第八話 予兆

 止まる事無く時は廻り、やがて冬が、訪れた。

 鉄都にも一年ぶりに雪が降り積もり、それが人の立てる音を吸ってか、随分と静かになったように感じる。

 移ろう街の景色と人々の暮らしと対比するかのように、一方のところで俺は相も変わらず任務に励み、身体も鍛え、空いた時間でイェニさんの手伝いをしたり、レオやルナール達と交流したりだとか、ボド達ラクァル兵のところに顔を出したり、ダフネさんから料理を教わったり一人静かに本を読み耽ったりと、まあ気ままに過ごしていた。

 職務でラクァル外に出る事や、エリオット隊の皆と集団で行動することにもすっかりと慣れた気がする。外国から流れて来た賊徒に占領された砦の奪還、なんて任務も問題なく終えられたんだし、そう言ってもいいだろう。……初めての、複数の味方と共に行う集団戦闘はまあ緊張したものだが、これまで戦ってきた相手に比べれば、ただの兵士崩れなど何も恐れる必要は無かった。


 「……寒いな」


 真冬の夜間警邏は、中々に堪えるものだ。

 よりにもよって、月に一度だけ行われる、騎士による夜間の見回りに充てられるとは、運が無い。夜間の仕事というのは体内時計が狂うというか、次にまた日中に活動できるように体調を整えるのが大変で、好きにはなれない。

 思わず呟いた独り言は、灯りの消えた静かな街に響き、雪の中に溶け消えていく。


「……」


 空を見上げる。澄み切った冬空いっぱいに星は輝いており、とても、美しかった。

 ……一際大きく強く輝く星が、流れて行くのがたまたま目に入り、思い出す。


「……そういえば、アステレさんとも最近会っていないな」


 流星騎士、アステレ。かつて、妖獣を殺したのち、骸が変異し現れた呪いの塊から俺を救ってくれた、紛れも無い恩人である。思えば、最後に会ったのは、屋敷を訪ねたときだったか。


「偶には、また手土産でも持って顔を出しに行くか……」


 *


 明くる日。自宅へと戻り、ゆっくりと、思う存分に眠りこけていた。

 夜間の警備を勤めた後は、宿舎ではなく家まで帰り、ゆっくりしても良い事になっているのだ。宿舎のそれとはまるで質の違う、柔らかな布団に埋もれるように、ぐっすりと寝て――――理由も無く、跳ね起きる。表は、まだ薄暗かった。

 悪寒がする。胸がざわつき、焦燥感が俺を急き立てている。風邪でも引いたか?

 ……違う、別に気だるさは無い。駄目だ、分からない。とりあえず一度起き出して、温かいものでも飲んで来よう。


 *


 自室から出て、やたら長い廊下を進み、幅の広い階段を一段一段と降りてゆく。

 食堂に向かおう。そう思いつつ歩を進めていると、話し声が聞こえてきた。ディディエと、ダフネさんが何やら語っているらしかった。思わずそちらへと顔を覗かせると、やけに神妙な顔つきをした二人が居る。

 ……何か、嫌な感じがした。


「――――あ……若様、起きて来られたのですか」


 声音からしても、いつもの調子ではない。何か、こう。

 ……まるで、あまり言いたくない悪いものでも伝えようとしているような。

 かつてタレルで友が死んだとき、それを知らぬ俺に伝えんがために、俺が起きだすのを待っていた親と、同じ顔というか。

 ダフネさんはちらりとディディエの方を見遣る。

 ディディエは頷き、俺へと向き直った。


「虫の知らせというものか、やはりお前は勘が鋭いというか、なんともはや。

 儂から、説明しよう……アーダルベルトよ」


「……うん」


「ひとりの騎士が、亡くなった」


 ――――予想は、出来ていた。それは、嫌な事を予め想起しておき、急にそれへと触れ大きな衝撃を受けぬようにする、防衛本能が為せる業なのだろうか?

 だが、如何に空想の上で予行演習をしたとて、やはり実際に起きた物事というのは思う以上に力を持っているものだ。俺は心の内から現れた、兜越しに殴りつけられたような衝撃に全身を貫かれ怯み、やっとのことで一言だけ、どうにか絞り出す。


「…………うん」


「憶えているだろう。

 お前の、奉剣の儀にも立ち会った……白位の、アステレだ。

 病……のようなもの、だったらしい」


「ああ――ああ。

 昨日、星がひとつ落ちるのを見て、思い出したんだ。

 最近、見ていなかったな、と。ずっと、臥せていたのか……」


「……アステレは、自らの死期を悟っていた様でな。

 まめなものだ、皆に手紙などを遺して逝きおった。

 当然、お前に宛てたものも有る。……これだ」


 ディディエは、そう言って一通の手紙を差し出した。

 震える手でそれを受け取り、封を開ける。


『このような形で別れを告げる事になって、済まない。

 これをお前が読んでいるとき、既に私は世を去っている筈だ。

 ……ふ、物語や劇でよくある台詞を、そのまま使うことになろうとはな。

 お前は本を好むようだし、こういう演出も、悪くはあるまい。


 不思議なもので、あれほど言いたいと感じていたことが有ったはずなのに、

 こうしていざ筆を取ると、何を書けばいいのか分からなくなるものだ。


 そうだな、過去の礼についてでも述べておこうか。

 他でもない、あの時お前が持ってきた菓子についてなのだが……。

 あれは実に良い品だった。妻も子も大変に喜び、私自身も愉しんだ。

 私と家族たちに良い思い出を作らせてくれて、有難う。

 お前も、自身の家族にも買ってやるといい。きっと、皆が喜ぶはずだ。


 ……お前と職務の係らない所でゆるりと交流する時間も無かったことは、

 私にとっても惜しむべき事だったと強く感じている。

 お前もそう感じてくれるのであれば、嬉しく思う。


 さて。

 では、死した後も騎士らしく、務めの話をするとしよう。

 もう一つの本題に入ろう、アーダルベルトよ。

 あまり意識させるのも好ましくないかと思い、ずっと黙っていたのだが……。

 初めてお前を視た時から感じているものがあった。


 ――実の所、ここ数年、星の巡りに暗い影を落とすものがあるのだ。

 あれが何であるかは分からない。ただ、とても、恐ろしいものだ。

 あの時の妖獣のような、呪いに満ちた、悍ましくも悲しいものだ。

 ただ、あれが人の世を蝕まんとしていることは、明らかだった。


 私は人の上に立つ者として、どのようにあれへと立ち向かうべきか悩み、

 微力なれど、あれを祓うために尽力してきた。星々の神秘を翳し人々の勇を鼓し、

 天命を燃やし、己が灰と尽きるまでに一体何を為せるのかと、恐れを懐きながら。


 そこに、お前が現れた。

 私は、お前を一目見た時、お前があれと戦っている姿を、幻視した。

 世を、心を蝕むものに抗い、きっと誰にとっても良い道を拓かんとする様を視た。

 絡まるいばらを薙ぎ払ってでも進み続ける、剣のような輝きを確かに視たのだ。

 私は、理解した。誰かのためにあれへと立ち向かう、お前の運命を。


 だから、今では全てを遺して一人去ることにも、大きな不安は持っていない。

 お前が居てくれて、良かった。ここラクァルへと来てくれて、良かった。


 ……このような、理解に苦しむであろう曖昧な話しか出来なくて済まない。

 結局の所、お前は何も気にせず、こんなことは考えず――

 ――ただ懸命に生き、騎士として、お前自身として、信じた道を進めばいい。

 そうすることでのみ拓ける運命が、あるのだから。


 こうして途中で抜け落ちる者が、為すべきを押し付けるなど言語道断極まるが、

 それでも、どうか言わせて欲しい。


 ――――アーダルベルト。後は、頼む。

 願わくば、お前に星の導きが有らんことを。


 追伸 イングヴァルの娘にも、宜しく伝えておいてくれ。

    恐らく落ち込むのだろうから、慰めてやると良い』


「…………、ああ、ああ……」


 涙が、当然のような顔をして無遠慮に姿を現し、俺から零れていく。

 滴る雫で手紙を濡らさぬよう、慌てて袖で拭ったが、尚も止めどなく溢れだしたそれは、暫くの間、止まりそうも無かった。


「……大丈夫か?」


 ディディエが心配そうに声を掛けてくれたが、だからと言って気の鎮まることも無い。気を遣ってもらったのに、ちょっと申し訳ない気もするが。


「全然大丈夫じゃない……」


「……そうだな、済まん。

 ――葬儀は、明後日の予定となる。お前にも是非参加して欲しいとの事だが……返事は、聞くまでも無いな?」


「勿論。答えるまでも無いだろ? 場所は? 聖殿?」


「うむ。騎士の葬儀は、大聖殿で行われる。

 ……白位ともなると、集う人数も相当になるぞ。覚悟しておけよ」


「……うん」


 *


 アステレ氏が、亡くなられた。その報せは瞬く間に鉄都中へと伝えられ、民にも広く伝わることとなった。聞けば、アステレ氏の屋敷の前では、身分上立ち入ることが出来ぬ者たちの多くが集まり、その死を悼み、祈りを捧げているらしい。


 無論の事、騎士達にも少なからず衝撃が走り、騎士団内では誰も彼もが重々しい顔をしている。若い者たちからは、立場やその雰囲気とは裏腹に、困り事があれば相談に乗り、神秘的な星見の業で能く助けてくれた先達として。年配者からは、前途ある、若き白位の騎士として。その存在が末永く在ることを、願われていた。


 ……改めて、誰からも慕われていたのだなあ。言う間でもなく、俺も、あの人とはもっと、色々な事を話してみたかったし、機会が有れば、轡を並べてもみたかった。


「…………」


 部屋で独り、彼が遺した手紙を開く。


「結局、どういう事なんだ……?」


 謎が多いというか、曖昧だというか。

 よく分からないが、結構規模の大きな事が書いてあるような気もするし……星の巡りに影を落とすものって、結局何がどういう存在なんだ? あの妖獣のような、とは。あれのような呪いの塊の、淵源なのか?


「分からんなあ……」


 だとしても、そんなものと俺に、何の因果が有るのだろう。結局のところ俺は単なる下級の騎士であり、自分がそんなものと戦うなど、大それたことをするところは想像できない。

 後は頼むと言われたからにはそうしたいが、何をすればいいんだ……?


「――ただ懸命に生き、騎士として、お前自身として、信じた道を進めばいい。か……まあ実際、俺に出来る事なんてそれぐらいだよなあ」


 とりあえず、まあ出来る事を頑張ろう。

 ……それと。


「イングヴァルの娘って誰だ……?」


 思わず、疑問が口から漏れる。

 イングヴァル。聞き覚えが無い。恐らくは俺が知っている女性の父親なのだろうが、それが誰かは特定できない。最初に一番に思いつくのはイェニさんだが、別に

女性の知り合いが彼女しかいない訳でも無く。……いや、そんなに多くは無いのだけれども。

 手紙と睨めっこしながらうんうん唸っていると、部屋の戸が叩かれる。


「どうぞ」


 ひと声掛ければ、軽い返事と共に扉を開け、ディディエが顔を覗かせる。


「おう。

 ……お前な、部屋の外まで聞こえるぞ。哀しみに啜り泣くならともかく、何だ、あの唸り声は。腹でも痛めたのか?」


「え、外まで聞こえてた?」


「割とな。

 ……お前、しかもその手紙を読みながら唸っておったのか!?

 何が書いてあったのだ、一体……」


「ああいや。結構難しいというか、神秘的な方向性のあれこれというか、解釈に悩むというか……」


 ディディエは、得心がいった様に頷いた。


「ああ、アステレはそういう所があったからな。

 儂もしばしば、あいつの言葉には悩まされたものだ。

 まあいつも事が終わる頃には、ああそういう事だったのか、と腑に落ちる。

 あまり深く考えるな、その内分かることしかあいつは言わん」


「そう? じゃあ、とりあえずいいか。

 あと、イングヴァルって人、知ってる?」


「……ふむ? 少なくとも、当代の騎士には居らんはずだが。

 というか、ラクァル風の名では無いな。北方か?」


 北方……ああ、そういえば昔、父親が北の人だとイェニさんが言っていた気がする。やはり彼女の事か?


「うん。助かったよ、多分。有難う。

 ……そういえば、何しに来たんだ? 用も無くわざわざ上がって来ないだろ?」


「お前、儂がお前の事を心配して見に来たとか思わんのか?

 いやまあ確かに目的は少し違うのだが、なあ? ……まあよい。

 とにかく、今日は早く寝ておけよ。お前、夜勤明けなのにあれだけ早く起きてきおって。睡眠はしっかり取らんと、大きくなれんぞ」


 ……自分の方が大きいからって身長で弄りやがって……!


「ああ、うん、有難う。

 でも心配されなくても、まだまだ背は伸びてるから大丈夫だよ。

 ……その内、絶対追い越してやる……」


「ワッハッハ、その意気だその意気だ。

 どれぐらいだ? あと、二十ぐらいか? ん?」


 ディディエはわざとらしく、手を自分の頭の辺りに当てたあと俺の身長の辺りに遊ばせ、比較するかのように動かしている。実際、ディディエとの差はそれ位だ。

 ええい畜生、なんで七十も過ぎてるのに百九十ちょっとも有るんだよ! もっと縮めよ! もっとっていうか少しも縮んでないだろ、どうなってるんだ!


「ぐぬぬ……」


「ワッハッハッハ、大きくなれよ、アーダルベルト!」


 そう言って、笑いながらディディエは去っていった。

 え? 本当に今日は早く寝るように促しただけで帰ったんだが?


「……とりあえず、イェニさんの所にでも行ってみるか」


 *


 カーレン薬店を訪ねると、やや疲れ気味というか、あまり寝ていなそうな感じのイェニさんが出迎えてくれた。薬師なのに、まず自分が何か処方された方が良いのではないかと思わざるを得ない。


「あ、アーダルベルト君……」


「イェニさん。どうしたんですか、隈が出来てますよ」


「あ、いやー、あははは……ちょっと、眠れなくって」


 ……落ち込むのだろう、って書いてあったよなあ。


「つかぬ事を訊くんですけど、もしかして、父親の名をイングヴァルと言いませんか?」


「え……なんで知ってるの? 話したことあったかな?」


 ああ、やはりだ。イェニさんの父親だったか。

 イェニさんは、不思議そうに首を傾げている。


「いや、実は――」


 簡潔に、手紙に貴方が落ち込むだろう、と記されていたことを説明すると、イェニさんは合点がいった様子だ。


「なーるほど。そういうことでしたか……」


 急に謎が解けた探偵のような話し方をするなあ。


「そういうことなんです。

 まさかイェニさんが、アステレさんと知り合いだったとは」


「うーん、私が知り合い……というかは、父さんの知り合いというか恩人というか。

 私がまだ生まれても居ないような頃、父さんは、自分の生活も考えないで、慈善事業みたいなことばっかりしててね、何でもかんでも他人のために投げ打っちゃうものだから、碌な生活をしてなかったんだよ。ついには、倒れた人を見る筈の薬師なのに、自分が倒れちゃったししててさ。

 それで、そんなぼろぼろのなりで騎士団の方に薬を納品しに行ったとき、見かねたアステレ様が父さんに施しをして、諭したんだ。「己を救えない者が、何故他者を満足に救えようか」ってね。

 それで、頂いた資金を元にして父さんはこの立派な店を構えて、きちんとした生活をしながら人を助けるようになったのです!」


 そんな事があったのか。本当に色々な所で人を助けてるなあ、階級を問わず慕われるのも頷ける。


「……実は、アステレ様が床に臥せてる、って小耳に挟んでね。私、持って行ってみたんだよ。あの、命の花。効くかな、って思って。

 でもね、アステレ様は……これは自分の天命であり、何を以てしても覆せはしないだろう、って。それは大切に取っておくが良い、何時か、どこかで使う時が来る、って言われちゃったんだ。

 それで、もうお別れになっちゃったからさ。何か、もっと薬師として出来る事が有ったんじゃないかな、ってずっと考えちゃって……」


「夜も眠れなかった、と」


「……うん」


 なるほどな。確かに、自分の力で何かが出来そうだと感じている時ほど、それが為せないのは悔しいものだ。

 ……況してや、家族の恩人たる者の命が係っているとあらば、尚更だろう。


「……うん、これはイェニさんの生業に基づく誇りの話でもあるのだろうから、本当は俺が何か言えることでもないのでしょうけど。

 それでも……ええと、なんだ。あまり、自分を責めないで……ああいや、やっぱりおこがましいな。ごめんなさい」


「……慰めてくれるんじゃ、ないの?」


 俺が途中からしどろもどろにすぼんでいく様を見て、穏やかに笑みながら、彼女は言った。


「ええと、その、はい。……そうですね。

 ――アステレさんは、根拠も無い発言をすることのない人でした。

 だから、あの花を使う時が来ると言ったのなら、きっと本当にそういう日が来ると、あの人には視えていたんでしょう。アステレさんは、その時にイェニさんがそれを為せるようにと、きっと、誰かを救うことを期待していたんだと、思います。貴方の力を知り、その優しさを知り、きっと誰かの助けとなることを、多くの人を救うことを信じて……。

 イェニさんは、無力な人じゃあない。他ならぬアステレさんは、それを信じていたからこそ、天命尽きる自らの治療にそれを使うことを拒み、未来の誰かを救わんとしたのでしょう。

 ……だから、あの。自分を、責めないでください。

 貴方は、本当に優しい人だ。その優しさが己を傷つける刃となることほど、悲しいことは無いと思います」


「……うん……うん。

 ――あー…………よしっ!」


 彼女は、俺の言葉を聴きながら静かに相槌を打っていたが、やおら、両の手でぱんぱんと自らの頬を叩き、何やら気合を入れ始めた。


「うん、ありがとう、もう大丈夫! 心配かけてごめんね?

 よし、また頑張るぞー!」


 と、とりあえず元気は出たようで良かったが……本当に大丈夫か? 空元気ではないか、少し心配になる。

 右に左に体を捻りながら、動き出す準備体操をしているイェニさんを眺めていると、不意に店の戸が開き、誰かが入ってきた。


「……おや。元気になったみたいで、何よりですね? 先生。

 私はてっきり、今日はお休みになるかと思っていましたが……意外ですね」


 見れば、随分と若い年頃の娘が居た。背は低く、年の頃はまだ十かそこらといったところであろうか。だが、見た目から予測できるものとは裏腹に、その眼差しや言葉の節々からはどことなく、ふてぶてしさのようなものが感じられる。


「クーリィ!」


 ……先生……ああ、そういえば、弟子を取ったのだったか。

 確か、結構前に聞いた話だった気もするが、手伝いに来たときに会う事は無かった。偶然なのだろうか。

 思考を巡らせていると、このクーリィと呼ばれた少女は、しげしげと俺を観察し、やがて納得が行ったように口を開いた。


「成程、貴方が先生の……こうしてお目に掛かるのは初めてですね。

 初めまして、私はクーリエストロート・ハンメルプラーツェン。そこに居るイェニ先生の不肖の弟子という事になります」


 長い名前だなあ。


「ああ、これはご丁寧に。

 俺は征剣騎士黒位二剣、アーダルベルト・ノアイユだ。宜しく。

 ……それにしても、ここには度々足を運んでいたと思うんだが……よく今まで顔を合わせなかったものだなあ」


「ええ、避けていましたからね。人見知りなもので」


 お、おう……正直だなあ。


「もー、クーリィってば!

 もう少し愛想ってものを覚えなさいって、いつも言ってるでしょ?」


「いやです。むりです。諦めてください。

 それと、私の名前はクーリエストロートだと、私だって何度も言っていますが」


「……長いんだもん……」


 イェニさんは、弟子の言葉に目を逸らしながらぽつりと呟いた。

 いや確かに長いが。俺も思ったが。物言わぬクーリエストロートの眼差しが、詰問のように彼女へと向けられる。


「まあ、親しい者の間でそうやって縮めて呼んだりだとか、愛称を付けるという事は珍しいものでは無いだろう、うん」


「そ、そうだよ。愛称だよ? 親愛の証だよ?」


「……愛称。まあそういうことなら、良いでしょう。

 ともかく、アーダルベルト様、有難うございました。先生を元の調子にしてくれたこと、感謝の念を抱かざるを得ません。

 それはそれとして仕事をせねばならないので、出来れば今日の所はお早めに帰って下さりはしませんか?」


「ちょ、ちょっと、クーリィ!」


「何分、先生は昨日からずっと仕事が手に付かず、丸一日分も溜まってしまっているのです。早めに片さねば、タスクは更なる山と重なるばかり。良い状況とは、言えません」


「うっ……」


 師による咎めの言葉を無視して、現在の状況を淡々と説明するクーリエストロート。その内容にイェニさんは、まるで懐に重い一撃を貰った時のように、うめいて言葉を詰まらせた。

 ふたりの様子を見て、思わず軽く笑う。

 仲がいいな、何よりだ。


「ああ、確かにそれは良くないな。邪魔にならない内に行くとするよ。

 それでは、イェニさん、クーリエストロートも、さようなら」


「はい。速やかにご理解頂き、有難うございます。

 今度は、仕事が無い日にでもいらしてください。私も、私の知らない先生の話を聴いてみたいので。

 ……さあ、先生。行きますよ」


 クーリエストロートは俺の返事も待つことなく、イェニさんを引きずって仕事場へと消えていった。


「……最近の子供は何だか凄いなあ」

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