学校の課題の掌編小説 pt,1

まにょ

ピカソの絵って格好いいのか?

 神崎透(かんざき とおる)は絵が好きだった。

 ハマった要因はなんだったか。アニメや漫画、もしかしたらミュージカルだったかもしれない。

 物心がつく頃には独学ながら模索し続け、ノートに落書きをして友達から褒められ、中学の美術部では県の大会を総なめした。

 透の絵を見れば、誰もが彼を神童ともてはやしただろう。

 しかし、今透にはあまりにも高い壁に直面していた。

 高校デビューを果たした透は当たり前のように美術部へと入部して、当たり前のように自己紹介をする。部活の同級生や先輩は定番通りの感激した表情と拍手が現れる。

 これは透にとって飽きない高揚感になっていた。

 自信満々な透は課題をぱっぱと描き上げて褒められたいという自己顕示欲を溢れ出していた。

 顧問の先生が課題の内容が書かれた紙を回す。

 

 『自己紹介の絵を表現主義的に用いて描きなさい』


 透は一瞬理解できなかった。

 さっきまでしていた自己紹介とはなんだったのか、なぜ自己紹介を絵で描くのだろうか、それより表現主義とはなんだろうか。

 だが、透にとってそんな事は杞憂に過ぎなかった。

 いつものようにただ描けば世間一般的に上手い絵ができる。

 自己紹介ならば絵を描いてる自分自身を真ん中に置いてみよう。その周りに表現主義とやらの風味を加えればいいだろう。

 「期限は今日から3日間。皆さんの個性豊かな作品をたのしみにしています。あ、一つ言い忘れていました。」

 「「「わかりました」」」

 先生が会話を締めると、各々が制作に取り掛かる。

 透も先輩の例に習ってイーゼルスタンドを置いた。

 配置に指定はなく、仲良く円を作る姿も見受けられた。

 制作にのめり込みたい透は窓近くの端に置くが、その真横に並べてもう一つのイーゼルスタンドが置かれた。

 「横、いいでしょ」

 やけに高圧的な声で女性が語りかけてくる。

 彼女の名は東崎 東(あがりざき ひがし)、透とは小学校の頃に通っていた絵画スクールの知り合いで何かとつるむことになる腐れ縁でもあった。

 「良いけど、おまえなんでこの学校にはいったんっだよ」

 「この学校の美術部が県、いや全国から見ても有数だからよ。まさか透そんな事も知らないで入部したの?滑稽ね」

 目つき一つすら変えずに黙々と準備するが、会話には酷く毒舌だ。

 「んなことあるわけねえだろ!俺だって知ってて入部したわ」

 「あなたの気持ちなんてどうだっていいわ。それと早く始めたいから黙ってくれない。集中できないの」

 「................お前から言い始めたんだろ」

 透の悪態に全く気づかずにキャンパスにエスキースを描き始める。

 まだいい足りないが描き始めたいのは透も事実。透もキャンパスへと目を向けた。

 どれくらい時間が経っただろうか。

 ある程度の完成形が見えてきて、余裕の生まれた透は隣にいる東の絵を盗み見ることにした。

 東はまだ制作に取り掛かっている。

 その目はまるで絵を殺すような狂気じみた異質さを放っている。

 描いてる絵を所見した透が抱いた初見の感想は『怖い』だ。

 東と思わしき人物は赤く染まり、周りには緑の鳥がざわめいている。

 「なにか文句あるの?」

 「え、声漏れてた........」

 「あなたのそのいやらしい目で私の子が穢されそうだからきになってたのよ」

 「いちいち棘のある言葉だなぁ」

 「じゃあなんでじろじろこっちを見ているの?まさか...惚れた.......ごめんなさいあなたのような偏屈な人に惚れられるだけましなかもしれないけど、残念ながらタイプじゃないの。ごめんなさいね」

 「話片付けんじゃねえよ。それに時間が余って暇だから視察しにきただけだ」

 危うくフラレた男として悲しいレッテルを東から付けられる所だったが、即座に透は返す。

 「あと、東の絵なんかおかしくないか?」

 自分の絵を否定されてイラッときたのか「あっ?」とドスのきいた唸り声とも聞こえる声を鳴らして、透を睨みつける。

 「いや、その....個性的だと思うよ。でも、人が赤く染まってグロテスク過ぎない?」

 透にとって精一杯の抽象化かつ丁寧な言葉だった。

 だが、そんな心遣いも束の間、

 「はははははははははははははははは」

 これまでにない高々な笑い声が美術室中に響き渡る。猛々しく絵と闘っていた先輩ですら敵を見誤り東へ凝視する。

 東はというと、過呼吸となり、ゲホッゲホッと何度もむせ返っていた。

 「ごめんなさい。これはあなたの気の利いたジョークだったのよね」

 明らかに真面目に言ったはずの透に、それこそ皮肉の混じりに返す。

 「むしろ尊敬するわ。まさか古典技法の一つすら知らないの?」

 「こてんぎほう?返り点かなんか?」

 「......あなた、それで数多の賞を受賞してたの......呆れを通り越して尊敬するわ。いい、これは古典技法の一つ『スカンブル』って言うの。薄く色を重ねて塗って深みを出す。私の場合は、テールベルトにカドミウムレッドとパーマネントホワイトを足して肌の質感と堀を出しているのよ」

 透は東の説教にも近い教示にすぐに納得できた。百聞は一見に如かずというように目の前に実例があるからだ。

 額には人肌と変わらぬ薄桃色と肌色の奥に見える深緑が味を占めている。周囲が暗い色主体に描いて、対照的になっているのがより人の活々とした姿がアウラのようなものを放って見えてくる。

 「知らなかった。でもこれ格好いいな.....」

 「それなら教えてなによりだわ。あなたには才能も環境も、運さえあるのだからもう少し頭を回転させて自由にやってみたら」

 これは東の本音だった。長年の間、無意識のうちにライバル視してきたからこそ悔しいほどに利点と欠点を理解していた。

 「あと、もう一つききたいことあったんだった」

 「言ってみなさい。今の私の心は寛容なんだから」

 「じゃあお言葉に甘えて。『表現主義』ってなに?」

 「さっきまでの称賛を撤回させてちょうだい。やはり心の底から呆れ果てさせてもらうわ」

 先までの笑顔とは裏腹にまるでゴミでも見るかのような目つき。つくづく毒づかれていた透にも心に来るものがあった。

 「なんだよその言い草は。主義とかなんやら難しい言語を使わない芸術が絵画ってもんだろ」

 「確かに一理あるわね。でも今の当たり前のように思われている近代絵画に至るまでに幾多の主義に分かれたの。その中でも『表現主義』っていうのは......そうねえ、平たく言えば〈非自然的な絵を描いて感情や主観的な意見を表す〉かな。エゴン・シーレの『ひまわり』やエドヴァルド・ムンクの『叫び』が代表例よ。あと、ピカソの絵も入るわね」

 端的かつ丁寧な説明に透の脳内に電撃のようなものが走る。

 ムンクの叫び。

 芸術に無頓着な人であれ老若男女誰もが一度は耳にする名だ。

 あの全体に湾曲した世界と絶叫で悶える男を一度見たら、忘れることはそうそう無いだろう。

 例に漏れず、透も知っていた。

 「あの『叫び』が表現主義って言うのかよ。それならイメージ付きやすいわ」

 「他にも〈ブリュッケ〉や〈青騎士〉と表現主義の中にも派閥があるけど今回はそこまで気にしなくていいと思う」

 「ありがとう、おかげで良いインスピレーションが浮かんできたわ」

 「まあ信用しないで期待しとくわ」

 「なるほどなるほど。ピカソの絵かあ。あんなに変な色使いだし形も歪....一挙俺も試してみるか」

 「..............決意漲っているところに水を差すようで悪いのだけど、私からも一ついいかしら?」

 「ん?どうしたの?」

 「『ピカソの絵って格好いいかしら?』」

 「そりゃあ世界的に有名で実物なんか俺たちには手が届かないほどの額が付くんだから当然だろ」

 透は〈当たり前〉のことを訊く東に少し不気味がりながらも首肯する。

 だが、東はつまらなそうに、

 「そうよね。やっぱりそうよね」と、呟いた。それは透に対しての返答とよりはぼやくようなどこか他人言であった。まるで透の目の前にピカソがいて悪態をついているようだ。

 「ピカソの絵でも一概にまとめて語れるものではないのよ。『青の時代』と呼ばれる暗い印象の青や緑を基調とした世の中の貧困や戦争の時事を風刺した絵画を描いた時期もあれば、あなたが言ったように奇抜な絵を描く時期もあったわ。でも、それが〈許せないの〉。厳しく批評される絵画の世界で『適当』に描いたものまでもが、絶作と言わんばかりに称賛される。それなら私も未完成のまま提出して、あなたに勝ちたかったわ」

 暴言。そう聞こえるのが妥当だ。教室内で語ったら十中八九非難の嵐だ。

 だがしかし、 

 「お前の感想なんだからそれでいいんじゃねえの」

 お世辞やおべっかを使った訳ではない。かといって無意識でたわけでもなかった。個性的だと直感してから今までずっと抱いていた本心である。

 「正直な話、ピカソなんかたくさん描きまくってそんなかからえらばれただけだろ。はら言うじゃないか、数打ちゃあたるなんて」

 「......うん。ありがとう」

 「俺もありがとな。それじゃ制作に戻るから」

 東の席から外れ自分の持ち場へと戻る。

 透は不意にフッと不意に笑った。エスキースからだけでもわかる絵の未熟さに恥ずかしさを覚えたからだ。

 絵の技術面では申し分ないだろう。問題は内容だった。凝望すれば気づくが普遍的なのだ。

 透はF0のキャンパスに付着しきったエスキースを消しゴムで消した。

 白い無地の世界が構築されたキャンパスを眺めて思いにふける。

 先生が初めに渡した紙の内容、『自己紹介』が頭から離れなかった。

 先ず、自分はなんなのか?天才か?優等生か?それとも.........

 「偽善者.......」

 そうだ偽善者だ。誰かに褒められたい、認められたいという自己顕示欲が暴発して示したのが今までの結果。なら濁りきった欲を表現するために体から爆発した〈何か〉を黒で表現して描こう。背景は荒んだ砂漠で決して潤うことのない自分を表現する。

 決心した透は早かった。透は気づいていないがその行動力こそが本当の才能なのかもしれない。

 最低限のエスキースを終えると、絵の具とテレピン、油彩画用筆を用意した。

 キャンパスとテレピンに混ざった油彩画用筆が擦過する。ほどよく肌に滲んだ黒いモヤは透が想定そいていたドス黒さを大いに醸し出していた。

 カーボンブラックにテレピンを少量混ぜてまんべんなく慣らしていく。すると、曖昧だった箇所が明瞭に人と背景の自然さと神秘さが予想を遥かに超えた出来になった。

 集中すれば時は刻々と過ぎるもので講評会の日になる。

 「緊張してる?」

 「あ、あたい、当たり前だろ」

 並べられた席にさも偶然かと透の横に座る東。あがりにあがった透は滑舌の無に等しい早口で返した。

 規定の時間が迫ると先生が美術室の扉を開き入ってきた。

 「それでは講評会を始めます。メモ帳とペンは用意しましたか」

 そこからの先生はさすがの手腕とも言うべき饒舌だった。

 欠点を的確に掲示しつつ、解決法と課題を明確に説明する。先輩の批評を見る限りこの講評の仕方が先生の癖なのだろう。

 ドギマギしているとすぐに透の番となった。

 「えーと神崎さんの絵は.....いい絵ですね。人を中心に黒いモヤ?霧?ですかね、不気味なのがとても伺えます。それにこの荒廃とした世界。まるで黒いモヤを出した人が破壊しているようです。おそらく満たそれぬ欲求を出しているのでしょうか」

 先生の予想は透の考えとぴったりでぐうのでもでない。

 「このハングリー精神はとてもいいです。しかしエスキースや下書きが弱いように感じます。しっかりと実物を見て描くのもいいかもしれません」

 「はい、ありがとうございます」

 楽しかった。その一言に尽きる。

 筆が擦過する音、テレピンが滲む色、油が乾いて完成していく絵。

 全てに意味と趣があり新鮮味があった。

 課題もたくさんある。

 でもそんな幾重にも重なる出来事の中に一つだけいつまでも透の脳内で反芻する言葉があった。


『ピカソの絵って格好いいのか?』

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