第六話 戦士の誇り
冷んやりとした空気が、辺りの全てを包み込む。意外にも、中はかび臭かったりすることは無く、埃っぽささえも無い、暗く静謐な空間が広がっていた。人が十人以上も横並びに歩けそうな、随分と幅の有る道は段々と降っているようで、恐らくだが、俺たちは今地下に居るのだろう。
「……代わり映えしねえな」
「そうだな。道は真っ直ぐ、部屋の一つも無いとは」
「入り口でも見た、紋様ばかりが、眼に入りますねえ。
騎士様、折角だから全て訳してはくださいませんか?」
「……それだけで何日掛かると思っているんだ?
仕事はここの調査だけではないんだ、無理は言わないでくれ」
「じゃ、じゃああとで騎士団に伺いますから、読み方を教えて頂けませんか?」
「……わかったわかった、暇な時で良ければ付き合ってやる」
*
それから道を往く内に、幾つかの部屋が脇にあったのだが、ある物といえば壺だとか棺のようなものばかりであり、恐らく、ここは墓所のような施設だったのだろうという見解を、俺たちは自然に持ち始めていた。
「……ところで、なんだが。
アーダルベルト、眼鏡。お前達はなんともねえのか?」
歩を進める内に、神妙な調子でギジグがそう訊ねてきた。
「え? どうしたんだ、ギジグ。どこか悪いのか?」
声に釣られてそちらの方を見れば、確かに少し、ギジグの顔色は悪くなっているようだった。フェリペもそれは同様で、少なくとも、体調が良いとは言えないらしい。
「わ、私は、平気ですよ。平気ですとも」
「……平気なのは、アーダルベルトだけか。
やれやれ、どういう仕掛けなんだか。さっきから、変な悪寒が止まらねえ。
間違いなく、緊張だとか単なる体調不良とは別物で……魔術によるものでも無いな、こりゃ。……古代の呪いか?」
指先に魔術で灯した薄灰色の炎の様子を眺めながら、ギジグは言う。恐らく、何かを確認するための術なのだろうが、もし魔術が行使されていた場合、あの炎はどのように変化をするのだろう?
「……大丈夫か? 俺はむしろ、調子が良いぐらいなんだが。あまり辛いようなら、表で待っていてもいいんだぞ」
「そんな! 私からこの遺跡を調査する機会を奪おうとするだなんて、あんまりじゃあありませんか! こういう、誰も踏み入ったことの無い遺跡を初めて調査するというのは、協会員全てにとっての夢なのですよ!?」
そ、そうなのか。
……そういうものなのかもな。人跡無きまっさらな銀世界に、自分が初めての足跡を付けるような感覚なのだろう、きっと。
「あ、ああ。平気なようなら、行こう。無理はするなよ」
純粋な心配が半分と、残りは引き摺って連れ帰るのが面倒そうだという気持ちだった。緩かれど勾配の付いた坂道を、最悪の場合二人の人間を抱えて歩くのは、流石に俺でも骨が折れそうだと感じたからの発言なのだが、それでもフェリペは気を遣われたためか、妙に機嫌を良さそうにしている。単純な奴だなあ。
*
道を往き続けて、随分と経った。どれぐらい歩いているのか、距離も時間も曖昧になってきた頃、"それ"が現れた。
広く、広く。筋と紋様の入った柱に囲われた、この大きな部屋こそが、長い道程の到達点のようであった。
最奥に見えるものは、何かしらの祭壇と、それを護るように佇む――
「……何だろうな、あれ」
「石人形、ってところか」
「守り神か何かなのでしょうか?」
人間二人分ぐらいの高さが有る、幾つもの巨大な石像であった。金属鎧も使わず獣の毛皮に身を包む、随分と古い時代の戦士の装いに、鍔も無く、先端が半円に広がった武骨な両刃の直剣を地へと向け立つその姿は、まるで生きながらにして石となったかのようで、きっかけさえあれば、今でも動き始めそうな感覚を見る者へと抱かせるに足る、堂々たる偉容であった。
「とりあえず、近づいてみよう。
各員、いつでも逃げだす心構えはしておくように」
「ああ。いつ動くか、分かったもんじゃねえからな」
「は、ははは、まさか。見た所、魔術が広まる以前に造られた遺跡のようですし、そういう仕掛けがある確率は、高くありませんよ。実際、入り口には妙な仕掛けこそあったけど、他には何もないではありませんか」
俺たちは、そこへと足を踏み入れた。
奥へと進む内、それに呼応し、壁の上方、一定の間隔で開けられた窪みに炎が点り、同時に音を立てて石がせり上がり、俺たちが通って来た入り口は、完全に塞がれてしまった。
明らかに、俺たちの行動が感知されている。緊張が走り、フェリペなどは今にも腰を抜かしそうだ。先に帰しておけばよかったと後悔するが、もう遅い。
――――そして、当然のようにそれが、目を覚ます。
黄金の輝きが、ひとつの石像の瞳に宿る。それに伴って、その巌の肌は生生たる瑞々しさを見る間に取り戻していき、遂にはそこに立っている者が本当に石で出来ているのか、誰にも分からぬほどになった。
今や、石の巨像などどこにも無く。そこに佇みこちらを眼差しで射貫いているのは、誇り高き、毛皮纏う古き時代の戦士に他ならない。
「――守護者たる我が、問う。
ヴォルジュの民ならぬ人の子よ、神聖なるこの地に何用か。
先ずは、己が神を示すがよい」
「俺は血神の徒、ラクァルの征剣騎士である。
守護者よ、気が付いているか。ヴォルジュの町が既に滅んでいることを」
俺は、他の二人が何か言う前に、そう堂々と告げた。
これは勘でしかないが、血神の徒以外と彼は、あまり良い関係だとは思えない。ギジグやフェリペの信仰については知らないが、恐らく血神へのそれを持ってはいないだろう。そも入り口の紋様からして、ここはヴォルジュの民にとっての、血神信仰の古い聖地の筈だ。先ほどの体調不良も、彼らが血神の徒ではないが故に、この場所から拒まれていたと考えれば得心が行く。
「おお……鉄都に名高き征剣騎士、牙王の
騎士よ、お前たちを除き、最後に人が訪れたのは、既に七百年以上も昔のことである。きっと、そうなのだろうと思ってはいた。
人よ、我に伝えてはくれぬか。ヴォルジュに、何があったのかを」
「分からない。俺たちは、それを求めてここへ来た。そちらこそ何か知らないか」
「……済まぬ。我には、何も分からぬ。ただ、最後に人が来たとき、祭りの日なのだと云っていた。
最も夜が長い日の、静謐なる死に祈る、神のための祭りだと」
「……そうか。ありがとう、教えてくれて」
「――――騎士よ。願いがある。聞いてくれるか」
「ああ。俺に出来る事でいいなら」
「お主、征剣騎士であろう。ならば、出来ぬはずも無い。
頼む。我と戦い、我を終わらせてはくれぬか?
……もう、我が護るべきヴォルジュも無い。こうして我が立ち続ける理由は、無いのだ。
我は……いや。我らは、戦士だった。ヴォルジュのために戦い、そして死んでいった我らの魂は、こうして大石像に納められ、ヴォルジュの守護者として、人々に奉じられていたのだ。
――――ああ……分かるだろう、騎士よ。戦士の幕引きには、戦いが伴うべきだ」
独りでに亡ぶこと無き不朽の躰となった戦士は、そう俺に告げる。それは、揺ぎ無き矜持に他ならず。戦士の終わりとは、戦いと、その結末たる死こそが相応しいのだと、彼らは望んでいる。
ここで誰かが終わらせてやらねば、彼らはきっと、もう護るものも無い世界で、失意の内に眠り続けるのだろう。永久に叶うことの無い使命だけを、世に残るための幽かなよすがとして……何も、出来ぬままに。
それはきっと、余りにも悲しいことだ。生前にずっと戦い続け、死してなおも故郷のための守護者として在り続け、やがて誰からも忘れられ、誇りさえも貫けぬなど。
ならば、俺の答えは決まっている。意志と誇りに応えぬなど、騎士の在るべき姿なものか!
「一応、訊いておくぞ。俺で、いいのか?」
「名高き征剣騎士と戦えるのならば、望外の誉れである。その剣、飾りなどでは無い事を、我らは知っている。そうであろう」
「無論。我が剣、既に神へと捧げられしものに相違なく。
――――誇りある戦士たちよ。我が名は征剣騎士、アーダルベルト・ノアイユ。
貴君らのこれまでの在り方に敬意を払い、我が全力を以てその最後の望みを叶え
てみせよう」
そこまで言って、目を閉じる。
深く一呼吸したのち、瞼を上げ、眼前に佇むものを確と見据える。
「――――我らが血神、偉大なるザリエラが、この戦いを見届けんことを!
戦士の輝く誇りに、優しき手を差し伸べられんことを願わん!」
「神よ! 偉大なる、我らが鉄の戦神よ!
どうか、穏やかなる死の揺り籠もて、我らの魂を受け入れんことを願わん!」
剣を抜き、神への祈りを世に紡ぐ。
毛皮の古戦士は不敵に笑い、それに応えるように剣を掲げ、また祈る。
「――ええい! もう我慢ならない! 待ちなさい、この大ばか者が!」
「あ、オイやめとけって!」
フェリペが急に躍り出て、大胆にも俺を叱りつける。
恐らく、彼には戦士の矜持は理解に苦しむものなのだろう、俺達の選択に拒絶反応を示すのも無理はない。だが、これは譲る事の出来ない道だ。
「このように歴史ある遺物を破壊するなど、許されるはずが――」
……何だと?
遺物。遺物と言ったか。この様に誇りと矜持を持ち、己が道の行く末を自ら定める者が、意志を、心を持ってそれを願う者が、単なる遺跡の石像と変わらないと感じているのか。
ああ――――それは、駄目だ。
「フェリペ。
下がれ。二度は言わない」
自分でも、驚く程に冷たい声が出たことに、内心で驚く。
俺にとってこれは、譲ることの出来ぬ事柄なのだろうと、どこか他人事のように遠く納得する。
「……!」
フェリペは怯えながら後ずさり、すっかり静かになった。非礼を為す者は、もう居ない。
「ふ、良い気魄だ、騎士よ。
――――さあ、怯懦も躊躇も不要である! いざ! 参るぞ!!」
*
古き戦士が、吼える。彼は巨体を身軽に翻し、空中から剣を全力で叩き付けてくる。横に跳ねてそれを躱し、すれ違うように斬りかかるが、凄まじき瞬発力で剣の横腹を殴りつけられ、刃が彼に届く事は無かった。互いに、距離を取る。
古き戦士は、獣の如く身を低く屈めたまま俺へと吶喊し、地面ごと薙ぎ払うように、剣を低く一閃させた。切っ先が床石を激しく擦り、火花が狂い踊る。
「――ッ!」
普段、眼にする事の有り得ない刃の軌道に面食らうが、なんとか跳んでそれを回避する。彼は俺の反撃を待つことも無く、そのままの勢いで後ろへと下がり、再び飛び掛かって来る!
「オオオオッ!」
容赦なく叩き付けられた剣が、頑健な石で造られた建物さえも叩き潰し、石塊が無残にも飛び散った。彼の振るう剣は先端に重心が寄っており、故にこの力強く振り回す一撃は無類の破壊力を持っているようだ。とてもじゃないが、受ける気にはならない。
……ディディエとどちらが力強いのか、少し気になるな――ああいや、雑念に価値は無い、斬り捨てねば。
とにかくだ! 俺とてただ逃げ回っている訳にはいかん!
彼が石の間から剣を引き抜くその一瞬の隙を突いて、今度こそ袈裟に斬り付ける。膚は岩の如く硬いが、刻まれた傷痕からは確かに血が零れだす。
「そうだ! そう来なくては!」
戦士が、高揚と共に笑う。彼のみならず、俺自身もまた、牙を剥き出しにして獰猛に唸る獣の如く口角を上げていたことにそこで気が付いた。もしかしたら、傍から見たら完全に狂戦士の類に見えるのかもしれない。
――――息を、整える。ただ相手を見据え、その一挙手一投足をつぶさに捉える。
気が、静かに張り詰めていく。じりじりと、俺達は互いに剣を構えたまま、円を描くように摺り足で距離を測り合っていた。先ほどまでの目まぐるしい攻防がまた、直ぐそこまで迫っている。
「――――!」
今度は、此方からだ! 相手の歩調の間隙を衝き、可能な限りの速度を以て彼に肉薄し、逆袈裟に斬り上げる。渾身の力が籠められた刃はしかし、驚嘆すべきことに彼の足で踏みつけられるように抑えられる。研ぎ澄まされた刃は確かに彼の靴を切り裂き、その先の肉へと到ったが、彼は己が流血を気に留めるでもなく雄叫び剣を振るう。その刃が俺へと届く寸前に剣から手を離し、身を翻してそれを躱したが……ああ、武器を手放してしまった。まずは取り戻さなければ。面倒だな、クソ。
「今のを避けるか! 流石よな、鉄都の騎士! ……そら、受け取れ」
どうやって我が手に取り戻そうかと考え始めていた俺の元へと、賞賛の言葉と共に剣が投げ渡された。
「これはどうも。別に気を遣ってくれなくても良かったんだが」
「ふ、どうせ遅かれ早かれ自力で取り戻していただろう。
我らはそれを確かめる事よりも、全力のお前と戦う事を望む。
……ただ、それだけだ!」
言い終えると同時に、彼は再び野獣の如く疾駆し向かって来る。咄嗟にその懐へ潜り込むことで振るわれる剣を避けながら、勢いを利用して、後方へ倒れ込むように引き倒し蹴り上げ、思い切り投げ飛ばす。そして、直ぐさま身を翻し、未だ起きる事の叶わぬ彼の下に迫り、剣で貫く。過たず討ち取るべく心臓を狙ったが、彼は剣に穿たれる直前に身を捩り、即死となる傷を避けたようだった。彼は苦痛に呻き、だが戦意を喪わず、俺の腹を全力で殴りつける。
重打の衝撃が、全身を貫いた。余りの勢いに体が浮かび上がり、その衝撃で、彼に突き刺さっていた剣も抜けたらしい。当然に血が激しく噴き出したが、未だ彼の戦士としての闘志は潰えない。俺達は互いに軽くふらつきながらも、己が足でしっかりと大地を踏み締め、立ち続ける。まだ、膝を折るべき時では無い。
「いいぞ……いいぞ! 血と、痛みと! これこそが、正に死地!
戦士だけが知る、忘我の楽土よな!」
古き戦士は、事ここに到り、尚も止めどなく昂揚する。脈々と迫る己が死に怯える事も無く、嘆くことも無く。ただただ、何を考えるでもなく戦うということに、己が業の研鑽と、戦い続けた生涯の証明に、歓んでいた。
剣が、激しく交じり合う。俺が早さと体格の小柄さを活かして彼の振るう叩き付けるような剛剣を往なし、彼は無双の膂力を縦横に振るって俺を激しく追い詰める。鬼気迫る猛撃は余りに凄まじく、きっとディディエとの鍛練が無ければ、ただ気圧されて死んでいただろう。
……この死闘もそろそろ、終わりの時が近づいている。血を零し過ぎたのか、彼の動きは明らかに、鈍くなっていた。
互いに距離を取り、息を整える。きっと、二人ともに予感していた。次の一撃で、雌雄を決することになるのだ、と。
「――――」
最早、言葉は無い。剣は、時に口よりも雄弁になるのだ。だから、必要ない。
彼は、自身の持ち得る最大の一撃を放たんと、剣を両手で大上段に構えている。
俺は、ただ自然体に、有るがままに全てを為すため、静かにそれを待ち受ける。
剣が閃く。轟く雷鳴も斯くやと言わんばかりの、それが叩き付けられるまでに瞬きほどの時間も掛からない、およそこの世の全てを容易く割断するであろう一撃は、しかし俺に触れる事は無かった。ただそれが見えたままに、刃の先端を以て軌道を逸らす――驚嘆すべきことに、ただ掠めただけで俺の剣は砕け半ばから折れたが、俺はどうにか動揺を抑えて彼の隙を突き、その肉体へと再び剣を突き立てた。
……これで、決着だ。
「見事、だ。騎士よ。
……ああ。やはり、征剣騎士とは、強いものだ……結局、敵わないとは……」
古き戦士は、満足したのであろう。穏やかに目を瞑り、自らの亡びをただ、噛み締めているようだった。
見れば彼はその四肢の先端から、再び元の石の身体へと戻り始めていた。そして、先ほどまでの完全な状態とは違い、そこにはもうぼろぼろに亀裂が入り、触れることも無く崩れ去ってしまいそうな有様を呈している。
きっと、再び石へと戻りきった時、彼はもう二度と目を覚ますことは無くなるのだろう。
「……そちらこそ、その無双の剛力、凄まじかった」
「ふ、ふ……ああ。
良い、戦いであった……有難う、征剣騎士、アーダルベルト。
――――なあ、騎士よ……重ね重ね頼んで済まないのだが、叶うのならば、ヴォルジュが何故滅んだのか、解き明かしてはくれまいか。そして、ここに、人々が……戦士が居たことを、お前たちと同じ神を戴いていた民が居たことを、偶に思い返してやって欲しいのだ……」
「……ああ。忘れはしない。
誉れに満ちた、誇り高き戦士よ。お前たちの剣は、重く、強いものだった。
お前たちに勝てたことは、俺の生涯の中でも、小さくない誇りとなるだろう。
ヴォルジュのことは、任せておけ。出来る限りのことは、やってみるよ」
「ああ……ああ。ありがとう、――――」
ヴォルジュの古戦士は、静謐なる眠りについた。
戦いも終わり、その最期の言葉を聞き届け、俺は漸く一息つき、ただただ、天を仰ぐ。
そして――――
「……折れたー!!!」
頭を抱えて叫んだ。
奉剣の儀からずっと使っていた、灰銀交じりの頑強な剣が、折れるとは。
どうすれば良かったんだ。真正面から受けるんじゃなくて、飽くまで力の流れを逸らすために斜めから当てただけだったんだぞ。
「うーん、うーん、ヤバい……ヤバいぞお……!」
ただでさえナグザスに、そのまま無茶を続けると折れるぞ、と言い含められていたのに、もう折るなんて! な、なんと怒られるか分からないぞ!
「……終わったか? お疲れさん」
「あ、ああ。ギジグ。どうしよう……」
「とりあえず、欠片は全部拾っとけ。ほら、照らしてやるから……」
ギジグはそう言って、魔術の明かりを点した。不思議な事に、それに照らされた散らばった剣の欠片は仄かながらも燐光を帯び、どこに落ちているかは一目瞭然となった。
「便利だろ? 特定の素材に反応させて、光らせたりも出来るんだな、これが」
「ああ……凄く……助かるよ……」
俺はもう夢中で、飛び散った愛剣の欠片を掻き集める。
「礼を言う時ぐらい手を止めたらどうだ……?」
ギジグは呆れた声を出すが、俺はもう、そんなことに意識を割いてはいられないんだ。ごめん。
*
「ふう……とりあえず、鍛冶師に見せてから考えるよ」
「おう、そうしとけ。
……しっかし、灰銀交じりの剣が掠っただけでぶっ壊れるかねえ、普通。お前、生きてて良かったな」
「ああ、今回ばかりは死ぬかと思ったな、流石に。腹を殴られた時なんて、鎧が無かったら破裂して死んでたんじゃないか? ハハハ」
「……ハハハじゃねえだろ……」
「そうか? ……あれ、そういえばフェリペは?」
「……あ? ああ、あいつなら、ほら、あれ」
ギジグはそう言って、有る方向を指差した。そこには、膝を抱えて横向きに蹲っているフェリペの姿があった。
「ええ……」
「稀少な史料があ……って泣いてんだ、そっとしといてやれ」
「あいつ。また史料って、そんな扱いを――」
その物言いに沸き立つ俺を、慌ててギジグは制止する。
「待て待て、あいつは歴史畑の人間なんだ、遺跡の中から出て来たもんがそう見えるのは仕方がねえよ。お前が戦士を戦士としてしか見られないのと同じことだ。結局、物事の見え方は人の立場と、どういう教育を受けて来たかにかかってるって話だ。お前だって、それは分かるだろ?」
「…………まあ、それじゃあ仕方ないか」
「すっげえ不承不承だな、おい。
……ま、とりあえず今の所はそれでいいだろ。
分かり合うことが出来なくても、傷つけあう必要も別に無えんだからな」
……それは、そうだ。結局の所、俺は俺、彼は彼。それで終わりでも、別にいいんだ。言われて何となく感じたが、確かに彼の在り方を、俺のような形へと無理やり捻じ曲げてしまうのも、良い事だとは思えなかった。
全ての人が、全ての場所で分かり合えるのならば、最早人が人として数多に在る必要もきっと無いのだろうと、ぼんやりと思考する。
……まあ、人が人として在る理由などというものは知らないから、全く的外れな考えなのかも分からないが……ギジグの言うように、今の所は、これで十分だろう。
「……おい、フェリペ。あっちの祭壇は調べなくてもいいのか?
行かないなら、俺とギジグだけで見てくるが――」
「わだじもいぎまず……」
フェリペは未だ横向きに蹲って、洟をすすりながらそう言った。
彼の様子に、ギジグが苦笑する。
「すっげえ涙声だな……鼻、かむか?」
*
それから、俺たちは遺跡を一通り調べ終え、再び表へと出て来ていた。
俺にとっては、タレルの行方を示すようなものは何も見つからず終いであったが、
フェリペにとっては、祭壇に刻まれた聖句やら、祭祀の痕跡の情報を得たということで、とても有意なものであったようだ。ついさっきまで泣き腫らしていたとは思えないほどに浮ついている。
「ああ……星が、こんなにも。もう、日が暮れていたなんて」
俺は、表に待たせておいていた馬に食事を与えながら、漸く一息つく。……じっとしていると、ぶん殴られた腹やら酷使した腕の筋やらがじんわりと痛み出す。魔術による手当は受けたものの、ダメージが大きすぎて完治には至らなかった。曰く、治療の魔術はとても難しいものであり、専門家であっても、大怪我をすっかり直すようなものは、そうそう出来ないらしい。
ううむ……鎧も凹んでしまったことだし、本当に、鍛冶工房に向かわなくては。
「さあて。俺たちは適当に野宿するが、お前はどうするんだ?
まさかこのまま、ラクァルに帰るのか?」
野営の準備を整え終えたギジグが、話しかけてくる。何やら彼は魔術師とは思えないぐらい旅慣れているようで、焚火の手際など、ラクァル兵への教導を頼みたいぐらいだ。
「いや。流石に、少し休憩したい。今日はもう、疲れた」
「ははは、幾らお前でも、あの戦いの後じゃあ疲れるんだな」
「当たり前だろ。命がけで、全力を出し切ったんだ。疲れない訳が無い」
「そりゃそうか、如何に騎士だっつっても人間だもんな。
……お、焼けて来たな。食うか?」
そう言って、ギジグは俺に炙った干し肉を差し出した。中々に上等なものを用立てたのか、豊富に含まれている脂が熱で蕩け、滴っている。
有り難く頂こう。……ああ、貰うだけじゃ、申し訳無いな。
「お、干し肉か。いいね。
ああ、じゃあ俺からも。これ」
旅糧にと持ってきた、騎士団に伝わる完全食を荷物入れから取り出す。思えば、俺もこうして野営の時、かつてディディエから手渡されたなあ……。
思い出に浸りつつ、この動物の脂と焼いた穀物の粉、干し果物、木の実などを混ぜ込んだ保存食を幾つかギジグへと手渡そうとしたが――
「待て。それは要らん、お前が喰え。
俺はこっちの干しパンがあるから、これで十分だ。
……全く、そんなもそもその脂玉、よく食う気になるな」
明確に拒絶された。何故だ……。
*
「――以上が、ヴォルジュの遺跡の調査結果となります」
「ふむ。ご苦労様でした。とにかく、大事は無いようで何よりですね。
……戦闘があったとの事ですが、身体に障りは有りませんか?
何やら、軽くない一撃を貰ったようですが」
「はい。なんとか、痣になったぐらいで済みました」
鉄都、征剣騎士団の城塞内部。
ボコボコに凹んだ鎧やら、明らかに、細かな金属が擦れ合うような妙な音が鳴っている剣の鞘やら、人目を惹きに惹いたが、説明も面倒だし全てを華麗に受け流し、任務を終えたことを隊長の元へと報告しに来ていた。
「とにかく、剣や鎧の調整もあるでしょうし、暫くはゆっくりと過ごす事ですね。
……全く、こんな短期間にそれ程激しい戦いを経験して、あまつさえ、灰銀交じりを折ってしまうのは、恐らく貴方ぐらいのものです。
ノアイユの秘密兵器だなどと、皆が噂するのも無理はありませんね」
なんだその大仰かつ陳腐な響きは。
……もうちょっと格好良いのは無かったのか?
「ま、まあ、俺がどういう風に呼ばれているかはさて置くとして。
また、お休みが貰えるんですか? この間も頂いたばかりな気がするんですが」
「貴方は遠出の後に休んでいるだけであり、特別休みが多いという訳でも無い気はしますが……諸々を抜きにしたって、今回も妥当なものの筈です。
何せ、修理で剣を預けてしまうのですから、働かせるわけにはいかないのです。
あれは、貴方の身分を証明する、最たるものでもあるのですよ?」
え?
「あ、あの剣はそんなに重要なものなんですか?」
「はい。何せ、神に奉げた剣なのですから。
征剣騎士たるを他者に示す上で、それ以上に相応しい物が有りますか?」
「……俺は、そんな身分証のような物で、あんな切ったはったを……?」
「まあ、如何に象徴的なものとはいえ、剣ですからそれは不思議ではありませんが。普通はどう扱っても折れたり毀れたりしませんから、あえて壊さぬようにと忠告もされませんし……君という前例が有るから、次に入る騎士には言っておくべきでしょうね、きっと……」
ああ、世に数ある警告というものは、こうやって少しずつ増えていくんだなあ。
「――では、重ね重ね言いますが、ご苦労様でした。暫く任務は与えませんから、適当に訓練にだけ顔を出すなり、家で家族や友人とゆるりと過ごすなりしなさい。
……しかし、古代の戦士が魂を石像に宿し、守護者として在った、とは。まったく、世にはまだ、余人の知らぬ神秘が満ちていますね」
そう言ってエリオット隊長はちらりと、大きな殴打の痕を残す俺の甲冑に目を向ける。そして、おとがいに手を添えて、何やら考え込むのであった。
「…………」
「隊長。今、自分はそんなに凹ませられるかな、みたいに考えてませんか?」
「………………いえ?」
絶対考えてるだろ。
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