第三話 前夜

 自室の窓から、日が沈んだ静かなラクァルを眺めている。

 月明りに照らされる鉄都は、人家から零れる明かりもあって、完全な闇とは程遠い。多くの人が生きているということを改めて目の当たりにして、やはり、強く思う。ここに居る人たちが皆、何に苦しむことも無く、平穏に過ごしていければいいなあ、と。


 それにしても、瞬く間に、年月は流れるものだ。気づけば、俺も随分と成長した。

身長も随分と伸びてきたし……それでもディディエには全然届かないが。ちくしょうでか過ぎるだろ。まだ頭一つ分ぐらい違うんだが? 人間って年を取ると背が縮むんじゃなかったっけ? ……まあ、それはそれとして。


 ここラクァルもまた、時の流れに乗ってゆるりと、だが着実に変容を遂げていくのだろう。

 レオなんかがいい例だ。なんでもあいつは、征剣騎士団に入ったらしいのだ。レオの親父さんが騎士らしいから、あいつが同じ道を歩むのは必然だったのだろうなあ。俺も、負けてはいられない。

 レオは、「へへ、安心しろよ、ラクァルに何があっても、俺がお前らを守ってやるからさ」なんて誇らしげに笑っていたが、すまん、実は俺もそっち側に行く予定なんだよ。びっくりさせた方が面白いかなと思って黙ってるけど。


 そういえば、魔術の塔にも行ってあれこれと話を聞いたりもしてみたけど、誰に聞いたところで、結局タレルの件については分からず終いだった。

 ……騎士として、色々なものに触れる機会が増えれば、何か分かるかもしれない。まだ、諦めないぞ。


 ところで、魔術師って本当に不思議な人ばっかりなんですね。少し、思い返すだけでも――――


 *


 魔術師協会"ニカリウスの扉"、その支部がある西区の塔にて。


「お邪魔します――――」


「むっ! 君! トゥワトゥワしてるねえ! 魔術師やってみないかい?」


 左眼に奇妙な筒を嵌めた、異様に勢いの良い男性が、俺が戸を開けるなり言葉を掛けてきた。なんだこいつは。


「え、あ、あの、トゥワトゥワ……ってなんですか……?」


 俺が困惑しながらそう聞き返すと、この喧しい男ではなく、もう一人室内に居た物静かな男性が、代わりに言葉を返す。


「……少年よ、気にするな。そいつは少し、変な奴でな。……まあ、どうせここには変な奴しかいないが。

 どいつもこいつも、変ではあっても悪人ではない。許容できるなら、ゆっくりしていくがいい」


「フロロス君にだけは変な奴って言われたくないけどねえ吾輩は!」


「どうせどちらも変な奴なのだよ、ロガノー。星になりたいお前と、花になりたい私、人から見れば大差はない。

 わざわざ万物の霊長から降りる道を探求する奇人の類でしか有り得ないのだ、我々など――」


 *


 ……う、うん。ちょっと俺にはよく分からないことばっかりだったね。

 他にも、全身が機械で出来た人形みたいな人とか、やたら小憎らしい喋り方をした、自称人間の空飛ぶ巻物とか、そんなのばっかりで。

 ……ギジグって、本当に"普通"な、魔術師としては変わり者だったんだなあ……。


 ちなみに色々手ほどきはしてもらったんだけど、俺には魔術の才は一切ありませんでした。俺も使ってみたかったなー……。


 うん。ああ――色々と、取り止めのない事ばかり考えているのにも、理由がある。こうして、あれこれと誰に語るでもなく、内省するのはまあつまり、落ち着かないからであって、それは――――


「明日のご準備は出来ましたか?」


 そう、騎士団への入団が、もう本当にすぐそこまで迫っているのだ。

 あの誓いを立ててから僅か一年しか経っていないが、それでもディディエは十分だと判断したらしい。

 僅か一年、されど一年。みっちりと、ディディエには武を鍛えられ、ダフネさんには学術、文化諸般を教えられたのだ。もうどこに出しても恥ずかしくない、と太鼓判を押される程度には俺も頑張った。いやまあ本番はここからなのだが……。

 ちなみに一番辛かったのは貴族的作法の習得である。食事だとか、扉のノック、開け方、見たことも無い敬礼だとか、喋る時の空いた手の上品な遊ばせ方だとか、もうそんなものばっかりで。……剣を振る事の、なんと気楽なものか……。


「あ、うん、ダフネ。大丈夫だよ、うん、大丈夫」


「うふふ、緊張されていますね? 大丈夫ですよ、若様」


「ダフネ、その"若様"って言うの、やっぱりやめにしない?」


「あら、いけませんよ。貴方はもう、ディディエ様の養子として、正式に騎士になるのですよ?

 将来ノアイユ家を背負って立つ人なのですから、慣れておかないと」


「うーん、前にもこんな会話をした気がする……。

 でも、少し寂しい気がするんだ。身分的には仕方ないけど、ちょっと距離がある気がするというか」


「……ふふ、大丈夫ですよ。確かに人と人の関係は、時として呼び方一つに表れる事もあるでしょうけれど。

 それでも私は、たとえ貴方がどこまで行くのだとしても、きっとこれまでと変わらずに、影から見守っていてあげますから」


 ダフネさん――ああいかん、泣きそうになるよ、なんだか。


「うふふ……でも、若様より、ディディエ様の方がよほど緊張なさっていますね。

 ディディエ様ったら、もう一日中部屋の中をうろうろ歩き回っていると思ったら急に、走り込みに行ってくる。なんて言って出て行ってしまったんですよ」


 なんでだよ。涙だって引っ込むよ。


「ええ? もう真夜中なのに。何してるんだあの人」


 そんなことを話していると、丁度門が開く音が聞こえた。どうやら、件のディディエが帰ってきたようだ。大方、街でも一周してきたのだろう。


「ちょっと迎えに行ってくるよ」


「ええ、お願いしますね。私は、湯の準備でもしておきましょう。きっと、汗も掻いておられるでしょうし」


 ああもう、ダフネさんに余計な仕事をさせるんだから、まったく。


 *


「それで、何でこんな時間に走り込みを?」


「急に身体を動かしたくなる気分になることもある。そういう事だ」


「そう……」


 ……少しだけ言葉を交わし、暫し沈黙が訪れる。俺たちは何を言うでもなく館の内部を共に歩く。

 やがて、ある場所で動きを止めた。そこは、ディディエの部屋への道の中ほどであり、その広々とした通路の中央には、ディディエが現役時代に纏っていたという灰銀の鎧兜が、剣と共に誇らしげに飾ってある。歴戦を示す細かな傷が無数に付いたそれは、数え切れぬ戦場を超え幾度もディディエの命を救った、紛れも無き戦友なのであろう。

 何度か、ディディエが強かに酒で酔った時にここに連れて来られて、"騎士の誉れの歌"というものを聴かされたことが有る。あの時は酒臭いやら眠いやらで微妙な気分になっていたが、いつか俺にも、それを歌う気持ちが分かる日が来るのだろうか?


「――それで、お前は今、どんな気持ちだ?」


「とりあえず、緊張はしてるけど。うん、ここからが本番なんだってことは、ちゃんと分かってるよ」


「ふ、ならば上等だ。騎士になること自体が到達点なのだと勘違いしておったら、説教をするところだったぞ」


「ははは、流石にそんなに気は抜けないよ。むしろ緊張で眠れなさそうなぐらいだね」


「む、それはいかんぞ。早寝早起きこそ健康な肉体の資本である。……まあ職務中は徹夜したりもするが、それはそれだ。

 そんなことなら、お前も一緒に連れていけば良かったかな……」


「ええ? 別に走り込んできたって、明日への緊張が無くなることも無いでしょ?」


「いやいや、そうでもないぞ。疲れている方が眠り易かろう?」


 そうかな……。


「ねえディディエ。俺の扱いってさ、どういう感じになるの?」


「扱い? まあ、養子ということにはなるが。それがどうした?」


「今更だけど、嫡子ではないでしょ。ノアイユ家って、そんなぽっと出が継いでも平気な家なの?

 六英雄の血統だって、途切れちゃうんだしさ」


 俺がそう訊ねると、ディディエはああ、ああ、それか。などと軽く呟いた。

 そんな、あっ忘れてたな~ぐらいの気分で語れるような内容なのか?


「それについては気にしなくても良い。"聖剣"クローヴィス様の血を継ぐ家系というのも、一つではないしな。

 それに、我がノアイユ家は既に、多くの貴族たちにとっては然程興味を引く物でもないはずだ」


「そうなの?」


「……お前も多分、ダフネ辺りから聞いているだろう。儂には昔、妻子が居たと……うむ、やはりそうか。あのお喋りめ、まったく……。

 全ては語らん。その必要も有るまい。とにかく儂は、あ奴らを忘れる事は出来なかった。手の内で、朦朧と打ち震え、緩やかに熱を失っていくあの子を無かったことにして、新たな世継を作るようなことは、出来なかったのだ。

 騎士派、王党派の区別なく、皆から早く後妻を娶れと散々に言われたが、もう儂は、自分にそんなことは出来ないと理解していた。……惨めなものだ、戦場にて無敗と謳われようと、儂にはそんな民たちが当たり前に行う事さえ出来なかったのだ。

何をしていても、あの光景ばかりを思い出す。一日だって、忘れたことは無い。

 ……やがて、皆口にするようになった。ノアイユ家ももう、終わりだ、と。

 まあ、そんな所だ。既に、今後のラクァルの権力闘争に深く係る様な家では無いと、皆思っているさ。今更養子を一人連れて来て家を継がせたところで、何も起きん。騎士長候補にノアイユの名が挙がることも、もう無いだろうしな。

 だからお前は、何も気にせず自分のやりたいことをやればいい。……まあ屋敷と名前ぐらいは守って欲しいが。

 ……そうだな。仮に、お前に対して何かガタガタ抜かす奴が居たならば、いいか。実力で黙らせてやれ。お前になら、それが出来るはずだ」


「うん……分かったよ、ディディエ。そうやって聞くと、ちょっと気が楽になった気がする。

 俺は、英雄の血を継いだ子ならずとも、その教えを受け育てられた者がどれほど見事な騎士になるのか、証明してやる。

 ……権力闘争に巻き込まれない程度に」


「わっはっは! 何にも巻き込まれないのは多分無理だが頑張れよ!」


 無理かー。


「まあ実際、儂が生きている間は特に何事も無いだろう。

 上の方に居る連中には、儂がお前を養育し騎士としたところで、隠居老人のお遊びといった具合にしか見えんだろうしな。

 それを目こぼしさせるぐらいには、儂も功を立ててきた。儂が死んだ後にお前の境遇がどうなるかは……まあお前の努力次第だな」


「ディディエが生きてる間……後五十年ぐらいは平気そうだね、じゃあ」


「わっはっは! それぐらい生きていたら、お前の孫だって見られるかもな。

 ん? どうだ、好ましい女性などは、もう居るのか?」


 ちょ、ちょ、なんでそういう方向に行くんだよ、俺にはまだ早いよ。

 ……いや、そういう年頃なのかな、十三歳。微妙だ。


「――ディディエ様。お湯の準備が出来ましたが、入られますか?」


 俺が返答に困っていると、足音も無く現れたダフネさんが、割って入ってくれた。

 助かった。相変わらずいい頃合いに出て来てくれますね、ダフネさん。


「うおっ! ……ダフネか。ああ、丁度湯浴みをしたいと感じていた所だった、すまんな、世話を掛けた」


ディディエはそう言うと、陽気に鼻歌を歌いながら浴場へと向かって行った。


「うふふ、どうぞごゆっくり。

 ……ねえ若様、好きな子とか、居られるんですか?」


 なんでダフネさんも訊くんですか?

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