第12話 お手紙書きましょう

 ジークにぴたっとくっついたアリスは、なかなか離れようとしなかった。思い出話に花を咲かせ、侍女から入浴を促されても、父の腕を取って悲しい顔をする。

 リエンナから諭されるが、イヤイヤと首を振って、抱く腕に力を込めた。くっつかれているジークはでれでれだ。


「あなた」

「一日くらい入らなくてもいいよ。ね、アリス」

「はい、お父様」


 二人がにこりと微笑み合う。


「ダメよ。侯爵家がそれでどうするの」

「洗浄すればいいよ。ね、アリス」

「はい、お父様」


 二人がにこりと微笑み合う。


「はぁ……ミシェル」

「かしこまりました、奥様」


 アリス以上の(怖い)主人から命を受けたミシェルが、二人を強引に引き離そうとする。

 アリスとジークはひっしと抱きしめあった。


「あぁっ、なにをするんだっ」

「やだっ、やめて、ミシェルっ」

「ダメですよ。それに旦那様も」

「あなた」


 リエンナとミシェル、双方からにらまれたジークは、肩を落としてからアリスの頭に手を置いた。


「……アリス、またあとで会おうね」

「ほんと? 先に寝たりしませんか?」

「うん」

「絶対、絶対だからね、お父様」


 アリスを引きずったミシェルが、なんとか彼女の入浴を済ませる。

 その間、彼女はずっとミシェルを困らせた。


「もういいんじゃないの?」

「ダメです」

「早くしないとお父様が!」

「父君様だって今は入浴中です」

「でも! でも!」

「少しでも早く上がりたいのであれば、大人しくしていてください」

「…………」

「わかってもらえましたか」

「ええ……でも、もういいんじゃないの?」

「……ダメです」


 そうしてお風呂上がりのアリスは、まだ少し濡れそぼつ髪を気にすることなく、熱で紅潮した顔のまま急いで父に会いにいった。『ダメです! それは本当に色っぽいです!』という、ミシェルの言葉も聞こえていない。


「今日もがんばりました……あれ、お嬢様──ふああっ!?」


 一日の仕事を終え、離れにある自室に向かっていたコリーナは彼女と出会ってしまい、ばたーんと倒れていた。


 そのあとは就寝だが、やっぱり離れることのできないアリスのために、けっきょく親子三人で寝ることになった。

 夫妻の寝室に入り込んで、両親の間に挟まるように横になる。川の字だ。こんな光景は、彼女の入学前以来だった。


 最初はジークにくっついていたアリスだったが、母にも甘えたくなったのか、ごろっと寝返って今度はリエンナにくっついた。そうするとジークが寂しそうな声を出すので、次はそちらに──

 アリスはベッドの上でころころと転がった。


「まったく……本当に父娘揃って子供なんだから」

「子供でいいよ。ね、アリス」

「はい、お父様」

「ほんとにもう……来年が不安になるわ……」

「大丈夫だよ。ね、アリス」

「はい、お父様」

「はぁ……」

「ルークにもこうしてあげようと思います」

『それは絶対にダメ!』

「ええ!?」



 翌日。

 ベッドの中で両親とおはようの挨拶を交わしたアリスは、家族と一緒に朝食を取っていた。昨日の言動がまだ恥ずかしいのか、弟のルークは黙り込んでしまっている。


 可愛い弟を愛おしそうに見つめるアリスは、昨夜に聞いた母の言葉を思い出していた。すでに父は寝入ったあとのことだ。


『ルークもね、この人と同じ。寂しいのよ』

『え……』

『男の人ってそんならしいわ。私も母から聞いたんだけどね』

『ルークが……』

『アリスはルークのことが好き?』

『はい、大好きです』

『ルークも同じよ。貴女のことが好きで好きで仕方ないの』

『え……だったら……』

『そこが男の子なのよね。素直になれないだけよ』

『…………』

『あと少しの間、仲良くしてあげなさい』

『はい、お母様』

『一緒に寝るとかはダメよ』

『は、はい……』


 ルークも寂しく思ってくれている。そのことがアリスの胸を締め付ける。なにせ彼は、またすぐに別邸に移ってしまうのだから。

 それまでに少しでも距離を縮めたいアリスは、ルークに声をかけた。


「ルーク」

「なんでしょうか?」

「ほら」


 アリスが両腕を伸ばす。


「?」

「ほら、ほらっ」


 両腕をふんふんと振る。


「あの、姉上?」

「……もう、この子は」

「ああああ姉上!?」


 男の子は素直じゃないんだから、とアリスがルークに抱きつく。抱きつかれたルークはむおおおおっと引き剥がした。

 解せない、といった感じで彼女が両親を見る。『話が違うじゃん』とでも言いたげに。

 ジークはまたしてもお腹を抱えて爆笑し、リエンナは呆れ顔だった。


 昼食時にも目を光らせて狙うアリスだったが、ルークにはことごとく警戒された。


 見かねたリエンナがアリスにお灸をすえる。貴女バカなの、と。

 直接的すぎると説教されたアリスは首をひねった。父と何が違うのかがわからない様子だ。

 リエンナはため息を吐いた。




「こちらでよかったでしょうか」

「まぁ綺麗! ありがとう!」


 お昼過ぎ。

 『お勉強でも見てあげたら』と提案されたアリスは、弟仲良し大作戦を練りつつ、ミシェルから便箋セットを受け取っていた。

 薄い水色の地に、深い蒼色のラベルが目立つ。ワンポイントで描かれた白いお花も、女性らしくて可愛い。


「さぁ、お返事書きましょう!」


 自室にとじこもり、ビューローに向かい合って万年筆を手にする。

 この万年筆は、リチャードに贈ったものとお揃いだった。残念ながら自分や彼の色はない。あの時は何もわかっていなかったので、同じものを揃えただけだ。

 部屋には自分一人。手紙を読んだときと同じく、人払いはしている。準備は完璧だ。


 『お手紙うれしく拝見いたしました。』


 丁寧な文字で書き出す。予備はたくさん用意してくれた。書きたいことをつらつらと書き重ねていく。


 『このたびは、お忙しい中での知らせをお送りくださいまして、まことに有難うございました。』

 『いろいろとお気遣いいただき、感謝致しております。』


「ちょっと硬すぎるかしら……?」


 ここからもうちょっと会えない悲しみを出して……会いたい気持ちをさらに前面に出してみよう。


 『貴方に会えない日々は、まるで色褪せてしまったかのように感じます。』

 『もし今、貴方の傍にいられたら。つい考えてしまうことが多くなってしまいました。』

 『今も毎日、貴方のことを想っては夜も熱い涙を流して』


「わあぁっ!」


 びりっと便箋をやぶく。

 やってしまった。せっかく買ってきてくれたのに。


「なんてこと書いているの私!」


 なんだ、夜も熱い涙って。どう浅読みしてもただの変態、破廉恥な文章にしか見えない。


 『ごめんなさい』と買ってきてくれた侍女に謝り、魔法でやぶれた紙を修復、インクを除去して新品に戻す。だけど完璧ではない。普通ならわからないだろうが、相手はあのリチャードである。


 なんだ、失敗したものを再利用したのか。舐められたもんだ。


 そんなことを思われたら、もう修道院で神にすがるしかなかった。


 これはまた違うご挨拶に使いましょう、と失敗した新品を引き出しにしまい、予備を取り出す。

 最初から書き直しだ。


 『もし今、貴方の傍にいられたら。つい考えてしまうことが多くなってしまいました。』

 『貴方に会いたい。そう想うと、夜の帷が寂しく感じます。』


 まぁこのあたりよね、と思いながら書き直していく。昨晩は両親に挟まれてぐっすりと眠ったが、それはそれだ。


 『ふた月はとても長く、無窮の時のような胸間でございますが、お勤しみ励まれることを心より祈っております。』

 『アレフ様にもよろしくお伝えくださいませ。』


「本当によろしくね、アレフ様」


 またしてもアレフが『勝手なことを!』と言い出しそうなことを口にして、書き連ねていく。


 『お屋敷へのご招待も嬉しゅうございます。』

 『是非ともご一緒させてくださいませ。』

 『当日は貴方のお隣にて、身を捩るように甘えたく思い』


「のおぉ!」


 ぐしゃっと便箋を握りつぶす。

 はっ! またやってしまった!


 身を捩るように甘えるって何。すりすりするのか? やりそうだけど。

 どう都合よく解釈してもただのさみしんぼ、くっつきたがりなだけだった。


 本日二度目の無駄魔法を無駄に使って、また無駄に書き直し。


 『是非ともご一緒させていただきたく存じます。』

 『日取りはまたご相談させてくださいませ。』

 『当日は貴方のお隣にて、幸せを感じたい所存です。』


 うんうんと頷いて、結びに入っていく。


 『それでは、お身体に気をつけて、ご自愛くださいますよう。』

 『私の心は、いつでも貴方のお側におりますゆえ。』


「…………」


 ペンが止まる。そのままじーっと、あらかた書き終わったように見える便箋を見つめた。ペン先がうろうろと空中を彷徨く。

 だいぶ長い時間が経過してから、彼女は細い息を吐き出して、決心したかのように万年筆をぐっと握りしめた。


 『誰よりも、貴方のことを衷心より愛しております。』

 『かしこ』


「…………」


 そっとペンを置いて、静かに立ち上がる。

 ベッドにダッシュ。そのままダイブ。枕にフィルイン。


「ふううううう!」


 書いちゃった。


 書いちゃった書いちゃった、と足をばたばたさせる。

 これまで書面としてもなく、ましてや口に出したこともない想いを書いてしまった。愛しているだなんて。それも心からだなんて。

 今までの自分からしたらなんて荒業だ。『いつか少しでも越えてみようね』と書かれているラインを、まさかの大股で突破。『ダメだよ、ここから先はまだ超えちゃダメだよ』という防衛線まで片足突っ込んだかもしれない。『守れ、守れー!』と心の壁が叫んだ気がした。


「違うの。お茶会のあたりから、私、おかしいの」


 枕に顔を埋めて、そうじゃないのそうじゃないのと言い訳するかのように、顔を左右に振ってぐりぐりする。


 書き直そう、と思う気持ちが少し湧く。

 同時に、『このまま出しちゃえ』と悪魔が囁いてきた。


「んぅ……」


 枕に埋まったまま、悪魔との戦いを続けて数分。

 勝敗は決した。


 無言でのろのろと起き上がり、開かれたままの便箋に向かっていく。椅子をずずっと引いて、とすん、と座り直した。自分の瞳の色を模した封筒をもそもそと取り出して、丁寧な手付きで封じていく。スチュアート侯爵家の封蝋を、とろ~りぺたん、と綺麗に捺し、ベルでミシェルを呼んで、何も言わずに無言で差し出した。『よろしいのですか?』と聞いてきたので、こくんと頷く。


 受け取って去っていくのを見送り、もう一度ベッドにぽふんと身を任せた。


 出しちゃった。


 出しちゃった出しちゃった、とベッドの上で手足をしゃかしゃか動かす。

 あれを読んで彼はなんて思うだろう。これまで口にしたこともない言葉が、手紙に書かれているのだ。

 嬉しいかな。喜んでくれるかな。変に思わないかな。心配されないかな。

 そんな複雑な思いが胸中を渦巻いて、胸が締め付けられるほどに苦しい。


「うぅ……」


 顔を横に向ける。視線の先には裁縫箱。


 そういえば刺繍も途中だった。このあと続きをやらないと。まだ途中も途中だった。でもあと二月もある。ちょっとデザインを考え直して、侍女にも手伝ってもらって。またメリッサ様にお願いしてみようかしら。旦那さんには悪いけど。お母様は……うん、やめておこ。自分より下手だ。えっと、今度会えた時に渡せるように──


 そこで気づく。


「あれ? 裁縫箱……刺繍……? 途中で……」


 『追伸 ハンカチ、受け取るのを楽しみにしている』


「ああっ!」


 飛び起き、久々に幼い頃のようにドアをけたたましく鳴らして開ける。

 忘れていた忘れていた忘れていた忘れていた。

 刺繍について、何も書いていない。


「待ってえええぇぇえ!」


 すでに見えなくなっていた姿を追いかけるように、はしたなく廊下を走っていった。

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