第八話 文化の坩堝 Ⅰ

 明くる日。

 目覚めて直ぐに日課である部屋の中で出来る軽い運動をこなし、一階の方へと起き出して、驚いた。


「ボ、ボド……」


 あの生真面目なボドが、カウンターで突っ伏している。

 衣服も装備もそのままに幸せそうに寝息を立てているが、きっと起きた後は節々の痛みに苛まれる事だろう。

 椅子と机は、寝るための場所では無い。況してや鎧兜さえ脱がずにそのまま寝ているなんて……。


「あら、騎士様! お早いお目覚めねえ」


 俺が突っ伏す男に目を奪われていると、厨房の方から女将さんが現れて、元気に挨拶の言葉を投げかける。


「これは、女将さん。貴女の方こそ、こんな早朝から働いていたとは。

 ……ところで、そこの者は……」


「ああ、ボドさん! 寝るなら部屋に行った方がいいって、あんなに言ったのに!」


「……俺の部下が、申し訳ない。何か、多大な迷惑をかけたりはしていなかったか?」


「あらまあ、別に大丈夫ですよ、酔っ払いの一人や二人がこうやって潰れてても、まだ可愛いもんですから!

 吐いたり暴れたりはしてないし、お行儀よく騒いでるだけでしたからねえ」


 お行儀よく騒ぐとは、一体……。

 しかしこの貫禄だ、女将さんもきっと、俺の知らぬような様々な修羅場を潜り抜けているのだろうなあ。


「そういえば、皆さん今夜もお泊りになられるって話だけど、今日は何かするんですか?」


「ん……ああ。皆、旅の疲れもあるだろうから、一日ゆっくりと過ごす予定なんだ。

 折角だから、ハイロキアを少し見て廻ろうかとも思っている。何か、いいものを知らないか?

 家族への土産の一つも、用意したいんだ」


「ええ、ええ、もちろん色々知ってますよ、なんたって、宿の女将ってのはそういうものですから!

 この街で一番安くて美味しい異国の串焼きのお店、旅芸人の集まる賑やかな通り、猫のたまり場、かのフォストリクの大図書館から認可された特別な写本を扱う書店まで、どんなことでも知ってますとも!」


 おお、何だか色々出て来たぞ。流石、多くの旅人が訪れる宿を切り盛りしているだけはあるなあ。

 ……ところで、どんな町にも猫がたくさん居る秘密の場所があるものなのだろうか。


「それは頼もしい。そうだな。まず、イェニが取引先の商人……確かヒューゴーと言ったか。その者の所へ顔を出すらしいから、そちらの方面で、何か良い場所はあるかな? 確か、南西の方に店を構えているとか――」


「ああ、ヒューゴーさんの所! ええ、ええ、知ってるから大丈夫ですよ!

 うーん、そうだねえ、あっちの区画と言えば、やっぱり市場でしょう! 

 青果に魚、畜産物のあれこれに、舶来品の珍しい香辛料まで何でも揃う国最大の市場、麗しき世界の台所、"メルムの大皿"!

 こんな名前だけど食べ物以外だって山ほどあるんですから、綺麗な装飾品に異国のお守り、何に使うか分からない道具だって!」


 へえー……そんな名前が付いているのか。文献では、大きな市場があるとしか書かれていなかったな。

 しかし、メルムか。何度か耳にしたことが有る。とにかく世界中を広く旅して廻り、各地で物々交換をしながら進み続け、文化や農作物の行き来に絶大な影響を及ぼしたという伝説的な人物だったな。彼が何故、旅を始めたのかは、今でも議論されているらしいが。


「メルム? あの、古い時代の冒険家から名前を?」


「おや、お詳しいんですねえ、さすが騎士様。

 ええ、そうです。かつて世界中の美食を追い求め、あらゆるものを持ち帰ったという、あのメルムです」


 そ、そのメルム美食家説は……特に根拠も無く、だが、何故か妙な説得力と納得感がある、あの珍説か。俺も、嫌いではない。


「――へえ、面白いなあ。私は恋人に素敵な贈り物をしようと思って探しに行った、って聞いたことがあるよ」


 イェニさん、いつの間にここへ?

 そしてその話は、恋多きメルム説か。吟遊詩人の物語としては一番人気がある、あれだな。


「おや、それも素敵な話だねえ! いいじゃないか、うちの亭主みたいでさ」


「あ、女将さんまたあの話するの? あの、旦那さんがふらっと消えたと思ったら、急に――」


「そうそう、両手一杯に花と宝石を抱えて戻って来て、あんた、宝石なんてどこから持ってきたの、って聞いたら、"爺さんの山で掘って来た。お前にやる。結婚してくれ"なんて、もう、何をしてるんだか本当にねえ」


 そう言って女将さんは笑い声を上げた。すると、裏の方からどたどたと誰かが慌ただしくやって来る。

 足音の主は、いかにも気難しそうな顔をした、壮年の男性で――


「お前、またあの話を人に聞かせて……!」


 どうやら、件の亭主殿であるらしかった。

 照れなのか、顔はすっかり紅潮し、まるで熟れたリンゴみたいだ。


「あら、いいじゃないの、別に誰に何回聞かせたって。だって、あたしの人生で最高の思い出なんだから、そりゃあ語りもするわよ」


「お、お前……うむぅ……」


 それ以上何か言い返すことも出来ず、亭主は岩の様に口を噤む。

 暫くじっと何かを考えていたようだったが、やがて一度だけ決心したように頷くと、女将さんの手を取り、奥の方へと連れて行ってしまった。


「うーん、素敵な夫婦だねえ。……これ以上ここに居たらお邪魔かな? そろそろ行こう、アーダルベルト君」


「そうですねえ……行きましょうか、うん」


 *


 商人、ヒューゴーの元への顔出しを手短に終えたイェニさんと、逸る気持ちを抑えながら道を往く。


 祭りでもないのに人に溢れ、賑わう通りを抜けた先。

 現れた象徴的な大門の向こうには、伝え聞いた通りの大市場が広がっている。

 活気に満ちた人々の喧騒、馬鹿話に笑う声。その中に少しだけ混じった怒声は、しかし衛兵により直ぐさま鎮められたようだ。


 見渡す限りの、見知った物、名を聞いたとて、それが何に使うのかも分からぬであろう物。

 あらゆるものが、それを欲するあらゆる人を、待っている。混沌とした熱気に満ちたこの場は、万物に開かれているのだ。


「わあ……!」


「いやあ、来たのは二回目だけど、相変わらずだなあ、ここ」


 感嘆。思わず声が零れるほどの生命の蠢動を前にして思わずたじろぎそうになるが、何とか堪えた。


「文化の坩堝、なんていう謳い文句は本当に、伊達じゃあないんですねえ。

 うわあ、なんだろうあれ、見たこと無い鳥が売ってる……あ! あっちの土人形は、もしかしてマク・キシカの――」


「ほらほら、落ち着いて落ち着いて。こんなに広いんだから、最初からはしゃぎすぎると疲れちゃうよ。

 それに、注意しないとすぐはぐれちゃうよ。……手とか繋いでおく?」


「確かに! すみません、楽しくなっちゃって。……手は……流石に子供という程でもないし、やめておきましょう。

 取りあえず、はぐれてしまった時に備えて、集合場所だけは決めておきましょうか」


 俺の言葉を受けてやや考え込んだ後、ある一方を指し示しながらイェニさんが語る。


「――うん、そうだね。じゃあ、あっちに大きな噴水があるから、もしはぐれたら、そこで落ち合おっか」


 *


「やあ! いらっしゃいいらっしゃい、今ならガルラームの光輪教会謹製の、特別な聖印が安くなってるよ!」


「よう、そこのお兄さんたち! 流行りの音楽を聴いてみないかい、ほら、この箱の取っ手をくるくる回すと、あら不思議! 曲が勝手に流れ出すんだ、凄いだろう? 今なら大銀貨一枚で買えちゃうよ、どうだい?」


「おう、兄ちゃん姉ちゃん、俺を見ていってくれ! この、素晴らしい肉体美を! この鍛練用の重りな、本当に最高なんだよ――――」


 ちょ、ちょっと、続けて一気に話しかけるのはやめてくれないか! なんたる熱量、なんたる商魂の逞しさだ。というか最後の奴は何だよ。

 一歩進むごとに、違う店から呼び止められ、全く違う商品を売り込まれてゆく。

 全く奇異な道具から、そもそも物ではない、占いや物語の読み聞かせの類まで、何もかもが俺へと向かって我先にと手を伸ばす。

 ……多分、俺が金を持っていそうな気配を敏感に感じ取っているのだろうなあ。


「あっはっは、気を付けなくちゃね。熱に中てられて、欲しくも無いものを買っても仕方が無いからね。

 私が初めて来たときは……うん、あまり思い返したくないかな。油断すると、家の倉庫に変な物を山積みすることになるよ」


 笑いながらイェニさんはそう語る。だが、遠くを見る彼女の目は、あまり笑っているようには見えない。……色々な事があったのだろうなあ。俺も、こうやって制止されることが無かったらどうなっていたのだろうか?


「う、うん。何を買うかは、よく考えてから決めるよ、うん」


「――もし、もし、そこなる若子らよ」


 唐突な、俺たちを呼び止める落ち着いた声が、この熱気と喧噪の間を縫って届いた。その飽くまで穏やかで静謐な声音は、しかし確かな存在感を以て、人々の騒めきに掻き消える事も無く、不思議にも凛と通って来る。

 声の方に目を遣れば、目深にフードを被った、どれほどの年月を過ごしたのかさえも分からぬ、皺だらけな褐色の肌の、古木の如き老人が居た。数多の店立ち並ぶ中、一際、異質な暗き庵。入り口を除き、垂れ幕にすっかり覆われ薄暗くなっている店の中から、俺たちへと呼びかけている。

 その下に向かい、庵の中へと足を踏み入れると、周囲の喧騒が嘘のように、静けささえも感じるほどであった。この感覚は……まるで、騎士団の大聖殿に足を踏み入れたときに、少し似ている感じがする。


「貴方は?」


「私は、一介の占い師でございます。数奇な命運の糸条が貴方がたに見えましたが故、こうして無粋にも、貴方たちの語らいに割り込んでしまった次第です。非礼を、どうか赦されよ」


「占い……」


「ええ、占いです。お代は、要りません。どうか、聴いていって下され。きっと、どこかで意味を持つ事でしょう」


 老人の言葉を受け、イェニさんが訝しむ。


「うーん、無償でいいって言われると、かえって怪しく感じちゃうなあ」


「……ふむ、人の世とは、難しいものですな。では……ええと、申し訳ない、あまり通貨に明るくない故具体的な金額は分からぬのですが……。

 この老人の、昼食の足しにでもなる程度の代金を頂くということならば、如何でしょう?」


 何とも、浮世離れした物言いだ。

 奇人揃いの魔術師連中にも優るほど、その言動は人の社会のなかに在っては奇異なものだろう。

 それが果たして、占い師としての自らを着飾るための演出なのか、或いは本心、そうであるのか。少々気にはなるところは有るが、まあ、それはそれとして――


「それぐらいなら、別にいいかな。占い、村の物知り婆さんがたまにやってるのを見てたから、ちょっと興味が有るよ」


 マルゴー婆さんの事を、思い出していた。

 あの人は、村で失せ物が出た時や、来年の作物の収量についてなど、村の者に乞われては面倒くさそうに、何やら煙を使って様々占い、そして、その占いは実によく、未来や過去を見通すかのように、問うたものを指し示した。だから占いには、少し馴染みがあるのだ。


「まあ、君がそう言うならいっか。それじゃあ占い師さん、私もお願いしちゃおうかな。お代は先払いがいい?」


 そう問い、腰に据え付けた荷物袋から財布を取り出そうとするイェニさんを、老人は一先ず止める。


「お気遣いめさるな。占いを聴いて、その価値があると思ったら払ってくださればよろしい」


 そう言いながら、老人は山と積まれたカードを指で差す。

 俄かに、薄ぼんやりとした光がカードを覆い、やおら中空へと音も無く浮かび上がる。……魔術の類だろうか?


 次の瞬間、カードの山は辺りに四散する。その一枚一枚がか細い光の糸で繋がれて、まるで、星々を結び形と意味を見出す、星座のようであった。

 二度、三度、一息に空中に散らばるカード全てが纏めて動き、その配列が目まぐるしく移ろっていく。

 何度そうしたかも分からなくなったころ、カード同士を繋ぐ光の糸が一際強く輝いて、カード達はまた、老人の手元へと集まって、山となった。

 老人は、徐にそれを手にし、机の上に弧を描くように、静かに並べた。


「一枚、どうぞ」


 老人は俺に向けて、そう言った。言われるがままに、弧の中から一枚だけ、カードを選び取る。

 ……それにしても、不思議な模様だ。星瞬く夜空に、幾つもの環が絡み合うかのような、見たことの無い意匠。

 捲ってみれば、全く不可解な事に、何の絵柄も存在しない。文字の一つも、数字でさえも、一切。何一つない、黒一色。


「……?」


 困惑する俺を他所に、老人はイェニさんにも促す。


「貴方は、二枚。どうぞ」


 言葉も無く頷いて、イェニさんは二枚ほど、カードを選ぶ。


「何も描かれてないけど……?」


「――む、済みません。その子たちは、人々に見られることに慣れておりませんでな。

 度々そのように、恥ずかしがっては顔を隠してしまうのです。――ほら、お前たち。お客人に、示すのだ」


 老人の言葉に呼応するかのように、俺とイェニさんが手に持つカードが、淡く光る。

 ――見る間に、黒く染まったところから、ゆっくりと絵が浮かび上がってくる。


「…………」


 剣を持った女性と、跪く騎士。

 背景、暗い夜空には月が浮かび、その輝きに後ろから覆われた女性の顔は、抜け落ちたかのように描かれていなかった。


「これは?」


「……ふむ。貴方には、特に言うべきことも無いようです。

 私が何を語るまでも無く、きっと貴方は、意志のままに望むままに、進み、道を選ぶのでしょう。

 それは、古い女神と、彼女の騎士のカードであり、貴方が既に彼女から剣を得ていることを明示しています。

 敢然たるその剣は、あらゆる悪意ある干渉を退けるとされているのですよ」


「うーん、良く分からない」


「あのー、私の方は……」


 イェニさんが手にしていたカード、俺や老人にも良く見えるように差し出されたそれは、それぞれに一人の女性が描かれている。

 一つ、多くの人々へと向かい、笑いながら手を振る姿。

 もう一つは暗い闇の中、一条の光へ向かい、決然と歩を進める姿。

 それらは不思議な事に、背中合わせで同じ人物が描かれていた。


「……ああ。やはり貴女には、複数の道が有るようです。その絵に示されたままに、二つ。

 一つは、何の不安もなく、怖れも無く、望むがままに、人の多くが夢と擁く幸せを得る、平穏の道。

 一つは、暗く、先行きも分からず、しかし、遠く、か細く見える希望の光を求め往く、艱難の旅路。

 そして、実に幸福な事に、貴女には、選び取る自由もまた、有る。

 何れの道を往かんとしても、貴女は、きっと目的を果たすことが叶うでしょう。

 だから、選ぶことを恐れてはなりません。貴女の決意は、きっと祝福されるに相応しいものです」


「……うーん?」


 首を傾げる俺たちを見て苦笑しながら、穏やかな声で老人は語る。


「……ははは、曖昧で、模糊として、意味があるやら無いのやら。疑問と抱くぐらいで、占いは丁度いいのですよ。

 誰かのそれらしい言葉に人生を縛り付けられても、面白くないでしょう?

 結局、道を選択するのは何時だって自分自身であり、貴方たちは、それを十分に成せる力が有る。何より強き、意志が有る。

 とどの詰まりは、思うがままに生きればよい、というだけの話です。平々凡々な結論で、がっかりされたかもしれませんな」


「いや、面白かったよ。面白いと表現するのが、相応しいのかは分からないけれど」


「それならば、良かった。お嬢さんは、如何でしたかな?」


「うん、まだちょっとよく分からないけど、とりあえず自分のしたいことをしようかな、とは思ったよ」


「ええ、ええ、それで良いのです。どの道を往こうとも、きっと、誰かが微笑んでくださるものです。

 そのカードは、差し上げましょう。貴方たちがそれに示された道を歩もうと、そこから外れようとも、その子たちは、きっとそれを祝福してくれる……まあ、お守りのようなものですな。無論、要らぬというのであれば、無理強いはしませんが」


 俺たちは、思わずカードを眺める。

 絵は、消えることも無く、静かに神秘を湛えていた。


「そういうことなら、貰っておくよ、有難う。……そうだ、お代は……二人分で、これぐらいかな?」


 懐から財布を取りだし、大銀貨を二枚ほど摘まみあげ、老人の下へと差し出した。昼食代としては豪勢すぎるぐらいだが、お守りのカードまで貰ったのだから、まあこれぐらいが妥当だろう。


 イェニさんが驚きのあまり言葉も無く、目を丸くしてこちらを見ている。後で必ず説明しよう、必ず。

 ……俺は、別に金遣いが滅茶苦茶だという訳では無い。無いんだよ。絶対勘違いしてるでしょう?


「ええ、有難うございます。……どうしました、お嬢さん」


「えっ、あ、いや、なんでもないですよ。うん」


 そ、そんなに狼狽しなくても……。


「とにかく、今日は有難う。楽しかったよ。そうだ、貴方の名前を聞いてもいいかな?

 土産話に誰かに語るのに、名前ぐらいは知っておきたいんだ」


「ふむ。こんな老人の名で良ければ、幾らでも。私は、サイエラ。

 もうずっと古い時代から、占いばかりをしておりました」


 少々、変わった名前だ。ザリエラ神の捩りのようにも思えるが。ご両親が血神の信仰者だったのだろうか?


「そうか、覚えておくよ、サイエラさん。また会うことが有れば、その時も、占って貰うとするよ」


「ふふ……それは、有り難い話です。私も、また会う日を楽しみに待っていますよ――」


 *


 ……二人の若者が去り、すっかり静かになった庵にて、古木の如き老人が……いや、老人の姿をしていたその者が、偽装を解き、独り言ちる。


「ふう……久々に人と話すと、疲れていけませんね。しかし……ああ、しかし。

 まさか、本当に斯様な運命を持つ者が現れるとは。我が師よ、貴方には、何が見えていたのですか?

 そして、何に備えておられるというのですか? あの者らに、何を託そうとしておられるのですか……?」


 穏やかな声で呟きながら、神秘を湛えた、男とも女とも付かぬ中性的な美しさの若者は、目を伏せ、額を抑えている。

 そして何度か軽く息を吐いたのち、山と詰まれたカードから一枚引いた。描かれていたのは、針と糸の絵である。


「編み針のカードか。既に、運命は紡がれ始めている、と。

 ……だが、今、それを握っているのは果たして誰なのやら」


 その真意の何たるかについて占い師サイエラは考え込み、ぶつぶつと呟く。


「はあ……何であれ、全てが良い方向へと進むことを願うばかりですね。

 ――さて、と。」


 気を取り直して、サイエラは山からカードをもう一枚引いた。

 カードの表、黒く染まった闇の奥からぼんやりと浮かび上がってくるその絵は――


「ああ、いいですね。今日は、マク・キシカ風の串焼きにでもしましょうか。

 お代は、さっき頂いた銀貨で十分足りるでしょうし。普段、料金として貰っているものより少し大きいから、いつもより多めに買えるかもしれませんね。楽しみです」


 ……今日の昼食を如何するかを、わざわざカードに問う占い師が、そこに居た。

 サイエラは表に出る前にもう一度自らに偽装を施して老人の姿とし、呑気に鼻歌を歌いながら店を閉め、ふらりふらりと市場の奥へと去っていく。


 この浮世離れした、謎多き非凡な占い師は、しかし未だ、自分の運命には気づけていない。

 即ち己が、初めて触れた大銀貨の価値を知らずに差し出した結果、馬鹿みたいな量の串焼きを受け取る羽目になる、ということに――――


 *


「アーダルベルト君? ちょっと、あの、質問いいかな?

 貴族って、いつもあれぐらいお昼ご飯にお金をかけてるの?」


 がやがやと変わらず賑わう市を往きながら、イェニさんが問いかけてくる。


「違うんですイェニさん。違うんです。

 お守りも頂いてるし、それに様式にもよるけど、占いやら何やらって、結構お代がかかるものなんですよ、本来は」


「そ、そうなの? 急に私のお昼ご飯一月分ぐらいのお金を出すから、驚いちゃったよ」


「あ、あはは……」


「でも、なんだか凄かったもんねえ、魔術か何かだったのかな? あんな、ぼわって光って……。

 占いは詳しくないからよく分からないけど、確かに、観劇みたいなものだと思えば、あれぐらい掛かるのも不思議じゃないのかも」


 イェニさんはそう言って、頻りに頷いている。とりあえずは得心がいったようで、何よりだ。


「さて、じゃあ、色々と見て廻りましょうか。まだまだ、見てみたい所は一杯あるんです。占い一つで終わりだなんてとんでもない!」


「お、いいね、そうこなくっちゃ! どこに行こうか? 私のお勧めはね――」


 気が付けばイェニさんに手を取られていた。彼女が指を差しながら歩むままに、付いて行く。

 ……手を繋いで歩くというのはやはり何だか気恥ずかしいが、まあこの際だ、黙ったままで居るとしよう。

 楽しそうに案内をしてくれるイェニさんに水を差すのも、無粋というものだろう?

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