第四話 日々を過ごして、時を待つ

 目まぐるしく、ラクァルの時が流れていった。あれからレオは無事に婚礼の儀を終えて、大層に美しいフォストリクの貴族の娘と結ばれ、日々をますます精力的に、楽しそうに懸命に過ごしている。

 イェニさんとは最近あまり顔を合わせていないが、聞くところによれば一人の少女を弟子に取り、店の規模もちょっと大きくなったのだそうだ。

 ギジグやロガノー達も直に見てはいないのだが、最近は騎士団にも訓練で便利な魔法の道具などが随分と入るようになってきた。きっと魔術を広めるために、彼らが売り込みをしているのだと思われる。皆、それぞれに己の道を歩み、それぞれに努力をしているのだろう。

 ――一方の所で、俺はヴォルジュ方面への任務が回って来るのを気長に待ちながら、とりあえず今日の所は。


「ふむ。筋は良い。よく鍛えてもいる。あとは、経験次第だな。そら、立て。もう一度やるぞ」


 エクトールさんに模擬戦でボコボコにされていた。


「はい……」


 強い、強すぎる。何だこの人は。単純な膂力はともかく、技の冴えはディディエ以上なんじゃないか? 何をどうやったら、懐まで潜り込んだ相手を槍一本で捌けるんだよ。その距離で駄目ならもう隙なんてないじゃないか。

 気を取り直して再び打ち込むが、エクトールさんの槍は生きているかのように俺の剣に纏わりつく。くるりと最小の動きでその勢いを受け流して無力化し、流れるままに、先端を俺の喉笛へと付き付けた。

 言い訳の一つも通用しない、完全なる敗北である。仮に触れるだけで骨すら断つ大業物を持ちだそうと、きっとこの人は棒切れ一本で意のままに封じ込めることが出来るだろう、なんなんだ本当に。ディディエの好敵手と人々が謳うのにも納得するほかは無い。


「一の太刀に重きを置くディディエの剣は、見事に受け継がれている。俺が、まともに受け止めようとは思わぬ程度にはな。

 今はまだこの程度ではあるが、あと幾許か成長し重い剣を扱えるようになれば、無類の力を発揮するだろう。何時かお前も彼奴の如く、敵の得物をへし折りながら全てを征するようになるかもしれぬ。……よし、今度は受ける事に集中してみろ」


 一度頷き、静かに剣を構え、半歩だけ引き身を軽くずらし、呼気を静める。


「――よし。では、行くぞ」


 その一言を皮切りに、気づけば槍が、音も無く閃くのが見えた。反射的に剣の先端で切り上げ寸での所で弾き飛ばすと、エクトールさんはその勢いすらも利用して槍を反転させ、石突で俺を突く。だが、それは読めている。一つの行動の終わりは、新たな行動の始まりだと、ディディエとの鍛練で痛いほど実際に身に染みているのだ。刃でそれを逸らしながら踏み込み、戦いを至近へと持ち込んだ。


「いいぞ! 速さは既にディディエ以上よな!」


 勢いのままに剣を振るい、すれ違いざまに刃をぶつけんとするが、エクトールさんは何時の間にやら槍を構え直しており、直撃するには至らなかった。


「ふむ、良い反射だ。巨獣と戦い切ったというのも頷ける。……では、これはどうかな」


 言うが早いか槍が空を裂き、迫る。俺の右脚を狙って打ち出された鋭い突きは、途中でひらりと軌道を変え、いつの間にか俺の喉笛目がけて襲い来る。咄嗟に剣で打ち払うと、その衝撃をくるりと逃がしながら、槍を大きく回し薙ぎ、穂の横腹で殴りつけんとして来る。身を跳ね退りなんとか避け得たが、なんという鋭さか。久しぶりに嫌な汗を掻いた。


「見事、今の一撃も躱すとは! その反応、若さが羨ましいぞ」


 槍を地に立て一息つきながら、エクトールさんは呵々と笑う。

 息も切らさず、どこまでも余裕と共に振る舞うその姿を見て、問わずにはいられない。


「エクトールさんって、なんで義足でそんなに動けるんですか……?」


 そう、この人は義足なのである。何故、五体満足の者と遜色ないどころか、大抵の者より身軽に機敏に立ち回っているのか。訳が分からない。


「決まっている。偏に経験よ」


 経験かー。

 ……気づけば、随分と観戦している者も増えている。エクトールさんは、その様子を見て口を開いた。


「……他の奴らの相手もしてやるべきだな。そら、お前も色々な者と剣を交え、存分に見識を広め、深めるのだ――よし。では次……リグ、来い」


 ふむ。エクトールさんに稽古を付けて貰えないのは惜しいが、確かに俺一人がその権利を独占するべきでは無いだろう。


「よーしアーダルベルト、俺とやろうぜ!」


 次の相手を求めて視線を右に左に向けていると、ルナールが勇んで俺の前に躍り出る。どうしたんだ、いやにやる気じゃあないか。何時もは、えーお前強いからなあ……なんて渋る癖に。


「ははは、だって今なら疲れてるだろ? この好機を逃す訳にはいかないね、何時もの借りを返してやるぜ! 俺だって一本ぐらい取りたいんだ!」


 ……おいおい、そんな事ぐらいで簡単に勝てると思ったら、大間違いだぞ。


 *


「チクショー! やっぱりお前強いんだよ! もうちょっと先輩に優しくしてくれてもいいだろ!」


「そう言われても、訓練で手を抜いたら意味が無いじゃないか。全力を出し切らないと、いざ実戦の時に役に立たないだろ?」


「それは、確かにその通りだ。お前は正しい。

 ……でも悔しい! 加減してくれよ!」


 ルナールは、俺の言葉に納得した瞬間に、また、真逆の言動をして悔しがる。気持ちは分かる。人の心とは全く不思議で、理性と心情は時に容易く相反するものだ。

 俺達が何だか妙に藹々と言葉を交わしていると、今日は他の仕事をしていて鍛練の監督をしていなかったエリオット隊長が向こうからやって来た。


「ああ、アーダルベルト。貴方でいいでしょう、少し頼まれてくれませんか。実は、祭祀の方に行くはずの書類が間違って私の方に回って来ていたのです。私はこれから少し出なければならないので、貴方から届けておいてくれませんか?」


「あ、はい、ご苦労様です。こちらで片付けておきますね」


「ええ、頼みますよ。……皆、私が見ていなくてもきちんと励んでいるようで安心しましたよ。では、失礼」


 そう言って、エリオット隊長は急ぎ足に去ってゆく。位が高いというのも、何かと大変そうだ。


 *


「ああ、ローラン様。ここにお出ででしたか」


 言われるがままに祭祀部へと赴き、誰でもいいから書類を渡しておけばいいいのかなと思っていたのだが、神官の人に訊いたら、ちょっと私には分からないからローラン様に直接お渡しください、あの人ならきっと暇でしょうし、などと言われてしまった。ローラン様、なんか嘗められてないか? 大丈夫か?

 礼拝堂の方まで足を運ぶと、一人で何かの儀式の準備をしているローラン様が居た。


「ああ、これはアーダルベルト君、随分とお久ですねえ」


 お久って、あの、軽すぎないですか?


「はい、思えば最後に顔を合わせたのは、奉剣の儀でしたね。

 今日は、書類をお持ちしたのです。間違って騎士の方へと回って来ていたようなので、訊ねてみたらローラン様にお渡しください、と言われまして」


 そう言って、持たされた紙を手渡すと、ローラン様は、それを検めるでもなく笑いながら懐に仕舞い込んだ。おい、確認はしてくれよ。


「ええ、君の話は聞いていますよ。よぉーく、励んでいるようですね、感心感心」


「お褒めに与り、恐悦です。これからも微力ながら、世の為人の為になればと思い、全霊を尽くして万事に当たる所存です」


「いやあ真面目ですねえ、君ももう、一端の騎士ということなのでしょうなあ。

 ……それで、最近はどうですか? 折角ですから、少しお話していきましょう」


 え、あの、仕事とか……うーん、まあいいか。俺より偉い人がこう言ってるんだから、とりあえず従っておけば。


「最近、ですか?」


「ええ、最近です。ディディエの様子だとか、ここに来てから初めて都市の外に行ってみてどうだったとか、何か気になっていることだとか。若い時分には、悩みの一つや二つ、あるものでしょう? ここはひとつ、しっかりと受け止めるのが聖職者の有るべき姿と言うものです。さあ、さあ。なんでも話していいのですよ。腹痛の原因から恋の相談まで、何でも応えて進ぜましょう」


 おい絶対に興味本位で言ってるだろこの人。いや、確かにその根底に有るのは聖職者としての責任ある在り方なのかもしれないけど、それでも少なくとも四割ぐらいは単に好奇心に衝き動かされてるだろ!


「……そうですね。ディディエは、相変わらず楽しそうにしていると思います。この間、ハイロキアで土産として酒を買って来たら、俺が成人するまで開けるのを待つ気でいるんですよ。曰く、旅の土産は皆で愉しむものだ、なんて言って」


「はっはっは、ディディエめ、そんな事を……ええ、安心しましたよ。彼が楽しそうに在れるのは、私としても喜ばしい事です」


 本当に、心から安堵するようにローラン様はそう漏らし、暫し、眼を閉じて何かに思いを馳せているようだった。具体的に聞いてはいないが、恐らく彼はディディエとの付き合いも長く、故に、案じていたのだろう。妻子を喪い、それまでの有様とはすっかり変わってしまった友の身を。その魂の安寧を。


「ハイロキアは……凄い所でした。人も物も、余りにも数多く。文化の坩堝などという表現に、心より納得する他有りません。異国のものというのは、風習も伝承も、皆一様に興味深いものです」


「そうでしょう、そうでしょう! ハイロキアは、私がこの鉄都の次に好きな都市なのです! 今は自由な時間も多くは無いから行くことは無くなってしまいましたが、かつてはもう、暇さえあれば足繁く通ったものです」


 ふうん、ローラン様はハイロキアを気に入っているんだな。……当たり前か。見るからに好奇心が強いのだ、あれ程に飽きるという概念から程遠い都市のことを、気に入らない筈も無い。


「それと、最近といえば……」


「おや。何か、気になることがおありのようですね?」


「はい。荒唐無稽な話ではありますが、近頃……俺が、奉剣の儀を終えてから度々、奇妙な夢を、見るのです」


「ほほう。夢、とは?」


「はい。赤い、赤い荒野の夢で――」


 一つずつを、ゆっくりと語る。赤く、錆びた鉄のような色をした、土塊と巌ばかりが転がる不毛の荒野に一人、血潮の如き色の髪をした女性が居る夢のことを。少しだけ……少しだけ。あの女性が苦しみに悶えていた、という一節だけを隠しながら。何だか、あれは人に語るべきものではないと感じたのだ。


「ほほう……ほほーう……」


「な、何か分かるのでしょうか……?」


 右に左に首を傾げ、奇妙にうんうん頷きながら、ローラン様は何やら得心が行ったかのように一人で楽しそうにしている。


「いや何、直接関係が有るかは分かりませんが、赤い髪の女性といえば、我らとは切っても切れぬ話が有るのですよ」


「それは、一体?」


「ええ。知っていますか? アーダルベルト君。

 我らが神は、燃え盛る戦意の如き、炎のような、流れる血潮のような色の髪を持っていたと伝わっているのですよ。

 もしかしたら、君が征剣騎士団の一員となったことを、神が祝福してくれているのかもしれませんねえ。君には奉剣の儀に際しても不思議な感応が生じていたようですし、私はそうだったとしても驚きはしませんよ」


「――――あ、あはは、そうだとしたらとても光栄です」


 ……そう聴いた上では殊更に、でもその女性が滅茶苦茶苦しんでたんですよ、などとは言えなかった。というか、本当に言わなくて良かった、そんな物騒かつ不吉な事なんて、人に言ったところでいい影響がある訳も無い。

 少々ばつが悪くなり、周囲へと目を遣る。……この礼拝堂の中心にも、当然に神像が有る。それを眺めていて、ふと思ったのだが。似ている、気がする。我らが神の彫像は、夢に垣間見るあの女性に。

 とんでもなく、本当に荒唐無稽な話だ。ただの勘違い、俺の思い過ごしに違いない。だって、そうだろう。単なる信徒の夢枕に、神が姿を現す事など、なぜ有ろうか? 無いに決まっている。そうだろう? そうだよな? こんな想像、それこそレオが語っていたような、小説の読み過ぎなのだ。大体、神の彫像といっても、実際にその姿を見ながら造ったようなものではないだろう? 人がその姿を、伝承から想像しながら造ったものだろうし。


「――アーダルベルト君。きみ……」


「――!? は、はい!」


 おっと。急に声を掛けられて、思わず声が裏返ってしまった。しかし一体どうしたことだろう。ローラン様の様子が、少しおかしいような。よもや、俺が考え耽っているあれこれを見通しているのでは――


「――その神像に興味が有るのですね!?」


 ああいや違うわ、これ長くなるやつだ。


「いや~あれに目を付けるとは、アーダルベルト君は実に見る目がありますねえ!

 あれはね、神代の昔、まだ古き神々が人の世に直に触れていたころに、稀代の職人がどうしてもと三日三晩頼み込んでやっと許され、神の姿を見たままにそのまま彫り起こしたという偉大なる記録であり、遠くなってしまった神話の時代を今に伝える重要なものなのです!! これは、かの書神が記したとされる歴史書の中に直々に描かれている、紛れも無い実際にあったことなのですよ!!! いやあロマンですねえありがたいですねえ~まっこと素晴らしいものですよねああ~幸せ……幸せ……」


 …………俺の返事も待てずに、滅茶苦茶な早口でローラン様は、俺の手を握ってぶんぶんと上下に揺すりながらそう語った。口ぶりはどこまでも熱っぽく、なんだか恍惚としている。正直に言ってちょっと……いやかなり怖い。だからあの時も、皆が引いていたのだなあ。

 ん――というか本当にそうなのか!? だからってどうすればいいんだ! ゆ、夢の中で神の像にそっくりな女性が現れて、嘆き苦しんでいました。そう語られて、人々は何を想うだろうか? 本当に不吉が過ぎる!

 それに、それが現実に意味を持っていると捉えることが馬鹿げている、と言われてしまえばそれで終わるのだ。そうなれば、俺は無事に狂人の如く扱われ、ノアイユの家名にも泥を塗ってしまいかねない。

 ……だが、しかし。ただの夢と終わらせるには、あの光景には妙な現実味と、真に迫る大きな悲しみが満ちていた。……あれが単なる夢想で終わることだとは思えない。思えないのだが、何をどうすれば良いのだろうか。


「そ、そうなんですか」


 どうにか落ち着いて愛想笑いを浮かべながら相槌を打つと、ローラン様はうんうんと満足げに頷きながら、ようやく手を離してくれた。思わず手をじっと見ると、身に着けている皮の手袋は、大分汗で濡れていた。一体どれだけ興奮しているのか。これ今すぐ拭ったら失礼だよなあ……。


「うむうむ、君は実に見どころがある若者だ――うむ。

 また、何かあったら聞きに来ると良いでしょう。私に分かる事なら、喜んで聴かせてあげますからね……」


 あれ……もしかして俺、存分に趣味を語れる相手として認識されたのか、これ? 今後、何か事あるごとに長々と語られたりするのか?

 ……それは、流石に少し大変そうだが……。


「ええ、ぜひそうします。今日は本当に、面白いお話を聞かせてくれてありがとうございました」


 まあいいや。話自体は普通に興味深いものだし。きっと、それが役に立つ日も来るだろう、うん。


 *


 あれから結局、小一時間程ローラン様の語りに付き合わされたのち、漸く解放された。完全に別れる流れになっていた筈なのに、何故あの暴流の如き言葉が俺へと叩き付けられることになったのかは未だに分からないが、取りあえず今は、とてもすごい解放感を覚えている。すごい。爽快な気持ち。


 気づけば、すっかり時刻も昼時を回っており、いつのまにやら胃が覚えていた空腹感を満たすために食堂まで赴いたのだ。……何かが残っていれば良いのだが、どうだろう。皆、揃いも揃ってよく食べるからなあ。


「おう、アーダルベルト。いやに遅かったな、どうしたんだ?

 こんな時間に食事とは、珍しいじゃねえか」


 中では、強面の大男……俺と同じく、エリオット隊長の下についている黒位の騎士が一人で食事しており、俺に気づくともごもごと話しかけてきた。物を口に入れながら話すんじゃありません。


「ああ、エクレム。今日は君が食事の当番だったのか?」


「お前な、お前が途中で居なくなるまで一緒に鍛練してた俺が、飯なんて作ってる暇があると思ってんのか? 無理だ、無理。俺の身体は一つしか無ぇんだから」


「はは、それはそうか。いや何、俺の方は少しばかり、ローラン様と話し込んでしまってね」


「お前……大変だったな……」


 そこまでか? そんな、心の底から同情するとでも言わんばかりの顔をする程までに、ローラン様の話が苦手なのか?


「それはそうと、君こそこんな時間に一人で食事だなんて、珍しいじゃないか。何かあったのか?」


「ああ、大したことじゃ無えよ。ちょっと、鍛冶の方に顔を出してたらこんな時間になっちまったってだけだ。なに、一発良いのを貰っちまってな、兜が少し歪んじまったのさ」


 ああ……今日はエクトールさんが居たからな。これは、随分激しく扱かれたな。


「お前も、装備は余裕がある時に見てもらえよ。結構、無茶な戦いもしてんだろ? きっちり手入れしないと、肝心な時にがたが来ても知らねえぞ」


「ああ、そうだな。近い内に顔を出しておくよ」


 ……話をするのも程々に、俺も食事の用意をしなくては。何せ、ここには給仕など居ない、自分の食事は自分で用意するものなのだ。

 さて、それでは今日の献立は……おお、やった。豆を潰して揚げた奴があるぞ。これ好きなんだよなあ。なんだかんだ、ここで作られる食事にも慣れて、結構なんでも美味しく食べられるようになって来た。……ダフネさんや自分で用立てるものの方が美味しいと思うのは、変わらないが。


「――ええ、それで来月分の任務なのですが――」


 おや。戻ってみれば、エクレム以外の声がする。また一人、誰か来たらしい。

 この声は……。


「ええ? またあれですか隊長。俺に恨みでもあるんですか?」


「ある訳無いでしょう。ただ、貴方が適任だというだけの話です」


「ちぇっ、分かりましたよ……おう、アーダルベルト。隊長殿のお帰りだぞ」


 ああ、やはりエリオット隊長か。


「ん……アーダルベルト。君も今頃食事ですか」


「ええ。ちょっと、ローラン様との話が長くなりまして」


「……それは、気の毒に。あの書類、神官に渡せばよかったものを」


 妙に沈痛な面持ちで、目を伏せながら隊長はそう言った。

 どうしたんだ皆、確かにローラン様の話は色々と密度も圧も凄いが、そこそこ楽しいものではあるじゃないか。ロガノーの、あちらこちらに無秩序に飛び回る、ぐちゃぐちゃにかき回されたサラダのような会話とは比べ物にもならないんだぞ!

 ……それはそれとして、気になることを仰いましたね?


「え? 神官の人から、ローラン様に渡せと言われたのですが……」


「……ああ、それは。自分で持っていくのが少し嫌だったから、貴方に運ばせたのでしょうね」


 ローラン様、ちょっと人望無さすぎないか?

 あんまりなその言葉に、苦々しく誤魔化しの笑いを浮かべる。そんな表情を見て俺の思考を察したのか、隊長はばつが悪そうに肩を竦め、訂正というか擁護というか、まあ、そんな風なことを言いだす。


「貴方が言いたいことは良く分かりますが、ローラン様はあれで結構、慕われているのですよ。ただ、誰も話に付き合ってあげないというだけで」


「そうだぞ。俺も会話はそんなにしたくないけど、尊敬は普通にしてるぞ」


「そ、そう……」


 まあ確かに、何か有った時に、のらりくらりと場を納めてくれるローラン様に助けられたものは数多いと聞くし、それはそうか。

 ……そんな、普通に敬愛されてるのに、趣味の話は誰も付き合ってくれないのか。お、俺は時間があるときぐらいは付き合ってあげよう……。


「――ええ、それでアーダルベルト、話が有ります。きっと、聞けば喜ぶでしょう」


「え、まさか。やっと、あちらの方に?」


「ええ、そのまさかで合っていますよ。貴方に、新しい任務の話が有ります。

 ヴォルジュの古遺跡の調査任務が、ね」


 ……遂に、来たか。待ちに待ったぞ、その時を。


「ヴォルジュの古遺跡? あの、南の方に在る町の残骸ですか? 一体こいつに何をさせるんですか、隊長。……騎士が発掘でもするってんですか?」


 残骸て。仮にも遺跡なんだぞ、もうちょっと……こう、言い方があるだろう、言い方が。


「ああ、エクレム。いやなに、近頃凶賊の類も多いだろう? あそこは比較的ここ鉄都にもほど近いし、何か潜んでいたりしないか調査をしておいた方がいいんじゃないか、という訳でな」


「ほーん、成程な。確かに、一理ある。中々大切そうな任務じゃねえか。なあ隊長、俺も今からそっちの方に回してもらえたり――」


「駄目です。貴方以上に護送任務の適性を持つ者は居ないのですから、きちんと励みなさい」


 ああ、エクレムはまた護送の任務が割り当てられたのか。風貌や言動の武骨さとは裏腹に、彼はかなり気を回すほうだからな。確か、多くの事に気を払う分、護送は疲れるから嫌だと言っていたことも有ったか。


「……はい。でも隊長、俺もたまには何も考えないで賊を追い払うだけとか、そういう任務もしたいですよ。次こそは頼みます」


「何も考えないで出来る仕事など、きっとこの世にはありませんよ、エクレム。

 ですが、まあいいでしょう。取りあえず次は護送意外で考えておきます」


 ――二人の会話を後目に、あれこれと考える。

 食料や旅程についてや、遺跡調査の道具だとか、危険があった際に取るべき行動の想定など、事前に組み上げておくべき思考は多岐に亘る。

 そうだな、取りあえず。時間が空いたら鍛冶屋にでも行っておくか。装備の点検は大切だしな、本当に。


 *


「それで漸く、俺の所に来たという訳か。坊主」


「ああ。本当は、ラクァルに戻ってきたらすぐに顔を出そうと思っていたんだが、色々やっている内に、後回しにしてしまったんだ」


「馬鹿者め。武具の手入れを怠るようでは、ディディエのようにはなれんぞ。そら、見せてみろ」


 きん、と澄んだ、金属を打つ音に、灼けた鉄と、火花の匂い。騎士団内部にある鍛冶工房に、出向いていた。目の前に居る如何にも頑固そうな老人は、代々ここ征剣騎士団に仕えている鍛冶師であり、名をナグザスという。彼は俺が差し出した剣を見るなり、じろりとこちらを睨めつけて、言う。


「……お前、何か相当に硬い物へと無理やり叩き付けたな?」


「おお、凄いな。流石は老練の職人だ、ただ一目で分かるとは」


「何を斬った?」


「獣の頭蓋と、角を。首を振り回して叩き付けるのに合わせて、思い切り切り上げた」


「例の巨獣か、よく斬った。この刃、きちんと届いたのだろう?」


「ああ。確かに一度は殺した。まあ、その後甦ったりもしたが……」


「……そうか。甦る、というのは分からんが、とにかくよく生き残った。

 この剣に感謝しておけ。相当に、無理をしている。

 こいつが灰銀交じりで無ければ、疾うに折れていただろう」


 ナグザスは慈しむように、過酷な戦いを支え切った剣をそっと台の上に置き、鍛冶道具の準備をしながらそう言った。


「……ああ。よく磨いてやってるよ。

 そういえば、灰銀交じりって何なんだ? 合金か? 純灰銀とは、違うのか?」


 気になっていたことを、問う。灰銀。征剣騎士の象徴の一つとして世に広く語られているが、そう言えば、詳しくは知らないのだ。なんでも、加工するのに特殊な炉が必要だとか、これで作った武具は頑丈だとか。そんな程度しか聞いたことが無い。この剣だって、灰銀交じりだとは聞いていたが、それがどういう意味なのか、結局調べてもいなかった。


「戯け、純灰銀の剣なんぞ今の時代には、ほぼ無いわ。

 値が張り過ぎるわ、加工が大変な割には切れ味はそれなりにしかならんわで、あんな物を未だに使っているのはディディエぐらいだ。

 灰銀はな、そのまま使うより、他の鉱物に混ぜた方が良い物が出来るんだ。頑丈で、真っ直ぐ在りながら衝撃に折れず、見ていて恐ろしくなるような、底冷えするほど鋭利な業物となる」


「そうなのか。金属というのも色々だな。

 ……しかし、ディディエのあれ、純灰銀なのか。それであんな、異様に頑丈なんだな、あの剣」


「ほう、代々の騎士長へと継承されるあの大刃を、見たことがあるのか?」


 そんな、大層な代物だったのか? ……ん、でもあの時既にディディエは騎士長から降りていた筈だが。当代の下へと継承されていなければおかしいのではなかろうか。

 ……まあいいか。あまり込み入った事情に立ち入ることも無いだろう。


「ああ。ディディエに初めて会った時、巨獣の頭蓋を一撃でぶち抜いて斃してた」


「……お前たちは揃いも揃って、そんな無茶苦茶を……あいつの業を継ぐというのなら、お前も純灰銀の剣の方が良いのかもしれんな」


 余りにもこう、力強いというか、力任せというか。俺達の大胆な戦いぶりに、ナグザスは呆れているようだった。


「ええ? でも、切れ味は良いに越した事は無いんじゃあないか?」


「あいつの真似をしていたら、交じり程度ではその内折れるぞ」


 確かに、それは困るが。


「まあ、それはまた追々考えておくよ。とりあえず、次の任務……四日後までには武具の手入れを済ませて欲しいんだが、大丈夫かな」


「ふん、四日も有るなら、時間が余り過ぎて退屈になる方が心配だ。お前は何も気にせず過ごしているがいい」


「ふふ、分かったよ。いつも有難う、ナグザス」


「ふ……そら、話が済んだならさっさと行け。俺は孫の世話もしてやらにゃあいかんのだ」


「ははは、お爺ちゃんというのは忙しいものな。それじゃ、邪魔になる前に帰るとするよ。また後日――」


 *


「それでだ、ナグザス。ロヴリスとの国境で――」


 アーダルベルトが去った鍛冶工房に、男が二人。一人は、ここの主。如何にも頑固そうな、諸人が職人と聞き連想するそれがそのまま形となったような、鍛冶師ナグザス。もう一人は――――


「ああ。分かった、注文の通りに造っておこう。しかし、お前が直々に来るとは、どういう風の吹き回しだ? ……シルヴェストル。」


 よく手入れされた、緩く波打ち白髪の交じる落ち着いた色の金髪。疲労によるものなのか、妙に暗い眼。この神経質そうな顔つきの男こそ、征剣騎士団当代騎士長、シルヴェストル・オデュローその人であった。

 シルヴェストルは一度だけ自嘲的に笑い、重々しく口を開く。


「通りすがったから、ついでに用を済ませたというだけの事だ。

 ――そこの、剣と鎧は?」


「ああ。お前も知っているだろう、あのノアイユの坊主が手入れに出していったものだ。まだ騎士となって日も浅いというのに、もう傷だらけよ。件の獣との争いは、よほど激しかったと見える」


「そのようだな。よく、兵と二人だけで戦い抜いたものだ。

 やはり、あの人に見出されるだけの事は有るのだろうな。

 ……私とは、違って」


「お前はまた、そんなことを! ディディエはお前にだって、確かに目を掛けていたであろうに。全く、剣の継承を辞退した根性はあの日から変わっておらんな、シルヴェストル」


「ああ……私では、あの人にはなれぬのだよ、ナグザス。今私がこうして、いやしくも騎士長を務めているのも、あの人が降りたから出来た空席へと、偶々滑り込んだだけに過ぎぬのだ。なぜ私が偉大なる騎士長達が継いだ剣を、継承など出来ようものか。未だに私は、あの人や、あいつの足元にも及んではいないのだ……」


 シルヴェストルはそう言い終えると目を伏せ、黙りこくる。親に怒られるのが怖くて自分のしたことを言い出せない子供のような、言おうと思ったことをそのまま飲み干してしまう他は無くなって岩の如く静まり返るこの男に対し、ナグザスは呆れた様子を隠そうともしない。


「はあ、拗らせておるな、相変わらず」


 老鍛冶師は、溜息を吐く。


「……そんなに気になるなら、直に話をしに行けば良かろうに。

 シルヴェストル。お前、アーダルベルトの足取りを追ってきたのだな?

 ずっと気になっているのだろう、どうせ。あのように、半ば死人の如く虚ろに過ごしていたディディエが急に拾ってきて、あまつさえ養子にまでしてしまった、あの若者の事が。ディディエに、ああも再び人間らしい活気を取り戻させた、あの子の事が」


「…………」


「否定しないのは、時に肯定と同義だぞ。

 全く、何故ディディエの事になるとお前は、腹芸の一つも出来なくなるのだ?

 まあいい。とにかく、言っておくがな。あいつの事は別に、何も恐れる必要など有りはしない。本当に、気になるのならさっさと話しに行けばいい。あいつとて、お前の話なら喜んで聞くだろう。

 ……なあ? ディディエの一番弟子よ」


「よせ。

 ……よすんだ、ナグザス。遠い記憶へと呼びかけるのは」


「……お前は、本当に……」


 それきり、沈黙だけが場を支配する。二人の男はもう口を開く事も無く、共に窓から、遠く遠くへと目を遣るばかりだ。シルヴェストルの暗い眼は、ただただ、優美な貌をして佇み、全てを見守っている大きな神像だけを捉えている。その心境が如何なものであったのかを彼が誰かに語ることは、きっと永遠に有り得ないのだろう。


「…………」


 ナグザスは頭を振って、自分の仕事へと取り掛かる。シルヴェストルはそれに気づいているのかいないのか、未だ茫洋と表を眺めている。……外では、雨が降り出したようだった。

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