守るために堅牢堅固な鉄の壁を国境線に沿って建てた。その壁を建設するための費用や維持費用、防衛費に莫大な税金が投入されているようで、どの国も国庫は火の車らしい。

 確かにこの防壁は低予算では造れないだろう。

 しかし、魔獣の侵攻を防ぐ壁がなければ、民に危険が及ぶ。危険を遠ざけるためにも防壁は一寸の穴もなく、また素材も上質なものを使用しなければならない。

 防壁は遥か彼方まで続いており、気配で等間隔に見張りと思わしき兵士が並んでいるようだ。彼らの注意は外の森へと注がれているが、夜陰やいんに紛れて正面突破することはできないだろう。


(うーん。この壁なら素手でよじ登れるけれど、時間がかかっちゃいますね)


 春子は冷たい防壁に手を当てた。鋼鉄製だが、所々に凹みやつなぎ目があるため、素手と裸足ならどうにか登れそうだと判断する。

 だが、音を立てないように登るとなれば、それなりに時間をかけなければならない。ヴィルドール兵がどれほど優秀か知らないが、春子のような小娘が彼らの目と耳をかいくぐれるとは思わない。

 どうするべきか、と春子は悩みつつ防壁の観察をすることにした。兵士の目は外に向けられているため、少しぐらい大きな動きをしても問題はないはず。春子は外套を目深に被り、手足の露出は極力ないように細心の注意をはらいながら、壁に穴がないか一縷の望みを抱いて探し始めた。




 ◇◆◇




 さびついた箇所はあるが、抜け穴という穴は見当たらない。


(まあ、あれば防壁とは言えませんものね)


 一縷の望みが潰えたことで春子は覚悟を決め、一か八かの賭けにでることにした。最も闇が深くなる新月の夜に壁をよじ登り、兵士の間を掻い潜り、森へと向かう。

 防壁の向こう側がどうなっているのか分からないが、この高さを飛び降りるとなれば無事ではすまないだろう。少しでも安全に着地するために座布団のような緩衝に適した道具を用意し、兵士の配置や動きを探ろうと春子は心に決めた。

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