第4話

 どうやら模擬訓練も終わりに近いようだ。オーラを纏う二人を見て、誰もがそう思った。思いたかった。これ以上があることを認めることができなかった。


『EXEC WRLD_SPEL.RAGING(1, 100, true, false)』

『EXEC WRLD_SPEL.BURST(1, 100, true, false, 'c')』


 二人が同時に声を発した。その内容は理解できない。言葉であるような、単語でもあるように聞こえる。口の動きと発声が合っていない。


 古代語、というものを聞いたことがある。今は失われ、文献の中でしか存在しない、神や精霊が発すると言われている言葉だ。

 確かめる術はない。神が降りられるなんてことは、ごくごく稀だった。


 これは、そんな伝説とも言える古代語ではないか。知見に深い者はそのように思えた。


 が、その思いはすぐに霧散する。

 二人から圧倒的な力が放たれ、辺りが眩いほどまでの光に包まれた。




「いいですか、お二人とも。今回は外部の、それも王家の者が見物に来ていたのです」

『はい……』


 執事服の男性の前に、男女が正座をさせられていた。


「それを、よりにもよってその存在を忘れていた? 没頭してしまった? そんな言い訳が通用するとでもお思いですか?」

『思いません……』


 二人が口をそろえて言う。

 先ほどに見せた圧倒的な力、威厳はすでに感じられない。うつむき、くどくどとした小言を黙って聞いている姿には、憐れみの視線すら捧げられていた。


「結果的にはなにごともなくよかったですが、万が一傷でも負わせていたら、責任問題に問われていましたよ」

『うっ……』

「まぁ、今回は向こうが無理を言ってきたので、それを理由にできなくもありませんでしたが。それでも力を持つものとして自重は必要です。わかりますか?」

『わかります……』

「プロシージャの実行まではやりすぎです。罰として、しばらく交際は控えてください。その間、リチャード様には領地経営の勉学に集中してもらいます」


 言い放たれた言葉に、リチャードと呼ばれた正座男が情けない顔をばっと上げた。

 微妙に老けては見えるが、まだ若い。二十歳前後だろう。執事服の男性と同じような年齢に思えた。

 短く刈り上げた髪に、体格は大柄。偉丈夫と言ってもいい。がっしりとしていて、巌しい顔つきに、金色の瞳が強い光を放っていた。

 だが今は説教されて、泣きそうな顔になっていた。


「そこまでか!? それでは愛するアリーと仲を深められないではないか! 貴様は俺に死ねというのか!?」

「り、リチャード様……!」


 そんな彼に、同じように座っていた女性から聞くものが心奪われるような、だが驚いたような声がかけられた。


「どうしたアリー? …………あっ!?」


 リチャードが自分の発言に気づき、ぶわっと汗を流す。その外見に似つかわしくなく、両腕をばたばたさせた。


「い、今のは違うのだ。そ、そう、思わず本音を言ってしまっただけで──」


 だが女性は泣きそうな顔をする。


「ち、違うのですか……」

「むぅ!? ち、ちがわ、ないぞ! 決して、嘘なんかではなくだな……!」


 だが女性は嬉しそうな顔をする。


「ち、違わないのですか」

「むううう!?」

「なにやってんですかね……?」


 ころころと表情を変える女性と、それに向かってうなってはあわあわするリチャードに、執事が呆れた声に変化した。


「なんだアレフ! 邪魔をするな!」

「今は説教中ですよ……アリス様にも反省してほしいのですが」


 アレフは少し長めにした茶髪を、ぐしゃっと手で掴んでいた。美男子の部類には入っているが、話し方からどことなく慇懃無礼なイメージを受ける。

 そのアレフがリチャードを見て、次に女性のほうを向いてその言動を嗜めた。


「はい、アレフ様……ごめんなさい……」

「あ、いや、そこまで泣きそうにならんでも」

「貴様!?」

「うるせ──るさいですよリチャード様!」

「貴様!?」


 ぎゃーぎゃー言い合う横で、ちんと正座をしていたアリー──アリス・スチュアートは、地面をしょんぼりと見ていた。手元においた細剣をどうすることでもなく、かちゃかちゃといじっている。


 美しい。彼女を見た者は誰もがそう思うだろう。

 リチャードよりさらに若く、成人したてかどうかといったあどけなさをまだ残しておきながら、育ちきったかのように大きく膨らんだ胸部が魅力を倍増する。

 真っ直ぐな銀色の髪を揺らめかせ、形の良い眉と大きな蒼色の瞳を物憂げな感じに下げ細めていた。ぽってりとした唇は、きゅっと閉じられたと思ったら、『ふぅ』と息を吐く度に開けられる。


 アリスがリチャードの袖を弱々しく引っ張った。


「あの、リチャード様……」

「なんだアリー──ぐっ!」


 くいくいとされたリチャードが彼女の方に振り向くが、ひと目見ただけで胸を押さえてうずくまった。


「リチャード様!?」

「な、なんでも、ないぞ」


 そう言ったリチャードだったが、明らかに挙動不審である。目をせわしなく動かし、身体も小刻みに震わせている。

 アリスはにっこりと微笑んだ。


「そうですか。よかったです、リチャード様」

「ぐっ!」

「リチャード様!?」


 微笑まれたリチャードは、またしてもうずくまってしまった。

 心配するアリスと、なんでもないを繰り返すリチャード。アレフがお手上げと言わんばかりに両手を上げて肩をすくめた。


「なんでもない、なんでもないぞ。それで、どうした?」

「その……アレフ様の仰るとおり、私たちがいけなかったのです……」

「むぅ……」

「悲しゅうございますが、罰は必要かと……」


 リチャードが領地経営に引っ込むということは、二人はしばらく会えないということだった。

 それは二人にとってなによりも辛いことだったが、アレフの言う通り、失敗してしまったのもまた事実。アリスもリチャードも頭ではわかっていた。

 しばらく悩んでいたリチャードだったが、


「……君の意見を尊重しよう」

「リチャード様……」

「アリー……その、どうかリックと呼んでくれないか……?」

「えっ!?」


 愛称で呼べ。そう言われたアリスが大きな声を出して、きょろきょろと辺りを見回す。

 録画の魔道具を操作しているウィルフィード。ちらちらと様子をうかがう護衛。それらを泣きそうな顔で見て、顔を赤くしたと思ったらずるずるとうつむいていった。


「あ、アリー?」

「……り」

「む?」

「…………っく様っやぁっ」


 リチャードの袖をぎゅっと掴んで振り絞るように言うと、とうとう顔を両手で覆って隠してしまう。

 その仕草は男性社会で過ごす護衛らの胸に直撃した。『ぐふっ』といった声があちこちから上がっている。

 それはリチャードも同じだったのか、過呼吸じゃないのかと思うくらいに胸を浅く上下させていた。なんなら、先ほどの戦いの時よりダメージを負っているように見えるくらいである。


「は、はぁ……アリー、ど、どうかしたか? 昼間は何度も呼んでくれていたじゃないか」


 彼からの声に、アリスが指の隙間から瞳を覗かせる。


「リチャード様……」

「な、なんだ?」


 こんな大勢の前で。

 そう呟いたつもりのアリスだったが、かき消えるような声は後ろの台詞しか彼には届かない。


「──意地悪です……」

「なにがだ!?」


 そうしてまた顔を覆うアリスと、意地悪と(だけ)言われて汗をだらだらさせるリチャードに、アレフがため息を吐いた。


「本当になにやってるんですか……婚約してもうけっこうなるというのに」

「うっ」

「ぐっ」

「そのうえ婚姻も近い」

「ううっ」

「ぐうぅっ」


 アレフの言葉に、二人が声を何度も詰まらせる。

 そう、この二人は婚約関係だった。しかも約束を交わして二年近い。さらに来年には婚姻を結ぶ予定。昨日今日付き合ったばかりの、甘酸っぱい関係とは程遠いはずなのだが──


「…………ん」


 決心したかのようにおずおずとアリスが手を差し出して、


「あ、アリー……!」


 驚いたようながくがくとした動きでリチャードが手を握り、


「ひゃぁっ」

「ぬうっ!?」


 触れると同時に声を上げる二人は、どこからどう見ても初心で子供な反応だった。


「り……リッ、ク、様……」

「アリー!」

「はぁ……本当に似た者同士というか……」


 お互い真っ赤になって手をそっと握り合う姿に、アレフはもう一度ため息を吐いた。

 だが、アレフの思いとは全く異なり、二人が同時に喜色ばんだ顔をばっと向けた。


「そうであろう!」

「……褒めてませんが」

「あ、アレフ様! お似合いだなんて!」

「だから褒めてねぇって。お似合いとも言ってねえよ」


 アレフが処置なし、と呆れて顔を覆った。


「あ、そう言えば、リック、様」


 アレフの様子に気づくこともなく、アリスが思い出したように言った。


「む? なんだ?」

「最初の攻防ですが、いつもと違っていましたね?」

「ん? うむ、驚かせようと思ってな。その甲斐はあったかな」


 リチャードが、『してやったり』といった顔になる。


「そうなのですか──あっ……やっぱり、い、意地悪です」


 それに綻ぶように喜んだアリスだったが、何かを思いついたかのような顔をして、少し悩んでからぷいっとそっぽを向いた。


「アリー!?」


 一気に大慌てになったリチャードの顔を、アリスがちらちらと見る。口元がにやけている。

 アレフも口を挟んだ。


「そうですよ、リチャード様は意地が悪い。知らなかったのですか」

「アレフ!? 貴様なにを!」

「くくっ……」

「貴様!?」


 耐えきれないように口元に手を当てて喉を鳴らしたアレフに、リチャードが食ってかかる。


「ふふ。冗談ですリック様」


 逸らしていた顔を戻してアリスが微笑んだ。愛称で呼ぶのも慣れてきたようだ。


「そ、そうか! 冗談か!」

「……最初のは別ですが」

「ぬ!?」


 その様子を遠目に見守っていたウィルの護衛らは、誰もが疑問符を浮かべていた。恥ずかしそうにしたり、真っ赤になったり、あわあわする、そんな甘ったるい二人に。すなわち、


 え、こいつらさっきまで殺し合っていたよな?


 そんな疑問を。

 何人かが顔を合わせ目配せをするが、誰も口には出せない。もし、変なことを言って怒らせてしまい、あの力がこちらに向かってきたら。

 皆がぶるっと身体を震わせ、空気をごまかすかのように先ほどの戦闘の場を眺める。そこには侍女が嬉々として魔法を唱え、荒れた大地を癒す姿があった。


『豊穣神の吐息』


 氷柱で穿たれた大穴、黒の獄炎で焦土となった野、最後にぶつかりあった力による破壊的な大地の爪痕。それらがみるみる内に塞がり、緑を宿し、肥沃な土地に戻っていく。

 なぜ侍女なんかがこの場にいたのか、やっとそれが理解できた。なんのことはない。彼女もまた規格外なのだ。


「相変わらずお嬢様の魔力残滓はたまりませんね」


 うっとり匂いでも嗅ぐかのようにすんすんしながら、人外の所業を息を吸うかのようにこなしていく。

 彼女がいれば王国の土木事業は安泰だな……と、現実を無視するような感想を周りが抱いた。


「説教は終わったかい?」


 魔道具を操作し終えたウィルが、二人に近づいてきた。

 アレフが姿勢を正したので、アリスとリチャードも倣うように元の佇まいに戻る。つまり、正座。


「ウィルフィード・フォン・フェレニア王子殿下。この度は御身を危険に巻き込むようなことをしでかし、謝罪の言葉もございません」

『言葉もございません……』


 最初の雰囲気に戻って、二人が異口同音に言葉を発した。

 ウィルが苦笑しながら手を軽く上げる。


「そんなに責めないでやってくれ。私が無理を言って付いてきたんだからね。それに自身が奢っていたこともわかったんだ。感謝こそすれ、糾弾する気はさらさらないよ」

「寛大なお言葉、恐悦至極に存じます」

『恐悦至極に存じます……』


 二人がしょんぼりと、アレフの言葉を鸚鵡のように繰り返す。神たる力の持ち主なくせに、まるで叱られた生徒のようである。

 ウィルがぷっと吹き出した。


「さっきの姿とは大違いだね」

『むぐっ……』

「ああ、責めているわけではないから安心してくれ。それにしても、凄まじいの一言だったよ。毎回あんなことを?」


 ウィルの質問に、正座する二人が顔を上げた。


「毎回、というわけではありませんが……それにいつもよりは短時間でありましたし」

「はい、ウィルフィード王子殿下。ほんの少しじゃれ合っただけですわ。意地悪もされたようですが」

「アリー! さっきは冗談だと言ったではないか!」


 くすくすと上品に笑うアリスに、リチャードが我を失ってつっかかる。

 ウィルの笑みがひくついた。


「ほ、本気じゃなかったとでも?」

「え? ああ、そうです」

「もう少しやりたかったのですが……」

「アリー……」


 残念そうなアリスに、リチャードが柔らかな笑みを向けた。


「リック様……」


 アリスも頬を赤くしてじっと見つめる。

 ウィルがおそるおそるといった声で、


「え、ええと……リチャードは婚約者に切りかかっていたよね……凄い勢いで……あれは? それにスチュアート嬢だって、氷柱でぶち抜こうとしたり、鳩尾狙ってたよね……?」


 誰もが聞きたかったことを言った。護衛らが手甲の下で親指をぐいっと立てる。

 問われたアリスは恋する乙女のように頬に手を添え、リチャードもまた頬を染めて良い顔をした。ウィルはいらっとした。


「はい、あの剣筋はよきものでした。カウンターを入れたつもりがカウンター返しなんて……」

「彼女の剣技、魔法はいつも楽しみにしております。いずれも急所狙いで、わ、私への愛が乗っていると言いますか、非常に心地がよく」

「り、リチャード様!」

「アリー」

「あ……! は、はい、リック様……」

「アリー……」


 再び自分たちの世界に浸ろうとする二人を見て、ウィルが頭を抱えた。


「そ、そうか……なるほど、よくわかった……よぉくわかった……自身の認識をさらに引き上げないといけないことが……」


 ぶつぶつとうわ言を繰り返す彼を、二人は首をかしげて見合った。『大丈夫かな』と目で語り合っている。

 そこに、癒やしを終えた侍女が近づいてきた。


「お嬢様。こちらの作業は終了いたしました」


 丁寧に深々とお辞儀する。

 沈香茶色の髪をミディアムショートにし、落ち着いた表情をしている。猫のようなややつり目の瞳は深緑色。こちらも美女と言って差し支えがないくらい、整った顔立ちだ。年齢は定かではなかったが、アリスよりは明らかに年上であることがわかる。


「ありがとうミシェル。いつもごめんなさいね」

「いえ。お嬢様の匂いに包まれ、大変に有意義な時間でした。これからも嗅がせてもらうためなら、なんてことありません」


 侍女のミシェルがしれっと言った。


「わ、私が臭うかのように言わないで!」

「いえ、ご自身ではわからないかもしれませんが──」

「やめてったら!」


 両手を振り上げぷんぷんと怒るアリスだったが、その姿も可愛らしい。リチャードもウィルも、周りの護衛も優しい目で見つめる。

 視線に気づいたのか、首まで真っ赤になったアリスは顔を両手で覆い、『ううぅ』と猫背になってうつむいた。


「はい、バカやっていないで」


 優しくないアレフがぱんぱんと手を叩いた。


「ふぅっ……」

「アリー! アレフ、貴様!」

「黙ってろください」

「ぐっ……!」


 バカと言われたアリスがどんどんと落ち込み、それを見たリチャードが怒りを見せるが、アレフは涼しい顔をしたままだ。


「本日の訓練はこれにて終了です。ウィルフィード王子殿下は王宮にお戻りで?」

「そうだね。妹にも約束しているし。魔導車を準備してくれ」


 その声を聞いた護衛がばたばたと準備を進めようとするが、アレフが手でそれを静止する。そして魔法を唱え始めた。


「どうした? 帰る準備を始めたいんだが……」

「それには及びません(わ)」


 主従四人が声を揃えて言った。

 わけがわからないウィルだったが、とりあえず言うことに従う。正直に言うと、次は何をしてくれるのか、彼は少し楽しみでもあった。

 すぐに後悔した。




 詠唱が終わった。目の前に鏡のような、穴のような、靄のようなものが三つ現れた。ゲート、と言うらしい。それぞれの屋敷と王宮門の前に続いていると言った。通り抜けたら着くんだってさ。便利だなほんと。いい世の中になったもんだ。出発の時も欲しかったな。だったら早起きしなくて良かったのに。これ、戦争で使われたら不味いんじゃないかな。どこでも自由に、と言うわけではないらしい。脈がどう、とか言っていた。よくわからん。でも、移動する必要がないってやばいよね。防衛を超えて現れるんでしょ? なにそれ怖い。守れないじゃん。何のための防衛壁だよ。父め。あれだけ口酸っぱく言っていたんだ。知っていたな。決めた。しばらくは自分も口を聞いてやらない。兄がどうだ王位がなんだと、うんざりしていたんだ。妹に距離を取られている? ざまぁみろ。あー、早く純真な妹に会いたい。ベッドで寝て全てを忘れたい。


 王子は投げやりに王宮行きのゲートをくぐった。

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