第七話 今夜はゆるりと、話をしよう

 満天に、星が瞬いている。雲一つない快晴の夜空は、息を呑むほど美しい。今日は満月、眼も痛いほどに眩く輝き世界を照らし、夜とは思えぬぐらいに道の先までよく見える。

 ……見張りには、都合がいい。

 ちなみに今は兜を脱いでいる。こと見張りに於いては、視界の広さを確保したかったのだ。


 あれから、特に何事も起きる事無く、平穏に旅を続けていた。

 ハイロキアまで、きっとあと一日もかからないで到達するだろう。


 着いたら、イェニさんが取引するのを待ち、食料や水等の物資を補充し、また引き返すことになる。見立てでは四から六日ほどで到達するということで、ラクァルを発ってから、明日でまだ五日目だ。余裕もあることだし、一日の休憩を挟んだほうがいいかもしれない。


 俺に働かせまいと、今日までずっと見張りを二人でこなしていたマーシュとボドを休ませてやりたいし、そもそも民間人、俺たちとは体力が違うであろうイェニさんも、間違いなく疲労しているだろう。

 ……うん、やはり一日ぐらいはゆっくりと過ごしてもらおう。


「……や、アーダルベルト君。ちゃんと起きてる?」


 ――小声で、寝ていなければおかしいはずのイェニさんが話しかけてくる。夜はきちんと寝ておこうよ。


「イェニさん、寝付けないんですか?」


「うーん、まあそんなところかな。

 ……ところで、今イェニ"さん"って呼んだけど……本当は、言葉遣いももうちょっと偉そうにしないといけないんじゃないの?」


「う、ええと、多分そうなんですけど、どうしても前からの癖が抜けなくて……ま、まあ今は彼らも寝てますし」


「あはは、そもそも私と君じゃあ、そこまでは齢も変わらないんだし、あんまり気を遣わなくていいのになあ」


「五歳って、結構大きい差じゃないですか?」


「でも、ダフネさんやディディエ様と比べればそうでもないでしょ?」


 まあそれはそうだが。ディディエは今年で七十になるし……いや待て、ダフネさんは結局何歳なんだろう。最低でも三十年前からラクァルに居て、見た目は最初に来た時から二十歳ぐらい、少なくとも、齢五十は超えている計算になる。彼女の外見は、いつまでも若々しいだとかそういう次元のものではない。まるで、時の流れが彼女の事を忘れているかのように、本当にずっと、出会った時から何も変わっている気がしないのだ。


「ううむ……」


「ど、どうしたのそんなに考え込んじゃって」


「あ、いや、そういえばダフネさんが幾つなのか知らないなあ、って」


「あー……」


 そう声を漏らしたイェニさんは曖昧に笑い、何とも言えない時間が過ぎる。

 やがて俺たちはこの話題をとりあえず無かったことにして、話を続けるのであった。


 *


 言葉を交わす。互いに為すべき仕事も数多く、最近は忙しなく過ごしていたため、こうやって穏やかに語らうなど随分と久しい事で、尽きる事無く話題が溢れ、それらは皆、驚き、微笑み、郷愁と、様々な色の花を咲かせ、俺たちは大いに楽しんだ。


 そうして会話も一段落ついた頃、イェニさんがある物に気が付いた。


「ん……ねえ、アーダルベルト君。そういえば、その本ってなあに?」


「あ、これは……この間の男が持っていたんです。日記みたいなんですけど、何かの手掛かりになればと思って拾っておいたんですよ」


 忘れもしない、つい先日に、幽鬼の如き者を使役し、紫紺の炎を放ち、奇妙な穴に消えていった、乾いた男。彼が唯一手にしていた古びた日記が、いつの間にか転んでいた荷物袋から飛び出していたのだ。


「ああ、あの、ぼーっとした人たちが一杯居た時の。そんな物を持ってたんだねえ、その人は」


 得心がいったように、イェニさんは胸の前で軽く両手を合わせた。ぽん、という軽快な音が少しだけ、響く。


 その軽妙な音を耳にしながら、俺自身の内側にどうしようもなく後ろ向きな思いがある事に、気づいてしまった。

 そして、訊いてしまったのだ。訊くべきでも無いことを。誰に訊いても仕方のないような、ことを。


「――イェニさんは、怖くないんですか?」


 甘え、だったのだろう。本当に、訊いても仕方が無い。

 これは、優しいイェニさんに無駄に気を遣わせて、俺が聞きたいような言葉を言わせようとしているだけの、惰弱な振る舞いだ。


「……なにが?」


 イェニさんは、困惑するでもなく平然を保ち、穏やかに微笑みながらそう訊ねる。

 慌てて自分が言ったことを無かったことにしようとするが、言葉というものは姿無くとも、一度現れれば、容易く消えはしないのだ。


「あ、いや、その、何でも無いです、ごめんなさい」


「大丈夫だよ、聞かせてごらん?」


 ああ駄目だ、もう逃げられない。

 ……ええい、儘よ。


「――あんな、人型の何かに向かって、躊躇いも無く戦う俺のことが」


 即ち……人を殺す人が、怖くは無いのか? と。

 俺がそう絞り出すと、イェニさんは笑うでも困るでもなく少し考えたあと、真剣に俺と向き合った。


「ん~……戦い自体は怖いけど、でも、アーダルベルト君は怖くないよ。

 だって、君は私を心配してくれたし、あの時自分一人で様子を見てきたのだって、本当はマーシュさん達が心配だったから、っていうのもあるでしょ?

 君がそう考えてるの、分かるよ?」


 え、いや、別にそんなつもりは……つもりは……あれ?

 そう……考えている所は、少し、あったかもしれない……?


「な、なぜ……い、いや、あれは合理的な判断で――」


「ほんとに、それだけだったの? 今回の仕事は、飽くまで私と積荷の護衛でしょ?

 君が一番腕が立つんだから、君が護衛、マーシュさんが馭者として残って、ボドさんが斥候をした方が合理的じゃないの?」


 ……確かに、交易路の実地調査や、人員である兵士を守ることも間違いなく大切な任だが、今回の第一の目的は、イェニさんと薬、その原料を守り切ることだ。優先すべきものを間違えるな、とは、隊長からも言われている。


 あの時は、危険を完全に避けるなら俺が行くことが最善だと思いそうしたが、考えてみれば、あれで俺が死ぬようなことが有れば、ボドとマーシュだけが残され、危険な獣や賊の類に襲われた時、イェニさんに危機が迫る確率は高まるだろう。ボドとマーシュを侮る訳では無いが、件の妖獣は、ラクァル兵では対処するのは難しい程に凶暴だと聞いている。


 ……ああ、なんという事だ、言い逃れようが無い。


「う、そ、それは……」


「ほら。君は、誰かが傷つくより、自分が傷ついた方がいいと思ってる。

 じゃあ、君が怖いなんてこと、あるもんか。……たとえ君が人と戦って、それを……倒すんだとしても、私は、君に向かって怖いだなんて、言うもんか――――うん。あの時、皆のために戦ってくれて、ありがとう」


「……うん。俺、頑張ったよ」


「うん、本当に、頑張ったんだよ。すごいよ――」


 気づけば、イェニさんは俺を軽く抱き留め、頭を撫でている。


「あの、イェニさん、流石に恥ずかしいんだけど、その」


「ん~? いいじゃない、幾ら立派な騎士様だって言っても、まだまだ君は若いんだし。

 こうやって誰かに撫でられるって言うのは、小さい内にしか経験できないものだよ、今の内に堪能しておこう?」


 いう程小さくはないですよ、もう。年齢はまあ、まだ大人とは見られないかもしれないけど、もう身長は百六十半ばはあるのだ。イェニさんよりもう大きいんですよ?


 しかしその反論の言葉も、喉の奥へと飲み干される。

 イェニさんも、もうずっと幼い時分より親を亡くし、一人で生きて来たのだ。

 ……彼女が、最後に誰かから頭を撫でられたのは、いつの話なのだろう? この行動は、自らの境遇と俺を照らし合わせて、本当は自分が得たかったものを与えてくれているのではないか?


 そう思うと、気恥ずかしいからと無碍に拒むことは躊躇われ、暫く、子をあやすようなイェニさんの振る舞いを、受け容れていたのであった。


 *


 明くる日、俺たちはまた旅を再開し、それは何の障りも無く進んでいった。

 空は雲一つなく青々と晴れ渡り、穏やかに陽光差す中、朗々と鳥は歌い、そよ風に揺れる草木は戯れに踊っているかのようで。

 俺たちは、もう五日ほども旅をしていたにも係らず足取りも軽く道を往き、気づけば、ハイロキアは直ぐ傍に見えている。


「アーダルベルト様、いよいよ到着ですよ! いやあハイロキア、ラクァル程ではないにせよ、大きくて立派なものですねえ。

 俺はまだ行ったことが無かったから、見て回るのを楽しみにしてたんです!」


「マーシュ、お前は……仕事で来ているんだ、観光じゃないんだぞ」


 うきうきと弾むような声音で、楽しげに語るマーシュを、ボドが実に生真面目に咎める。

 この旅の中で、すっかりとお馴染みになった風景だ。


「ははは、まあ仕方ないだろう、俺だって楽しみにしているし。

 それに実際、予定から見ても一日ぐらいは余裕があるんだ、少しの観光ぐらいなら、問題無いさ」


「アーダルベルト様まで……まあ、貴方がそう仰るのでしたら、私も少しは羽を伸ばしてもいいかもしれませんね」


「ボド……酒は、次の日に残すんじゃないぞ」


 なんとも珍しい、マーシュがボドに釘を刺すとは。

 ボドはいかにもな堅物だが、酒には弱いのか? ちらと見れば、少々ばつが悪そうにしている。


「あはは……ボドさん、お酒にだらしないの? なんだか意外だなあ。

 ハイロキアはいろんな国の物が集まってるから、持ちきれないぐらい買い過ぎない様に気を付けないとね」


 そういえば、イェニさんはハイロキアに行ったことが有るんだよな。こっちの人との取引があるぐらいなんだし、それも当たり前か。


 俺たちがあれこれと語り合いながら門へと近づくと、番をしていた兵が言葉を掛けてくる。


「やあ、旅のお方! ようこそ、"文化の坩堝"、ハイロキアへ!

 ……これは、騎士様! 報せの通りですね、無事にご到着され、何よりです。」


「征剣騎士、黒位一剣。アーダルベルト・ノアイユ。護衛の任により出向いた次第である。照合を」


 俺もついこの間までよく知らなかったのだが、白位、灰位、黒位、それぞれに分けられた階級のうちにも、さらに三つばかり階層が存在している。

 一剣、二剣、三剣と呼ばれているそれは、左に付けられた肩当てに刻まれた剣の紋章で判別でき、数が多いほど階級が高くなることを示すのだ。


「おお、貴男が……ええ、確かにノアイユ家の紋章ですね。ここハイロキアでも、お噂はかねがね伺っていましたよ。

 あのディディエ様が、跡継ぎを連れて来られるとは……感慨深いものです」


 え、噂になってるのか、俺。

 ……いや、俺と言うかノアイユ家への関心なのかな。どちらにせよ、変な風に注目されていそうでちょっと嫌だなあ。


「そ、そうか。……ところで、報せとは? 早馬の類は特に出ていなかったと思うが、何が俺たちの存在を伝えたんだ?」


「あ、まだ御存じでは無かったのですね。鉄都と他の都市は、互いに鳥を使って連絡しあっているのですよ。

 この辺ではジハコビドリなんて呼ばれている、可愛い奴らが居るんです。見ていかれますか?」


 ん……そう言えば教わったっけな。確か、ラクァル領の各都市間の伝達には鳥が使われる事も多く、書類の偽造を防ぐため、各家ごとに、紋章を透かし彫る職人が抱えられている、なんて言っていた気がする。

 ……気になる。気になるが、今やるべきことではないな。


「それは大変興味深いが、とりあえず今は皆を休ませたい。通っても、問題ないな?」


「勿論です。それでは是非、この大陸で最も活気があるとさえ謳われる、ハイロキアの喧噪を楽しんでくださいね!」


「ああ。是非そうさせて貰うよ。お勤め、ご苦労様」


 分厚い門が開くと、既に遠くから微かに聞こえてくる音がある。

 それは人の行き交う音であり、口々に何かを語らう声なのだろう。


 ……文化の坩堝。

 ガルラームやフォストリクといった他国から流れて来た人々も多く存在するここハイロキアは、様々な国の文化が混じり合った、鉄都とは一味も二味も違うものばかりらしい。

 考えるほどに、俄然楽しみになって来た。遊びで来た訳では無いのに、こんなに浮ついていていいのだろうか。多分よくない。

 だが、足を一歩進めるごとにどんどんと強くなる人々の賑わいは、否応無しに胸を高鳴らせるに足るものだ。


「そういえばアーダルベルト様は、今夜は如何されるのですか?」


 歩を進めながら、ボドが俺へと問いかける。


「如何、とは?」


 寝るつもりではあるが。

 ボドは多分、そういう事を聞きたい訳では無いのであろう事は分かるのだが、今一要領を得ない。素直に聞き返すと、ボドは具体的に問い直してくれた。


「我らと同じ宿に泊まるのか、という話です。駐屯地の方に泊まられるのかな、と思いまして」


 当然ながら、ここハイロキアにも騎士団の拠点は存在する。

 ラクァルという国家を事実上維持しているのが騎士団であるのだから、各都市にその人員が配されているのは語るまでも無い。


「ん……いや、君たちと同じ場所に居る方が好ましいだろう。

 幾らここが都市の内部だとはいえ、何の危険も無いと気を抜いては居られない。

 少なくとも昼はともかく、夜の間はあまり離れるつもりは無いよ。息苦しいかもしれないが、我慢してくれ」


 やや慎重に過ぎる気がしないでもないが、念を入れるに越したこともない。

 門を越えて危険な獣が入り込むようなことが、絶対に起こり得ないと断ずることも出来ぬのだし。

 何かが起こる前に、起きても良いように備えておけば、後から辛い思いをしないで済む。


「息苦しいなど、そのようなこと!

 その様に気に掛けて頂けることに感謝は有れど、疎むようなことは有り得ません」


「そうか? それならいいんだが」


「うーん、二人とも真面目だなあ。……あ、見えて来たよ、あそこあそこ。あの看板、見えるでしょ?

 あそこが今日泊まる予定の"頬張る山猫亭"だよ。部屋が空いてると良いけど」


 隣を歩いているイェニさんが、俺とボドの様子を見て何やら苦笑し、指を差しながらそう言った。

 その先には、妙にずんぐりしたヤマネコがフォークを持って満面の笑みを湛えている、木の看板が下がった建物がある。

 ……味わい深い絵だ。


「何となく分かると思うけど、女将さんの料理が自慢の良い宿でねー、

 お布団はちょっと硬めだけど、パンはいつでもふかふかなんだよ」


 おお、それは楽しみだなあ。ふかふかのパンは良いものだ。

 ……俺もパン作りをやってみたいなあ。ラクァルに戻ったらパン屋のおじさんに訊いてみるか……。


 *


「――おやまあ、騎士様のお口に合うようなものをお出しできるかねえ」


 白い三角の頭巾を付けた、恰幅のいい女将さんが頬に手を添えながらそう言うと、

それを受けてイェニさんが笑いながら言葉を返す。


「ああ、それなら大丈夫だよ。アーダルベルトく――さんは、私の薬草サンドだって美味しく食べられるからね。

 ちゃんと食べものなら問題ないよ。たぶん」


 薬草サンド。前からちょこちょこイェニさんの店で買っていた軽食だ。俺は結構好きなのだが、売れ行きはあまり芳しくないらしい。

 ……というかその言い方、自分でもそんなに美味しいとは思ってないんですか?


「え? あ、あれをかい? ……じゃあ大丈夫みたいだね、ちょっと安心したよ。

 でも最近の騎士様はすごいねえ。あれを美味しく……美味しくねえ……」


 何ですか女将さんその目は。


「あの、アーダルベルト様。薬草サンドって何です……?」


 恐る恐るといった風に、マーシュが訊ねてくる。


「ん……なんだ、マーシュは興味が有るのか? 気になるなら、イェニにの店で買ってみるといい。

 薬草で漬け込んだ肉を焼いてほぐした具が、薬草の葉と一緒にたっぷり挟まった、特製の――」


「いやー俺にはちょっと早そうですね、うん」


 妙に引きつった笑みを浮かべ、マーシュがそそくさと退いていく。あまり薬草の類が好みでは無かったのだろうなあ。まあ実際、癖が強いことは否定できないから仕方ない。……俺は好きなんだけどな。


「そうか?」


「いや、ハハハ……」


 言葉を濁し、曖昧に笑うマーシュ。

 一方のボドは、女将さんの後ろに見える棚に並べられた、色とりどりの酒瓶に心奪われている。……本当に好きなのだろう。念のため、釘は差しておこうか。


「ボド」


「え? は、はい」


「明後日にはまた出立になる。その時までには、酒気は抜いておくように。分かっているな?」


「も、勿論です。このボド、決して二日酔いのまま職務に当たるような真似は、二度とせぬと誓ったのですから!」


 うん? 二度と? 本当に、少なくとも一回はその経験があるのか?

 ……ま、まあ良いだろう。本人がこう語っているのだ、無茶はすまい。


*


「そういえば、ずっと気になってたんだけどさ」


「え? 何ですか、イェニさん」


 宿屋の一室。

 俺たちは部屋を三つほど……俺の分、イェニさんの分、マーシュとボド達の分として借り、女将さん自慢の夕餉をすっかり平らげた後それぞれにのんびりと過ごしていたのだが、明日の予定に関する話をするとか、単純に少しお喋りでもしたいな、だとかそういった感じで、イェニさんは俺の部屋に訪れていた。

 そんなこんなで、他愛も無い話を繰り広げていたイェニさんが、改まって俺に問う。


「その……首飾り。最初に逢った時から、ずっと付けてるよね。大切なものなの?」


「あ、これですか? 実はそうなんですよ。何でも、お守りらしくて」


 そう言われ、紐を引いて見えやすいように持ち上げた。

 首飾りに嵌められた、限りなく透明な色をした不思議な石が、灯りを受けて穏やかに煌く。


「昔……もう、自分では朧げにしか覚えて無いぐらい小さかった頃に、母が直接渡してくれたんです。

 なんでも、ご先祖様から代々伝わっているような、とても稀少で珍しい石を使っているんだとかなんとか……。

 今から思えば、そんなに歴史ある大切なものを、あんな小さな子供に持たせるなんて、随分勇気があるなあと思っちゃいますね」


「ふふ、じゃあ君のお母さんは、その稀少な石よりも君の方が大切だったんだね」


「自分で言うと変な感じがするけど、きっと、そうだったんでしょうね――」


 ……必ず。必ず、タレルの皆を見つけ出す。

 人居らぬ森の中、初めてそう誓った日も、もう気づけばずっと遠く。

 だが、俺の心は曇りなく、あの日に感じたものを、未だ鮮明に憶えている。所在は疎か、命の有無さえも分からない彼らに、それでも生きていて欲しいと願った、あの気持ちを。


 ラクァルでの暮らしにすっかり慣れてしまった俺には。

 ノアイユの家名に連なる騎士として、人の世の為に力を尽くすことを責と持つ俺には……たとえ皆を見つけたとて、かつての如く共に過ごすことは、きっともう叶わないけれど。


 それでも、彼らがきっと幸せであれるようにと、願う事をやめることは、出来そうにない。これが、運命に恵まれた者の傲慢に過ぎないと謗られても、構わない。


 俺は……俺は、村で皆と過ごした日々を、忘れない。

 あの、楽しさと苦しさの全てを分かち合った日々を、忘れない――


「昔のこと、考えてる?」


 急に黙ってしまった俺を、穏やかに微笑みながら覗きこんで、イェニさんはそう訊ねた。


「……分かります?」


「分かるよ。だって今、遠いところを見てたもん、君」


 そういうものなのだろうか。そういうものなんだろうな。ディディエが昔のことを語る時、よくそんな顔をするし。


「あはは……いや、すみません、どうも、感傷的になってしまって」


「別に謝ることは無いよ。……だって、家族の事を想うのは、きっと、悪いことじゃあないでしょ?」


「そう、ですね。俺も、そう思います。うん。悪いなんて、あるもんか」


「ふふ……ねえ、昔のこと、聞いていいかな? アーダルベルト君がどう過ごしてたのか、聴いてみたいな。

 ね、私も話すからさ。いいでしょ?」


「もちろん。俺の話で良ければ、喜んでしますよ。

 ……そうだな、何がいいかな。やっぱりまずは、父さんと母さんの話にしましょうか――――」


 夜が、更けてゆく。

 太陽さえもすっかり眠りにつくような時間となってもハイロキアが静けさに包まれることは無く、人々の喧騒は、それぞれの住居や酒場へと舞台を移し、未だ健在である。


 俺たちは、微かに階下から響いてくる、未だ酒を飲み楽しんでいるのであろうボドやマーシュ達の楽しげな声を聞きながら、互いの昔語りに耳を傾けるのであった――


 *


「それでね、父さんってばあのとき調合を間違えて、部屋を爆破しちゃってねえ」


「ば、爆破……?」


 薬師の日常、思ったより刺激的だな……。

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