第九話 星は流れていつか墜ち
街を、うろつく。どうせ今日の午前中は仕事も無い。色々な事に思いを馳せながら目的も無く、歩き回る。
随分と久しぶりに公園を訪れる。寒い冬の日ながらも、人はまばらではあるが姿を見せ、皆思い思いに時を過ごしているらしい。
据え付けの長椅子へと歩を進めると、そこには見知った顔が一人、既に腰掛けていた。
「――レオ。今日は休みだったのか?」
「ん……おお、アーダルベルト。
久しぶりだな、こうして町で会うのも。まあ座ってけよ」
そう言ってレオは、自分の物でも有るまいに、我が物顔で椅子へと座るように指で促す。
……アステレ氏の死去が響いているのか、その顔は心なしか物憂げに見えた。
「ああ、言われなくてもそうするさ」
言うが早いか、俺は椅子に積もっていた雪を払い除けて、レオの隣へと腰掛ける。……冷たさが、骨に沁みてゆく。布の一枚でも敷くべきだったか?
「お前も、貰ったか? ……手紙」
「ああ。貰ったよ」
「そうか。…………」
「なんだ、随分歯切れが悪いじゃないか。
そんなに考え込んでいるのも、珍しいな?」
「ああ……。
――いや待てお前、俺が普段はあんまり頭を使ってないって言ってる?」
それはちょっと被害妄想が入ってないか?
「そうは言ってないが。
いつもはこう……考えるより行動だ、って感じじゃないか」
「ああ、なるほど。
いや、何だ。アステレ様があの若さで亡くなられただろ」
「確か、齢の頃は三十五、という事だったなあ……余りに、早すぎる」
「俺もそう思う。
……それでな、また話も変わるんだが。
俺も二剣に昇格してさ。その時、親父から家督を譲られたんだよ、俺。家長の証である、モーロワ家の紋章が刻まれた、伝家の槍と一緒に」
なんと。では、今やモーロワ家の当主を務めているのか、レオは。
……なんだか凄いなあ。思えば、俺達も随分遠くまで来たもんだ。最初に会った時に訳の分からないことを言いながら取っ組み合いを挑んできた、あのガキ大将がなあ……。
「おお、そうだったのか。おめでとう、レオ」
「……おう。それでな――」
うん? まだ何か有るのか?
「子供が出来てな」
「子供ォ!?」
寝耳に水も甚だしい。
「な、何驚いてるんだよ。結婚したんだぞ、不思議でもないだろ!」
「驚くわ! 不思議じゃなくても驚くわ!
レ、レオに子供が……へぇー……」
「おう。生まれるのはもっと先なんだけどな」
「それはそうだろう、結婚してから半年程度しか経ってないんだから。
――それで、それがレオの憂鬱とどう関係するんだよ。
めでたい話ばっかりじゃないか」
「めでたいだろ? 俺もそう思う。
思うんだが、アステレ様と別れる事になって、ふと思っちまったんだ。
俺もいつか親父や母さんと死に別れたり、自分の子供だって、俺が遺していったりするかもしれないんだよなあ、とかさ。周りも皆、重々しい感じだし……」
「……それで、あんならしくない顔をしてたのか。気の早すぎる奴だなあ」
「まあ、そりゃあ俺でも分かっちゃいるんだが、どうにもな。
大分、アステレ様の件が応えてるらしい。妙に感傷的な気分と、子供が出来たことの浮つきで、頭がどうにかなりそうなんだ。嬉しい……嬉しいんだけどさ……」
ああ、察するにこいつは。本当は滅茶苦茶嬉しいんだけど、諸々の状況やら何やらで素直に喜んでも居られなくて、心がぐちゃついているのか。
仕方のない奴だな。こう、細かいことは考えないでとりあえず動いてから考えるような男なのに、妙な所で繊細というか。とりあえずそれはそれ、で自分のことは喜んでも良かろうに。
「やれやれ、しっかりしろよ。護らなきゃいけないものがまた一つ増えたんだから。
そうだろう、"お父さん"?」
「へへっ、よせよ。お前が言うと薄気味悪いや」
茶化すような発言に、レオは一度だけ鼻の下を擦って、笑いながらそう返す。
「ハハハ、そんな風に言えるなら、まだまだ大丈夫だろ、うん。
ああ――俺も頑張らなくちゃいけないな、お前の子供が生まれてくるんだ、それまでにもっともっと、この国を良いところにしたいもんだ」
「うん……そうだな。頑張るかあ!
……ところで、お前はまだ結婚とかしないのか?」
何を藪から棒に訊くのだこいつは。
「今の所、予定は無いな」
「そうか? お前も早く、孫の顔を見せてディディエ様を安心させてやれよ。
フッ……俺は先に、こっちの段階で待ってるぜ……!」
ええい、事あるごとに人生の先輩を気取りやがって……!
「……お前だって、まだ孫の顔を見せたって訳じゃあないだろ」
苦笑いしながらそう言うと、一拍置いて、笑いが起きる。どちらからともなく、ただただ自然に湧き起こる。
ああ――なんて、楽しい時なのだろうか。哀しむべきことがあったからといって、友と語らいその慶事を言祝ぎ、心を許して笑い合うことは、きっと遠ざけれられるべきものにはならないと……そう、改めて思う。
*
曇天。冬空の雲は厚く、まだ昼間だというのに辺りは夜明けの如く薄暗い。空からは疎らに粉雪がちらついて、風など吹かずとも、身を刺すような冷たさは満ちている。
征剣騎士団城塞、大聖殿。厳かな気配が、この場を支配していた。
「――それでは。
祭司、ローラン・バルドー。これより、征剣騎士、白位二剣。アステレ・ヴェルジュの告別の儀を執り行わせて頂きます」
楚々とした白い花に彩られた、棺がひとつ。神像から見下ろされるような所に位置するそこには、胸の辺りに剣を抱くようにして、静かなる永遠の眠りにつく、一人の騎士が居た。
数多の騎士達と整列している俺には、遠くから少し見えるだけだから分かりにくくはあるが、確かに、その顔はアステレさんのものであった。
……本当に、亡くなられたのだなあ。人が喪われるということの現実味が、虚ろな痛みが、俄かに押し寄せてくる。
「――神よ。偉大なるもの、慈悲深き我らが神、静謐なるザリエラよ。
我らの祈りを赦し給え。今一人の騎士が命を果たし、御許へと還ります――」
ローラン様の口から、長き祈りの句が紡がれ始める。
我らはみな眼を伏せて、それをただただ聴きながら、祈り続けた。
……偉大なる騎士に、優しき先達に、どうか、安らぎが有りますように、と。
「――死よ、大いなる死よ。あらゆる命を受け容れる、優しき森羅の揺り籠よ……今こそ、彼の魂を抱擁し、その静謐なる夜の中で、再び彼に意志の炎が宿るまで、どうか彼をお守りください――」
やがて、滔々と紡がれる句の中に、聞き覚えのある響きが現れる。それは、紛れも無くタレルでも聞いたことの有る聖句であり、かつてアステレ氏と言葉を交わした際にも話題に上がったものだった。
過ぎ去った思い出が、胸の裡より現れては消えてゆく。俺は、騎士の正装に兜が含まれていて本当に良かったと、心から思った。……涙することが、別に悪いことだとは思わないが。俺は、或いは俺たちは。強く在らねば、ならないのだ。
「――神よ。偉大なるもの、慈悲深き我らが神、静謐なるザリエラよ。
我らの祈りを赦し給え。どうか、彼の命と魂に、その誇りに微笑み、彼に望む限りの安寧を与え給う――」
三十分ほどはそれが続いたのだろうか。やがて、厳かなままに祈りが終わる。
ここからは、地下の墓所へと棺を運び、然るべき所に埋葬する時間であり、当然に、それは人の手で行われる。
俺は、ディディエとローラン様に相談し、それを為す内の一人に加えて貰った。……何せ、命を助けて貰ったのだから。少しでも多く、彼に何かを返したいと思ったのだ。
「四名、前へ。
……お願いしますよ」
ローラン様から呼ばれ、俺を含む四名の騎士が、前へ出る。俺たちは一度だけ視線を合わせて頷き、棺を持ち上げる。手袋越しに、寒い空気に晒されていた棺の冷たさと、ずしりとした重さが伝わってくる。……この重さが、彼から直に感じられる最後のものなのだと思うと、何だかとても……とても、寂しかった。
*
……葬儀は、恙なく終えられた。墓所へとアステレ氏を運び込むときの、奥方と娘御の哀しみに堪える表情が俺の目に焼き付いて、当分は離れてくれそうもない。
「…………」
人も居ない礼拝堂。
燭台の灯りに照らされて、神像の優美な笑みは変わる事無く全てを見守っている。
長椅子に腰掛け、兜を外して、息をつく。想うことなど、幾らでもあった。
「死、か……」
俺達にとって、死というものは、とても近い位置に有るものだ。
それは、俺達が戦闘もする騎士だからということにだけ由来する訳では無く、そもそもラクァルの民の根幹、血神信仰に大いに関係が有る。
即ち、戦いの果てに訪れる死もまた、神の領分なのである。
故に、死とは恐れるべきものでも、本来嘆くべきものでも無い。我らは死し、神の優しき腕に抱かれる。そう、それは諸人に等しく与えられる、安らぎなのだから。
「……分かっては、いるんだが」
どうしたって、親交があった者が世を去れば、まあそりゃあ悲しくもなる。教義の上で死を嘆かなくても良いのだと言われても、辛くない訳もない。
「――おや、アーダルベルト。君も、ここに来ていたのですか」
「これは、ローラン様」
急な声に驚いて顔を上げると、そこには柔和な笑みを湛えたローラン様が居た。まったく、人が歩いてくる足音にも気づけないなんて。少し、呆けすぎているな……。
「お隣、失礼しますよ。
……ディディエも友と別れた後に、一人ここで過ごしていたりしたのですよ、若い頃は特に。血の繋がりなど有らずとも、君たちは本当に、良く似ているものですね」
「そうなのですか?」
「ええ。その、単純に悲しみに包まれている訳でも無い、もっとずっと様々な事を思う横顔は、あの頃の彼の生き写しです。
――――お悩みが、あるのでしょう?」
「……ずっと、考えていました。
死は、例え如何なる者であろうとも、等しくそれを受け容れる。
王であろうと、騎士であろうと、奴隷であろうと、咎人であろうと、聖者であろうと、古老であろうと、赤子であろうと。人であろうと、獣であろうと、ときには石塊でさえも、みな等しく。
死とは、なんと器の大きいものでありましょうか。その様なものが、ただ無為に全てを受け容れるものが、なぜ優しくない筈がありましょうか。
――――ああ、ローラン様、我らは。それを知って尚も故人との別れを悼み嘆く心と、どのように向き合うべきなのでしょうか?」
ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。
人によっては、信仰の道に疑問を抱いているとさえ言われかねないような言葉だが、ローラン様は咎めも窘めもせずただ微笑み、俺へと答える。
「アーダルベルト、そう難しく考える必要は有りませんよ。
今まで当然に在ったものが無くなってしまうことは、それこそ当然に辛いものなのです。
それが無くなったことが、どのような理由であったとしてもね。たとえ、都の貴族に召し抱えられた誇らしき子を持つ母でさえ、子が家から去って暫くは、その誇らしさと共に、一人居なくなり、広くなった家に虚しさ寂しさを覚えるものです。
人は、己の心の内に、多くのものを置くのです。それが自らに属さぬもの、たとえ己ならぬ他人であってさえも、己が大切だと思えば、それは既に己の一部にも等しくなるのです。だから、それが無くなるということには、己の身を削るのに等しい痛苦があって然るべきなのです。つまり何が言いたいのかというとですね。
人は、別に哀しみを我慢する必要など無いのですよ。たとえ、死が我らの信仰にとって大きな意味を持ち、必ずしも嘆くべきものではない、と誰かが言ったとしてもね。……存分に悲しみ、涙を流し、故にこそ強くなりなさい、アーダルベルト」
彼は、どこまでも穏やかに、俺が悲しみを抱いていることを、人が人との別れを悼むことを、ただ肯定してくれた。
涙が、自然と溢れだす。それを手で拭いながら、ローラン様の言葉に相槌を打つと、ローラン様は眼を細めて、頷いている。
「……はい。はい。必ずや、涙と悲しみを鎚とし自らを鍛え上げ、何よりも強く、誰もを導けるようになります。
いつか俺を諭したように、きっと多くのものを導いていたのであろう、天に輝く星の如き騎士、アステレさんのように」
「ええ、ええ。素晴らしい心意気です、アーダルベルト。
きっと、君は強くなる。強く、大きく、自らの内にとても多くのものを抱き、そしてそれらと共に、迷いなく進めるほどに。私は、信じていますよ――」
*
日も暮れて、独りで空を見上げる。
何時の間にやら分厚い雲もいずこかへと去り、そこには、空を埋め尽くす満天の星が瞬いていた。
「……俺は、やがてこの命果てるとき、何を遺せるのだろうか?」
ふと自問するが、答えは出ない。当たり前だ。
それは、これからの己の意志と選択が創り上げてゆくものなのだから。
迷う必要はない。ただ、進むだけだ。それしか出来ない、のではない。
俺達には、それが出来るのだ。
決然たる意志を持ち、流れゆく時にただ乗るのではなく、己の願いを持って進むことが、出来るのだ。
「きっと、いつか。俺も死ぬ」
そのときが何時になるのかは、きっと俺には分からない。
だが、それが何時になったとしても、悔いだけは残すまい。
今の己に出来る事を全力で為し、たとえ果つるとも、俺は全力で生きたのだ、と、力の限り叫べるように、生きて行こう。
そして、俺が死んだときに、誰かがそれを惜しんでくれるのならば、きっとそれは、何よりの事なのだろう。
「……また明日から、頑張ろう」
星月夜に、独り言ちる。
誰に向けられた訳でも無いその言葉は、夜闇に溶けて、ただ消えていく。
……或いは。戦いの果ての死、その象徴たる夜の静謐をも司る我らの神は、聴いていてくれるのだろうか?
「――死よ、大いなる死よ――」
無意識のうちに、聖句が紡がれて。
きっと気のせいなのだろうが、何となく、寒さが和らいだような気がした――――
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