第六話 言の葉交わす帰り道

 すっかり忘れていたダフネさんのもとへ戻ると、彼女は堂々とまだ寝ていた。……やはり疲れているのでは? 寝不足か?


「ああ……いけませんよ、アーダルベルト君。そんなに高いところに上ったら、降りられなくなりますよ……。

 ……ああ……ああー……ほら、こっちへおいでー……今ならまだ間に合いますから……ああー…………」


 変な寝言だ。力ない嘆息の喘ぎがダフネさんの口から漏らされるが、もしや夢の中の俺は猫にでもなっているのだろうか?

 ……そこからどう展開されるのかは気になるけれど、日が動いたため影も無くなってしまいそうなことだし、そろそろ起こしてあげよう。


「ほら、ダフネさん、そろそろ起きてください。日焼けしちゃいますよ」


「ふえっ? ……あ、ああ。おはようございます?」


 なんだその鳴き声。


「おはようございます、良く寝ていましたね」


「ああ、こんなに時間も経って……私、あれからすっかり寝てしまったのですね。すみません、きっと退屈させてしまったでしょう?」


「大丈夫ですよ、そんなこと気にしなくても。さっきまで居た魔術師のお兄さんが面白いお話もしてくれたし」


「まあ。魔術師の方が公園に来ているなんて、珍しい事もあるんですねえ。彼らはあまり塔から出てこないのに」


 そうなのか。滅茶苦茶普通に椅子に座って本を読んでたけどなあ。あの人、変わり者なんだろうか。


「そうなんですか? 俺、その塔にも来てみるといいって言われたんですけど」


「まあ。凄いじゃないですか、アーダルベルト君。彼らはあまり社交的では無いことで有名なんですよ?」


「……うーん、確かに人当たりが良い方ではなさそうだったけど、そうなんだ」


 ラクァルの住民は魔術を疑問視し、魔術師たちはそっぽ向いちゃったのかあ。そりゃ大分、溝が深そうだなあ。

 ……ふと気になったのだが、ダフネさんは魔術に対してどのような認識を持っているのだろうか?

 ラクァル人はほぼ知らないとギジグさんは語っていたが、ダフネさんは生まれがラクァルかどうかも分からないし、もしかしたら何か知っていたりするのでは? ダフネさんには不思議な部分も多いし、ひょっとして物凄く詳しかったりしないだろうか。


「そういえば、ダフネさんは魔術って知ってるんですか?」


「うーん、少しぐらいなら知ってるけれど、あまり詳しい訳では無いですねえ。

 その歴史の始まりぐらいなら、聞かせてあげられますけど……」


「わあ、そんなこと知ってるんですか? 聞いてみたいなあ」


「あら。そう言われちゃあ、断れませんね?

 うふふ……もういい時間ですし、帰りながら話すというのはどうでしょうか?」


 そう言って、ダフネさんは椅子から立ち上がる。彼女が組んだ手を高く上げて強張った背筋を伸ばすと、腕が帽子の鍔へと引っかかって帽子が脱げ、落ちていく。

地に着く前に慌ててそれを受け止めて、渡してあげるのだった。


「……気を付けましょうね」


「はい……ありがとうございます」


 *


「では、魔術の興りについてのお話をしましょうか。そもそもアーダルベルト君は、どれぐらい知っているのですか?」


「うーん、殆ど知らないんですよね。十四世紀頃に急に広まった、ってことぐらいしか」


「なるほど。では、何故それが起きたのかは、ご存じないのですね。

 ……アーダルベルト君は、神の都メリスコルグについて聞いたことは有りますか?」


 ええと、聞いたことは有るぞ。


「天上にあると言われている、光輪の神が居る場所のことですか?」


「おお、よく知っていますね、アーダルベルト君。すごいですよ。

 メリスコルグとは、かつて造物主が住んでいたという都であり、今は光輪神ナハーラーム様の坐所なのです。坐所という概念は分かりますか? ……うーん、まあ要は神様の実家のようなものです、うん。

 ともかくそのメリスコルグに、侵入者があったのですよ。その者はナハーラーム様に反逆し、名の神が率いる軍勢と戦ったらしいのです。

 今では確か邪神だとか、無命の簒奪者だなんて呼ばれているらしいのですが……。とにかくその無命の簒奪者との戦いで力を尽くしたのが、トリクナムという神であり、魔術とは、その戦いの中で彼が編み出した技術であると言われています」


 ……固有名詞が多いしややこしいなあ。


 ええと、光輪の神、ナハーラーム。ディディエが前に言っていたように、かつて世界から光が失われたときに降り立ち、すべてを照らしたという慈悲深き神。

 今でも光という概念が力を持っていられるのは、ナハーラームが世界を見守っているからなのだと、マルゴー婆さんは言っていた。

 そのナハーラームが住んでいる都の名前が、メリスコルグ。うーん、あまり馴染みのない響きだ。神々の言葉なのだろうか?

そのメリスコルグを守るための戦いで活躍したのが、名の神の率いる軍勢と、魔術を生んだトリクナム。

 ……名の神は確か、ナハーラームの降臨に伴った六神のひとつで、なんて名前だったかな。聞いたことは有る筈なんだけど、思い出せないや。何かフサフサ……みたいな名前だった気がするんだけどな。ううむ。……そんな名前あるか?


 あれ? 魔術が広まったのって、十四世紀頃の話だったよな。今は……光暦一五〇七年……。


「へえー……え? まさかそれが、十四世紀頃の話なんですか? た、たった二百年ぐらい前に、そんなことが起きてたんですか!?」


「……さあ? 飽くまで、人の世に伝わる伝説ですからねえ。真実かどうかは分かりませんよ?」


「うーん、まあそりゃそうですよね。でも、本当だったら凄いですねえ。まるでお伽噺みたいだ」


 神々の世界を脅かす強大な侵略者と、新たな力と共にそれに立ち向かう英雄。無性にワクワクする。


「うふふ、神々のお話というのも、面白いものでしょう?

 ここラクァルでは血神信仰が中心で、詩人たちもザリエラ様への信仰と、その加護を受けた征剣騎士団の物語を中心に歌っていますけど、他所の国では他の神様への信仰が多く、歌もそれぞれに違うものが好まれているんですよ」


 へえ、信仰もやはり国によって様々なのだなあ。そもそも光輪の神と、それに随った六つの神々……柱の六神か、それだけで七柱もの神様が居るんだものな、色んな信仰の形があって当たり前か。


「国によって、どの神様を中心として信仰しているかが違うんですか?」


「ええ、そうなのですよ。

 例えば、ここからもっと西の大国、ガルラームでは光輪信仰が中心ですし、北部に行けば頂神ゴルレイ、南部に行けば底神アギガ、東南の方では淵神ダルナウェ、といった感じで地方や国によりけりなんですねえ。今挙げた三柱は、それぞれ天空、大地、大海原を司り、ナハーラーム様に次いで信徒も多いのですよ」


「へえ、きっと立派な神殿とかあるんでしょうねえ。一回見てみたいなあー……」


「うふふ、世界を旅して回るというのも、きっと楽しいでしょうねえ。アーダルベルト君なら、大きくなったらきっとどこにでも行けますよ」


「うーん、確かに逞しさには自信が有りますからね。もし、そういう日が来るとしたら、ダフネさんも一緒に行きませんか?

 旅をするには、一人じゃ寂しいですからね」


「あら。魅力的なお誘いですけれど、ディディエ様を置いてはいけませんから、難しいかもしれませんね」


「じゃあ、ディディエも一緒に連れていきましょう。これで完璧です」


「――ふふ、そうですねえ。なら、アーダルベルト君には早く大きくなって貰わなくちゃいけませんね。

 今日の晩御飯は、貴方の持ってきた鴨を使う予定なんですよ。しっかり食べて、元気に育ちましょうね。

 ほら、屋敷も見えてきましたよ」


「はーい! いやあ、楽しみです。実は、自分で獲って来た獲物をちゃんと料理して食べたこと、無いんですよ。

 いつも、塩さえ使えない丸焼きで食べてましたから」


「あら。それなら、腕によりをかけて美味しく料理してあげなければ、いけませんね。

 今日はちょっと頑張っちゃいますから、楽しみに待っていてくださいな」


 *


 ……とても、素敵なお食事でした。

 こんがりと皮目を焼かれた鴨の肉に、見たことも無い、甘味のあるソースがかかっていて、訊けばオレンジを煮詰めたものだという。

 生のオレンジを見たことがなかったから、ラクァルには当たり前のようにそんなものが有ることにまず驚いた。確かもっと暖かい地域の果物だったよなあ。海路で輸送されてきたのかな? あとで実物を見せて貰おう。

 ……とにかく、弾力は有るが柔らかく噛み切れる肉の塩気は完璧で、付け合わせの、これまた如何にも美味しそうな焼き色のついた芋とともにパンに乗せて食べると、脂とソースが絡み合ってパンへと滴り、とろけるような美味しさとなって、舌に広がっていくのだ。焼き目の芳ばしさ、ソースの熟れた魅惑の香気、大地の豊かさを思わせる芋の匂い。全てを包み受け入れて、その内に一体となって溶けゆくパンのうまさ。すごいや、ダフネさんの料理は!


 後で教わることを決意し、今日の所は床に就くのであった。

 うーん、まだちょっとこの柔らかさに慣れないなあ……。

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