幕間

王子の帰宮

 ゲートとやらを通り抜けるのは少々勇気が必要だったが、あっさり王宮に着いた。本当に着いてしまった。護衛が一人違わず動揺している。


「まいったね、本当に……見間違えじゃなきゃ、王宮だよね、ここ……」

「さようですね……話には聞いていましたが、これほどとは思っていませんでした」


 連れて行った中でも直接の配下になる近衛が、見慣れた王宮を見上げて声を震わせた。


「まぁ、早く着いたことに越したことはないね、うん。 ……ははは、時間が余ったよ。嬉しい限りだね」

「王子殿下、無理しておられませんか」

「そんなことはないよ……たぶん…………はぁ、とりあえず解散にしようか」


 振り向き、護衛らの顔を見て言葉を続ける。


「二人だけ着いてきてくれ。残りは各自の判断で、魔導車の庫入と報告書をまとめておいてくれ。まずは私に見せるように。そうだな……三日後には出してほしい」

「しょ、承知しました」


 報告書、苦労するだろうな。

 項垂れた護衛を見てそう思った第二王子──ウィルは王宮に足を踏み入れた。

 その余りの速さの帰還に、王宮護衛が驚いたように見つめてきた。


「今戻ったよ。なにもなかったかい?」

「は……はっ! なにも変わったことはございません! 二十四時間体制で見張っております! 怪しいものは誰ひとりと通しません! 逃しません!」

「そうか、引き続きよろしく頼む」

「はっ!」


 びしっと敬礼のポーズを取る護衛の横を通り抜ける。

 チリ一つない広大な廊下。磨かれたような床や壁面。侍女やメイドの賜物だ。そこをコツコツと音を鳴らして歩いて行く。


 人とすれ違う度に、廊下の端に寄って頭を下げられる。

 別にそこまでしなくとも。

 普段から思っていたウィルだったが、近衛のプライドや王族の見栄もある。気にしないふりでメイドの一人に声をかけた。


「クローゼはどこにいるかな?」

「え……あ、あっ! 失礼しました! 王女殿下様でございましたら、この時間は、な、中庭かと!」

「わかった、そっちに向かってみるよ。ありがとう」

「いえ! そんな! 滅相もございません!」


 真っ赤になったメイドは限界まで腰を折った。床を見つめたまま、ぷるぷると震えている。ウィルが離れると、周りにいた他のメイドが群がって、彼女の肩を揺さぶったり頭をぽこぽこ叩き始めた。

 それをちらりと見て、ため息を吐く。


(あの頃と変わらないね……)


 どうも自分はだいぶに見目が良い。昔からその自覚はあった。

 学園の頃はひどかった。公爵家の令嬢と婚約済みだというのに、毎日のように囲まれていた。上は高位貴族から、下はまさかの平民まで、うんざりするほどの数に追い回されていた。襲われかけたこともある。

 特別、べったりと絡みつくように纏わりついていた平民を思い出す。


 彼女は自分が行く先々に現れた。

 廊下で転んだと思ったら、近くにいた高位の貴族令嬢に当たり散らしていた。距離が離れているにも関わらず、酷いだの何だの。

 なぜか寮室にあるはずの彼女の服が、何者かに切り裂かられていたというこもあった。鍵はかかって警備もいるというのに。

 さらには、階段から突き落とされて殺されそうになった、そう訴えることすらあった。しかし目撃者はいない。白昼堂々、通り掛かる人も多数になるだろう、そんな学園内で。


 『怖い怖い』『酷い酷い』と泣きついてきたが、あからさまなその被害内容に、証拠らしきものといえば自分自身の証言だけ。ウィルは相手にすらしなかった。

 だが、彼女や他の女性が近づくたび、婚約者はぷりぷりと窘めてきた。


 女性に身体を触れさすとは。

 婚約者という意識が足りない。

 王族という覚悟が足りない。

 わたくしがいるのに。

 嘘ですにやけていましたわ!


 それを言うならあいつらに言ってくれ。あと、別ににやけてなどいない。


(まぁ、いい思い出かな)


 そうこうしている内に、中庭にたどり着く。陽の光が差し込み、季節に関係なく様々な花が咲き誇っているそこには、伝えられたとおりに妹がいた。四隅に設置されたサンルームの一つで、少しはしたないが頬杖をついている。どうやら王女宮筆頭侍女とお茶をしていたようだ。

 妹はこちらに気づいて、にっこりと微笑んだ。


(うーん、我が妹ながらなんたる美少女)


 バカ兄のような感想を抱いたウィルが近づく。侍女が立ち上がろうとするのを手で制し、隣に座り込んだ。


「お帰りなさい、ウィル兄様」

「ただいまクローゼ。いい子にしてたかな?」

「もう、子供じゃありません。今度の計画を練っていただけです」

「計画?」


 彼女の手元をのぞきこむ。そこには、緻密なスケジュール表のようなものが散らばっていた。

 一枚を手に取る。


 ・ルーク様の登校時間

 ・ルーク様の好みの女性

 ・ルーク様の好物

 ・ルーク様の図書利用時間

 ・ルーク様と学習計画


 ルーク様の、ルーク様の、ルーク様と。

 ビッシリと書き重ねられたそれを見て、ウィルが記憶を掘り返すように考え込む。

 ルークというのは、確かスチュアート侯爵家の跡取りで、妹の学友だ。非常に優秀で、妹であるクローゼを差し置いて首席となっている。


「これは?」

「ルーク様と仲を深めるための資料作りです。なかなかどうして、うまくいきませんの」


 クローゼが細いため息を吐いて、物憂げな視線で遠方を見つめた。くるくるとペンを回してテーブルに置き、代わりに持ったカップの縁に口をつける。

 飲み終わるのを待ってから、ウィルがこつこつとテーブルを叩いた。


「なるほど、強敵か」

「はい。ですので、この休暇を利用して完璧なプランを立てようかと」


 学園は今、短期的な臨時休校にある。魔導車を使えば楽に通える距離ではあるものの、彼女は将来の相手に合わせて寮住まいを選択していた。それが、少し前から王宮に帰郷していたのだ。


「本当……ガードが……このままでは……様との……」


 テーブルをにらんでぶつぶつ言い始めたクローゼの横顔を、ウィルが資料越しに見つめる。


(恋心、か……)


 ウィルにはいまいちわからない。そういった感情を持てなかった。婚約者のことは大事にしているし、情のようなものも抱いてはいるが、どちらかというと家族に近いものだった。自分の婚姻が、王国にさらなる繁栄をもたらせられれば、と思う。

 だが、クローゼには婚約者がいなかった。これは異例のことである。その理由は、ウィル自身にあった。


 自分は政略結婚で良い。だが妹はダメだ。どんな相手でも良いから、愛とやらを育んでほしい。と言っても、誰でもいいわけではない。それなりの家格で、知性があり、任せられるくらいの力は必要だ。


 それを考えると、いずれは侯爵家を継ぐ者であり、なおかつ首席であるルークは文句なしだろう。

 しかしそれはそれ、これはこれ。いずれは決闘を申し込む。ウィルはそう誓っていた。


「うん、いいね。でもここ、ちょっとチャートが被っているよ」

「まぁ! ありがたく存じます、ウィル兄さま」


 ウィルの指摘にクローゼの表情がほころんだ。

 満足そうな二人を、筆頭侍女が変な顔をして見ていた。


「どうした?」

「いえ……失礼しました、なんでもございません」

「ふぅん?」


 何も言ってこないということは、大したことではないだろう。ウィルはそう結論づけた。


「それでどうでしたの? アリス、お、お義姉さまは」


 クローゼが資料の訂正をしながら、今日の感想を尋ねた。


「うん、凄かったよ。想像以上だった」

「そうですか! やっぱりさすがですわね」

「今夜にでも一緒に見ようね」

「はい! 楽しみですわ! はぁ、アリスお義姉さま……」


 頬を染めて両手を組み、ぽやっとした表情になる。その仕草は完全に恋する少女のそれだ。目がとろんとしている。なんだか吐く息も熱かった。

 ウィルが微笑ましそうに見つめる。侍女はより一層のしかめっ面を作った。


 あれこれとルーク陥落作戦について修正点、妥協点を二人で論じてから、ウィルはその場を離れた。

 今日撮った魔道具の再生を試したい。公務も溜まっている。妹パワーでちゃちゃっと片付けてしまおう。


 考えながら歩いていると、一人の人物と出会った。


「ウィル……帰っていたのか」

「やあ、レニー兄上。さっき戻ったところですよ」


 そう言って、声をかけてきたレニー──兄であるレオナルドを見る。

 ウィルと同じ、王族の証である見事な金髪。彼は第一王子でもあった。王位に一番近い人物だ。


「クラインとスチュアートの模擬訓練だったか。やはり凄かったのか?」

「ええ、それはもう。あとで映像をお見せしますよ。クローゼも一緒です」

「そうか……いや、自分は、遠慮を──」


 翻して来た道を戻ろうとするレオナルドの首元が、伸びた腕に捕まえられた。ぐえ、と声がした。


「ダメですよ、兄上。さぁ、試写会と行きましょう」

「ちょっと待て! なんだか非常に嫌な予感がするんだが!」

「はいはい、私一人じゃ抱えきれないんです。兄上も堕ちてください」

「なんだそれは! 俺にはまだ公務が残っているんだ!」

「そんなものすぐに終わるでしょう」

「貴様と一緒にするな!」


 今日の現実を見てしまったウィルは、少しでもこの気持ちを共感できる仲間を欲していた。

 ずるずるとレオナルドを引きずり、そのまま再生が可能な施設へと向かった。




 その夜に開かれた鑑賞会で、クローゼは大いにはしゃいだ。

 さすがは我が妹。豪胆さも十分に持っている。正直言うと少し躊躇していたが、やっぱり見せて良かった。

 バカ兄は満足そうにその日を終えた。

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