第二話 神々のお話

 昼食と休憩を挟んで、午後からはまた勉強が始まる。

 ……ちなみに今日の昼は、ダフネさんに見てもらいながら俺が作ってみたのだが、まあ駄目でした。塩の具合がさっぱり分からず、滅茶苦茶味の薄い肉と野菜を煮込んだ汁が生まれてしまいました。

 味見をしたディディエ曰く、行軍中に喰ってるものよりは美味い、と。行軍中に喰ってるって、あの謎の玉じゃないか、あれと比べないでよ。


 ……ダフネさんが味を調えてくれると、嘘みたいに美味しくなってとても驚いた。

塩だけでこうも変わるものなのかと、またひとつ、勉強になったのだった。


「――ではアーダルベルト様、前回のおさらいから始めましょうか」


「ダフネさん、そのアーダルベルト"様"って言うの、やっぱりやめませんか?」


「あら、いけませんよ。貴方はもう、ノアイユの者になるのですから、こういう扱いにも慣れなければ。

 私のことも、どうか"ダフネ"と気軽に呼び捨ててくださいね? ……少なくとも、きちんとお勉強している間ぐらいで構いませんから」


 ダフネさんは、ノアイユの家に正式に迎えられている訳では無い。

 だからこそ、噂好きの者たちがあれこれと好きにひそひそ話をしている訳なのだが、まあそれはそれとして。

 要は、俺が正式にディディエに養子として迎えられれば、身分の差は決して無視できないものになるのだ。

 だから、少なくとも対外的な目を意識しなければいけない場面等を考えて、今の内からそれを馴らそうという訳で、今こうなっている。


 ……正直ぜんぜん落ち着かない! 落ち着かないが、仕方ない。

 何気ない振る舞いひとつで、ノアイユ家の隙を生み出しかねないのが、社交界という恐るべき魔境なのだ。怖いなあ。

 個人的にはともかく、少なくとも社会的にはダフネさんは侍女どころか召使いなんかに類する立ち位置であり、そういった存在に対してさも同等であるかのように接することは、とても危険な行為らしいのだ。そう言われては、従う他ない。

 実際にそれが最終的にどれぐらい脅威になるかは分からないが、本来なら避けられることで余分な負担を掛けるのは、不本意だ。

 ……でもやっぱり落ち着かないなあ……。


「う……はい、分かりました、ダフネさ……ダフネ」


「うふふ、よく出来ました」


 そういってにっこりと微笑みながらダフネさんは一冊の本を開いた。

 "神々と信仰"と簡潔に題されたその本は、その名の通り今尚信仰されている神々についての書物だ。


「ええと……既に何度も聞いたことがあるとは思うのですが、改めて。

 今現在、この世界に於いて主神として信仰されているのが、光輪の神、ナハーラーム様です。これはよろしいですか?」


「はい、大丈夫です。確か今の世界の始まりに光が失われることが有って、それから人々を救うために、世界へと降り立ったんですよね。

 そして、それに随って共に降り立ったのが、柱の六神と呼ばれている特に強い者たちを筆頭とする神々だ、と」


「ええ、上出来です。今日はざっくりと、その六神について見ていきましょうね。

 本当は、二つの真なる神と謳われる、白き創造者と混沌の者の話からしたい気もするのですが、あまり今の世に語られるものでもありませんし、一般的な所から始めてしまいましょう。

 まず初めは、天空の支配者と謳われ、それを司っている頂神ゴルレイについての説明をしましょうか」


 おおー。こうして実際に名前を聞くと、なんだかワクワクするなあ。


「どういう神様なんですか? やっぱり鳥みたいな感じなんでしょうか?」


 俺が素直にそうやって疑問を口にすると、ダフネさんは苦笑いをする。……鳥じゃなかったか。じゃあ蜂とかかな。


「うーん、鳥……では無いと思いますが、"風を友とし空を往く"、とは謳われていますね。

 彼は世界で最も高いところに己の坐所を持ち、自ら騎士団を率いて、外界からの侵略者よりこの世界を守っているのですよ」


 なんだか格好良いなあ。……でも外界からの侵略者って何だろう、あ、前に言ってた邪神とかいう存在の話なのかな。

 うーん、わからん。まあいいか、その内勉強するだろう、たぶん。


「そういえば、前にも一回聞いたけど、坐所ってなんなんですか?」


「それはですね、ええと。まあ簡潔に言うと、"自分に付随する世界"、なのですが……どう説明するのが分かりやすいでしょうかねえ。

 そうですね。この世界そのものが、大きな一つの屋敷だとしましょう。超常の力を持たぬ人々や力弱き神々は、その屋敷の中に、一つ一つ部屋を割り振られているようなものです。それぞれ、自分の部屋は持っていますが、それはその屋敷の中で完結した概念でしょう?

 対して、強大な力を持つ古い神々が持っている坐所というのは、その屋敷に対する、別荘のようなものなのです」


「つまり、自分に所有権がある世界を、俺たちが今いるこの世界とは別に持っているってことですか?

 だとすると、世界で最も高いところに坐所を持つ、というのは? この世界とは別の所にあるという訳ではないんですか?」


「ええと、それは……そうですね。この世界の最も高いところに、その坐所への門があるのだとか、そういった感じだったと思います。多分」


 なるほど? 大分曖昧だが、まあとりあえず納得しておこう。


「柱の六神は皆、由来も古く、強い力を持つ神々であり、故に信仰も盛んなのです。

 六神の殆どが人の世に、聖地たる都市を持っているのですよ。ここラクァルが、血神ザリエラ様の聖地であるように」


「へえー。あ、そういえば前にも言ってましたっけ、

 ゴルレイは北部で広く信仰されているとか……もしかして、そこに聖地があるんですか?」


「ええ、そうなのですよ。ラクァルからずっとずっと北の方角、フルル山脈を越えた先にある、断崖都市レク・アトゥが、彼が守護する聖地なのです。

 とても寒く、冷える土地でありながら農業が盛んで、レク・アトゥの草木は雪を割って成長する、なんて言われているんですよ。

 寒い地方らしい強いお酒を使った温かい煮込み料理が有名で……アーダルベルト様がもう少し大きくなったら、ぜひ作ってあげましょう。

 冷たい雪の積もる日に、窓から銀世界を眺めながら食べるあの料理は、とても美味しいですからね」


「うわあ、それは楽しみです!」


 その料理の味を空想しながら、そう声を張る。

 俺のそんな様子を見たダフネさんはくすくすと笑い、話を進めるのであった。


「では次に、大地の管理者、底神アギガについてです。

 星の核にすら至るほどの大穴に根差していると言われる彼は、巨大な岩の如き身体を持つ巨人であると言われてますね。

 遥かな昔、まだ人の世に実際に神々が触れ直に交流していた頃、火山が噴火することがありました。

 そこから溢れ流れる溶岩が人々を呑もうとしたとき、彼は拳ひとつで、自らの分け身である地を割り大穴を開け、そこに流すことで救ったという伝説があるんですよ。

 そこが、前にイェニの話でも出てきた、底神の聖地、マク・キシカであるとされています。ここから南方にある、とても暑い国です」


「こ、拳で地に穴を開ける……?」


「豪快ですよねえ。底神アギガは大地を司るという権能に恥じぬ、力強い逸話ばかり残されているんですよ。

 その大胆な行動とは裏腹に、ご本人は寡黙な武人というような感じであったらしいですが。異名も、なんだか凄いのです。"聳える峻厳"だとか、"巌に勝る豪儀の傑物"だとか、そんなものばっかりで」


「物々しい……」


「うふふ。アーダルベルト様も、いつかそれぐらい強くなれたらいいですねえ」


 流石に無理だと思います。


「どんどん次へと参りましょう。次は謎多き静かな秘匿者、淵神ダルナウェ様です。

 彼は……ええと、よく分からないですね。とりあえず、海を司っているらしいです。

 深く暗い水の底に彼の坐所があり、何かを海へと仕舞い込んだ、などという伝説が濃霧の都ムガヌィで伝えられているらしいですが……。

 ダルナウェ様はとにかく情報も少なく、今教えられるのはこれぐらいです」


「へえ……じゃあそのムガヌィっていう所は、どんな場所なんでしょう?」


「ムガヌィは、ここからずっと南東の方に広がっている暗い森を越えた先にある国ですね。

 暗い森は、人を拒むとまで語られる尋常ならざる神秘の森ですから、航路が開拓されるまでは他国との交流もほぼ無く、そのため独自の文化が発達したらしいです」


「そうなんですか? ちょっと親近感を覚えますね、それ」


「アーダルベルト様も、森の奥から来られたんですものねえ。なんだかそれも、随分昔のことに感じますね?」


 確かに。気が付けばラクァルに、もう何か月も暮らしているんだよなあ。

 イェニさんやミシェルおじさん、レオなんかを初めとした知り合いも、随分と増えたし、ギジグの言っていた魔術師の塔なんかにも、もう何回か行ってみているし。


「うふふ……ところで、お勉強の内容については大丈夫ですか? あまり一度に詰め込み過ぎると覚えにくいかもしれませんが、

 あと半分、頑張りましょうね」


 正直、ちょっと頭がこんがらがって来ている気もするが、言われたことを書き纏めて、なんとかぎりぎり付いていけている。

 今覚えきれなくても、後で読み返せばいいやの精神を存分に発揮していくつもりだ。


「はい、一気にやっちゃいましょう」


「良い心意気です。では次は、法と報いを司り、善悪を分かつという、判神フォスティマ。

 彼女の守護する聖地フォストリク、その名はフォスティマに由来するものなのです。

 紅白二色が織り成す光の翼を持っており、それぞれの色は裁きと許しを象徴していると言われていますが、実際はどうなのでしょうね?

 古き神々でさえ彼女の判決には従わなければならなかった、というのは、どの書を当たっても出てくる文言です。

 ここからの三柱は、先ほどまでの実体を司る神々とは違い、形而上のものを司る神々なのですよ」


 形而上。なんだっけ、それ。この間勉強したばっかりなんだ、ええと、確か……。


「ええと、物質的な存在ではない概念、ということですか?」


「はい、正解です。善と悪、戦い、認識と運命。どれも皆、そのものが物質として現れている訳では無いでしょう?」


「確かに。

 あれ、でも、大地と海というのはともかくとして、天空というのは物質と言えるのでしょうか?

 空気のことでも指しているのかな……」


「……ど、どうなんでしょう。まあ取りあえずそれは一度、置いておきましょう。

 続いては、アーダルベルト様も既に何回も聞いているであろう、血神ザリエラ様ですね。

 征剣騎士団が奉じている戦いの神であり、血神、鉄神、戦神、剣神など、人の世での呼ばれ方も一際多いんですよ。

 アーダルベルト様はどの呼び方がお好きですか?」


 いや急にそんなこと聞かれても、考えた事なんて無いんですけど。


「え、ええと……血神、ですかね。

 血とだけ言えば、戦いで零れたそれだけじゃなく俺たちの身体を廻っているものを指し示して、それはまるで、生きていること自体を護ってくれていそうな気がしませんか?」


 ……考えながら言ったにしては、随分それっぽいな。もしかして、俺には詐欺師の才でもあるのだろうか。


「まあ、素敵な解釈ですね。

 ……そういえば、タレル村で信仰されていたのも、ザリエラ様なのでしたっけ?」


「あ、はい。村で神様の名前を聞くことは無かったのですが、外の知識があった物知りのお婆さん曰く、恐らくそうだろうと。

 うーん、タレル村も元々はラクァルから枝分かれした集落だったんですかねえ」


「場所も近いし、そうだったのかもしれませんね。さあ、いよいよ最後の一柱ですよ、もう一息です!

 最後は、名と、その下にある認識や、運命を司るファルサファリスですね」


 あっ、フサフサの神様だ。そうか、そんな名前だったか。

 俺がそんな下らないことを考えているとは露ほども思っていないであろうダフネさんは、話を続ける。……真面目に聞こう。


「彼は名を持つ者すべての運命を知り、それを正常な運命の流れに乗せている……と言われています」


「ええと……規模が大きすぎるし、抽象的だし、ちょっとよく分からないですね……。

 そもそも、名前の下に認識と運命があるというのは、どういうことなんでしょう?」


「私も詳しくは無いのですが……名前とは、自他を分かつ境目である。というのがまず基本的にある……らしいのですよ。

 "何か"に名前を付けるというのは、他のものと区別をつける行為であり、名を付けるには、その"何か"を認識している必要がある。

 そして、名前を持っているからこそ、他のものと区別がつくからこそ、それの行く末を認識することができる、という訳で、

 "名の下に認識在り、認識の上に運命在り、即ち、名とは運命である"という言葉が、名神信仰では語られているらしいです」


「うーん、分かったような、分からないような……」


「まあとにかく、ものすごい能力の神であることに疑いようは有りません。

 何といっても、世界中全ての、名を持つ者の運命を一人で管理しているという訳なのですから」


 ……一人でかあ。この国だけでも相当な人数が居るのに。

 タレル村みたいな小規模な村落だって、村民全員の一日の予定なんて、俺一人じゃ纏めきれないだろうし、うーん・・・よく分からないけど、凄いんだろうな。


「……はい、ではここまでと致しましょう。大丈夫ですか? 頭が痛くなっていたり、熱っぽくはありませんか?

 一度に覚えようというのはちょっと無謀かもしれませんから、何回かメモを読み返したりして、焦らず覚えていきましょうね。

 ……さあ、そろそろおやつにしましょう? 今日は栗の砂糖煮でケーキを作ってあるんですよ」


「わあ、本当ですか!」


 ケーキは最高の食べ物の一つだということも、ここに来てからとうに学習しているのだ。

 特にダフネさんの作るものなら、尚の事だということも。喜び勇んで椅子から立ち上がる。


「うふふ、では私は少し片づけをしてから向かいますから、先にお茶用のカップを温めておいてくださいますか?」


「はい、分かりました!」


 *


 それで、食堂へとやってきたのだが、あの。

 なんかディディエが妙にそわそわしながら先に座っているんですが。


「……これ、なんだその顔は。儂がケーキを楽しみに待っているのがそんなに妙か? ん?」


「いやまあ別に、結構な事だと思うけど。居るとは思わなかったから、びっくりしたんだよ」


「ふ、昨日の内から既に、ダフネが何やら仕込んでいることは知っていたからな。楽しみにもするだろう、それは」


 そうですか。いや気持ちは分かるけどさ。今日は騎士団の方でやることがあるからって、朝早くから出てたよね? 一回おやつのために戻って来たってこと?

 ……まあいいか。美味しいものは皆で食べたいし。さあ、準備準備――――

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