不老不死の窓口

秋待諷月

不老不死の窓口(Ⅰ)

「二十六番でお待ちの方、一番の窓口までお越しください」

 庁舎一階の市民課フロアに抑揚の無い機械音声が放たれると、長椅子に腰掛けて貧乏揺すりをしていた七十がらみの男性が、「ようやくか」とでも言いたげな顔で立ち上がった。

 杖を突いて大儀そうに窓口へ足を運ぶなり、男性は受付カウンターに一枚の書類を置き、対面で待機している僕の前へと押しやってくる。

 届出書名を見るまでもない。この窓口を訪れる市民の目的は、ただ一つしかないのだから。

「長期生命維持睡眠ハイパースリープに伴う不在世期間届出のお手続きですね」

「見りゃ分かるだろ」

「かしこまりました。こちらの太枠内にも必要事項をご記入いただけますか」

 ペーパーレスが推奨されて久しいこの時代、庁内で扱う重要書類の多くが未だに紙媒体を貫いているという実状は、甚だ遺憾にして大いなる謎である。

 僕は書類の上下を返して男性の手元へ送り返すと、記入漏れ、または、書き方が分からずにあえて抜かしたと思しき空欄について一つ一つ説明し、記入を促す。男性はさも億劫な様子で、それでも唯々諾々と、乱雑な筆致で届出書を埋めていく。

 不在世事実発生予定日は一週間後、西暦二○三七年十二月七日。期間は上限の丸一年。期間更新予定、有。

「窓口へは届出者ご本人様がお越しでしょうか」

「ああ」

「それでは、本人確認書類の提示をお願いいたします」

「運転免許証は返納しちまったんだが」

「個人識別カード、もしくはアプリでも結構です」

「いちいち面倒くせぇな。これだからお役所仕事は」

 チッ、と舌を打ちながら男性が投げ寄越したカードを認証機に通し、呼び出したホログラムの頭部画像は、カウンター越しに僕を睨みつける人物と九十八パーセントの一致率を示した。他の個人情報についても届出書と突合し、齟齬が無いことを確認してから、男性にカードを返却する。

「それと、ご利用の生命維持睡眠提供会社と交わした契約書の写が必要ですが、お持ちでしょうか」

「は? そんなの聞いてねぇぞ」

 男性はあからさまに機嫌を損ね、声を荒らげた。

 確かに、聞いてはいないだろう。こちらも伝えていない。事前に問い合わせをしてきたわけではないので、伝えようが無かったのだ。

 とは言え、届出書枠外には芥子粒のような字で必要書類例が列挙されているし、市役所ホームページの各種手続案内にも記載されているので、こちらに非は無い。だが、それを今この場で口に出すことが得策ではないことを、僕はここに配属されて早々に学習していた。

「戸籍に関わることですので。万一、届出内容に誤りがありますと、戸籍情報に瑕疵が生じ、ご本人様の不利益に繋がる恐れがあります」

 相手の落ち度は指摘せず、かつ、こちらからの謝罪はしない。戸惑いや気後れは見せず、堂々と正論や事実だけを述べる。人によっては開き直ったり、癇癪を起こしたりする場合もあるが、幸い目の前の男性は大方の例に漏れず、ぐっと声を詰まらせて唇を噛んだ。

「……今は持ってない」

「でしたら、届出を一旦保留しますので、一週間以内にご持参ください。書類が整い次第、手続きを行います」

「またここまで来なくちゃいけないのか? こっちは忙しいんだよ。冷凍睡眠の前に、やらなきゃならないことが山ほどあるんだ」

「郵送、もしくはデータ転送でも構いませんよ」

 僕は親切心で付け加えたが、男性は再度、露骨に大きく舌打ちすると、僕を一瞥して不快そうに吐き捨てる。

「お前みたいなのには、分からねぇんだよ」




 今から七年前。某国の宇宙機関と、電機、医療機器、および製薬メーカーが合同で開発した生命維持睡眠技術のセンセーショナルな発表は、全世界の度肝を抜いた。

 薬品投与と温度管理装置の併用により人体を低温のまま維持することで、代謝活動を極端に鈍くして老化を停止寸前まで遅らせるこの技術は、遙か昔からフィクションで描かれてきた夢の世界をそっくりそのまま現実のものとした――というのは、発表当時を知る職場の先輩方の言である。

 そのせいか、人体を凍結するわけではないこの技術のことを、日本国内では馴染み深い「冷凍睡眠コールドスリープ」という俗称で呼ぶのが一般的だ。よって以降、僕もその慣習に従うこととする。

 発表に至るまでに積み重ねた膨大な臨床試験データで高い安全性を証明し、さらに三年以上の議論を経て、某国民の大半の支持を得てからは速かった。医療福祉のみならず、食品、運輸、レジャー、生命保険等、思いつく限りの業界を巻き込んで、冷凍睡眠は法整備が追いつかないほどの勢いで爆発的に普及していく。

 日本国内における認可までには、ここからさらに二年の歳月を要した。安全、倫理、社会機能面に対する不安や抵抗感から世論の反発は強く、政府も長く及び腰だったものの、それ以上に大きかった推進派の声に押され、最終的にはいくつかの制限を設けることで事実上の解禁となった。西暦二○三五年のことである。

 それから二年。認可とともに国内メーカーが次々と本格参入し、安定的なサービス供給が可能となった冷凍睡眠ビジネスは、大きな事故やトラブルに見舞われることも無く、富裕層から一般層へと徐々にターゲットの裾野を広げ、利用実績を着実に伸ばし続けている。

 もはや、冷凍睡眠は夢物語などではない。

 金さえ積めば誰でも享受できる、最先端医療サービスの一つとなっていた。

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