第五話 魔術師との出会い

「また来てねー!」


「はい、俺、楽しかったです。今日はありがとうございました」


「うふふ、次に来るときは、ディディエ様の感想を教えてあげますね」


「あははは、楽しみに待っておくよ」


 楽しい時間だった。俺たちは名残惜しくもイェニさんと別れ、再び町へ繰り出した。

 結構な時を過ごしたが、なんと、まだラクァルに山ほどあるお店のたった一軒を見ただけなのだ。……もし全てを見て廻りたいと思ったら、このペースだと一生かかりそうだ。


 俺たちはその後、色々な所へ行った。

 ダフネさんの強い希望でチョコレートを買いに行ったり、通りで演奏している流れ者の楽師を見物したり、足りない日用品を発注してしまったり。貴族用の蝋燭って、村で使ってるようなものとは全然違うんですね……。

 そうそう、服屋に行って採寸をして貰ったりもした。ダフネさんにとっては、これも共に町へ来たかった理由の一つらしい。ディディエが、用意させるとは言っていたが、確かにそりゃ採寸には本人が必要だよなあ。

 身長を計ってもらったら、最後に計ったときから十かそこらぐらいは伸びていた。うーん、成長期だなあ。

 そんなこんなで色々巡り、今は軽く食事をとったあと、腹ごなしに公園を軽く歩いているのである。


 公園。何の為に利用するでもなく、ただ住民たちの憩いの場として開かれた場所。

このように遊ばせることに意味を持つ土地が用意できるとは、やはり余裕の無い村とは違うのだなあ。

 それにしても、随分と色々な人が居るものだ。駆けまわる子供たち、それを眺めながら歓談に勤しむ親、体操をしている妙に恰幅の良い老人に、草の上でただ寝っ転がるおじさん。……仕事の休憩中か?


 そんな喧騒から軽く離れ、俺たちは木陰に据え付けられた長椅子に座り一息つく。

あれこれと今日見たものがどうだったとか、ダフネさんとお喋りをするうちに、彼女はいつの間にか寝息を立てていた。

 結構歩いて回ったし、疲れてしまったのだろう。やはり、普段から休みがあまり取れていないのでは? ディディエも貴族らしからず、自分で掃除や片づけをしているとはいえ、あの屋敷をほぼ一人で管理しているようなものだしなあ。

 ふうむ、俺も色々手伝うかあ。……そんなことを考えていると、何か人の声が聞こえてくる。

 それは木を挟んだ向こう側に居る者が発しているものらしかった。


 気になって覗きこんでみれば、見るからに上流の若い男性が腰掛け足を組み、本を片手で開いたまま何かをぶつぶつと呟いている姿が見える。

 明らかに上等な襟の詰められた服にマントを羽織り、背の辺りで一本に纏められた髪は、丁寧に手入れされていることが一目でわかる。

 ……こんな人物が何故公園で読書を?


「――ああ、クソが。結局どいつもこいつも、魔力とは何か分からぬままに、魔術を振るうことに何の疑問も抱いちゃいねえ」


 なんだ? 魔力? 魔術?

 ……もしかして、マルゴー婆さんが言ってた魔術とやらを修めているのか? あんなよく分からない胡散臭いものを? 青年は俺の視線が気になったか、じろりと一度睨めつけると、再び本へと視線を落とした。


「――魔力とは光暦十四世紀頃に突如として世界に広まったエネルギー源であり――」


 あ、それ聞いたこと有るよ。


「術者によってどのような形質にもなり得るため、幅広い分野での利用が期待されている?」


 間髪を入れずに向けられる、怪訝そうな眼差し。


「……なんだ手前は? ラクァル人の癖によく知ってるな、誉めてやるよ。

 ほら、もう邪魔しねえで向こうに行ってろ。誉めてやったんだからそれで満足しとけ」


「お兄さん、魔術師ってやつ? 俺初めて見たよ。うちの村みたいな田舎には居なかったけど、やっぱり都会には居るんだねえ」


「……ハァー……ああ、そうだよ。魔術師さ。今やラクァル以外なら世界のどこにいってもその存在を見ることが出来るもんだよ。何せ、俺たちは便利だからな。

 魔術ってのはここラクァルでこそ好まれていないが、世界では万能な道具として広く扱われてんのさ」


 ページを捲る手は止めぬまま、視線の一つも寄越すことなく、露骨な溜息をつきながら青年は答えてくれる。


「ラクァルでは好かれてないの? 何で?」


「…………チッ、分かった、分かったよ、そんなにこっちを見るんじゃねえ。

 まず一つは、ラクァルで広く利用されている鉱物、灰銀との相性が変に悪くて、近づけると魔術が妙に乱されて安定しねえってのと、もう一つは歴史的な経緯だな。そもそも魔術っつうものが、人の手で技術の体系として纏められはじめた頃の話だ。

 当時、そんな魔術ってもんを軍事的に利用しようとした初めての国家があってな。

……真面目に話すと長くなるな、掻い摘んで説明するぞ。

 要は、その魔術国家が近隣の国を魔術の力によってどんどん併合していっていた頃、ここラクァルの灰銀纏う騎士達にボコボコにされてな。それ以来の、ああ、あの騎士に負けたやつね、なんていう偏見が拭えてねえんだよ。当時からもう何百年も経ってるってのに……」


青年はそうやって語る間に、気が付いたら指で額を抑え嘆き始めていた。うーん、色々な苦悩があるのだろうなあ。


「なあ、知ってるか? 魔術で放たれる光の矢ってのは、長弓に勝る速度と破壊力を持っているのに、ここの騎士達は剣一本で弾き返して逆に射手を仕留めてた、って記録が有るんだぜ? やってられねえよ、全く……」


「……うーん、確かに征剣騎士ならそれぐらい出来そう……」


「あ? なんだお前、騎士の知り合いでもいるのか?」


「うん。今、ディディエの家で保護されてるんだ、俺」


「……ノアイユの御老公を呼び捨てにするとは、とんでもねえガキだな。あんまり人前ではやらねえ方がいいぞ。

 しかし、まさかあのディディエ翁がねえ……いや、昔も誰か拾ってきて傍に置いていたらしいから、そう不思議な話でもねえのか?」


 ……考えてみれば、随分と気安く接しているのだが、ディディエは押しも押されぬ大貴族も良いところなんだったなあ、そういえば。

 危ないところだった。厳しい人に聞かれていれば、滅茶苦茶に怒られていたかもしれない。この人が優しくてよかった……。


「忠告、ありがとう。気を付けるようにするよ、本当に。

 ……ところで、あの人が誰かを連れてくるのって、そんなに意外なの?」


「ああ。意外に見えるね、俺には。理由は知らんが、あの方はもう長いこと人を遠ざけてるってのは有名な話だ。

 お前、あの屋敷に住んでるなら知ってるんじゃねえのか? 使用人の一人も居ねえらしいじゃねえか」


「ああ、確かに。今は、俺とダフネさんぐらいしか居ないなあ。うん、ほら。あっちの椅子で寝てる人。

 ちなみにあのダフネさんが昔拾われた人らしいよ」


 俺がそう言うと、青年は怪訝な顔をした。


「ああ? 何言ってやがるんだお前。俺が生まれる前の話だろうが、そりゃ。

 そんな奴があんなに若い訳……おい、マジなのか? …………魔術か何かで時間に干渉でもしてんのか?」


「え? 魔術ってそんなこと出来るの?」


「いや……俺は聞いたこともねえな。

 時間に関する魔術の研究は色々と為されているが、今の所は、早める方にしか干渉出来ていないらしい」


「うーん……やっぱり、女の人には謎が多いんだねえ。母さんもよくそう言ってたよ」


 何を言ってんだ、と言わんばかりに青年は無言で肩を竦める。

 ただ目を閉じて軽く頭を振り、その話題はそこまでとなった。青年は、改めて問いかけてくる。


「……ところでお前、どっから来たんだ? うちの村って言ってたよな、そういえば」


「うん。ここから北西の方の、タレル村に居たんだ。もう無くなっちゃったんだけどね。知ってる?」


「まさかあの森の先か? 村が在るなんぞ、知らなかったな。無くなったっつうと、賊にでもやられたのか?」


「うーん、よく分からないんだよねえ。森に入って、帰ってきたら更地になってたんだ。

 それで、ずっと森の中で生活してたんだけど、ディディエ……さんが助けてくれてさ。

 俺を連れて森を離れるときに、ヌシに襲われたんだよ。熊よりでっかい、謎の獣でさ。ディディエ……さんは馬を駆って突っ込んでいって、一撃で仕留めたんだ」


「ぎこちねえさん付けだな……しかし、お前もとんでもない経験をしてるし、ディディエ翁も滅茶苦茶やってるな」


 それには全く同意せざるを得ない。

 ……ところで、一つだけ気になっていたことがある。

 魔術などという不可思議な神秘が、この世に本当にあるのならば、或いは。それを、人が操るというのならば、或いは。


 ……魔術とは、村一つを丸ごと拐かす程の異様な現象を、引き起こし得るのか?


「――ねえ、魔術ってさ」


 皆まで言う前に、青年は俺の疑問を十全に理解していた。


「そこまでのことはそうそう出来ねえ。如何に小さかろうが村ひとつ、建物だって一つや二つじゃねえんだろう? だろ。

 じゃあ丸ごとどっかに持っていくなんて無理だ。並の魔術師じゃあ、それがそこに存在している、という概念を越えられねえよ。

 人がそれを認識している、っつう状態はな、魔術の世界では小さくねえ意味を持ってんだ。俺たちがまず最初に教わるのはな、"意識こそが、それを定める"なんて仰々しい句なんだぜ。

 魔術とは。意識、観測、認知、名前。様々な事象の階層を認識し、その深奥たる"何か"を探求する道の一つでもあるんだよ。

 ……お前には難しい話だったかな。とにかく、多数の人々が認識しているものを直接消し去るなんてのは、人間業じゃねえってこった。

 もし、そんなことをしようってんなら、そこらの凡俗じゃあ例え十人掛かりで生涯を賭しても叶わねえだろうよ」


 ……じゃあ、あれは結局、何だったんだろうか。果たしてそんな規模の出来事など、誰かに聞いたところで真相が分かるようなものなのだろうか……?

 父さん、母さん、皆……俺は、あなた達に会える日は、来るのかな……?


「……おいおい、そう落ち込むなよ、世界は広いんだぜ? 俺だって、この世界について知ってることの方が少ないんだ。

 どれほど偉大な賢者と呼ばれるような存在だろうと、それはきっと変わらねえんだろうよ。

 だが例えどれだけ、そんな風に人間がちっぽけなものだろうとな、それでもそれぞれが何かを知っているし、何かを果たせるんだ。

 俺がこうやってお前にあれこれ言って聞かせてやることが出来るように、お前だってきっと……なんだ、森での生活なんかを他人に指南してやることぐらい出来るだろ? それと同じように、きっとお前の故郷について分かる奴も、世界にはきっといるさ。

 だからお前、それが気になるなら諦めるなよ。心がそれを望むのなら、追い求める意識を持つんだ。

 祈り、願い、意志することを忘れるな。お前がそれを持ち続ける限り、それへの道が閉ざされることは無いのだから」


 俯いた俺に掛けられたのは、余りにも真っ直ぐな激励であった。

 そのぶっきらぼうな言葉遣いとは裏腹に、中身はとても暖かく。そこに有るのは、世界と人への希望に満ちた、前へ進むための言葉と、教え。

 少し、不思議だ。それはまるで、かつてタレル村で聞いた神の教えのようにも思えたからだ。


「うん、ありがとう、お兄さん」


 俺が礼の言葉を口にすると、青年はこちらに目もくれず、本を持たぬ方の手を軽くひらつかせ、こう言うのだった。


「……そら、そろそろあっち行け。俺だって別にやることが無いわけじゃねえんだ」


 やる事が有る人間は、公園で本を読んだりしないのではないかとも思ったが、そういえば、確かに結構話し込んでいるなあと思い至り、言葉をひっこめた。


「うん。今日はありがとう、お兄さん。楽しい話だったよ」


「おう。……そのお兄さんってのはやめろ、落ち着かねえ。ギジグだ、ギジグでいい。さん付けは要らん」


「あれ? そういえば自己紹介もしてなかったね。俺はアーダルベルト。よろしく、ギジグ」


「ああ、よろしく……気が向いたら、西区画の塔にでも来るといい。"ニカリウスの扉"、だなんて大層な名前を掲げてる場所だ。ギジグの紹介と言っておきゃあ、問題なく通してもらえるだろう。

 あそこには魔術師の協会があってな、ラクァルで魔術に興味を持つ者なんぞそう居ないから、手前みたいな小僧がやって来たら、大はしゃぎで歓迎してくれるだろうよ。色々訊きたいなら、丁度いいんじゃねえか」


「わあ、そんな所あるんだ? ……うん、後で行ってみるよ、ありがとう!」


 ギジグは最早返事さえせずに手だけで軽く挨拶し、どこかへと歩いていくのだった。

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