第6話

ホームズは"密室殺人事"と言われている、建物の周りをうろうろしていた。

しゃがんで土を見たり、背伸びして街路樹を見たり。その姿は"名探偵ホームズ"と思わなければ、好奇心旺盛な保育園児のようにしか見えなかった。順一が母親ならじっとしてなさいと叱るところであろう。

ホームズの覗き込んでいる建物と通りの間には、ところどころ色の悪い草が生い茂っていた。手入れが悪いところを見ると、ずいぶん長い間空き店舗だったことがわかる。隣の空き倉庫との隙間も覗きこみ、それから3件の建物を順番に覗き込んでいた。

3件の建物の前は広い道路を挟んで広場があり、裏口を出て少し離れたところに川が流れている。建物横には裏口に続く小さな道が通っている。建物が長細いため道も長細い。その道は土と砂利を混ぜたもので出来ているらしかった。昨夜中降り続いていた雨に濡れて、どこもかしこもびしょびしょだった。

ホームズは表の道を足元を見ながら、視線を地面にから離さずゆっくりと裏口までの小道を進んだ。小道と言うよりも脇に生えている草の上を裏口にに向かって歩いていた。



「ち、ちょっと、警備員に怒られるよ!」

「おや、村田はこの僕に、警備員に捜査の仕方を指導してくれと依頼していたじゃないか。」

「ええ…、今その話に戻るん? でも、まだ正式な依頼じゃないし、君、乗り気じゃなかったじゃん……。」


しゃがんでいたホームズは、おもむろに立ち上がり順一の方に体を向ける。


「……ねえ、この辺りは地震災害はあるのかい? 」

「え、唐突だなあ。ガーダルシアは大地の加護があるし、暴れ地龍のいる国から遠いから地震なんてないよ。僕はガーダルシア来てから五年くらい経つけど、日本と違って今まで揺れたことないよ。」

「なるほど、地盤はしっかりしているということか。」

「そうだね。――ねえ、そこに足跡着けたちゃってるけど、いいの?」

「まあ……、いまさらだろうしね。」


濡れた粘土っぽい土の上に沢山の足跡が残されていた。しかし警備員がその上を行ったり来たりしていたので、ホームズがそこからどのようにして何かを読取れるのか、見当もつかなかった。


「現場保存とか、なんも考えてないんだろうね。」


"警察"も"監察"も"遺留捜査"もないこの異世界でどこまで何を読み取れるのか……。

順一には何も見えなくても、ホームズが"名探偵ホームズ"であるならば、そこから非常に多くの情報を読み取っているはずであった。



「ちょっと、君たちなにしてるんだ? ここは関係者以外の人間は、立ち入り禁止だ! 」


痩せた背の高いメガネの男が、すでに現場の敷地内に入っているホームズと順一を遮るように現れた。

周りの警備員と違い、スーツのような服を着ている。これは偉い人の可能性があると、順一の頬は引きつった。


「立ち入り禁止の黄色のテープでも張り巡らさないと、誰でも入れますよ、警部。」

「ああ、いまそれは警備本部に頼んでいるところやけども……警部ってなんや。」

「あなたがベータの警備を仕切ってる、村田の幼馴染みなんじゃないんですか? 僕は村田に頼まれて警察の捜査の指導をするよう頼まれた、シャーロック・ホームズと言うものです。」

「警備責任者の桶田という者だ。警部ではない。……ふん、お前か。自称シャーロック・ホームズさんってのは。確かに私は村田にお前の話を聞いている、」


少しホームズをバカにしたような言い方で、ホームズはカチンときたようだった。


「この世界には現場保存の概念はないってことですか、警備責任者どの? 」


ホームズは足元を指差す。


「刑事ドラマでも、ミステリー小説でも、転生前に誰も見聞きしてないんですね。折角昨夜雨だったのに、警備員の足跡だらけだ。」


順一の目にも泥だらけの歩道にも、柔らかそうな土の上にもたくさんの足跡がみえた。


「ベータ地区ではこんな事件初めてなんでね。誰も慣れてないもので。」


桶田は肩を竦める。


「取り敢えず最初の発見者である警備員が、記録石で現場をスキャンはしたんですがね。」

「記録石は写真みたいなヤツだろ。それで十分だと責任者どのが思ったのなら、そうなんだろうよ。さ、行くよワトソンくん。」

「………ワトソンじゃないけどね………。」


「行くって、どこや。」

「事件現場ですよ。ご遺体はどこですか」

「誰が素人を捜査に参加させるか。こっちに入るな。ほら、帰りなさい。」

「その捜査がずいぶん素人じゃないですか。手袋もしてないし、キャップもしてないわけですし。今さら、もう誰が入ってもかわりないですよ。遺留品は警備員のモノだらけだね。」


これはさすがにその通りだと思ったのか、桶田は黙った。順一も足元を見るが足跡だらけで、もし犯人が足跡を残すようなマヌケでも、これなら見つからないだろう。

黙ったまたの桶田に肯定と思ったのか、ホームズは桶田の脇をすり抜けて裏口のノブに手を掛ける。



桶田に止められなかったので、順一もホームズに続いて裏口より建物に入った。

長細い建物で、中の様子は日本のプレハブに似ていた。

天井は高いが横幅は狭く、奥に長く3~40メートルくらいあるワンルーム平屋の建物は仕切りもなく、ただただ長方形の部屋であった。

まさにマイクラを始めたばかりの小学生が建てたような豆腐建築である。

店舗らしいのは表側の大きな窓ガラスだけだが、ガラスが汚いのか外にある庭木がぼんやりとしか見えていない。そのせいか日中であるにも関わらず、部屋はひどく暗かった。

異世界っぽいのは、土魔法で建てられている建物は壁も床も天井も、すべてが固そうな石造りところだろうか。床も天井も同じ材質で作られているようだった。室内には仕切りもなく店舗っぽさがまるでないため、もしかしたら作られた当初から倉庫として使っていたのかも知れないと順一は考えた。

表の窓ガラスのある店舗入り口の鍵は内側から掛けられていて、魔道具の一種である鍵には傷一つついていなかった。裏口の鍵も同じように内側から掛けられていたそうだが、鍵が見つからなかったため突入時に鍵部分は破壊されており、現在は開け放たれたままになっている。どちらの扉も土魔法で作られていたためか、歪みもなく、髪の毛一本分も隙間がないようだった。

やはり扉や鍵が重要なのか、ホームズは丹念に調べていた。

部屋には家具もカーテンも、備え付けの家具もなになかった。壁に埋め込まれた薄暗い灯り―――この世界だと電灯ではなく魔石の灯りなのだが―――が、なにもない部屋に飛び散った血液と、頭から血を流した遺体、そして傷だらけの使い込んだ武骨なランタンのみをほの暗く照らしていた。


「ワトソンくん、その人覚えてるか? 初めて『猫目』に行ったときに、来ていた客だな。」

「えっ……。確かに金髪の客が入ってきたけど、ちょっと、この状況じゃ、よく分からないよ…。」

「案外、ビビりだな、君は。」


部屋中を調べたあと、最後にホームズはご遺体に近づいて、まずは手をあわせている。仕草はやっぱり日本人っぽい。

そのあとにはご遺体と、周辺の床を調べているようだった。床の至るところに血が擦ったような痕を着けている。


「ワトソンくん、ご遺体を"見"属性の魔法で見ることは可能か? 」

「えっ!? ああ、亡くなった人にはやったことないけど………」

順一はあまりみないようにしていた遺体に向き合った。確かに見覚えがある。前に『猫目』で会った客にみえる。

本来はスプラッターは苦手であるがしかたない。血まみれで、変な方向に曲がった手足を薄目で見ながら目に魔力を集める。

「ええと―――頭と身体を強く打って亡くなっている、と出てるけど……」

「そうだね。僕の見立てと変わらないね。頭から血を流し、手足が折れ曲がっていて、強い力が加わったように見えるね。」

「強い力……。風属性の重力の魔法かな。」

「――いや、室内で魔法を使われた形跡はなかったのは確かだ。それに、表の窓は盗難防止の魔道具で屋外から中に魔法を使うことは不可能や。」


二人の話しに割り込んできた桶田は言いきった。

「魔法事件なら、魔術省が担当になる。魔道具を使えば魔法使いの放出したマナの動きで犯人の魔力を追跡が可能なんだそうだ。」

「あの、今更なんですが、いいんですか………」

順一は桶田に恐る恐る尋ねた。

「ズカズカ入って、あちこち見た後で本当に今更やな。確かに警備員も国の役人も出たり入ったりぐちゃぐちゃやし、こうなったら素人が入ろうがどうしようが、俺の責任は変わらんやろ。もぉ、ええから犯人見つけてくれんかな。」

「急に投げやりですね……。」

「密室殺人だって聞いた国の役人は、捜査を開始する前にズカズカと上がり込んできやがった癖に、鍵付近と室内をマナスキャンだけして、あとは警備の仕事だとすぐに帰っちまったよ。お貴族様仕事や。」


地区役人は異世界人や平民など一般人が就くが、国の役人のほとんどは貴族である。区分けした方が平和という裏返しとして、実はこの【ガーダルシア】では身分の差が激しい。他区民への差別が酷く、おそらく彼らはベータ地区の人間を同じ人間とは思っていないようなのだ。

区の中で区外の人間と出会わない限りは平和なのだが………。村田たち区の上部は省の人間と遭遇することがあるため、いろいろと思うところがあるってことは、順一も愚痴として聞いてはいた。


「マナスキャンって初めて聞いたな。」

「普通の事件ならしないだろうな。ベータにはない魔道具だ。密室殺人事件だって報告したら急に国の役人がやってきたんだ。マナで犯人がわかるなら、手柄だけ上げようとしたのだろうな。奴らは掻き乱すだけ乱して、結果も残さずいなくなったよ。お陰でまだ捜査らしいことは全く出来ない状態さ。」

「―――前例がないことと、助けがないことは同情するが、ひどい捜査なのは間違いないね。」

「っ……今後のためにも、協力いただけると助かるよ、自称シャーロック・ホームズさん。」

「ふん。まずは明るい部屋で観察することを勧めるよ。―――ライト! 」


魔術師ホームズが光魔法を使った。ライトの魔法で辺りはLED並みに明るくなる。


「魔法省のスキャンが終わったなら、いつでもマナを動かしていいはずだろ。光の属性はいなくても、光の魔石くらいはあるはずだろう? 」


ホームズの小言を聞きながら、現場にいる人間はみな同じところに視線が吸い寄せられていた。

裏口側の壁の上部に、ベッタリと血の痕が着いていたのだ。見るからに致死量の。

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