第八話 はじめての友

 時が、流れてゆく。ただ健やかに、ゆるりとした日々が続く。その平穏を噛み締めていた。

 こういった喜びに満ちた静けさこそが、人にとって最も大きな幸せ足るのかもしれないと、最近では思っている。


 先日は今年初めての雪が降り、俺はささやかに雪遊びなどを嗜んだのち、ダフネさんと街を巡ることになったのだ。

 出てみると、流石に大通りにも人気がなく、その非日常的な光景を見て、不思議な感覚を覚えるのだった。

 カーレン薬店の前まで行くと、イェニさんがウキウキしながら何かしらの葉を敷き詰めた箱に雪を被せている所に出くわした。


「こんにちは、イェニさん。何してるんですか?」


「やあ、アーダルベルト君! ダフネさんも! ふふふ、これはね。

 雪待ち草っていう薬草なんだよ、風流な名前だよねえ。見てごらん、このままだとただの葡萄みたいな葉っぱだけど――」


 イェニさんは、保管の為に干しておいたのであろう、乾いた雪待ち草を一枚手に取り見せてくれたあと、それに雪をすっかり被せ上から軽くぎゅっと押す。

 暫しの後に雪を払うと、蘇ったかのように生生とした青さを取り戻したそれは、葉の葉脈に添うように、不思議な紋が浮かんで見える。それはうっすらと光ってさえおり、幻想的な何かを予感させるような風合いとなっているのだった。


「わあ。とても素敵ですねえ。これはなぜ、光るんでしょう?」


 ダフネさんが感心したように両手を軽く合わせながらそう訊ねると、単純明快な答えが直ぐに返ってくる。


「ん~知らない! 多分、学者先生の方がよく知ってるんじゃないかな?

 とりあえずね、これをやると薬効がすんごい強くなるんだよ。この時期に纏めて仕込むために、時間がある時にちょこちょこ摘んで溜めておくんだ。

 ここ一年、なんだか原料を卸してくれる商人さんが来る間隔がまちまちでねー、極端なときでは三か月ぐらい遅れたりするんだよ。なんでも街道の方が色々あるらしくってさ。

 だから、色んな所から原料を仕入れる経路を増やしたり、こうやって自分で素材を集めて来たりしてるんだよ」


 雪をきゅ、きゅ、と草に押し当てながら、イェニさんはそう語った。

 うーん、そういう努力をしているんだなあ。商売としてやっていくなら、そういう工夫も大切なのだろう、きっと。


「これが結構、加減が難しくてねえ。冷やし過ぎると、次の日には溶けて無くなっちゃうんだよ。

 ……うーん、完璧完璧。じゃ、私は次のぶんを持って来なきゃいけないから失礼するね! まだ二十キロぐらいあるから、頑張らなくちゃ!」


 そ、そんなにやるんだ。偉いなあ……。

 邪魔しちゃいけないし、今日はもう行こう、うん。素人が手伝えるほど簡単でもなさそうだしね。


「イェニ、あんなに逞しくなって……」


 ダフネさんもなんだか感慨深げだ。


 *


 イェニさんと別れた俺たちは、公園の方へと歩いて来ていた。定番のお散歩コースだ。

 公園は、やはり人気が無く、うっすらと雪が積もり、一面穢れ無き白に覆われていた。思わず、見入ってしまう。


「おっ? アーダルベルト! おーい、何してんだ、こんなとこで」


 騒々しい声と共に、向こうから少年が駆け寄って来た。おいおい、そんなに走って大丈夫か?

 ……あーあー、急に止まろうとするから転んじゃったよ。何をしてるんだ、何を。

手を差し伸べてやると、彼は遠慮なくそれを取る。ぐっと引き起こしてやると、彼は尻に着いた雪をぱんぱんと叩き落とし、何事も無かったかのように、不敵な笑みを浮かべて強がっている。


「誰かと思えば、レオじゃないか。お前こそ何をしてるんだよ、こんな雪の中、傘も差さないで」


「へっ、俺には必要ないね。なにせ俺は将来、英雄になるんだぜ? 雪一つじゃあ止められねえよ」


 何を気取ってるんだこいつは。そんな、鼻を真っ赤にして。


「あれ、そういえば今日は一人? 妹はどうしたの?」


「兄妹だからって、いつも一緒に居るとは限らねえだろ。

 …………あいつは寒いから嫌だって、付き合ってくれなかったんだ」


「そっかあ……」


「ふふ、アーダルベルト君、お友達ですか?」


「あ、そう……なんですよ?」


 何で疑問形なんだよ! 傷つくだろ! という抗議の声が聞こえてくるが、それはひとまず置いておこう。


「実はこの間、街でこんなことがあって――――」


 *


「うーん、お小遣いなんて貰ったけど、何に使えばいいのやら」


 生まれて初めて、自分の為に使っても良い通貨というものを手にしていた。

そもそもタレルでは物々交換のような文化も未だ根強く、通貨というものに馴染みがあるという訳でもない。行商人とか来なかったしなー……。

 そんなこんなで通りをぶらぶらと歩いてはみるのだが、売られているものを見ても今一つ、ぴんとこない。

 確かに色とりどりの飴は美しく甘くおいしいが、今は小腹も空いていないし、服飾の類にはさほど興味もないし、かといって、俺が興味を持っているようなものといえば、弓や小刀といった森の中で使えるような代物である。今はそんなに必要ない。

 うーむ……や、薬草でも買うか……?


「――――だから言ってるだろ、別に要らねえって。なに心配してんだよ」


「でも兄さん、裏のお爺さんが今日は降りそうだって言ってたよ。本当に大丈夫?」


「はあーん? お前あんな胡散くせえ魔術師の爺さんの戯言を真に受けたってのかよ。お前の方こそ大丈夫か?」


「……はあ。まあ、別に兄さんがいいっていうならいいけど」


 路地の向こうから、何やら子供の声が聞こえてくる。内容から察するに、兄弟なのだろうか?

 ちらと目をやると、そこに居た少年と目が合った。


「おい、何見てるんだよ。俺たちが誰だか分かってて、そんなにじろじろ見てるんだろうな?」


 なんか絡まれたんですけど。誰だよ。

 知らん振りをして立ち去ろうとすると、あっ逃げんなよ! と鋭く牽制された。面倒だなあ。

 改めて声の主を確認すると、まだ俺と同じぐらいの年頃の男の子と、恐らくは彼の妹と思われる傘を持った女の子が居た。


「ごめん、君たちのことは知らないや。じゃあね」


「兄さん、この子兄さんのこと知らないって」

「お前も言われてるんだよ! おい、なんでお前みたいな、俺たちのことも分からない無教養なやつがこんなところに居るんだよ」


 確かに無教養な事は否定しないけどさあ、田舎者だし。でも誰だよお前。


「そう言われても、この国で暮らしてよいと言われたのだから。別に、誰にも怒られる筋合いは無いよ」


「兄さん、この子ビビってないよ」

「バカ、言わなくていいんだよそういうことは!

 ……だからどうした。誰に言われたってんだよ、そんなの」


 うーん、あんまりこういう状況でディディエの威光を借りるのは良くないよなあ。適当にぼかすか。


「家の爺さんかな。でかいんだよ」


「知らねえよお前の爺さんの背なんて……まあいい。とにかくお前、新顔だな。こっちに来いよ。

 ……よし、じゃあ勝負だ。先に転んだ方が負けだぞ」


 ……なんでそうなるの? 無視して帰ればよかったなあ。


「ええ? 勝負?」


 戸惑う俺をよそに少年はぐるぐると腕を回している。意気軒昂とはこのことか?

 少年は、高らかに宣言する。


「男と男の勝負だ、お前も分かってるだろ。……フワワンポだよ!」


「いやちょっと待った本当にそれ何?」


「行くぞぉ!」


「話を聞けよ! せめてルールぐらい……うわっ」


 少年は俺の言葉に耳を貸すことなく、勢いよく突っ込んできて、足元の小枝を踏んづけてすっころんだ。痛そうだ。

 幸いにも急所は打っていないようで何よりだ……うーん、可哀想だがこう思わざるを得ない。間抜けだなあ。


「痛ってえ……」


「自分で転ぶなよ……」


「兄さんってほんとにさあ……」


 妹にも呆れられてるじゃないか。普段からこの調子なのか?


「へっ、勝負はまだ終わってねえだろ?」


 そもそも始まってもいない気がするが。


「さっき転んだら負けだって」


「聞こえねえなあ。ほら、立てよ。二回戦だ」


「俺は立ってるけど……とりあえず一回戦は俺の勝ちってことでいいの?」


 訊きながら俺が手を差し伸べると、少年は特段気にすることなくその手を取った。

ぐっと引っ張って起こしてやると、彼は尻に着いた砂をぱんぱんと払い、何事も無かったかのように腕を組んで俺に向き合い、堂々と言い放つ。


「駄目だ。あれは引き分けだ」


「すみません兄さんの負けでいいです……」


「裏切るなよお前ぇ!」


「……帰っていい?」


 俺がやや引きながらそう言うと、彼の妹が申し訳なさそうに手を合わせて俺に頼んでくる。


「ごめんね、もう少しだけ付き合ってあげてくれない?」


「ええい、慈悲を乞うなぁ!」


 妹の言葉を聞いて、彼は間髪を入れずに声を上げる。プライドなのだろうか。

うーん……しょうがないなあー……。


「……ええと、取りあえず、フワワンポって何」


「正々堂々正面から組み合って、先に転んだ方が負けという、俺が考えた騎士の伝統的な訓練だ」


 いやだからフワワンポって何だよ。


「伝統とは。っていうかただの取っ組み合いじゃないか。フワワンポってどこから出てきたの?」


「あー……それね、兄さんが読んでる本の中の物語に出てくるんだ。外国の英雄の名前らしいんだけど、兄さんはそれに憬れちゃって。

 彼みたいになるんだって言って、こう……なんか、形から入りたかったんじゃないかな」


「丁寧に説明するのをやめろぉ! やめろぉ!」


 仔細が語られ、顔を赤くした少年による悲痛な制止が叫ばれた。やや置いて二回言う辺り、本当にやめて欲しいのだろう。

 まあ、そんなことはどうでもいい。それよりも、もっとずっと気になるのは。


「……本。凄いなあ、ラクァルでは子供が読めるような物語まで、本になってるんだ。

 俺が聞いた時は、学者の先生が読むような難しいやつしか本の形にはならないんだ、って教わったよ」


 少年は鼻の下を指でさすると、俺の言葉に対して得意げに喋り出す。……鼻、痒かったのかな?


「そんなの、いつの話だよ。

 ラクァルではとっくの昔に、火山印刷っていう凄い技術が出て来て、本は昔みたいに手書きで写すような時代じゃなくなったんだぞ」


「兄さん、活版印刷だよ。それじゃあいつ噴火するか気が気じゃないよ」


「うるせぇ。どうせ休火山だから問題ねえよ」


 なんだか小気味良いやり取りに、熟達の技を感じざるを得ない。

 きっと四六時中、こんなことを言い合っているのだろうなあ。


「ねえ、本って、誰でも買えるの?」


「お? なんだ、お前も興味が有るのか?」


「有る。昔から、色んな所の話を聞くのが、好きだったんだ。どこに行けば買える?」


「へえ。いいぜ、教えてやるよ。……俺に勝てたらなあ!」


 *


「兄さん、弱ーい……」


 語るまでも無い。まだ野ウサギの方が厄介だ。


「いや、待て、待つんだ。評価を改めろ。こいつが異常なんだ。いや本当に」


「異常とはなんだよ、異常とは」


 あんまりな物言いに俺がそう言うと、彼は大げさな身振りと共に言葉を放つ。


「だってそうだろ。パワーも! スピードも!! テクニックも!!! 全部が、桁違いだ……!

 俺だってもうずっと親父に鍛えられてて、そこらへんのガキに喧嘩で負けたことは無かったんだぞ!

 それが、お前みたいなよく分からないやつに、ここまで手も足も出ないなんて。ああ、こんなのばれたら親父にどやされるよぉ……」


 何だか大変そうだ。人の事情も色々だなあ。

 俺がそう、何となく感じ入っていると、彼の妹は兄の肩に慰めるように手を置きながら、無慈悲に追い打つ言葉を掛ける。


「兄さん。大丈夫だよ。兄さんなら一段と激しくなった父さんのしごきにだって、耐えられるよ」


「お前ばらすつもりだな?」


「仲良いなあ……うーん、まあ確かに村の友達よりは強かったよ。でも、イノシシよりは弱いからね」


「え? 俺イノシシと比べられてるの?」


「それに、俺も爺さんの鍛練に付き合わされてるんだ。家の爺さん、強いから。

 初めて会った時も、熊よりでかくて、目が五つあって、捻じれた角が生えてて、飛ばないくせに翼は有る変な獣を仕留めたんだよ」


「お前どういう生活してたの?」


 *


「お前、大変だったんだな……」


「うん……滅茶苦茶大変だったよ。偶然火打石が出てこなかったら、絶対死んでたもんね」


「お、おう、生きててよかったな……なあ、後で本でも買いに行こうぜ。俺のオススメ、教えてやるよ。

 そんで、お前んちに行って、一緒に読書会しよう。いいだろ?」


「兄さんまた急に……うちね、父さんがあんまり本が好きでないから、家で読んでると怒られるんだよ。勉強もいいけど、鍛練もしなさいって」


 え? そうなのか。服なんかを見るに、結構いい家だろうに。俺や、俺が見ていた村の皆とは違って単なる労働者では有るまいに、勉強よりも鍛練なのか?


「ふうん? ふつう勉強しなさいって怒られそうなもんだけど、家も色々なんだね。

 うん、ぜひやろう。俺、人と一緒に本を読むなんてしたことないや。村では基本的に誰も読んでなかったからなあ」


「よし、そんじゃあ約束だ。来月になったら親父が出かけるから、そん時にやろうぜ。

 ……いや、ちょっと先すぎるな。お預けにするのも悪いし、とりあえず本屋は教えてやるから、好きなやつ買ってこいよ。

 後で見せてもらうぜ? お前の"センス"って奴をよ……!」


「ふっ、分かったよ。楽しみにしておくといい」


「……ところでお前何て言うんだ? 俺は、レオ・モーロワ。格好良い名前だろ? そんであいつはフローリア。俺の妹だ」


「ちょっと兄さん、自己紹介ぐらい自分で出来るよ」


「ははは、本当に仲がいいなあ。俺はアーダルベルト。よろしくね」


 *


「――といった感じでして」


「まあ。それで色々買ってきていたんですねえ。うふふ、誰かのお友達が来るだなんて、本当に何年ぶりかしら?

 きちんとお部屋も用意して、美味しいお茶菓子も作っておかなくちゃいけませんね。

 ええと――――レオ君、どうかアーダルベルト君と仲良くしてあげてくださいね」


 今ちょっと名前が曖昧だった?


「あ、はい。こちらこそ仲良くしてくれて、いつも助かってます」


 おいおい、いやに素直だなあ。いつもの調子はどうした、もしかしてレオは対外的には結構こういう感じなのか?


「よーし、じゃあ俺はまた特訓するから、また今度な!

 あ、それとも一緒に――」


「いや、俺はやめておくよ。またね」


「お、おう……最後まで言わせてくれてもよくない?」


 俺が寒い中ではしゃぎ回ることを厭って突き放すと、レオはちょっとだけ悲しげにそう言った。妙に哀愁を滲ませるその姿に軽く笑いながら謝ると、彼もまた笑いだす。そうしてひとしきり笑い合った後、改めて互いに別れを告げるのであった。

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