第6話 空の散歩と心の内と大技炸裂
「それじゃ、行ってくるわね」
エントランスホールまでの見送りに振り返って、アリスが言った。ルークにミシェル、他の侍女まで着いてきている。
「はい、行ってらっしゃい姉上。僕もいつかご一緒できるように鍛えたいと思います」
「ふふ。楽しみにしているわ」
「はい!」
嬉しそうに答えたルークの頭を、優しく撫でる。そういえば昨日から撫でっぱなしね……とアリスは思った。
「本当に付いていかなくていいのですか?」
「今回は大丈夫よ。上の方でやるから」
「かしこまりました。行ってらっしゃいませ、お嬢様」
『行ってらっしゃいませ』
見送りの声を背中に受けながら屋敷を出て、表庭の真ん中、開けたところで小さく呟いた。
『亜空転移』
彼女の姿が揺れたかと思えば、すぐにかき消えた。
視界が揺れる。同時にふわっとした浮遊感。それはすぐに消えて無くなった。
目の前には壮大な草原。さっきまで実家にいたはずが、まったく違う景色に変わっていた。この前、彼と向かった場所に似ている。
スチュアート侯爵家にある、村や町から外れた場所。クライン公爵領も広大だが、スチュアート侯爵領だって負けてはいない。
さぁっ、と風が吹く。草原が波をうつように光の帯が流れていく。それをしばし眺める。
「よし」
地図は確認済み。今日は馬車や魔導車は通らない。探査範囲にも今のところ反応なし。上空からの影響はないはずだが、万が一のこともある。事前のチェックは必要だ。
とん、と地を蹴って、空に飛び上がる。そのままゆっくりと上昇。地上が少しずつ離れていく。
魔法や詠唱は使っていない。身体に流れる魔力を調整して実現している。
魔法学に詳しい人ほど、その現象に腰を抜かすことになるだろう。
通常、魔法は自身の魔力を媒介にして、神や邪神、精霊から力を借り受け奇跡を行使する。
与える魔力の調整は可能だ。簡単な生活魔法ならごく少量で、大きな力を求める場合は相応の対価となる。
だが、己に流れる魔力の緻密な操作は不可能とされる。当然だろう。血液が流れる量を、誰が調節できるというのか。
それなのに彼女は気持ちよさそうに空を飛ぶ。自然に、当たり前のように。
「うん、やっぱりいい天気。気持ちいいー」
ついついにっこり笑顔になってしまう。やっぱり空を飛ぶのは素敵。心が沸き立つようだ。趣味の一つでもあった。
どんどん高度を上げていく。大きな木が粒みたいになったところで一旦停止。地上より風が強く吹き付けるが、身体には何の影響もない。
そこでちょっとだけ思いを馳せる。
「……リック様って、私のどこが好きなんでしょう」
腕を組んで『うーん』とうなる。
少なくとも好いてくれていることは間違いない。何度も何度も言葉にしてくれている。
「あ、あ、愛するアリー……」
婚約者がかけてくれたセリフを自分で反芻し、『きゃあっ』と頬に手を当てる。
こんな仕草、人前では滅多にできない。自分は侯爵家娘なのだ。淑女としての嗜みは必要。たまにあっさりと剥がれるが、それでも最低限の気品は持っておくべきである。
だが今は一人。こうしてお空の散歩をした時は、己自身わかるほどにちょっと幼くなってしまう。
でも仕方ない。普段言えないことは、こうやって一人の時に言うしかないのだ。
「自信はあるんだけどな……」
眼下、己の胸を見てぽつりと言う。
コルセットで押しつぶしたりされない限り、普段つま先が見えないそれは、常日頃からミシェルら侍女が磨いてくれている。シミも痣もない肌は白く透明で、瑞々しい。ハリもある。お尻だってほどよい大きさのはずだ。自分の容姿くらい、自覚はある。
でも。
「見なかったのよねえぇ、なんでええぇぇ……」
いや、最初は見てくれた。ちらり、とは。ちらりとだけは……
そのあとはガン無視。話しかけても、自分の頭の上を視線が通り過ぎていった。
親友のナナリーが言っていた、『絶対堕とす必殺技』である、両腕で挟むような真似もしてみた。もの凄く恥ずかしかった。しかしそれもやっぱり効果なし。
ちなみに必殺技は他にもあるらしい。『まだ教えられない』と言われてぶーたれた事がある。だから他の技は知らない。
「必(ず)殺(す)技なのに……」
物騒なことを言いながら、どんよりする。
あれ以上に肌を見せる勇気はまったく出ない。それにもし無茶をして、阿婆擦だと思われたら。
『貴女がそんな破廉恥だとは思わなかった』
『私はこちらの奥ゆかしい女性が好きになってしまってね』
『すまないが婚約はなかったことにしてもらう』
『ではさらばだ』
そう言って別の女性にたくましく寄り添いながら、照れた感じで手を差し出して、ついこの前までは自分に向けられていた優しい笑みが──
「やだあああああぁ!」
ごろごろごろろ。
器用に空中を転がって、両手で顔を覆ってしまう。
「リック様……貴方はどんな女性が好みなんですか」
『教えて、教えて』と、ここにはいない彼に向けて問いただす。
当然ながら返事はなしだ。本人を相手に言える質問ではなかったが。
ぐっすん、と両手を顔から離す。
そのままぼけーっと空を眺めた。
雲が流れていく。常に形を変えながら。
「好き」
ぽつり。
「好き、好き」
ぽつり、ぽつり。
「好き、好き。好きなの……」
ぽつり、ポツリ、ぽつり。
「照れたように笑う顔も好き。向かい合ったときの真剣な顔も好き。優しくエスコートしてくれる手付きも好き。静かに剣を握る手付きも好き。寄り添ってくれる時の仕草も好き。猛々しく向かってくる仕草も好き。ちょっと意地悪して困らせたときの弱々しい声も好き。雄々しく張り上げる声も好き。好き。好き。貴方のことが全部好きです……」
でも。
「そんなの言えないぃ……」
空中に突っ伏しておいおいと泣く。これまた器用な姿だ。
慕っている、と遠回しには言っているが、好きを言った覚えはない。あれはまだ、お互い愛称で呼ぶのが照れくさくてできない頃。
『リチャード様』
『なんだ?』
『す』
『す?』
『す、す、すす』
『?』
『スモークチーズとワイン、組み合わせがよいと思いませんか?』
『ま、まぁそうだが……渋いな……』
この国では成人は十八歳だが、アルコールはデビュタントを迎える十五から飲める。
とは言え、そんなに飲んだことはなかった。祝いの席やパーティなど、特別な時くらいだ。『もうちょっと大人になってから』と周りから言われていた。なお、今は解禁されている。
なのに飲兵衛と思われたかもしれない。
そのあとは自室に一日引きこもった。ミシェルの呆れた顔がはっきりと思い出せる。
「ルークにバカにされちゃう……ダメ姉になっちゃう……」
まさか六歳も下の弟が、中等部上がりたての子供が、あんな冷静に考えていたなんて。自分なんかより、遥かにしっかりとした将来設計を持っていそうな気がする。
そりゃあ弟は跡取りなんだから、夫人教育しかしていない自分より、いろいろ学んではいるのだろう。
それにしてもだ。
「最高神様、恋愛の加護も欲しゅうございました……」
五歳になった者が受ける洗礼。そこで得た、最高神からの加護。
この加護のおかげで、魔法で困ったことはない。入試も実技も卒業試験も満点だった。唯一困ったのは細かい制御。
いや、細かい制御は容易にできる。魔力を分け与えるという実技だけが困った。信仰する神に魔力を捧げる、と言われてもよくわからなかったのだ。
そもそも『力を分け与え給え』というのがよくわからない。そんなことせずとも、『ちょうだい』と言えば『どうぞ』みたいな感じで力が湧き出た。だいたい最高神が与えてくれる力はパッケージくらいなものだ。ほとんどの魔法は配下の神の奇跡になる。
つまり、格下。餌を与えるのではなく、奪う。寄越せと。傲慢とも思えるが、向こうが欲しないのだから仕方ない。
「お母様のほうがそのあたりお上手なのよね……」
母であるリエンナは、緻密な制御をミリ単位で行える。生活魔法なんかは母親のほうが上だった。逆に父親はドがつくほどの不器用だ。無能というわけではないが、使い方がド下手だった。
「大人の魅力が欲しいです……」
大人の恋愛自体がよくわからないが、理想は両親である。
戦場に落ちた一滴の恋。そこから育み、愛を成した。傍目で見ていてもラブラブだ。父も母も、他の有象無象には目もくれなかった。
そんな血を受け継いでいるはずなのに、この体たらく。
「はぁー……」
大きなため息を吐いて起き上がる。
いけないいけない、このままではせっかくの空中散歩だというのに、どんどん気持ちが沈んでいく。
気持ちを切り替えるように力を込める。
刹那、周囲の温度が下がった。彼女の周りに冷気が集まっていく。
アリスは特に氷と風を好んで使う。
氷は相手への直接的なダメージ以外にも、その寒さから動きを鈍らせることができるし、スリップさせることも可能。風は体勢を崩せるし、身に纏えば防御にもなる。青と緑という色も好きだ。
あとは飲み物を冷やしたり、グラスに氷を出したり、濡れた髪を乾燥させたりホコリを飛ばしたりと、日常的にも便利だった。ほとんどこっちがメインだったが。
この前は氷柱を飛ばすようにしたが、ものの見事にかわされてしまった。一点集中なのが悪かったのかと、やり方を変えてみたかった。
『凍る世界』
彼女を中心に、周囲数十メートルが文字通りに凍る。さっきまで春に近しいのどかな温気だったのが、あっという間に絶対零度の極寒に変わった。空気がぱきぱきと音を鳴らして、砕けた欠片がはらはらと舞った。白い息を吐き出すが、魔力を張り巡らせているので寒くはない。
白の世界に佇む美少女。惚けてしまうような情景だった。中身がぽんこつおこちゃまだとは、夢にも思うまい。
「全方位にすれば避けられないとは思うのだけれど……」
今回は練習のため、そこまで本気にはならない。範囲も限定、出力もほどほどに。
最大で顕現させた時をイメージしてみるが、やはりリチャードには届きそうにもなかった。涼しい顔で対処される姿しか想像できない。
「これに風も混ぜてみる? さすがにちょっとは冷えてくれるんじゃないかしら」
『うふふ』と楽しそうに殲滅魔法をあれこれ試行錯誤する。
彼は楽しんでくれるかしら? 驚いてくれるかしら? 見直してくれるかしら?
『アリー、今のは良かった。君のそういう意欲的な姿勢、頑張る姿を私は愛している』
「やだ、そんな……どうしよう。えへへ……」
まだ温度が戻らない真っ白な中で、妄想してはもじもじする。
もうちょっとだけ頑張ってみよう。そんな思いが突然湧いてきた。単純である。
ぱちん、と指を鳴らして、魔力が満ちていた空間を解除。白が消えたそこは急激に温度を戻していき、元いた光景に戻った。
そこからはいろいろと試してみた。
異なる属性を二種類、三種類、四種類から合成してみる。相反するものは無理やり押し込んだ。そこからさらに属性を取り除いてみる。相性が良くても無理やり引き剥がした。単発、連続、集中型、拡散型、広範囲型にわけて撃ち込んでみる。相変わらず拡散型は綺麗だった。普段はあまり使うことがない、光と闇も弄ってみる。詠唱を二重化、三重化。『闇って使い勝手が……』と呟いて、手のひらに生み出した漆黒の珠を握りつぶした。
「うーん」
なんだかどれもしっくりこない。
こういうのは閃きも大事なので、あまり考え込んでも仕方ない。きっぱりと打ち切った。
「やっぱりプロシージャもやっておきましょ」
目を閉じ、最高神に念ずる。同時に、普段は外れている回路を意識的に連結。いつもは体表を覆うようにしている魔力とは違い、胸の中心、心臓のあたりから熱く湧き出すそれを、血管を通って全身を駆け巡るようにイメージする。
ほどなく、緑と白が帯状に混じった風の塊が、周囲から纏わりつくように渦巻く。膨大な魔力が捻れているかのようだった。
頭の中に白金の輝きが溢れる。最高神だ。なんの迷いもなくそう認識する。すでに渦は飽和状態になっているかのように、ばちばちと稲妻のような光を帯びていた。
静かに目を開け、小さく、だが力強く唱える。
『EXEC WRLD_MSPL.FIR_RAGING(null, 1, method=>'d', type=>'o')』
暴風が槍となり、矢となっていくつも形成された。向き先は上空。地表に向けて撃ってはどえらいことになってしまう。
何本もの光が空へと解き放たれ、流星のような尾を引いていった。ちょっと捻りも加えてみたが、いい感じだ。
雲を消し飛ばしてもまだ上空に向かっていき、とうとう見えなくなった。光量が一気に低下する。荒れ狂っていた風も収まっていた。
満足そうにそれを眺め、一息つく。
ふと、ある方角に目を向け、じっと見つめた。
「あら、来ないの」
逃げてしまったのなら仕方ない。追いかける趣味はない。
今日の鍛錬はこれにて終了。ちょっとだけ魔力も使ってしまった。帰ってお茶会の準備もしないと。まずはお風呂かな。
「恋もこれくらい簡単ならなぁ……」
ドン引きするそれを呟いて、彼女は亜空間の転移を唱えた。
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