不老不死の窓口(Ⅱ)

「タスケ君、おつかれさま」

 閉庁を知らせるBGM付きのアナウンスが流れ始めてから二十分。フロアに留まっていた最後の来庁者が自動ドアから出て行くのを受付カウンターの中から見送っていた僕は、背後から掛けられた声にゆっくりと振り返った。

 柔らかく朗らかな声の主は、僕の同僚にして先輩である、女性職員のミキさんである。

 深いブラウンの髪を一つに束ねてまとめ、シンプルな濃紺のジャケットと淡い紫のフレアスカートを合わせたオフィスカジュアルスタイルの彼女は、この時間になっても背筋がしゃんと伸びたままで、疲れは決して見せようとしない。

「さっきの人、なかなかだったね。大変だったでしょ」

 苦笑を浮かべて労いの言葉をかけながら、ミキさんは僕の頭の上に個包装のクッキーを乗せた。

 彼女はこうした差し入れやお土産をフロアに配る際、僕を仲間に含めることを絶対に忘れない。僕がお菓子に一切興味を示さず、あとで他の職員たちのデスクに置いていくことを知っているにも関わらず、だ。

 以前、僕はそのことを指摘し、心遣いは無用だと伝えたのだが、ミキさんは「除け者になるのは寂しいでしょ」と当然のように言って、以降も独自のポリシーを貫いている。そんな彼女の人柄を、僕はとても好ましいと思う。

「問題ありませんよ。いつものことですし、慣れっこです」

 クッキーが頭頂から滑落する前に救いの手を伸ばしながら、僕は本心からそう答えた。すると、ミキさんの後方、職員のデスクが並ぶ業務スペースから、クックッと噛み締めるような低い笑い声が聞こえてくる。

「慣れっこです、か。タスケも頼もしくなったもんだ。来庁者きゃくに突拍子もない質問ふっかけて、怒鳴られてた頃が懐かしいなぁ」

 低空飛翔椅子ホバーチェアの背もたれに上半身を預けて伸びをしつつ、意地の悪い笑みを浮かべるのは、もう一人の同僚兼先輩である男性職員のトウマさんだ。

 市民の目が無くなったと見るや、上着のボタンを外してネクタイを緩め、きちんと櫛が入れてあった短髪を掻き散らす姿はだらしがないが、反面、いかにも公務員らしく見せかけていた堅苦しさが解れて、元来の親しみやすさを取り戻していた。


 遅くなったが、「タスケ」というのが僕の名前である。渾名ではなく、本名だ。

 この古めかしい名前を揶揄われるたび、僕は時代錯誤な名付け親を恨まずにはいられない。


 そっぽを向いて届出書の整理に集中するふりをしながら、僕はトウマさんの言について白々しく空惚ける。

「もう忘れましたよ。そんな昔のことは」

「たかだか一年半前だろ。タスケのくせに、一丁前に惚けるようになりやがってぇ」

 チェアに座ったまま床を滑ってきて、肘で僕の胴体を小突くトウマさんは楽しそうである。ミキさんは腰に手を当てて「もう」と呆れると、トウマさんの頭を袋入りのクッキーで軽く叩いた。

「可愛い後輩を虐めないの。タスケ君が受付を一手に引き受けてくれるおかげで、こっちは本当に助かってるんだから」

 ね、と笑顔で同意を求められても、気の利いた返事は思い浮かばず、僕は「仕事ですから」と素っ気なく答えてしまう。

 こんな無粋な僕に対しても、ミキさんはいつも優しく接してくれるし、トウマさんも、なんだかんだと構ってきては世話を焼いてくれる。

 二人の年齢はともに三十手前で、キャリアは決して長くないが、高い実務能力を買われてこの部署に抜擢された優秀な職員だ。

 そんな二人とともに日々を過ごす僕は、きっと、大変に恵まれた環境で働いているのだろう。

 

 弦瓶つるかめ市役所、市民生活部市民課、在世期間管理係。

 それが、市内唯一の冷凍睡眠対応専門窓口にして、僕の現在の配属先だった。




 二年前、冷凍睡眠ビジネスの国内解禁に伴い、避けては通れない問題が生じた。「年齢」である。

 冷凍睡眠は理論上、電力供給が維持されている限りは半永久的に継続できる。だが実際には、死亡事故等の発覚遅れ防止や、個人状況および社会情勢の予期せぬ変化に対応するため、一度に利用できる冷凍睡眠の期間は最長で一年と法律で定められることになった。

 とは言え、冷凍睡眠からの覚醒――俗に言う「解凍」だ――ののち、健康状態や個人環境、その他諸々に問題が無いことが確認されれば、七日間の経過観察・待機期間を経て、冷凍睡眠期間を一年更新することが認められている。そして、この更新回数に制限は無い。

 つまり、一年のうち七日間だけ冷凍睡眠から脱してさえいれば、残る三百五十八日ないし九日を眠って過ごし続けることも、法律上は可能なのである。

 肉体が一年分老化するのに要する年数は、単純計算で約五十二年。これは極端な話、例えばゼロ歳の赤ん坊が冷凍睡眠を十八年繰り返せば、肉体・精神年齢は約四ヶ月でありながら、選挙権を得られてしまうということだ。

 婚姻、飲酒喫煙、運転免許取得、被選挙権、就労、レイティング――国内で定められているありとあらゆる年齢制限が、冷凍睡眠の長期利用によって機能不全に陥るという懸念は、国内導入時における国会最大の争点の一つだった。

 そこで提唱されたのが、戸籍への「不在世期間」登録の義務化である。

 一週間以上の冷凍睡眠を希望する場合、利用者はあらかじめ、居住する自治体の行政機関に睡眠期間を届出なければならない。この期間は「不在世期間」として戸籍の生年月日に併記され、以降は冷凍睡眠の都度、履歴に追加されていく。そしてこの合計期間が一年以上に達した場合、年齢計算から除算する。これが年齢制限判断の新基準、「在世年齢」だ。

 要するに国民は、従来通りの「暦に従って計算した年齢」と、「在世期間に従って計算した年齢」の二つを併せ持つことになったのである。

 当然、年齢と密接に関わりがある法律・条例・規則の全ては改正・改定を余儀無くされた。

 国から連日連夜、怒濤のごとく送り付けられてくる膨大な通知通達に、地方行政の混乱たるや、まさに阿鼻叫喚の巷だったという。

 ただし、これも先輩方が感慨を持って語ったものの受け売りであり、当時配属すらされていなかった僕にとっては、記憶も実感も無い昔話である。

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