第二話 星をたずねて
ラクァル西区の外れ。
街の喧騒届かぬここで、人々の多くが住まう処からまるで自ら距離を置いたかのように、アステレ氏の屋敷が静かに佇んでいる。
意を決し荘厳な門を抜ける。足を一歩踏み入れると、薄らとした光がそれに呼応し浮かび上がって、やがて消えていった。
……よく分からないが、侵入者を感知するための仕掛けか何かだろうか?
草木の手入れをしている庭師を横目に歩を進める。
やがて門戸へと到る頃、屋敷の内からしっかりとした身なりの老紳士が姿を現した。
「ようこそお越しくださいました。ノアイユ家のアーダルベルト様。
私はアステレ様の執事、セドリックと申します。どうぞ、お見知りおきくだされば幸いでございます。
奥にて旦那様がお待ちです、どうぞお入りください」
「これは、ご丁重な出迎えを有難うございます。こちらは手土産にと持ってきたものですが、貴方にお預けした方がよろしいでしょうか?」
「いえ、それには及ばないでしょう。貴方の事は信用しても良いと、旦那様は仰せです。私どもが検める必要は有りますまい。
どうかお手ずから、旦那様にお渡し下さい」
二言、三言と交わした後は、互いに何を語るでもなく、屋敷の内を進んでゆく。
ノアイユ邸と比べると、当然だが働いている人員が多い。ちらと目につくだけでも七、八人ぐらいは居る。表に居た庭師や、部屋の内で仕事をしている者を含めたら、十五人ぐらいにはなるのだろうか?
……ううむ、分からない。普通はどれぐらい居るものなのだろうか。これに関して一つだけ、分かるものがあるとすれば、それは。
あの広さの屋敷を一人で手入れしているダフネさんは、やはり異常なのだということぐらいだろう。……そりゃあ俺の基準や感覚も曖昧になるさ、仕方ない。
ある一室の前で足を止めたセドリックさんが、恭しく戸を叩くと、言葉を待つことも無く、短く入室を許可する声が掛けられる。
主の許しを得たセドリックさんは、どうぞお入りください、と手を使って促した。
「失礼します」
ひと声かけノブをゆっくりと回し、扉を開く。
部屋の中には、肩までに整えられた薄い金の髪持つ紳士が穏やかに佇んでいる。彼は、窓から表を眺めていた。恐らくこの物静かな男性がアステレ氏なのだろう。
当然だが、彼は鎧兜も白い外套も纏っていなかった、品の良い貴種の平服を身に着けたその姿は俺にとっては初めて見るものであり、何だか新鮮だ。
本来は多くの人がそうして在るような、武具を纏わぬ姿こそが奇異なものとして映るというのはなんとも妙な話だが、兵士や騎士というものは、やはりそういう存在だろう。
「来たか、アーダルベルト」
緩やかな動作で、アステレ氏が振り返る。そして、俺の後ろに在るセドリックさんと言葉も無く視線を交わし、一度軽く頷いた。
セドリックさんは、それが示すことが全て分かっているようで、美しい所作で軽く礼をし、去ってゆく。それは、永い付き合いが齎すものなのだろうか。言葉も無く通じ合う関係というものには、少々憧れる。俺もやってみたい。
「アステレさん、先日は有難うございました。こちら、宜しければ受け取ってください」
「……済まんな、気を遣わせたか? おや、これは――木鼠工房の菓子か。有り難い。きっと、妻と娘も喜ぶだろう」
おお、快く受け取って貰えたぞ。とりあえずは一安心といった所か。……ところでアステレさんって結婚してたんですね、当たり前か。
「――さて。お前に、話が有ると聞かせたことは憶えているな?」
「ええ、確かに憶えています」
「うむ。愚問だったか。
実は今から十日ほど前……お前がラクァルを旅立つ位の日だな。フォストリクにて、我が国及びガルラームとの三国間で、昨今の情勢について、情報の共有が行われていたのだ。件の妖獣に悩まされているのは、我が国だけではないという事だ。
あと少し時期が前後していれば、お前を直に連れてゆき獣と対峙した情報を語らせたのだが……まあ、過ぎたことだ。
要は、お前にあの獣に関する所感を訊いて纏めておき、次の会談に向けての資料と用意しておきたいのだ。……頼めるか?」
なんと。ハイロキアより更に遠く、西方の大国たるガルラームにさえ、あの獣たちが姿を見せているのか? ……あんなものが、それほどまでに広く分布しているとは。どうにか食い止められるものならよいのだが。あんなものが世界中に姿を見せるような事になれば、世も末という他はない。
「ええ、無論です。世の為とあらば、是非に協力させてください」
そう快諾すると、アステレ氏はゆっくりと頷き、俺に当時の状況を、実際に戦いを経ての所感を語るように促すのであった――――
*
「……うむ、こんな所であろう。これ以上は、望めまい」
「お役に立てたのなら、良かったです。
……そうだ、アステレさん。少し、お訊きしたいことが有るのです。お時間等に問題はありませんか?」
気になることは、まあ幾つも有るのだが。アステレ氏が操る、ヴェルジュ家に伝わる星々の神秘だとか、獣のなれの果てを討ち払ったときに呟いた、"良くないもの"とやらについてだとか。だが、とりあえず、最も気になっているのは、ハイロキアへの旅路で遭遇したあの男の話だ。
「ああ。今日の予定は空けてある。気にすることなく、訊ねるがよい。私の知り得ることであらば、教えてやれるだろう」
「有難うございます。お訊きしたい事と言うのは、これに纏わる話なのです――」
あの時持ち帰った日記帳を差し出し、俺が見聞きしたものについて一通り話した。
「ふむ。確かにそれは、随分と奇妙な話だ。
乾いた男、幽鬼、紫紺の炎に血色の壁と、空間に開いた穴。そして、知られざる神の名、か……」
「どうにも、考えてもよく分からない事ばかりで。アステレさんなら、何か知っていないでしょうか?」
「……難しいな。私は確かに、古くからのものを人より多く知ってはいるが、全知の存在という訳では無い。簡潔に述べるならば、私とて、聞いたことが無いという他はない」
「そう、ですか……いえ、済みません。唐突にこのような、妙な話を聞かせてしまい」
「まあ待つのだ、アーダルベルト。確かに私はその疑問への答えを持っていないが、人は、自らの知らないものへの答えを求めて、誰かにそれを訊ねる事が出来るのだ。丁度、お前がそうしたようにな。お前は運が良い。今日は丁度、それを為すに相応しい形に、星が並んでいる――」
滔々と語り、アステレ氏は一枚の紙と筆とを取り出した。そして彼は、一度だけ指を弾く。すると、俄かに夜が訪れたかのように、部屋が薄暗く闇の帳に覆われてゆき、やがてそこに、穏やかに白く瞬く星の如き閃光が、規則だって並び始めた。
アステレ氏は紙に先ほどの疑問を、紙に問うかのように一つ一つ書き留めてゆく。やがてそれも終わる頃、一際強く光を放ち、ゆっくりと廻っていた光が、ぴたりと動きを止めた。そしてその光は輝く矢じりのように、降って来る。地に落ちるでもなく、空で燃え尽きる事も無く、ただそれはアステレさんが手にした筆へと溶け込んで、薄らとした光を宿させた。
アステレさんは、目を瞑り、身じろぎ一つせずに筆を手にした腕を動かしている。 紙には瞬く間に、疑問へと応じるように様々な言葉が書き連ねられてゆく。
「……さて。お前の期待に副えれば良いのだが。ふむ、これは……」
アステレさんと共に、幾つかに分けて書き留められた、その初めの一節に目を通す。
"ああ、ああ、レオナール。かわいそうな、哀れなきみよ!
全て全てを喪って、唆されて、墜ちてゆく! 愚かな愚かな、乾いたきみよ!
貴方の眼を焼いたのが、希望の光で灼いたのが、悪意のものだと覚れぬなんて。
ああ、ああ、レオナール、さようなら。……混沌の狭間に聞こえるのかしら?"
「こ、これは何ですか?」
妙に詩的と言うか、確かに色々な意味は有りそうなのだが、どうにも詳しく訊きたい所を丁度はぐらかすような文字列を見て、思わず口を開いた。
「……普段は、もう少し分かりやすいのだがな。
これは、一種の占いと言うべきか。星へとものを訊ね、返って来た言葉を書き留める術なのだが……これでは、役に立つかどうか」
紙と睨めっこしながら、アステレさんも何だか渋い顔をしている。
「うーん、とりあえず、あの男はレオナールという名で……全てを喪った後、悪意ある何かに唆され、道を踏み外し、混沌の狭間とやら……恐らくは、あの奇妙な穴に消えていったということなんでしょうか? 分からない……いや。とりあえず、全体を見てから考えましょうか」
"幽鬼、幽鬼、いい名前。心も持てない、がらんどう。
乾いた枯れ木のお友達、そこに在るけど生きてはいない、
風に吹かれて塵へと還る、ただそれだけの、がらんどう。
死の静寂が穢されて、神さまだって怒ってる"
"空に開いた、変な穴。小さな小さな、異界の窓。
触らなくて、よかったね。一方通行、行ったら最期。
この世ならざる不快な世界、お爺さんの居るところ。
神ならともかく、人じゃむり。ひっくり返って、死んじゃうよ"
"血の壁? 聞くまでも無いでしょ?"
曖昧模糊な表現に、俺たちは二人そろって首を傾げるほかは無かった。
というか最後のやつは何だ。急に雑になるな。
「……よく分からないですね」
「……よく分からんな。細かく見れば部分的に意味を理解できるものもあるが、結局全体を読み解くには、根本的に知識が足りていないのだろうな。
例えばそこ、"死の静寂"という言葉が出てきたところ。それで怒っているという神は、恐らく我らが血神の事であろう。ザリエラ様は紛れも無く戦いの神であり、その果て、命の終わりたる死もまた、彼女の領分だと言われている。ラクァルで葬儀が執り行われるときは、それに纏わる祈りの句が必ず含まれているものだ」
「……確かにタレルでも、葬儀に際する祈りには必ず、死、そのものへの言葉が有りました。死よ、大いなる死よ。あらゆる命を受け容れる、優しき森羅の揺り籠よ――」
「ほう。ここ鉄都で使われているのと、完全に同じ句だな、興味深い。こことタレル村では、人の交流は無いに等しいものであったと聞いているが、その句の由来は、相当に古いものなのかもしれんな」
「タレルの祖先が、他の人々と分かたれてあそこに暮らすようになる前から、ずっと同じ句が使われていたということなのでしょうか?」
「かもしれん。――さて、話を戻そう。それらの話を踏まえてその一節を見た所で、その幽鬼が生無くしかし生きるもの、死の静寂を冒涜するものであることは分かるが、結局の所それらが何故生まれたのか、何故件の男に従っていたのかは一切分からぬ。幽鬼とは如何なる存在であったのか、その由縁はどこに在ったのかと具体的に問うて、返ってきた答えがこれとは、まったく……」
アステレ氏は困った様に軽く俯き額を抑え、一度深く呼吸をした後、顔を上げた。
改めて、俺とアステレ氏は紙へと向き直る。ここに書き連ねられた謎多き言葉の内、俺達が一番気になっているのは、この一際に特異な、最後の一節だろう。
"紫紺の炎、揺れる混沌。聞こえなかったら、ごめんなさいね?
だってお爺さんったら、厳しいんだもの!
遠い遠い、はるかな時代。真なる神々ふたつの治世。混沌の――――
今はまだ、時に非ず。子よ、逸るなかれ。ただ待つがよい。
お前たちへの、狼藉と非礼の詫びは、その時に"
「……途中から筆跡も文体も全然違っていますね。まるで、途中から書き手が全く代わってしまったように」
「……うむ。最後の二行に、はっきりと星辰とは由来を異にする力を感じる。
遠い遠い、遥かな時代……混沌の――混沌の神、か? 星たちがお爺さんと呼んでいるのは、よもや太古の真なる神、混沌の者のことなのだろうか」
「この、狼藉と非礼の詫びとは一体何なのでしょう? 紫紺の炎と関係があるのなら、あの男……恐らくはレオナールという名の乾いた男が炎を放ってきたことを指し、狼藉と語っているのでしょうか? それに、この"子よ"というのは、俺達に語り教える星の事を指しているのか、訊ねた俺達の事を指しているのか……」
「はっきりとしたことは、何も分からん。ただ一つだけ有るとすれば、時が来れば分かるのかもしれぬ、という事ぐらいだ。……こんな所か。役に立てなくて悪かった」
如何にも申し訳なさそうに詫びの言葉を述べるアステレ氏に、慌てて言葉を返す。
「いえ、その様な事は。このような不思議な物事に触れることが出来、またとない経験となったこと、間違いありません。今日は、有難うございました」
「……うむ。
ああそうだ、アーダルベルトよ。ヴォルジュという、かつてラクァル領にあった町の事を知っているか?」
ヴォルジュ。はて、聞いたことが無い。村でも、ダフネさんの授業でも、一遍たりとも目にも耳にもしなかった。かつてあった、という事は、即ち――
「いえ、初めて聞きました。既に、滅んだ町なのですか?」
「ああ。もう何百年も昔、何の前触れも無く、一晩と経たぬ内に忽然と人々が消え去り滅んだのだという。お前の故郷とは状況が違うが、似通っている面もあろう。調べてみてはどうだ?」
やはり。前触れなく、瞬く間に滅び去った町……確かにそう聞くと、タレルの事を想起せざるを得ない。まさか我が故郷以外にも、その様な目に遭った集団が存在していようとは。この世界はどうなっているんだ? 大分、物騒すぎやしないか。
「はい。是非、そうします。暗闇の中に漸く、一条の光明が薄らと見えてきたような気持ちです。
俺の故郷が消えたのは、もう二年以上も前の話です。ずっと調べてきましたが、これまで何一つ、手がかりらしきものさえ得る事が叶いませんでした。これが、またとない好機となれば良いのですが。
……しかし、アステレさんはどこでその様な情報を? もしやそれも、星に訊ねたのですか?」
俺の問いに、アステレ氏は頭を振った。どうやら、そうでは無いらしい。
「いいや。星に問うてもみたのだが、お前の故郷については何も分からず終いだ。ヴォルジュに関しては、先日フォストリクへと赴いた際に、彼の地の有名な大図書館に立ち入る機会に恵まれてな。付き添いの魔術師と共に、色々当たっておいたのだ」
「なんと、俺の為に態々そのような……有難うございます、何と礼を述べればよいのか」
「良い。私も何かと調べ物をする必要がある立場でな。これは、既に山のようにある、調べるべき対象がたった一つ増えただけであり、最早、大して負担が増えるという訳でもないのだ。気になると言うのであれば、今日持って来てくれた手土産を、その礼の為に持ってきたのだと考えてしまえばいい――ぐ、ム――」
言い終えると同時に、アステレさんは二、三度咳き込んだ。そこまで酷い噎せ方ではないが、決して楽そうなものではない。
「大丈夫ですか? 体調が優れないので?」
「……ああいや、問題はない。もう、随分と冷えてきたからな。少し、空気が喉に障ったのだろう」
「確かに、近頃は木々の葉も随分と色づき、北方では既に降雪があったと聞いています。……どうか、お大事になさってください」
「ああ、気に留めておくとする。――さあ、そろそろ行くがよい。ヴォルジュの件、調べずには居れぬだろう? 場所等の諸々は、共に調査していたニカリウスの徒、ロガノーという男に聞くがよい」
え? 一緒に行った魔術師って、あの人だったのか? あのロガノーだよな? 同名の別人か? いやでも、ニカリウスの徒……要は魔術の協会に属するロガノーなんだし、あの人だよなあ。アステレさんに同行できるような伝手を持ってたのか、ロガノー。トゥワトゥワ言ってるだけじゃ無かったんだな。
「はい。何から何まで、有難うございます。これで、タレルに関する良いお話が出来るとよいのですが」
「うむ。お前に星辰の導きと、ザリエラ様のご加護が有らんことを――」
*
そんなこんなで、魔術師たちの集う塔、"ニカリウスの扉"、ラクァル支部まで赴き、既に面識のある魔術師ロガノーを訪ねたのだが……。
「なるほどなるほど、それでアーダルベルト君は我が元へ現れたという事ですな! こうして顔を合わせるのも随分と久方ぶりですが、また、背丈が伸びたのでは有りませんか? ええ、ええ、若者の成長のなんと早いものか。吾輩の若い頃を思い出しますなあ! あれはそう、今から二十余年も前のことでした――」
ああうん、こういう感じの奴だったよな、うん。
「あの、その話って長くなりそうですか?」
「はっは! アーダルベルト君も随分と吾輩の扱いに手慣れたものですな!
初めて会ったときは吾輩の果断なるイケイケ話術に押されるばかりであったというのに、まったく若者の成長とは……これさっきも言いましたかな?」
うーん、これは話が長くなりそうだ……。
*
ロガノーは俺へと向けて小一時間喋り倒した。
その勢いは嵐が齎した濁流の如きものであり、確かに彼の話自体はそこそこ面白いとは思うのだが……結構な早口で、本来求めていた有益な情報と下らない滑稽話、妙に含蓄のある人生哲学など、まあ多岐に及ぶものを延々と捲し立てられるのだ。
なんというか、疲れるのである。とても。必ず一定の速度で頁を捲らなければならないという掟のもと、無理やり複数の本を同時に読まされているような感じとでも言えばいいのか。うん。疲れた……。
「――それでですな、アーダルベルト君。吾輩は言ってやったのですよ。閣下、それはご自身の髭でございます、と! はっは!」
「ええ、はい。面白いですね。ところで俺たちは今、何の話をしていたんでしたっけ?」
「ふむ。ヴォルジュの町は遺跡として未だその姿を残している、という話ですが」
……何でそれがあんたの後援者の髭の話になってるんだよ……。
「とりあえず、一度整理しましょう。ヴォルジュの町は、ここ鉄都より南方に位置していたが、理由も分からぬままに住民の全てが消え、新たな入植者の現れる事も無く滅び去った。今ではただ、風雨と年月に曝された、かつての隆盛を偲ばせる遺跡のみがそこに佇んでいる、と」
要点だけ掻い摘んで話し直すと、なんとまあ、一分ほども時間を要さないではないか! 俺の一時間はなんだったんだ……。
「そうです、そうです。いやあ、素晴らしく簡潔に纏めましたな。吾輩は感動しましたぞ」
「俺としては、なぜたったこれだけの内容を説明するのに一時間も掛かるのかと疑問を抱かざるを得ないのですが」
「はっは! 眼差しが冷たいですぞ、アーダルベルト君!」
俺からの白眼視もどこ吹く風、全く我関せずと言ったふうに、この胡散臭い男は堂々と胸を張る。……魔術師より、詐欺師なんかの方が向いているんじゃないか?
「む、とんでもない、その様なこと。吾輩はこれまでもこれからも、ずっと潔白でございます。人を騙くらかすような真似など、とてもとても。胆の小さい吾輩には出来ようはずもありません」
俺は何も言っていないが。え? 口から出てたか?
「いえ、別に。言われ慣れておりますから、大体反応で分かるのですよ」
だから俺は何も言っていないんだが。思考と会話するのはやめてくれないか。魔術で読み取っている、なんて言うんじゃないだろうな。
「いやいや、魔術など使っておりませんよ。純粋な経験則が齎す、いわば老練な大人の技術というものですよ。こういう不思議さは、中々、魅力的でありしょう?」
「…………ああ、ええと。とりあえず、情報を有難うございました。
話はこれで済んだと言えますね、はい。今日の所はこれぐらいで失礼します、お疲れさまでした。縁があれば、また会う事も有るでしょう。さようなら」
「おおっと、そうお焦り召さるな、アーダルベルト君。
なんでもヴォルジュの遺跡には、少々不思議なものがあるようでしてな」
「なんでそれを説明する前に話があっちこっちに飛んでいくんですか……!?」
「いやあはは、済みませんな。どうにも、吾輩の舌は常に大回転しつづけなければならない定めを背負ってしまっているようで。――ともかくヴォルジュの遺跡には、未だ誰も扉を開ける事の出来ていない、石造りの不思議な建物が有るようなのですよ。遺跡が発見されてから、物好きな魔術師や学者たちがあれこれと試しているようなのですが、どうにもみな不発でしてな。どうです、如何にも調べる価値がありそうだとは思いませんか?」
「滅茶苦茶意味がある話じゃないですか! 何でこの話より先に昨日食べた昼食の鶏肉の焼き具合についての話が出て来たんですか!?」
思わず声を張り上げた。ロガノーは返事をする訳でもなく力強く微笑み、ただ黙って親指を立てた。どういう意味だそのサインは。俺にどんな反応を期待しているんだ?
「ええ、とりあえず今の吾輩が語れるのはこれぐらいですな。今度こそ家へと帰っても問題ありませんぞ、ええ。早めに戻り、ゆるりと休まれた方がよいのでは? 大分、お疲れのようですし……」
あんたが疲れさせたんだよ! なんなんだ本当に!
……帰ろう。今はただ、表の風に当たりたい……。
出口へと向かう。もはやロガノーの方を振り返る気力も無く、言葉も無く後ろへと手をはたつかせ挨拶代わりとし、入って来た扉へと手を掛けて――
「ああ、そういえば! 三辻のパン屋で新たに発売された、カエルの――」
帰ろう! 聞こえなかったふりをして!
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