第6話
戸惑いを隠せないライネリカに、フィーガスは片手を首の後ろに当て、僅かに沈黙する。そして一分あまり経過した後、静かに口を開いた。
「……そういうわけで、レディ? 僕は君に個人的な同盟を結びにきた」
「同盟、?」
「そうだ。僕は君と婚約しているし、君を欲していたのは事実だが、大国の思惑通りに君と結婚するつもりはない。する気がないというより、少なくとも今は出来ないと思っている」
「わたくしが、大国の刺客でもあるから、ですわね」
「確定ではないが」
フィーガスの言い分は、とてもよく理解できた。彼が正当な手順を踏んで、正門をくぐって来なかった理由も。今後は大国を通さずに、なるべく婚約者同士でやり取りをしたいと念を押した訳も。
彼女は指先で短い髪に触れ、溜め息に似た息を吐き出した。
「……分かりましたわ。ご協力いたします」
「ありがとう、聞き分けの良い子は好きだ」
にっこりと悪意のない笑みは、いっそ不気味なほどである。ライネリカは顔を引き攣らせつつ、一つ咳払いをしてから、テーブルの上で両手を組んだ。
曰く、敵を欺く為にまずは双方、適度に歩み寄って親密さを大国にアピールし、円満に婚約関係が進んでいることを示す必要があるという。彼は神の国の住人であるから、第二王女に対する不作法で傍若無人な振る舞いも、それほど危険視されていない、とかなんとか。
ライネリカ個人的には、あまりに寿命が縮むので勘弁願いたいことを、丁寧という包み紙に何十と包んで伝えたが、フィーガスはケロッとした顔で首を振った。
「逆に怪しまれる。大国を信用していないとは言え、それでも少なくない時間、国交を重ねてきたのだからな」
「……わたくしの尊厳は踏み躙られても良いと……」
「まさか。これでも最大限尊重している」
嘯く様子の彼を睨め付け、彼女は何度目かも分からない息を吐き出す。
フィーガスはライネリカを、少なくとも現状が変わるまで、自らの領地へ輿入れさせる気は無いと言った。自覚がないとは言え、大国の息かかっているかもしれない女だ。一国の主として当然の判断だろう。
その代わり彼女の存在を逆手に取り、フィーガスへ喧嘩をふっかけてくる大国を、侵略するつもりすらあることを、それとなく仄めかして薄ら笑った。
ライネリカは肯定も否定も出来ないまま、沈黙して視線を下げる。
正直な話、大国がどうなろうが彼女はどうでもよかった。
エイロス国は小国故に、自給自足でも暮らせる余裕があり、シガリア鉱物のおかげで国費も潤沢である。神の国の侵略効果で、大国より搾取されている他の属国が解放されるなら、それはそれで良い事だろう。
しかし彼の話ぶりからすれば、どちらへ転んでも祖国は、神の国と大国の面倒な御競り合いに巻き込まれてしまう。
この国は彼女の愛すべき国だ。最終的にライネリカ個人がどうなろうと構わないが、この国を害する事象は避けたい。
考え込む彼女を眺めていたフィーガスが、不意に大きな欠伸をこぼす。驚いて視線をやれば、その顔色の悪さに更に驚いた。
「閣下」
「悪い、流石に失礼を」
罰の悪そうな顔をしつつも、明らかに先ほどより疲労の色が濃い。
そういえば彼は、神の国とは空気の濃度が違うと話していた。いくら人間の世界へ溶け込めるような姿を手に入れたからと言って、完全に適用できている訳ではないのだろう。
「フィーガス弟王閣下、ひとまずお話は分かりましたわ。お体に障るのでございましょう? また改めさせてくださいませ」
「…………悪い」
「いいえ、こればかりは閣下の責ではございませんもの」
そもそも環境が違う場所にいる相手の為に、何年も試行錯誤してくれた事に関しては、フィーガスはとても紳士だと思う。大国の思惑に気がつきながら、属国の姫の為に時間を割いてくれた事実は、感謝するべきだろう。
気遣うライネリカに素直に頭を下げ、次の瞬間には突風が渦のように部屋を回って、白馬が姿を見せる。本来の姿の方が負担が大きいのではないかと思ったが、どうやら大国が所有するシガリア加工品のおかげで、変化した姿を維持するよりは多少楽なのだそうだ。
彼女が立ち上がって傍に寄ると、彼は小さくいなないて体躯を震わせた。
間近で見ると、本当に輝かんばかりの毛並みを持った、美しい白馬である。もしフィーガスがライネリカの婚約者という立場でなかったら、喜んで跨がり空中散歩に連れて行ってもらいたいくらいだった。
「また会いにくる、婚約者殿。君の騎士たちに、僕は無害だと伝えておいてくれ」
「第一印象が最悪なので、それは無理でございますわね」
「そうか、残念だ」
対して残念な様子もなく、蹄を鳴らして掃き出し窓からバルコニーに出た白馬を、ライネリカは室内から見つめていた。そして大きな翼が風を捉える前に、婚約者の名前を呼んで眉尻を下げる。
「フィーガス弟王閣下。……わたくしのことを、ご存じなのですの」
浮き上がった白馬が振りむき、翼が上下にはためいて、優しげな双眸が彼女を見下ろした。
「……次はもう少し、親密になろうか、レディ・ライネリカ」
答えにならない答えに、ライネリカは表情を歪めて窓枠を掴む。突風が吹いて少女を吹き抜けたかと思えば、白馬の姿は遠く空の彼方へ見えなくなった。
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