第四話 奉剣の儀

 日が昇る。夜は既に明けた。人々は目覚め、じきに活動を始めるだろう。

 俺も、疾うに起きている。既に、着替えは済ませた。食事を済ませたら、早々に出立する予定だ。

 ……覚悟は、もう出来ている。これまでもそうだったように、俺はただ全力で、生きていく。


 *


 丘の上に位置する、征剣騎士団の本拠たる城塞には、神に祈りを捧げるための大聖殿がある。

 その昔、騎士団がその興りとなった戦いに際し血神ザリエラへと勝利を祈願し、見事それが叶えられた時に、建てられたのだという。

 以来、新たな騎士団員が加わる時や、戦いに赴く騎士たちの祈りの儀式は、ここで行われているらしい。


 その入団の儀式とやらを行うために、幾人かの付き添いと共にここへと来ているのだ。当然、ディディエも一緒に。

 儀式には、その対象となる者……この場合は俺と、実際に執り行う祭司長と、見届け、証明する付き添いの者が最低でも二名以上、必要らしい。

 ちなみに今回は十二名である。有力な家の者の場合、数百人単位で集まるらしいが、今のノアイユ家ではこんなものだそうだ。……こういうのって、結局多くても少なくても妙に緊張するんだよな。


 祭司こそ布で出来た専用の礼装を着用しているものの、他の騎士達は皆正装である……征剣騎士団の正装とは、白みがかった銀色に輝く灰銀の鎧兜を身に纏い、位により色の分けられた外套を着用し、剣を帯びた姿である。

 即ち、戦いの準備を完全に終えたその姿こそ、この騎士たちの在るべき姿だという事だ。


 今、そんな者たちが、祭司長さまについて歩く俺の後ろに、十二名もごろごろくっ付いている。

 誰も彼もが、自らの在り方に誇りと威厳を抱き、騎士の威光を世界に掲げるということに、僅かな躊躇もない。

 正直に言って気圧されている。だが俺も、彼らの一員となるのだ。怯んではいられない。


 騎士達が普段詰めている建物の方には何度か足を運んだことがあったのだが、流石に聖殿には来たことがなかった。だから、こうしてディディエに連れられ初めて目にして、驚いた。こんな建物が、存在しているとは。

 屋根は無く、床である磨かれた石には村で見た覚えのある紋が刻まれており、堂々と聳える巨大な柱には灰銀で装飾が施されている。

 それらは今まで目にしたラクァルのどの建物とも、明らかに一線を画していた。これはきっと本当に古く、特別な様式なのだろう。


 ……刻まれているこの紋様は、村で一つだけあった小さな祭壇にも付いていた。

 母さんから古い意味を持つ言葉だと伝えられたこと、その読み方を教えられたことは、よく覚えている。

 床一面に彫られているその古い言葉は、祈りの句であった。それを踏みつけても良いものなのかは正直疑問だが、これが意味しているのは、人々は祈りの上に生きているということなのかもしれない。


 ――――そして、ふと顔を上げて、漸くそれに気が付いたのだ。


「――――」


 それは美しい、巨大な彫像であった。俺は驚きに全身を貫かれ、言葉を発することも出来ずに居た。

 高さは、十メートル以上も優にあるだろう。敷地の丁度中央部に位置することも有り、外部からではその全容を見る事は叶わなかったが、掲げている剣の先だけは、町のどこに居ても見えていた。あれは塔か何かの先端では無かったのか……。


 彫像の女性……これが恐らく、血神ザリエラなのだろう。

 それは、戦いを司っているのだとは思えぬ程に、優美な貌をしていた。腰まである長い髪は、まるで本当に命が宿っているかのようなうねりをつけて彫られていて、

伏せられた目の先は、その足元の少し先にある、一際高くなっている祭壇へと向いているようだ。

 恐らく、儀式を執り行うのはあの場所だな。


「ぼちぼち始めましょうか――うん、いいですね。では、アーダルベルトよ。お出でなさい」


「――――はい」


 やけに軽い口ぶりで、祭壇に立った、儀礼用と思われる真っ白な礼装を着た壮年の祭司、ローラン様がそう語ると、十二の騎士達がその祭壇の前に並び、神の像へ向き合って、胸元に剣を構えて真っ直ぐと立つ。


 彼らの間を通り、その祭壇へと歩を進める。

 飽くまで胸を張り堂々と、俺もまた、騎士たるものとして恥じることのないように。……ただの少しも、緊張を悟られぬように、出来る限り自然体で振る舞って。


「ええ、宜しい。そこに跪いて――良いでしょう。

 それでは、これよりアーダルベルト・ノアイユによる奉剣の儀を、執り行わせて戴きます。

 祭司、ローラン・バルドー。立会、騎士十二名。名を」


 ローラン様の呼び掛けに、騎士達が厳かに応える。


「ディディエ・ノアイユ」


「エクトール・コンディリス」


「アステレ・ベルジュ」


「コルネイユ・ウェルト」


 一人一人、順に名乗りが上げられていく。きっと、神像の前で名を告げる事が、それに立ち会ったという証となるのだろう。

 ……しかしこれを、何百人規模でやることがあるとは。もしそうなったら、何時間掛かるのだろうか?


「グウェナエル・ゴーシェ」


「エリオット・アルセノー」


「ポリカルプ・ムレラトス」


「シルヴァン・フォルティエ」


 ええと、それで、立会の騎士が名乗り終えたら、剣を祭司から受け取って――


「レオ・モーロワ」


「ルナール・ダムール」


「オーメル・ヴェローヴ」


「リシャール・ボンバルディエ」


 ――え? 今なんか、レオが居なかったか? ……ああいかん、何を考えてたっけ。えっと、そうだ、剣を受け取るんだ、うん。それで、昨日ディディエと何度も練習した祈りの句を――


「アーダルベルト、手を」


「――はい」


 跪いたまま、恭しく、掌を上へ向け、諸手を前へと差し出す。

 ローラン様はその上へと剣を置くと、神像へと向き直り、徐に口を開く。


「我らが偉大なる神、慈悲深きもの、鉄と血のザリエラよ。

 どうか、我らの祈りを赦し給え。我らが貴方の名を高めることを、どうか、赦し給え――」


 ……畏れに貫かれた祈りの句が、一言一言、紡がれる。

 それに呼応するかのように、何か、凄まじくも神聖な力の流れが湧き起こってゆくのを、肌で感じる。

 果たして、これこそが神の力に由来するものなのだろうか。軽い眩暈の様な感覚を覚えていた。

 恐怖も無く、鳥肌が立つ。脈打つ鼓動が音さえ伴い、次第に強くはっきりと聞こえてくる気がする。

 今、この世界には自分しか居ないとさえ感じられるほどの、不可思議な集中。


 気づけば、直ぐ傍に立つローラン様の言葉さえ、ずっと遠くから響いてくるように感じ始めていた。


「――――アーダルベルト、お始めなさい」


 茫洋とした響きが、俺に何かを促している。

 それを聞くでもなく自然と立ち上がり、剣を抜き、天を向けたまま胸元に構える。

 ああ――――最早、考える事も無い。何をするべきかは、誰に教えられずとも、もう分かる。


「我が名はアーダルベルト。慈悲深き我らが戦神、廻る血潮のザリエラよ。我が名と魂を以て、穢れ無き剣を以て、貴女に誓う。

 我、騎士の何たるかを知り、貴女の名の下に、剣にて道を拓いて参ります。必ずや慈悲と共に、迷えるものを導いて、貴方の名を高め、朽ちぬ栄光を捧げます。どうか、赦し給え――――」


 自らの内側から浮き上がってくる祈りの句を、ただ忘我の内に、紡ぎ終える。

 果たして、瞬き程の時も経たぬうちに、その異変は起こった。


 目まぐるしい移り変わりが、現れる。

 幾つもの景色が、場景が、継ぎ接ぎのように、俺の視界を征服していく。


 ……やがて、訳の分からない幻視が俺をすっかり包み込み、

 気が付けば、何時の時代のものかも、そもそもこの世界のものなのかも分からない光景に覆い尽くされてしまった。


 ――戦争が、起きていた。天を往く翼持つ黄金の騎士が異形の怪物を殺している。

 野では獣が、獣を殺し喰らっていた。やがてその獣も人に殺され、喰らわれた。

 人が、石を持って人を打ち殺していた。人を殺した者は、何かを守り切ったようだった。殺された者には、幼子が縋りついている。

 因果は廻り、遺された幼子が戦士となったが、親の仇を討つ前に仇は病で死んでいた。


 ……景色が、止めどなく移り変わり続ける。

 見えてくる場景全てに、まるで自分が直接経験したかのような奇妙な実感があり、それぞれが人間一人分の人生を追体験するかのような異様な経験となり、俺に積み重なっていく。


 馬を駆り歩兵の一団を蹴散らす騎士が、森の中から急に現れ敵を挟撃する傭兵が、熱砂の大地で祈りに殉ずる勇士が、嵐の船上で干戈を交える水兵が、吹雪に呑まれた山中で全てを殺した孤独な騎士が、木の上から獲物の首筋を見据える毛皮の戦士が、堕落した同胞を粛正する黒兜の暗殺者が、雷鳴の如く嵐と駆け往く剣槍の騎兵が、故郷を追われ放浪する赤い鬼面の異端者が、刃で出来た腕と白銀の身体を持つ鳥にも似た異形の兵士が、黄金の光芒を操る鏡の様な兜をつけた神官が、居た。彼らは皆、戦士であった。


 彼らは皆、殺して、殺して、殺して、殺して、屍は山と重ねられ、血は湖の如く溜まりゆく。


 額が、妙に痛みを覚えている。意識がひどく混乱しているのを感じる。この異常な追憶が、俺にそれを齎している。


 ……ああ。誰かが誰かを喪わせる道の先に、一体何が成るのだろう?

 生命を殺すことを悪と知り、それでも、その悪を以てのみ救えたものを護るということの先に、戦士とは、どこへゆく?

 誰かが、己の罪科を顧みずそれを為そうと思うような世界は、本当に、それで良いと言えるものなのだろうか? 誰もが、そう疑問を抱いたとて、理想は現実には打ち克てぬ。誰かが誰かを殺さねば守れなかったものは、事実として存在する。

 誰もが、他者を何も傷付けなくても存在していけるなら、どれほどの悲しみが、存在し得なかったことだろうか?


 殺す必要が、世界にはあった。そうすることでのみ護れるものが、確かにあった。

 誰かがやらなければ、誰かの大切な何かが喪われていた。それが嫌だから、罪を、世に有るべからざる非道を知り尚も、戦士は死の道を進んだ。

 苦しみと痛み、嘆きを越え生を望む、意志を貫く壮絶な戦いの果てを目指し、ただ。

 ああ……そうか。これはきっと、どこかに居た者たちの遺志なのだな。

 海底から、あぶくがゆっくりと光差す方へ進んでいくかのような……既に終わった者達の静謐な祈りを、俺は今垣間見ているのだな。


 ああ、そうだ。

 これは、祈りなのだ。


 俺は、祈った。我らが奉ずる、戦いの神へと。

 そしてそれが、誰かが遺して逝った祈りと触れて、どこかの大きな流れと繋がったのだろう。


 俺は、理解した。

 慈悲深き我らの神が、何へと向けて手を差し伸べているのかを。


 即ちそれは、無くならぬ戦いの先に、逃れ得ぬ罪と死の重なる先に、たとえ自らは触れ得ずとも、せめて世界のどこかに良い未来が訪れますようにという、祈りなのだろう。


 ……誰だって、自分のしたことに意味があって欲しいものな。


 己がもうその平穏と安寧を享受することが出来なくたって、自分のしたことで、自分の大切な者たちがそれを得られるのならば、どれほど報われる事だろう?


 ――――ああ。

 死が、積み上げられた。

 怒号、数多の嘆きと、罪科があった。

 生を望み叫ぶ心は、否応なくそれを求めている。今尚、変わることも無く。


 ああ、神よ。どうか、我らを赦してください。

 生きんとしたことを、生かさんとしたことを、それを報われたいと感じる心を…………この世に、生まれ落ちたことを、お赦しください――――


 深く、深く、深く――――

 何よりも暗き淵へと、浮かび上がっていく数え切れぬ祈りのあぶくの間を縫って、沈んでゆく。

 音は無い。言葉も無い。光も届かない。静かな、静かな、神聖なる闇の中。

 夜の如き、穏やかな死に満ちたその淵へと、意識が緩やかに降下していく。


 もう、争い、何かが失われていく光景は見えなくなっていた。

 額から頭に走っていた疼痛もすっかり落ち着いて、俺はただ、神聖な暗闇に包まれ、穏やかに呼吸をしている。

 それは、眠りに近い感覚であるように、思われた。


 *


 ――――そして、永い、永い時が過ぎて、俺がやっと深淵から自らの意識を揺り起こしたとき、また、ある場景が浮かんできた。

 もう、それが激しく移り変わることは無く、たった一つのものを眼にしている。


 赤く、静かな荒野があった。聳える巌も、転がる土塊も、天覆う空さえも、みな余さず錆鉄のような色をしていた。

 そんな不毛の荒野で一人、岩に腰掛ける者が居た。腰まで届く、流れる血潮のような色の髪を持つ、美しい女性だった。


 一目見た瞬間から、俺の内側に何かしらの種火が熾きたように感じた。

 如何なる理由に依るものかは分からないが、自らの意志で目を逸らすことは、出来そうになかった。

 それでもう、今まで見ていた、不可思議で強烈な幻視のことなぞすっかり吹き飛んでしまい、それはとりあえず脇に置き、一体この女性は誰なんだろうといったことばかり考えていた。


 そして、その女性の顔がこちらに向くと、その、鮮血のような真紅の瞳が、俺を貫いて――――


「――――!」


 ……そこで、漸く現実が重い腰を上げ、俺を出迎えてくれた。目の前ではローラン様が、何事も無く立っている。

 どうやら、俺が祈りの句を捧げてから、少しほども時間は経っていないらしい。……体感的には、何十年何百年と過ぎたかのように感じられたが、結局何がどうなっているのか。

 俺は結局、何を体験したのだろうか? あれは、かつてどこかに居たのであろう戦士たちの祈りは、只の夢とは思えない。

 それに、最後に見えたあの女性は、何者だったのか。せめて名前だけでも聞きたかった。


「――祭司、ローラン・バルドー。ここに、騎士アーダルベルトが、奉剣の儀を完遂したことを認めます」


 その言葉を受け、剣を納める。


「その剣は、騎士たる君の証明として大切に扱うのですよ。

 それと、これを。さあ、着けてみなさい」


 黒い外套がローラン様より手渡される。上等な、分厚く飾り気のないその布は、思っていたよりもずっと重い。

 ディディエに見てもらいながら何遍も練習した通りに、完璧に身に着けると、いよいよ騎士という同じところに立ったのだなあという実感が湧いてくる。本来、それは神へと剣を捧げた時点で得ていなければいけないのだろうが、やはり物質的な証があるということは、感覚を得る上では大きいらしい。


 ……ふと神像を見上げると、その伏せられた目が、此方を見ている気がした。

 ちゃんとここを見下ろすように作られているんだなあと感心する。


 隣を見れば、ローラン様は神像へ向けて頭を垂れている。

 そして無言で祈りを捧げたのち、くるりと踵を反し、未だ剣を構え続けている騎士達へと向き直った。


 それを見て、少し呆けていた俺も慌てて同様に祈り、そして神像へと背を向ける。ローラン様が無言で促すままに祭壇から降り、騎士達の間を通り抜け進むと、騎士達も順に剣を納め、俺やローラン様の後に付いて歩いて来ているようであった。


「いやあ皆さんお疲れ様です。今回は付き添い十二名ですから、あまり掛からないで幸いでしたねえ」


 歩きながらローラン様が、のんびりとそう言った。

 ……いくら儀式を終えたからって、緩すぎやしないか? まるで行楽気分じゃあないか。


「おい、ローラン。なんだそれは、儂への当てつけか? ん?」


 乗るのか、ディディエ。ローラン様と仲良いんだなあ……。


「あの、ご両名。聖殿でその様に私語は……然程、宜しくないのでは」


 あ、やっぱり良くないんだな。ええと、あの人は……誰だ? 態々俺のような者の儀式のために集まって頂いてなんだが、区別がまるでつかない。

 だって兜も皆同じだし、ぱっと見では身長と、外套の色ぐらいしか判別する基準が無いんだ、仕方ないだろう。……一応、胸元に刻まれた家ごとの紋章はそれぞれ違うらしいが……。

 ええと、外套が灰色だから……中くらいの凄い人だな、うん。


「いやあ、大丈夫ですよ、どうせ他に人もいませんし。見ているとしても、神さまぐらいでしょうからねえ」


「それが問題なのでは?」


「ははは、エリオット君は真面目ですねえ。大丈夫ですって、ここを管理している私が言うのですよ?」


 ああ、この真面目そうな感じの人が、エリオットさんか。

 ……しかしローラン様、この人本当に偉い祭司なのか? 大らかというか不真面目というか、とにかく軽いんだが……。


「はあ。ローラン様がそう仰るのでしたら、それでいいのでしょうね。

 ……しかし、アーダルベルト。君の祈りは随分と変わっていましたね。ノアイユ家に伝わる句なのですか?」


 エリオットさんは俺に向き合って、そう訊ねた。私語の云々は気にしないことにしたらしい。

 ……ふむ。そういえば俺の祈りは事前にディディエから教えられていたものとはもう全然違ったなあ。練習した意味とは。


「いや。ありゃ儂が教えたものとは全然違ったぞ。……お前もしや反抗期か?」


 ディディエが、割り込んでそう言った。反抗期ってなんだよ、今までそんなに反発したことないだろ。

 とりあえずディディエはひとまず置いておいて、エリオットさんへと向き直る。


「いや、あれは……よく、分からないんです。急に世界が遠くなったように感じて、

 訳も分からないままに言葉が溢れたような感じだったというか――」


「ほほう! 神性に触れたことによる意識の変性というものですかな? いやあ実に結構ではありませんか!

 そういう事を語った騎士は稀ではあるものの確かに歴史上に存在しておるのですよ、うーん君の事もきちんと記しておかねば!

 彼らは皆大成したようですから、君もそうなれると良いですねえ! ああ、もしや彼らの話に興味がおありですか!?」


 俺の述懐を耳にしたローラン様が目を輝かせて早口で捲し立てる。ちょっと、まだ説明してる途中だったのに。


「え、ちょ、あの、その」


 返答に困り周囲の人を見まわしたが、そもそも皆もローラン様の勢いにちょっと引いているような感じだった。

 自分の興味が有る分野だと急に早口になる類の人なんだなあ、ローラン様って。村にも居たよ、こういう感じの人。


 微妙な空気感だ。皆何を言ったものかと、それぞれ考えてしまっているらしかった。ローラン様ただ一人が未だ爛々とした目で楽しげに、口を開く機会を待ち望んでいる。下手な事を言えば、語りたいという欲が爆発し、長いお喋りに付き合わされるであろう事は、想像に難くない。


 ディディエが咳払いをして、注目を集める。


「あー、ひとまずだ。今日の所は、皆、良くアーダルベルトのために集まってくれた。ノアイユ家の当代として、篤く感謝を述べさせて頂く。

 ひとまず、これで解散としてよかろう。通例通り、返礼は後日に。では今日は有難う」


 その簡潔な言葉を受け、白銀の外套を纏った最上位の騎士の一人が言葉を返す。口ぶりからして、ディディエとはかなり親しい仲のようだ。


「ふ、お前の頼みとあらば、断る訳にもいくまい。よもや、お前が子を連れて来て、騎士にする日が来ようとは夢にも思わなんだわ。

 ……小僧、ディディエと過ごすとあっては、大変な事ばかりであろう――なんと、そうでもない? 豪儀なものだ、素晴らしい。

 うむ、精々力を尽くし、そいつをさっさと楽隠居させてやるといい。では、俺はこれで失礼する。諸君、またな」


 そう言って、如何にも豪傑然としたその騎士は悠々と去っていく。

 見ていて気付いたのだが、歩き方に違和感がある。膝の曲がり方からして、右足が義足らしい。


「ええい、エクトールめ。好き放題言いおってからに」


 ああ、あの人がエクトールさんだったのか。


 エクトールさんが去ったのを皮切りに、皆軽く挨拶をして去ってゆく。

 ありがたいことにディディエだけではなく俺にも一言くれるのだが、次に会ったとしても誰が何を言っていたのかもう分からないだろうなー……。


 そして、ローラン様が、何やら話したいことが有るとかでディディエを連れて行ってしまって、この場に残されたのは俺と、もう一人だけだった。


「ようアーダルベルト! ははは、お前も立派になったなあ!

 鎧もわざわざ誂えてきたのか? いいなあ、俺の時は、どうせすぐ身体が育って大きさが合わなくなるからってんで、とりあえずで親父のお古を無理やり着せられたんだぜ、もう動きにくいったらなかったなあ」


 そう気さくに親しげに、如何にも愉快そうに笑いながら話しかけてきたのは、紛れも無い、ここラクァルへと来てから最初の友人である――


「レオ! なんでレオが居るんだ?」


 何が"立派になったなあ"だよ、お前の方こそそんな綺麗な甲冑を着込んじゃって……。


「"なんで"ってなんだよ。 いや、本当は親父が来る予定だったらしいんだけど、母さんの実家の方で、色々あったらしくてな。

 そっちのほうに付きっ切りになるからって、俺にお株が回って来たんだよ。

 びっくりしたぜ、本当。お前、ノアイユ家には飽くまで居候してるんだって言ってたよな?」


「いやそれが、実は一年ぐらい前から養子にして征剣騎士団に入れようって話だったというか。

 レオには面白そうだから黙ってたんだけどさ。びっくりするかなって思って……でも、まさか俺が驚かされるとは、因果だね」


 レオは呆れたように、お前なあ、こんなに大事な事なんだからさあ……などと額を抑えながら呟いている。ごめんごめん、俺が悪かったよ。


「そんで何だ。因果? お前また、マク・キシカ辺りの思想書でも読んでるな? 好きだよなあ、ああいうの。

 何だっけ? 輪廻がどうとか言うのも、前に読んでたもんな。やっぱり俺は難しげな本より、冒険小説の方が好きだなあ。

 あ、そうだ。トレヴァさんの所で、"白い少女"の新刊が出てたけど、お前は買った?」


 おお、もうそんな時期だったか。

 トレヴァさん……レオに教えられてから、もう随分と通っている書店の店主である。彼女やレオの勧めもあって俺も買った小説こそ、たった今名の上がった白い少女シリーズと呼ばれる連作であり、今、ラクァルどころか世界的に大流行りしているのだという。読んでみたが、実際面白いのだ。


 どこから来たのかも分からない、儚げな真っ白い髪の少女、セラが世界を彷徨い歩き、人々の心の在り様に触れながら、他者との比較の内に自らを悟っていくというのが本筋なのだが、浮世離れした少女セラと、その旅の伴をする名も無き騎士が行く先々で、時に病の母のために薬草を摘みに行く幼子を助けたり、時に殺人事件の犯人という濡れ衣を着せられ、無実を証明するためにあちこち駆け回ったり、時に攫われた騎士を救うために少女が独りで怪物の住む古城に乗り込んだりとまあ、色々な方向性で楽しませてくれるのだ。


「いや。まだ買ってないんだ、俺も早く買わないとなあ。……まあ暫くは読む暇なんて無さそうだけど」


「ははは、そりゃそうだろうな。俺も騎士団に来て最初の頃は色々大変だったよ。訓練なんかは親父の方がきついからどうにでもなったけど、覚えなきゃいけないことは沢山だ。そもそもこの馬鹿でかい敷地の中、何がどこにあるかを覚えるのだけで一苦労だ。

 仕事も色々あるしなあ。街の警邏とか重要な交易品の護送、道具や施設の点検だとか、最近では近郊の危険な獣を狩るのにも駆り出されるし。

 ……あーあ、俺、明日から遠出なんだよ。南の国境の方にある都市への連絡に抜擢されてさあ。

 独り馬に乗って片道半月、本当に行って帰って来るだけなんだぜ、嫌だよぉ……」


 うーん、一か月かけて馬で往復するだけの旅かあ……。


「ま、まあ一か月間投獄されるよりはマシだよ、うん。元気出せよ」


「何と比較してんだよお前ぇ! ……まあ、うん。とにかく、お前も頑張れよ。

 よし……んじゃ、ディディエ様も戻ってこないし、行くか。ただ待ちぼうけってのも時間が勿体ねえだろ? 折角だし案内してやるよ」


「あ、うん、助かるよ」


 *


 広い。広いなあ……そもそもここ征剣騎士団の城塞は、大聖殿を抱えていることからも分かるように、騎士団員の駐屯地としての役割の他に宗教的な諸々も兼ねているのだ。


 一口に征剣騎士と言っても、二つの流れに大別出来る。


 ひとつ、国家の剣として、何にも負けぬ武力を持つ誇り高き戦士。

 ディディエを含む先ほど集まっていた十二名の騎士達がそれである。


 ふたつ、敬虔な信徒として人々を導き祭祀を執り行う、実際に冠婚葬祭など市民の生活の諸々を受け持つ神官。

 今回で言えばローラン様がそうだ。ちなみに神官も騎士の外套の様に、半肩に垂らした布の色で位が分かるらしい。

 基本的に騎士と同様で、白に近い方が偉い。ローラン様は全身真っ白だったし、あんなに緩くてもたぶん凄い人なのだろう、うん。

 ……儀式用の特殊な礼装だから真っ白だったのかもしれないことは、否定出来ないが。


 まあそういう事で、騎士と神官と、二つ分の施設が同じところに全てぶちこまれているため、とにかく広いのだ。

 訓練用の設備と中庭、食堂や倉庫、主に下級の騎士や神官が寝泊りする宿舎、鍛冶師の工房に図書室、礼拝堂に地下室まで、まあ本当になんでもある。なんなら畑さえある。葡萄とか植わってるし。醸造でもするのだろうか?


 そんなこんなでレオは一通り案内し終え、明日の準備があるからと、溜息を吐きながら自分の部屋へと戻っていく。

 そういえばディディエの事をすっかり忘れていたなあと思い、一度大聖殿の方へと戻って来てみたのだが、誰も居なかった。

 どこかで入れ違ってしまったのか、はたまたローラン様との話がよほど長引いているのか。


 奥の方に見えている、神像を見上げてみた。うーん、やはり美しい。あれほど大きな像というのは、どれぐらい彫るのに時間がかかるものなのだろうか?


 しみじみと見入っていると、何だかまた、視界がぼんやりとしてきたような。

 そんな馬鹿な、今度は何もしていないんだぞ。聖句の一つも唱えた訳ではあるまいに、ああ、ちょっとそんな、本当に? ……またか――――


 *


 ――――赤い、荒野。

 それは確かに、先ほど見た風景だった。

 聳える巌も、転がる土塊も、天覆う空さえも、錆鉄の様な色をしていた。


 ……ただ一つ、違うものといえば。

 先ほどは、所在なさげに岩に腰掛け、足をはたつかせていたあの女性が、地の上で悶えていた。


 苦しんでいるようであった。胸元を固く手で押さえ、全身が冷や汗に濡れ、顔は苦悶に歪んでいる。

 時折掠れたような呼気を吐き出して目を伏せ、立とうとしては膝から崩れ落ち、掠れ掠れに言葉を漏らす。


「――何故だ、やめろ、やめろ……」


 見ておれずに駆け寄ろうとしたが、身体は頑として動かない。

 身を捩る事さえ侭ならずそれをただ見つめていると、世界そのものが大きく揺れ動きだした。


「――い……おい! お、起きたか。全く、居なくなったかと思えばまた戻っていて、

 その上立ったまま大聖殿で寝ているとは。お前は何故そうも愉快なのだ」


「……え? あ、ディディエ……」


 そして俺は漸く、肩を掴まれ揺すられていることに気が付いた。

 ディディエが面白半分呆れ半分といった、妙に複雑な顔でこちらを見ている。


「どうした、しゃっきりせんか。全く、緊張で疲れているのか?」


「――うん、そうかも。実際こういう所で何かやる事って、あんまり経験もないしね」


 なんだか咄嗟に誤魔化してしまった。

 よく分からない現象だし、説明するのもちょっと難しそうだったから……うん。


「今日は早い所、宿舎へ行って休むといい。

 暫くは、訓練やら何やらで休みは取れんぞぉ。今の内にゆっくりしておけよ、ハッハッハ!」


 わあ、忙しそうだなあ……。仕事やら訓練やらで忙しいのは別にいいけど、

 ダフネさんの料理が食べられないのはちょっと辛いかも。


「訓練かあ。何をやるかは分からないけど、退屈しないで済みそうだね」


「うむ、そのぐらい緊張せずに居れるのであらば、心配は要らんな。

 ……新入りの団員が行う最初の訓練に、実力を図るための軽い模擬戦がある。

 お前は儂が直々に鍛えたのだ、誰が相手になろうと、容易く負ける事は無い。精々、皆の荒肝を抜いてやれ」


「おお……ディディエ以外と勝負するのって初めてだし、本当に楽しみになってきたよ」


 自分の実力が客観的にどれ程のものなのかは、常々気になっていたんだ。何せ、来る日も来る日も、ディディエにボロ敗けしてばっかりだったからね!

 太陽の下では灯火の明かりが意味を為さないように、ディディエとの比較で自分を計れる訳が無い。果たして俺は蝋燭の火か、はたまた篝火程度には明るいのか。


 それを知れるというのは楽しみだが、少し不安でもある。これは、戦いに際する恐れではない。

 ディディエの薫陶を受けた者が、不甲斐無い結果を見せてしまうことへの恐れだ。

 ……気を張らねば。

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