第8話 贈り物の意味なんて知らなかった

「で、どうなの? 愛しい愛しい婚約者様とは」

「ぶほぉえ」


 アリスがお茶を吹き出しそうになる。侯爵令嬢としてそんなことはできないためこらえるものの、わずかにむせてしまった。


「けほっ、こほっ」

「お嬢様」

「あ、ありがと、ミシェル」


 ハンカチを受け取り口元を拭いてから、むせさせたナナリーをじろっとにらんだ。たしかにアドバイスをもらうタイミングを図ってはいたが、さすがに急すぎる。もう少しゆっくりと話題に触れてほしい。

 にらまれたナナリーは両手を会わせ、『ごめんね』というポーズを取った。口角は吊り上がっていて、悪いと思っている様子は微塵も感じられない。


 ナナリー──ナナリア・ポートフィルムは子爵家の令嬢である。家格という意味では、この中では一番格下になる。

 しかしその女子力は驚異的で、アリスなど足元にも及ばない。彼女が苦手としている刺繍はもちろん、お茶やお花までたしなみ、その腕は下手な侍女や教師をも上回る。『フリソデ』と呼ばれる衣装を着けてお花を生ける姿は、とても綺麗だった。アリスも見惚れたことがある。

 コミュニケーション能力も高く、友人も多い。友人といえば今日集まってもらったこの二人くらいなアリスとは、天と地ほども違う。

 しかもその卓越した能力をフル活用して、格上の伯爵令息をたらし込んだ。ナナリーいわく『ころり』といったらしい。


 どうしてそんなことができるのか。相手の目を向けさせるのにも四苦八苦しているアリスからすると、まったくもって理解不能だった。


「ダメダメ。アリーちゃんには、オブラートを五重くらいに包んであげないと」


 失礼なことを言うニナは、フェスタ侯爵家のご令嬢である。こちらは女子力というよりは、流行に敏い。

 フェスタ家は大きな商会を持っている。その規模は王国一番と言っても差し支えなく、あらゆる商売、取引に対して何かしら名前が上がる。文字どおり、大陸に根を張る巨大組織である。

 そんな家に産まれたニナは、昔から商会の仕事に興味があったらしい。経済学などを専攻として学び、働く女性を目指すと言っていた。メリッサと似たようなものだろう。

 なお、ニナには子供のころに婚約を交わした相手がいる。進展はしたのだろうか。


「アリーはぽんこつだものねぇ」

「ぽんこつなんかじゃないけど」

「そうだねー。アリーちゃんはおこちゃまなだけだもんね」

「おこちゃまでもないわよ!」


 このように、三人は中等部で出会ってからというもの、アリスは常にからかわれ続けてきた。勉学や魔法といった技術ではトップに立つ彼女が、こと女子力に関しては底辺──は言い過ぎなものの、下の方を彷徨っていたのだ。さぞかしからかいがいのある玩具だっただろう。


 だけれどアリスは知っている。

 こんな二人だけど、とても思いやりがあることを。


 自分のために怒ってくれて、自分のために泣いてくれた。本気で心配してくれていたにもかかわらず、何も動こうともしなかった。

 それなのに呆れもせず、見捨てもせずに接してくれたのだ。


 一生の友人でいましょうね。

 三人は卒業旅行の際、約束を交わしあった。今は道は別れてしまってはいるが、こうして変わらないお付き合いをしてくれている。

 そのことにアリスは深い感謝を抱いていた。恥ずかしいので、めったに口には出さないけれど。


 そんな友人のナナリーが、心配そうに問いかけてきた。


「で、どうなの? 傷ついたりはしてない? 隠さなくて大丈夫よ」

「だ、だいじょうぶ……いいお付き合いは続いていると……思うから」

「なんだか間が気になるのだけれど……本当に平気? 私たちにまで隠さないでよ」

「嘘じゃないわ……その、や、優しくしてもらって、います……」


 アリスがカップをぎゅっと握って、恥ずかしそうに途切れ途切れに言葉を紡いだ。

 だがナナリーは、まだ心配そうな顔をする。


「そう……身体の相性とかはどう? 不満に思ったりしてない?」

「か、からだって……! そんなはしたないことはしてない!」


 アリスがカップをぎゅうぅっと握って、首まで真っ赤になって声を荒らげた。

 だがナナリーは、怪訝そうな顔をする。


「え、嘘でしょう? もう二年近いんじゃないの? なにかしらやってるでしょう、キスとかペッティングとか」

「ぺ、ぺっ……!」

「もー。アリーちゃんだってそれくらいはやってるよ。ねー?」

「…………」

「えっ」


 ニナもナナリーも言葉に詰まった。


 その似たような反応にアリスが思う。どいつもこいつも、と。

 どうして何もやっていないことにそこまで驚くのか。メリッサもそうだった。そんなこと簡単にできるなら、こんなに悩んではいない。

 それに、そういうのは、


「しょ」

『しょ?』

「しょやで、やるものじゃないの? その、そういうのって……」


 二人がぽかんとした顔をしていることに気付かないまま、消え入りそうな声で続ける。


「それに、き、キスだって……普通はお式で、初めてやるものでしょう……? したくないと言えば、その、キスね。嘘になっちゃうんだけど……でも、その、雰囲気……そう、雰囲気がね……大事と、言うか……だから、なにもなくても、不思議じゃないと思うのだけれど……で、でもね。なんとか頑張ろうとしては、いるのよ? その、えっと、き、気を引こうって……ドレスもね、ちょっとずつだけど、変えていっているし……この間もね、その、ドレスはあまり效果なかったんだけど…………でもね!? あ、あ、愛をね、囁いてくださって! ……だからね、えっと、ちゃんとその、進展はしているはずなの。こ、今度ももう少し、頑張ってみるつもりなのよ? 手だけじゃなくて、その、う、腕なんか! 組んじゃったりしようかって!」


 お茶をちびちび飲みながら、己の考えとぽんこつ戦略を話していく。

 ナナリーとニナは、まだ呆けたようにアリスを見つめていた。


「? ナナリーもニナも、どうしたの? …………な、なにか言ってよ。私がバカみたいじゃない」


 反応がないことに、アリスが不安になる。ここまで言わせておいて無視するとはどういう了見か。

 カップで口元を隠して様子をうかがっていると、二人が急にすっくと立ち上がった。


「ひゃっ!? なに、どうしたの!?」


 驚くアリスにかまうことなく、二人はすたすたと近づいていく。そのまま彼女の左右に仁王立ちした。

 アリスがきょろきょろと左右を見る。


「な、なに? なんか怖いんだけ──きゃっ!?」


 二人ががばっとアリスに抱きついた。

 その衝撃と、突然のことにびくっとしたせいで、持つカップからお茶が溢れそうになる。『わわっ』と慌てた様子でソーサーに戻した。


「あーもう! なにこの子! 誰にも渡さん! 危ないからうちにおいで! 毎日愛でるから!」

「ナナリーちゃんずるい! アリーちゃんは私のものなの!」

「ちょ、ちょっと! 急にやめっ、離して!」


 ぐりぐりぐりぐり。

 二人から頭を撫でられては、とっかえひっかえ身を奪われる。そのたびに頭上では、友人らの言い合う声が聞こえてきた。『やめて』と声に出してじたばた暴れるが、まったく功を奏さない。

 助けを求めてミシェルを含む三人の侍女に目を向けるが、誰もこっちを見ていなかった。何やら『ほほほ』と笑い合って、世間話をしているような雰囲気だ。


「ええ、うちの子は本当にまだ子供で。お恥ずかしい限りです」

「可愛らしくていいじゃないですか」

「そうですよ。うちはすっかり大人になっちゃって。寂しいものですよ」


(なにそれそんなの侍女の会話じゃない!)


 授業参観に来たお母さんのようになっている彼女たちは、やっとこっちを見たかと思えば、揃って生温かい目を向けてくる。


 孤立無援、味方はいなかった。

 なおも伸びてくる魔の手に、アリスは抗えない。


「わかった! はんぶんこしましょう! はんぶんこ!」

「そうだね! じゃあ私は上半身で!」

「ちょっと! そっちのがずるいじゃない!」

「なら左右で! 私は右!」

「それならよし!」


 アリスが二つにわかれるらしい。左と右に。


「こ、こわいこと言わないで──あ、だめ! さわらないで!」


 さわさわさわさわ。

 二人の手がアリスの胸や腰、尻あたりを無遠慮にまさぐる。


「こことか! こことか、こんなに育ってるくせに!」

「ここもね! ほんといやらし!」

「ちょ、っと……こらっ! 本当に怒るわよ! あっ、下、だめ──上もだめなのっ!」


 きっ、と強い表情を作ったアリスだったが、スカートをたくし上げられそうになり、慌てて両手で裾を掴む。そうすると次は肩をするっと脱がされそうになり、今度はそちらを守ろうとして下部がおろそかに──

 けっきょく、彼女は左右の手で必死に両方をガードするはめになった。


「色々と吹き込んであげるから……ね?」

「そうだよアリーちゃん……いけないやつ、開こ?」


 二人の手はなおも侵入してこようとする。


「意味わかんない! ミシェル、助けて!」


 二度目は大声で助けを求めた。

 だがミシェルはおろか、友人が連れてきた侍女らも誰も動こうとしない。なんだかそわそわとしていて、期待がこもった熱い視線を向けてくる。

 このまま放置をしたらどこまでいってしまうのか。それを楽しんでいるかのように、誰も口も手も出してこなかった。


「ほらほら……いいの? 他に意識向けちゃって」


 ナナリーの手が胸元からするりと入ってくる。


「やっ! やだ! やだやだ!」

「あれぇ? こっちはいいのかなー?」


 ニナの手がふとももを這い上がってきた。さわっと撫でられたことで、彼女の身体がびくんと跳ねる。


(い、いい加減に……!)


 とうとうアリスの堪忍袋の緒が切れる。少しの力と魔力を両腕に込め、


「やめ、なさい!」

『ふきゃぁ』


 べしーん、と突き放す。

 尻もちをつくとドレスが汚れるため、二人を宙に浮かせた。そのままふわふわと動かし、椅子に着かせる。加護の無駄遣いだった。


 ぜえはぁと、肩からずり落ちていたドレスを掴み上げる彼女にミシェルがささっと寄って、乱れてしまった髪や衣装を整えていく。


 『ああん?』と凄みを効かせたアリスがにらむが、ミシェルも、友人が連れてきた侍女も何事もなかったかのようにそれぞれのポジションに居直っている。まるで、『なにも見ていませんよ?』と言っているかのように。


「ミシェル」

「はい。ありがとうございます、お嬢様」

「なんでお礼を言ってるの?」


 とがめるようにじと目をぶつけるが、深々とお辞儀をしているミシェルの顔は見えない。

 あとで覚えてなさい、と視線を外して、件の二人を見据える。


「反省」

『ごめんなさい』


 びしっと指を刺された二人は、素直に頭を下げた。


「いやー、暴走したわー」

「ほんとほんと。でも仕方ないね、あれはアリーちゃんが悪い」

「そうね」

「なんで!?」


 被害者のはずの自分が、なぜか悪者にされている。

 不満を感じたアリスがばしんとテーブルを叩いた。カップの水面が波立つ。

 そんな彼女の怒りもどこ吹く風か、二人は手をわきわきとさせた。


「ね、もう一回いい?」

「ダメに決まっているでしょう!」

「そんなこと言ってー。アリーちゃんも、わりとイヤイヤしていなかったよね」

「そ! ……んなことないもん」


 自分の胸や脚を守るかのように、小さく反論したアリスが自身を抱き寄せる。

 やめろ、とは思ったが、確かにイヤではなかった。口ではああ言ったが、嫌悪感のようなものは感じていない。


 そういう思いを隠そうとはしているが、まったく隠せていなかった。それどころか、その反応を見た友人らに、また少し加虐心を湧かせる。


「それ、それよ。さっきもそうだけど、あなた昔から危ういわよ」

「無自覚だよねー」

「そうそう。まさか自分がこんな気持ちに──いや、なるわね、これ。なるわこれ」

「ほんとたらしだよねー」

「……反省が足りないかしら」


 アリスが手のひらをかざすと、そこから光の柱が昇った。なんだか目も据わっている。

 ナナリーとニナは大人しく、二度目の頭を下げた。


「しかし……本当になにもないのね」

「だからそう言っているじゃない……気にしてるんだから」


 手を振って光を抑えたアリスは、テーブルに置かれたカップを両手で持ってむすっとした。不機嫌にお茶をすする。


「大事にしれくれているとは、その、思うんだけどね」


 一口飲んで、カップを見つめた。ゆらゆらと揺らめくその水面に、彼の顔が映るような錯覚を起こす。


「まぁね。そりゃ」

「そうでしょー」

「えっ?」

『だってそれ』


 頬杖をついて呆れるような顔をしたナナリーとニナが、アリスが持つ豊満な胸──ではなく、胸元を同時に指差した。

 そこには、中心にはめ込まれた金色の宝石が輝く胸飾り。華美ではなく、着飾った人が元来持つ凄艶さを際立たせるそれは、アリスが纏う雰囲気と混じり、完全な調和を成していた。


 彼女の細い指が装飾部分を弄る。


「これ? これがどうしたの?」

「贈り物でしょう? それ。クライン公爵ご令息様からの」

「むーん、良い品だね……商会魂が反応する」

「え、なんでわかるの?」


 たしかにこれは、リチャードから贈られたものだった。『着けてくれると嬉しい』。そうそっけなく書かれたメッセージカードと共に。

 嬉しい気持ちと彼の想い。使わないという選択肢はアリスにはなかった。それに、その言葉どおりに彼が嬉しそうな顔をするので、その表情が見たくて毎回着けるようにしていた。そのくらいの勇気はあった。そうでなくても、品自体がとても良いものなので、こういったおめかしのときにも利用させてもらっていた。

 だけれど、『彼から貰った』とは一言も言っていない。なのにどうしてすぐにわかったのか。


「意味わかって着けているんじゃなかったのね……」

「最初に言った時もきょとーんとしていたもん」

「え? なに? どういうこと?」


 そんなに特別なものだったのかと、アリスが慌てたように胸飾りに目を向ける。

 そうかもしれない。なんたって公爵家が用意した品物だ。その権力と資金力をもってすれば、国宝に近いレベルの物だって揃えられるかもしれない。


(ダメ、今さら使うのが怖くなってきたわ)


 彼から贈られたものだったとしても、そこまで高価な品を使うのは気が引ける。

 しかしナナリーが言ったことは、そうしたアリスの考えとはまったく別のことだった。


「色」

「色?」

「金色でしょう?」

「ええそうね」

「彼の瞳の色は何色だった?」

「え?」


 リック様? リック様の瞳は、金色で──

 あれ? この宝石も同じ色──


「え、あれ? えっと」

「自分の瞳と同じ色の宝石ね」

「贈る目的はただ一つだよ」

『「貴女は私の女性ひとだ」って言ってる』

「──っ!?」


 アリスが思わずミシェルの方を見る。着けてくれたのは彼女だ。

 目を向けられたミシェルは親指をぐっと立てて、いいポーズをしていた。知っていたのかこんちくしょう。


「そ、そんなこと……」


 知らなかった。綺麗だな、嬉しい、くらいしか思わなかった。なんだったら、彼の直筆で書かれていたメッセージカードのほうが嬉しかったくらいだ。

 なんて贈り甲斐の無い女なんだ。

 そんな言葉が聞こえた気がした。


「貰った女性はだいたい嬉しそうにつけるのよね」

「そうそう」

『「私は貴方の女性ひとです」って』

「ふやあああっ!」


 何度も何度も着けては会いに行っていた。彼や、家族と王宮のパーティに呼ばれた時にも。

 ふと気づいた時には、彼からの贈り物だということを感じて、ついつい嬉しそうに弄っては『にへへ』と笑っていた。


『ほーら見てごらんなさい! 私はこの人の婚約者なのよ! 貴女なんかには爪先一つ触れさせてやらないわ!』


 ずっとそんなことを、口にはしていないが態度で示していたことになる。どれだけ執着心の強い女だ。


(うう、次から着けていけるかしら……)


 これまでなんの考えもなく着けていたアリスだが、知ってしまったことで不安になる。

 顔に出てしまうかもしれない。不自然な言動をしてしまうかもしれない。もし誰かに突っ込まれたら。

 そう、何も別に毎回着けていく必要はない。たまには外していったとしても──


「着けてやりなさい」


 彼女の心を先読みしたかのように言った。


「……ナナリー?」

「イヤな気分ではないんでしょう?」

「……ええ」

「だったら着けてやりなさいな。嬉しそうに身に着けているだけでも、相手は安心するものよ」

「そうなの?」

「そうなの。アリーだったらどう? 普段はちゃんと着けてくれていたものが、ある日急に着けてなかったら」

「私?」


 装飾品を贈ったことはまだないアリスだったが、イメージだけしてみる。


(自分の、色……大事な……)



 毎回会うたびに着けてくれていた贈り物。私の瞳と同じ色をするアクセサリー。

 きっと、貴女は大切な人だって想ってくれている。

 それを見るたびに私も、貴方は大切な人だって実感する。

 だけど、急に着けてくれなくなった。

 いったいどうして?

 本当は気に入っていなかったの? それともなにか嫌われるようなことでもした? まさか他に好きな女性ができたの?

 もう、大切な人だって言ってくれないの?


 彼の心にはもう、私はいないの……?



「やだあぁあぁ……!」


 アリスの両目から一気に涙が溢れ、髪を振り乱してイヤイヤと首を振る。

 友人の悲痛な姿に、慌ててナナリーが近寄った。


「ちょ、泣かないで。どんだけ感受性あんのよこの娘は」

「着けてくれなきゃやだぁ!」


 駄々っ子のように同じ言葉を繰り返すアリスが、ナナリーに抱きついた。


「くっ……まったく本当にこの娘は……!」

「う……?」

「ぐぅっ!」


 涙顔で見上げてくる姿に、ナナリーが胸を押さえる。空を見上げて、何かに耐えているようだった。頭を振ってからアリスの涙を指で拭っている。ニナが『出遅れた……』と呟いていた。


「わ、わかったから……ほら、そうやって不安になりたくない、させたくないでしょ?」

「うんっ……」


 泣き顔のアリスがずずっと鼻をすすり、うなずく。


「ならいいじゃない。それにはっきりと言えばいいのよ。私を貴方のものにしてって」

「い、言えない!」

「まぁそうよね」

「うー……」

「なんだかどんどん子供に戻ってるわね」

「そんなことない!」

「アリーちゃんも、贈り物は髪とか瞳の色に合わせてないかな?」

「あ、そういえば……」


 アリスだって、愛する婚約者にはいろいろと贈り物をしている。儀礼用の小剣や万年筆、ガラス細工の置物とかだ。どんな物がいいか、と両親に尋ねると、だいたいは白に近い色か蒼色の宝石をアクセントに、と言ってきた。


 特に不思議には思わず素直に従って、小剣は柄の部分に白い宝石を、万年筆は持ちての部分に銀のリング、ガラス細工は騎士と女神の形にして、女神の瞳部分を蒼色にしていた。


 なんでその色なのと聞いたことはあるが、笑ってごまかしてくるだけだった。あれはそういうことだったのだ。


(お父様もお母様も! 教えてくれたっていいのに!)


 今にして思うと、笑い方もなんだかにやにやした感じだったと思えてくる。

『むー』とうなるアリスに、ナナリーが呆れ笑いをした。


「女性からも同じ。『貴方は私の男性ひとです』よ」

「……知らなかったの」

「はいはい、これで知ったでしょ。少しずつ覚えていけばいいの」

「うん……」

「あーもう。そんなに幼く可愛い声を出すんじゃないわよ」

「幼くなんかないもん」

「ほらそうやって」


 よしよしとまた頭を撫でられる。

 髪の手触りを楽しむかのような優しい手付き。アリスも今度は振り払いはしなかった。


「でもまさかアリーちゃんが、ここまでおこちゃまだったとはねー」

「……なによ。ニナだって、彼とは進展なかったじゃない」

「私はやることやってるよ? この間もお泊りしたし」

「お泊り!?」


 驚いたアリスが、ナナリーの身体から顔だけひょっと覗かせた。


「そうだよー、寝室も同じ。ベッドは二つだけどね」

「同じ寝室!?」

「驚きすぎよ」


 彼女の長い銀髪を一房掴んで、愛おしそうに鼻と口を当てていたナナリーが言った。何をしているのだろうか。

 それに気付かないアリスは思う。無理言うなと。驚かないほうがどうかしている。


(え、そんなことってある?)


 結婚前の男女がお泊り。しかも同じ寝室。

 そんなことをして大丈夫か。女神様が怒るのではないか。

 よくわからない感想を抱くアリスだったが、


「スチュアート侯爵夫人だって、婚姻前によく泊まりに来てたんでしょ? 普通よ」

「それに冒険者やってたんでしょー? なら野営とかも一緒だったんじゃないかな?」

「ああぁっ!」


 友人の発言に思わず立ち上がってしまった。彼女の頭がナナリーの顎を直撃する。


「ごえっ!」

「あ、ご、ごめんなさい……!」

「ぐ、ぐ……い、いいのよ……でも少しは痛がりなさいよ……」


 顎を押さえてうずくまるナナリーに、ミシェルが癒やしを施した。

 淡い緑色の光に包まれた友人を眺めつつ、先ほどの言葉を反芻する。両親だって同じようなことをしていた、と。


 確かに、母だってよく泊まりに来ていた。そんな話を聞いた覚えがある。『あの人ったら最初は大慌てで』みたいに笑っていた記憶がある。

 もちろん、あの頃と情勢は違う。討伐やら鎮圧やらでいろいろあったからかもしれない。


 だけどまさか、こんな身近にお手本が存在していようとは。


(お泊りか……私だったらどうなるだろう……お母様みたいに……)


 お泊りセットを持って、クライン公爵家屋敷で出迎えられて。

 ちょっとそのあたりをお散歩して、いい雰囲気になって。

 でも夜も近いから、と名残惜しく戻らないといけなくなって。

 だけれどそこは実家ではなく彼の屋敷で。

 夕食を共にして、入浴のあとは寝室に招き入れられて。

 ベッドは別れているんだから、と言い聞かせて、同じ部屋で寝て。

 お互い寝付けずに横になったまま、ちょっと会話なんかしちゃって。

 そのまま寝入ってしまって、朝起きたら、隣に、彼の寝顔……


 ぼしゅふぅん!


 音が聞こえてくるくらいゆでダコ状態になったアリスから、湯気が立ち昇る。そのままフリーズ。石膏のように固まってしまった。

 傷が癒えたナナリーがそれを見て、わかっていたけど、みたいな顔をする。


「まぁ、アリーには早いわね」

「そうだね、アリーちゃんには早いかもねー」

「あまりお嬢様を壊さないでください」

「お泊り……寝室……お泊り……寝室……」


 壊れた蓄音機のように同じ単語を繰り返すアリスに、友人二人は顔を見合わせてうなずいた。


「やっぱり持ち帰りたいわね」

「ねー」

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