第二章
第一話 勉強、勉強、勉強……
原初の時代、その終わりに。世界から、光と熱が零れてゆく厄災があった。
緩やかに命が失われてゆく滅びのときに、慈悲と共に降り立つ者、ひとつ。
真なる神たる白き創造主より、その力を托された光輪の神、ナハーラーム。
彼女はその慈愛の輝きを以て世界の遍くを照らし出し、再びの熱を齎して、
配下たる六つの神々らと共に、世を広く治めたのだ――――
*
剣を掲げ、誓いを立てたあの日から、より本格的な教育が始まった。
剣を初めとした武芸の各種、槍や盾の扱い方、弓を用いた射撃、果ては馬術なんてものまで、それは多岐に及んだ。
自分で言うのもなんだが、どれを取ってもそこそこ出来る方なのではないだろうかと思う。ディディエもそう言っていたし。
多分、おだててやる気にさせている訳でも無いだろう。ディディエ、そういうのは下手そうだし、うん。
それ以外の勉学の方も、以前に増して扱うものが増えたが、そのどれもをダフネさんは完璧に見てくれた。
貴族的作法、教養全般に、ラクァルを含めた世界の歴史、外国で扱っている言語や、計算能力の訓練、信仰に纏わる知識まで、なんでもだ。
正直、ますます疑問は強まっている。この人は本当に何処から来た何者なのだろう? ……まあ俺はこの人が何者でも別に構わないのだが、それはそれとして気にはなる。そういうものだろう。
さあ、それはともかくとして、勉強勉強。ちゃんと集中して読まねば、何も身につかないからね。
手にした本へと改めて向き直った。詳細に描かれた植物の絵と共に、それに纏わる諸々の事が記されたこの本は、"これで君も今日から分かる! ラクァルの農作物の全て"という、書いてあることの堅さと比べてなんだか妙に軽い空気感の題をしていた。著者は何を思ってこの表題にしたんだろうか?
「……ラクァルで主食とされているのは主に小麦と玉蜀黍であり――」
ぶつぶつと、小声で呟きながら読み進める。ただ黙読するよりは、幾分頭に入りやすい気がするが、これはこれで疲れてくると、ただ言葉にするだけの作業になってしまいがちだから、十分に気を付けねば。
ええと、それで……ラクァルで主食にされているのは主に小麦と玉蜀黍であり、実際に、ここ鉄都でも栽培されているのだが、最も大きな産地は此処から東の方にあるという農業都市、か。一回行ってみたいなあ……。
そういえばこれも勉強しているうちに知ったことだが、この国は、まず国家としての名前がラクァルであり、俺が今いる鉄の都と呼ばれる都市の名前もラクァルなのだという。大変にややこしい。
実は昔はこの都のほうは、リフェクラクァルなどという長い名前で呼ばれていたらしいが、いつの間にか省略されラクァルと呼ばれるようになったとか。
そのため、書物等で名が描かれる際に、判別がつくようにラクァル(都市)などと表記されたりしている。なんじゃそりゃ。
最近では区別がつきつつも簡単に表記できるように、リラクァルなどという、昔の名から縮めた書き方も提唱されているらしいが、流行るかなあそれ。あんまり広まらなそうな気がするんだよなあ。
*
「――――さて、今日の分はこれぐらいでいいかな」
椅子から立ち上がり、読書しているうちに強張った体をよく伸ばす。見るものが見れば、猫の様にでも見えるだろうか?
……腰から背筋を強く伸ばす瞬間とは、なぜこんなに気持ちが良いのだろうかなあ。
俺がそんな若者らしからぬ至福の時を過ごしていると、扉の向こうから、足音が聞こえてくる。もしかして、ダフネさんがお茶でも淹れて来てくれたのだろうか。
ちょっと期待しながら扉を開けると、そこには――
「おう、アーダルベルト。これも読め、これも。面白いぞお」
ディディエである。妙ににこにこしながら、なんだか山のように本を抱えている。どこから持ってきたんだ、そんなに一杯。
持ってきた本を机に下ろし、ディディエは一息ついた。
「ふう……どうだ、調子は。やっておるか?」
「うん、結構順調だと思う、多分。最初にくれた分の半分以上はもう読み終わったよ」
「ほほう、それは良い速度だな。だが、本とは目を通すだけでは意味が無いものだ。
ちゃんと自分なりに、書いてあることを呑みこめているか? ……そうだな、例えばそれ、それは……読み終えたか、そうか。
ではそこの"ラクァルの歴史Ⅰ"には何が書いてあったか、きちんと言えるか?」
「え、歴史書に何が書いてあったかを簡単に説明しろって言うの? ラクァルの歴史のことが書いてあったけど……」
「……すまん儂が悪かった。そうだな、では、光暦300年頃、ラクァルで起きた大きな事件について、説明できるか?」
「それは簡単すぎるよ。あの、由来の知れぬ謎の兵団に当時のラクァルが陥落したっていうとんでもない話でしょ?」
「うむ。では、その後はどうなった?」
「時の王子が一人逃げ延びて、兵を束ねて立ち上がったんだよね。それが後の征剣騎士団になったんだっていうのは、タレルでも聞いたことが有るぐらい有名だよ。 そのとき王子と一緒に居たのが、ディディエのご先祖様を含むラクァルの六英雄。
なんだか神話の、六つの神々が光輪の主と共に降り立ったっていうのに似てて面白いね」
「鋭いな。実際、そういった神々の話に己らをなぞらえ、兵の士気を高めたとされておるのだ……うむ、きちんと勉強しているな」
あ、そうなんだ。ううむ、用兵の妙というものなのだろうか。面白いなあ。
……ところで実はこの辺りの話は昔マルゴー婆さんに聞いたことが有るから、俺が今きちんと勉強していた証拠にはならないんだけど……うーんまあ別にいいか。
「その、赤い表紙の本は何を持ってきたの? 書いてある単語の意味が全然分からないんだけど」
「ああ、これはだな。珍しい外国の思想書だ。中々不思議なことが書いてあってな、別に信じろとは言わんが、見識を広めるうえで役立つものもあるかと思って持ってきたのだ」
「ふーん……因果ってどういう意味?」
「ううむ、それはマク・キシカの方で認知されている概念でだな……儂も別に詳しくは無いが大体は、報いだとか、良きにしろ悪しきにしろ、己の為した事が他者に影響を与えるというような、存在だとか行動同士の結びつきとでもいうか……まあそんな感じだ。多分な」
マク・キシカ。ここから遥か南、底神アギガのお膝元。やっぱり異国では思想も違うんだなあ。
「そっちの、輪廻っていうのは?」
「こっちはだな、あれだ。人や物が死んだあと、また別の何かに生まれ変わるという奴だな。お前も聞いたことは有るだろう? これはラクァルでも語られる概念だからな」
え? ああ、それ輪廻っていうのか。うん、知ってるぞ、それぐらい。
……昔、母さんが教えてくれたのだ、忘れるものか。
「うん。人は死んだあと霊魂になって眠り、また何かをしたいという意志を持った時に、再びこの世に生まれてくる、って奴でしょ? タレルで教わったよ」
「……そんな話だったか? ちょっと儂の知っているものとは違うようだな。やはり、こういった伝承には地域性が強く現れるか、面白い。
まあ気が向いたら読んでみなさい。ちなみにこの中では、儂の一押しはこれだ」
そういってディディエが指差した本には、"紳士の嗜み、髭の全て"と書いてあった。それは俺には何の役にも立たないが?
「わっはっは、そんな顔をするな。将来役に立つかもしれぬではないか」
そう言って、ディディエは己に蓄えられた見事な白髭を撫でつけながら帰ってゆく。
うーん、俺も将来あんなに生えてくるのかな……。
「……ちょっと想像つかないなあ」
自らの顎をさすりながら、そう呟いた。
……そういえばディディエにも髭の無い幼少期があった筈だが、正直想像がつかないなあ。でも、風貌なんかは全然思い浮かばないけど、多分ものすごい腕白小僧だったであろうことは分かるぞ、うん。
一応ぱらりと捲っては見たが、うん。あんまり、興味は無いかなー……齢を取れば、必要になったりするのだろうか?
「……考えても仕方ないか」
ぱたりと、閉じる。
こんなものを読むぐらいなら、違う事をした方が良い――とまでは言わないが、少なくとも、優先的に読むべき物でもないだろう。
ああ。でも、勉強に疲れたときの息抜きには丁度良いのかもしれない。
……或いは、ディディエはそういう意図をもってこれを置いていったのだろうか?
「気遣い、なのかな。もしかして……」
分からない。分からないが取りあえず、有難く思うことにしよう……。
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