第2話




 実に二週間近く馬車に揺られ、ようやく大国の城下に入った。

 ライネリカは一般的な令嬢に比べて活動的だが、流石に疲労で足腰が痛む。王族が住まう宮殿に到着した頃には、リンドウに支えられて歩くのがようやくの状態であった。

 とは言え、彼女たちには悠長な時間はない。休息もそこそこにお色直しをした後、謁見の間へと連れてこられた。時折、城に勤務する人々から奇異の眼差しを向けられるが、バラがキツい吊り目を更にキツく吊り上げ、睨みを利かせてくれているので、青い顔で視線を逸らされた。

 ライネリカは美しい顔立ちをしているが、それよりも目を引くのが髪の短さだ。王族貴族の間では、豊かで手入れの行き届いた長髪が主流である中で、彼女は一貫して短髪を貫いている。否、実は彼女の意思ではないのだが、ライネリカ自身はこの髪型をとても気に入っていた。

 バラとリンドウを控えさせ、一人、謁見の間の中央で膝を折り待っていると、扉が開く音がした。大理石に足音を響かせ入ってくる靴音の中に、何か聞き慣れたような、慣れないような音が混ざっている。

 彼女は内心首を傾げるも、静かに許可が下りるの待っていた。


「面を上げろ」


 低く地鳴りのような皺がれた声に、奥歯を噛み締めて震えを抑え、ライネリカは顔を上げる。

 視線の先には大国シスボイリーの老いた国王と、その第十二皇子、それから──翼の生えた白馬がいた。

 思わず溢れそうになった声を喉の奥に飲み込み、ライネリカは一拍遅れて立ち上がると、ドレスを持ち上げて深く頭を下げた。


「っ大国シスボイリーの限りなき繁栄を心より祝福申し上げます。エイロスより参りました。ベルジャミン王第二王女、ライネリカと申します」


 動揺が声に出そうになるが、なんとか持ち直して挨拶の口上を述べる。

 あれはなんだろう、どういう状況なのだろう。彼女は疑問符で頭がはち切れそうになりつつ、控えめに白馬を見上げた。

 天井より下がる灯りに照らされ、銀色に輝いてすら見える白馬だ。瞳は闇のように深い黒色で、じっとライネリカを見つめている。背中に生えるのは大きな翼で、おそらくあれを用いて空を飛べるのだろう。

 しかしなぜこんな白馬が、この謁見の間にいるのだろうか。もしやあの白馬に乗って、自身の婚約者はやってきたのだろうか。姿が見えないのは何故だろう。神の国は人外の国とも呼ばれる場所だ。もしかしたら透明人間なんてこともあり得なくはない。

 周囲を見渡したい衝動を堪えるライネリカに、王の隣に立っていた第十二皇子、──リュグザが鼻で笑いつつ口を開いた。


「父上、俺が代わりに説明しても?」

「良い」


 言葉少なに許可したシスボイリー王は、あまり顔色が良くない。死期が近いという噂話を耳にしたことがあったが、あながち空想でもなさそうだった。

 リュグザは満足げに頭を下げ、隣に佇む白馬を一瞥する。そしてその白馬に向かって恭しく一礼すると、ゆっくりと王座のある壇上から階段を下りてきた。


「遥々よく来てくれましたね、ライネリカ第二王女」

「いえ……労いのお言葉、嬉しく思います」

「いいえ、いいえ。我が大国とエイロス国の仲でしょう?」


 大袈裟なほど甘い声音は、耳から脳に侵入するような気色悪さがある。

 ライネリカはこの男が嫌いだった。

 端正な容姿と濡れたような柔らかい黒髪、そして輝く金色の瞳は確かに女受けするかもしれないが、少なくとも彼女は生理的に受け付けなかった。何よりこの男の不要な発言のせいで彼女は、得体の知れない相手に嫁がされる。いい感情を抱けるはずもない。

 そして第十二皇子という立場でありながら、第一王位継承者という肩書きも、大国の内部事情が透けて見えるようで苦手なのだった。


「今日、どうして貴殿がここに呼ばれたかは、お分かりですね?」

「……はい」

「であれば、前口上は無しにしましょう。……壇上に有らせられるあの方が、貴殿の婚約者であるフィーガス・オージオテラサス・プリンフェステビューだ」


 背後でリンドウが、えっ、と意図せず漏れた声が聞こえた。ライネリカも同じ心境で、しかし息を飲んだきり声も出せずに、今度こそはっきりと白馬を見上げる。婚約者と紹介されたソレは、一度瞬いた後、ゆっくりとした足取りで階段を下りてきた。

 リュグザが腰を低くし道を譲ると、白馬はライネリカの前で止まり、繁々と彼女を上から下まで見下ろす。馬特有の優しげな双眸だが、今の彼女にはそれを受け入れる度胸もなかった。


「ふぅん? ……綺麗な子だリュグザ。気に入った」


 馬の声帯ではあるまじき、人間らしい声。少年と青年の中間で揺れるその声の主は、紛れもなく目の前の白馬からだった。


「僕はフィーガス。君たちが言うところの神の国、西部に位置する領地を治めるオージオテラサス弟王。初めましてだ、レディ・ライネリカ。僕の婚約者殿」


 声音は非常に友好的だが、ライネリカはそれどころではない。顔面蒼白で視線を彷徨わせれば、白馬の隣でニヤニヤと笑う男の顔が一瞬視界に入った。

 彼女は胸に込み上げた衝動を抑え込み、なんとか気力だけで立て直せば、再びドレスを持ち上げ頭を下げる。


「……っ……か……神の国の、美しき王。ご、ご挨拶賜りましたこと、心より御礼申し上げます」


 本来ならもっと、相応しい口上があるのかも知れない。しかし今のライネリカは言葉を発することすら困難で、ともすれば気絶しそうなほど必死の状況だった。

 仲が良いのか、リュグザと白馬の朗らかな会話が聞こえるが、内容は全く頭に入って来ない。

 ライネリカは必死に唇を噛んで、目尻を熱くやく衝動を堪えていることしか、術がなかったのだ。


 



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