第138話




 ◇ ◇ ◇



「放して、っ放してよ!! わたしをどこに連れていくの!?」


 両手首を拘束する器具は、中央にシガリア鉱物が埋め込まれ、左右に引っ張ってもビクともしない。

 第一王子の肩に担がれ、ライネリカは青い顔で周囲を見渡した。

 階段を下っていった先、地下に埋められた天井の高い建造物。至る所で輝く鉱物のおかげか、そもそも頑丈なのか、国母シガリアの影響を全く受けていないようだった。

 地下神殿と形容しても良いそこへ、男が足音を響かせながら降りていく。

 過ごしてきたエイロス城の地下に、第一王子の私室があった付近から扉を開け、このような場所に出るなど全く知らなかった。

 

「流石に俺も、入り口は塞がったかと思っていた。こうして無事に降りられて、よかった」


 世間話をするような、どこか懐かしむような、柔らかな声音で話す彼に、悪寒が駆け上がる。


「っ……こんなことをして、どうして……! リュグザ陛下がすぐに……」

「無理だろうな。新王陛下にエイロス国の土地を教えたのは、俺だ。細やかにお伝えしたんだ、思い当たる場所もないだろう」


 男は愉快げに微笑んで、片手でライネリカの背を撫でた。

 子供をあやす仕草に似たそれは、長兄の面影そのままで、彼女の脳を混乱させる。


「ライネリカは陛下を嫌っているのに、信頼しているんだな。昔から、面白い関係性だと思っていた」

「──っ!」

「お前が彼を好いていると知った時は肝が冷えたが、アルヴィアが上手く取り入ってくれてホッとしたよ」

「何を、言って」

「リュグザ陛下に囲われたら、流石に俺も手出しできなくなってしまう。そうなったら、お前と添い遂げる時間が台無しだ」


 添い遂げる、という台詞に鳥肌が立って、ライネリカは更に身を捩って降りようとした。

 意味を理解することを脳が拒み、恐怖に溢れたくもない涙が頬を濡らす。

 どれだけ暴れても、男にとっては幼い子供と大差ないのか、彼は愛おしげに声音を和らげた。


「こら、ライネリカ。もう少しだ、心配するな」

「何を言っているの!? 放しなさい!!」


 第一王子が器用に片手でドアを開ける。途端に視界が眩く輝いて、ライネリカは思わず両目蓋を閉じた。

 光に慣れて恐る恐る周囲を見渡すと、ベッドに下ろされて体を硬直させる。視認できる限り、おびただしい量のシガリア鉱物が部屋全体を埋め尽くしていた。

 通路が囲む室内構造は、まるで家屋のよう。誰かが生活していた痕跡が、そのまま取り残されてしまったような、気味の悪い部屋だった。

 ライネリカが座るベッドには、上質な布が敷いてあり、準備を重ねていた事が伺える。サイドボードには嫌味なほど良い香りのする香炉が、香木を燻らせて煙を揺らめかせた。扉が無く見える隣室には、シガリア鉱物を加工した調理器具なども並んでいる。 

 シガリア鉱物で灯りをとる室内は、昼間と同じほどなのに、どこか薄暗い印象だった。


「飲み物を持ってこよう。ああ、震えているな、湯を沸かそうか?」

「っこの部屋は、なに? なんで、地下にこんな」

「この部屋か? シガリアを囲っていた部屋らしい。エイロス・ベルジャミンは酔狂な男だったようだ。ここでシガリアを囲って、好きな時に好きなようにまぐわっていたんだそうだ」


 驚愕してベッドから飛び退いたライネリカは、しかしよろめいて尻餅をつく。

 第一王子はにこやかに笑い、彼女の細い体を抱き上げると、下から見上げて目を細めた。


「どうしたライネリカ。恥ずかしい話じゃない。愛し合う男女など、そんなものだろう」


 彼の顔は酷く端正で、酷く歪で、ライネリカは心臓が冷えていく錯覚に囚われる。

 今まで見てきたものと同じ顔で、下賎な話題に喉を鳴らして笑う様に恐怖する。男の様相は確かに、ライネリカが奥底に閉ざした感覚を呼び覚ましつつあった。

 視界が急激に回り、小さな体は再びベッドに背中から落ちる。乗り上げた男の片手が、少女の頭上で細い腕を押さえつけ、視線を肌に這わせて恍惚と微笑んだ。


「……ああ、ようやくだ、ライネリカ。ちゃんと待った、待っただろう? お前が、俺の名前を呼ばなくなった日から。随分待った」


 無骨でいやらしい指先がライネリカの頬を撫でる。吐き気が込み上げて、がむしゃらに蹴り上げようとした両足は、あえなく男の膝に押さえ付けられた。

 噛み合わない奥歯が脳に反響する。


「ライネリカ。お前の望み通り、エイロス国は無くなった。お前は戦い、明日へ生き延びた。この瞬間から俺たちは、やっと兄妹でなくなった。……そうだろう?」


 鬱蒼と三日月に笑う目の奥にある、仄暗い光。

 。彼は皆の良き長兄で、穏やかで優しく、時に正義を持って兄弟を導いてくれる存在だと信じていた。

 ライネリカは彼の言う通り、幼かったある日を境に、第一王子の名を呼ばなくなった。長兄を呼ばない言動が不自然にならぬよう、他の男兄弟も名を呼ぶことをやめた。

 それはバラとリンドウを『騎士』にした後、第一王子にも願われ、祝福を授けようとした時から。『血の契約』を結ぼうと差し出した手に、男の皮膚が触れた瞬間から。

 あり得ない、そんなはずはないと、ずっと警鐘を鳴らす己の心に耳を塞いできた。

 ライネリカは蒙昧していたのだ。

 この男の根底にある物が、極めて性的な劣情であることを、知っていたのに。

 

 


 


 


 


 

 

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