第5話
王子がゲートを通って行ったあと、アレフは目の前の光景を悄然とした気持ちで見つめていた。
訓練と言う名の乳繰り合いも終わった。荒れた大地はミシェルのおかげで癒せた。王子も恙無く王宮に戻って帰られた。
これでようやく帰れる──
そう思うと、彼はこれまでの苦労が浮かばれる気がした。
本当に大変だったのだ。根回しと準備が。
王家の、しかも第二王子が見学に来るという書状を見た時、彼は気が狂いそうになった。
まずは当然ながら、当事者であるアリスの親──スチュアート侯爵に連絡。書状などといった勿体ぶった手段ではない。魔力を込めた鳥の形をした魔法を飛ばし、吹き込んだ会話を相手に伝えるものだ。タイムラグはあるが、伝達手段と魔力効率を考えると最も優秀な手である。
これがもう少し高度になると、念話といって直接の会話ができるようになるのだが、相手が限られる。アレフも使えたが、己の主など、通じるのはごく一部の相手のみだった。
その点、この魔法は相手が魔法を使えるなら誰であろうと、連絡を取りたい名前と魔力を知っていれば利用できるため、最適な手段と言えた。
しかしアレフは、その手段を選択した自分を殴りたくなった。
いや、手段は悪くないのだ。相手を間違えていた。
ほどなくして返ってきた鳥さんは、こう言った。
『わ…た……にって……う……もおう…………しておくよ』
(なにをしておくんだ?)
アレフは忘れていた。あまりの事態に、とても簡単なことを。
スチュアート侯爵は、魔法が下手なのだ。使えない、というわけではない。絶望的なまでに魔法不器用なのだった。
侯爵夫人は、魔法の名手だ。その娘もこれまで見たとおり、精通している。
ではなぜ父親だけがそうなのか。実は血がつながっていないのか?
大変に失礼な感想を抱きつつ、次に彼は、侯爵令嬢であるアリスに直接連絡を取ろうとした。
彼女なら、あんなノイズ混じりで返してくることは決してない。むしろ、あの可愛らしい声がクリアかつ玲瓏に響くはずだ。自分も少し気に入っていた。なんならコレクションに加えてもいいと思う。目覚ましにすると最高かもしれない。
己の主が聞けば、激高して神の最上魔法を撃ってきそうな下衆な思いを抱きつつ、鳥に吹き込んでいく。妹もゴミを見るような目をしてきそうだった。
そうして返ってきた、予想通りにどこまでも澄んだ音が響いて、また後悔する。
『リチャード様はご健勝でしょうか? 当日は早めに伺って、お散歩しとうございます』
(俺の連絡に対する返事は?)
彼は伝えたはずだった。王家が見学に来るということを。
だが、その内容がどこからも聞こえてこない。お散歩したいという、どーでもいい思いしか届いてこない。
アレフは忘れていた。あまりの事態に、とても簡単なことを。
スチュアート侯爵令嬢は、ぽんこつ恋愛脳なのだ。
聡明なくせに、複雑な魔法ですらひと目で解析できるくせに、こと恋愛となると彼女は途端にダメになる。リチャードに会えることしか頭になさそうだった。
だいたい、あんなコワモテ拗らせへたれ野郎のどこがいいのか。第二王子のほうがイケメンじゃないのか。いつも黄色い言葉に囲まれているぞ?
『あああああ』とアレフは頭を抱えた。
それはそれとして、この声は保存しておく。たとえ自分が死んでも解呪されない結界を施した。加護というのはこういう時のためにあるのだ。
そしてしばらく考え込んだ後、諦めの表情でもう一度魔法を唱えた。
宛先はスチュアート侯爵家侍女、ミシェルである。主であるアリスバカではあったが、連絡や準備はきちんとしてくれるはずだ。
そうして三度飛ばしたあとに返ってきた言葉が、
『お嬢様がうきうきしていて可愛いです』
(常識人は俺だけか!)
思わず鳥を投げつけそうになったアレフだったが、その前に消えてしまう。消える前、『へへっ』と笑ったように彼は見えた。
見間違えかと思ったが、明らかに嘲笑っていた。心なし、消えるタイミングも早かった気がする。普通は吹き込まれた会話を、三度繰り返してから消えるはずだ。
(誰も彼も鳥も俺をバカにして!)
彼がわりと本気でぐすっとしていると、新たな鳥が飛んできた。あの侍女の声がする。
『冗談です。お嬢様の可愛さは本気ですが。見ることができなくて残念ですね』
『こちらで必要な準備はやっておきますのでご安心を』
『貴方は貴方の準備を進めるように。苦労してますね』
福音のようだった。救いはここにあったのだ。最初の一言はいらなかったが。
主バカなどと言ってすまなかった、と彼は心中で謝罪した。否定も取消もしなかったが。
これからも良き付き合いをしていきたい。掛け値なしの本音だった。
連絡を取るだけでこんな感じだ。
そこから場所の選定、王家への連絡、当日の出迎え、王子の出迎え、安全の確保とやることが多すぎた。
『大丈夫だろ』
そう言っていた、己の主が憎々しい。
『面倒事はすべてお前に任せる』
そう言っていた、己の主が憎々々々々しい。
普段なら、立ち会うのはアレフとミシェルだけなのだ。彼もそうだが、ミシェルだって立ち会いや訓練程度で不覚を取るようなタマではない。
むしろ、ミシェルのほうがアレフより実力は上だ。守護神の加護を持つ彼は、護りという面では負ける要素はなかったが、その反面攻撃に乏しい。
対してミシェルは豊穣神の加護を持つ。癒やしに特化しているようにも見えるが、その実、その力を攻撃に使われると、リチャードやアリスにしか止められない。大地を癒すということは、大地の力を自在に操るということだ。隆起や陥没、地割れなど、その手段は数多である。
(だと言うのに! くそ王子が余計なことを言い出すから!)
『だん!』と心部屋の心机を心拳で叩きつけ、心万年筆が倒れた。そっともとに戻す。
やめておいたほうがいいんじゃないですかね~?
遠回しに『余計なことをするな』と伝えてみたが、聞く耳持ってくれなかった。おそらく見たかったのだろう。きらきらした目が鬱陶しかった。
さっさと帰りたい。
憔悴した彼の想いは届かない。何かというと、離れないのだ。二人が。
「さぁ屋敷に戻りましょう、お嬢様。皆、心待ちにしております」
「リチャード様も。明日からの課題を整理したいので、さっさと終わらせてくれませんか」
優しげな声であるミシェルとは対象的に、アレフは刺々しい声を出す。
「ええ、ミシェル。それでは……リック様、ごきげんよう。勉学のほど、お勤しみくださいませ」
「アレフは優しさが足りぬ……アリー、すぐに終わせる。貴女も健やかでおられるように」
「はい、リック様。再会と、再戦を心待ちにしております」
「アリー……」
「リック様……」
それでは、と背を向けて、それぞれのゲートに向かう。向かいながらも、ちらちらと振り返っている。今生の別れのような表情だ。
何がそこまで、とアレフは思う。ただ帰るだけだというのに。それに再戦を心待ちってどういうことだ。
さっさと終わらせたい彼はぐっと堪えて、それぞれが通り抜けるのを待つ。ミシェルは先に入っていった。羨ましくて涙が出る。
先に帰ってやろうか──
彼がそんなことを思い始めた時、どちらからともなく名前を呼びあった。
「アリー!」
「リック様!」
その身を翻し、早足に駆けつけ、恥ずかしく手を取り合う。感動の再会だ。
「アリー……本当に寂しくなるが、どうか、どうか私のことを思い出していただきたい」
「リック様のことを忘れるだなんて、そ、そんなの、一時だって、ありえません」
「アリー……」
「……ハンカチに刺繍を施してまいります。次に会う時に、どうか受け取ってもらえますか?」
「もちろんだともアリー。どうしようか。そんな楽しみが増えてしまったら、なおさら別れるのが惜しくなるじゃないか」
「リック様……お、お慕い、しております……」
「むぅ! わ、私もだ」
そうして仲睦まじそうに見つめ合う二人──
「いい加減にしろやこら……!」
怨嗟のような声が響き、ひぇっと二人が手を取り直した。
「あ、アレフ?」
「アレフ様……?」
そーっと伺うように声がかけられる。似た者同士、似たような表情だった。
「本当に本気でマジで終われ。頼むからほんと」
「そうは言うが! 愛しい婚約者と別れを惜しむのは当然だろう!」
「りりりリック様!?」
「なんだ? …………あっ!?」
またしても己の発言に気づいたリチャードと、『愛しい』という言葉に顔を真赤にするアリス。
「い、今のは違うのだ。そ、そう、思わず本音を言ってしまっただけで──」
「ち、違うのですか……」
「むぅ!?」
つい先ほど見た光景が繰り返されようとしていた。
我慢の限界に来ていたアレフは、最終手段を出す。
「……課題を二倍にするぞ」
『ふえっ!?』
課題が二倍、二倍の別れ。そんなものは、御免こうむる。
二人はばばっと別れて、それぞれのゲートに走っていった。
「アリー! またすぐに会える! それまでどうか……!」
「リック様……リック様ぁ!」
やっとこさ二人ともゲートをくぐる。
何がそこまで、とアレフはまた思う。自分は愛し合う二人を引き離す魔王か何かか?
はぁ、とため息をついて、アレフもゲートに向かった。これから課題の整理があるのだ。しばらくは休めそうもない。妹になんて言い訳をするか。
ふと、もう一つのゲートを見る。ミシェルが顔だけひょこっと覗かせていた。
「全部閉じてもいいですか?」
「いいわけあるか!」
アレフもゲートをくぐる。
本気で閉じそうだったので、少し速歩きになってしまった。
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