第310話 好き



「結界内で大人しくって……」

「言葉通りです。私では貴方達を止める方法はありませんから」


テスタリカはそう言って頬をかく。事実アルフ達の誰が抵抗してもテスタリカにそれを止める術はない。この結界にしても少しの抵抗で壊されてしまうだろう。テスタリカは攻撃能力も防御能力も魔族にしては極めて低い。一番火力の低いステラの攻撃ですら耐えられるか分からないぐらいには低いのだ。


「この結界の効果は外界との遮絶です。影響を受けなくなるだけとも言いますね」

「せめて納得のいく説明が欲しいんだけど?」


フェリノが少し苛立ったように声を上げる。身の危険がどうとか言われたにも関わらずテスタリカははぐらかす様にして言わないようにしているのだ。スイが居なくなり焦っている状況でそうされるのは酷く苛立つ。


「説明ですか。してあげても良いのですけど……今の貴方達が納得、いえ理解出来るかは分からないとしか言えないのですよね」


まるで馬鹿にしたような言葉に思わずといった感じでフェリノから怒気が放たれる。踏み締めた足から力が伝わったのか結界に罅が入りテスタリカは困ったような笑みを浮かべる。次の瞬間フェリノの姿が掻き消えテスタリカの目の前に現れて肩を掴む。テスタリカの顔が苦痛に歪む。


「良いから早く言いなさい」

「……やはり冷静では……無いですね。いえ、分かりました。一応の説明だけしましょうか」


テスタリカはそう言うとフェリノの腕から逃れて服を少し整える。


「誤魔化さずに言います。私達は貴方達を……そうですね。洗脳に近い事をしていました。正確には違いますが貴方達の感情を操るという点では間違えてはいないでしょう」

「どういう……?」

「私達はスイ様が生まれる際、魔族にとって生きづらい世の中になっている事を予測していました。スイ様の目的を考えるとそれは好ましくない。その為私達はスイ様にある魔法を付け加えることにしました。好意誘発テンプテーショントリガーというものです。効果はスイ様自身の行動に対し好意を抱きやすくしそれを定着させる物です。更にスイ様の為に行動したくなるという追加効果もあります。それを約二年続く様に術式を改良しスイ様自身の余剰魔力で稼働するように仕向けていました」


テスタリカはそこで言葉を区切るとアルフ達を見る。


「スイ様が望めばその魔法の効果はいつまででも続きます。術式として刻まれているので魔力さえ流せばいつまでも。ですけどスイ様はそれを望まなかったのでしょう。スイ様に刻まれていた術式は眠る前から使われていた形跡が一度たりともありませんでした。意図して抑えていたような様子すら見受けられました」


テスタリカは目を伏せてアルフ達を痛ましげな目で見つめる。


「私達が刻んだ魔法は想定以上の効果を見せました。何かと相乗効果を発揮したのか貴方達には……いっそ奴隷とする魔法だと言われた方が納得出来てしまうほどに効果を発揮した。その結果スイ様に掛けられた魔法が効果を失った瞬間から貴方達に掛かっていた魔法が一気に効果を失い……感情を反転させた」


テスタリカの言葉が聞こえているのかアルフ達は動揺を隠しきれない姿を見せている。


「貴方達にはそれぞれ好意誘発テンプテーショントリガーの効果が幾つも同時に発動していました。愛情、友愛、尊崇、好意のありとあらゆる物を詰め込んだと言わんばかりにですね。そしてそれらは……いえ、スイ様に感じていた好意の大半は魔法により植え付けられたものです。それを失い貴方達の身体は本能でそれを理解しその結果としてスイ様に対して……憎悪を抱くようになった。覚えていますか?夜な夜な貴方達はスイ様の元へ歩いて行き憎悪の視線を向けていた事を。覚えていますか?スイ様の首を絞めた事を」


テスタリカはそれだけを言うと目を閉じる。


「私達には罪があります。貴方達に殺されるのも仕方ないでしょう。だけどあの方の、スイ様の事だけは許してください。あの方は何も知りません。いえ知っていたとしても既に掛けられた魔法は解けません。そういう風に作っていませんから。あの方は……悪くないのです」


テスタリカの瞳から透明な雫が零れる。


「私達の傲慢ともとれる行動であの方が苦しむ事になるなんて思っていなかった!私達はそれを理解していなかったのです。あの方を信じ切れなかった……恨むなら私達だけにしてください。お願いします」


テスタリカは頭を下げてアルフ達の言葉を待つ。


「ディーンが……同じ状況の筈でしょ?」

「あの子は恐らく最初から理解していました。出会った頃の事は知りませんが少なくとも私と会った時には既にスイ様に掛けられた魔法の影響下から逃れているように見えました。夢幻ファンタジアは人を誤魔化し騙す魔法とも言えます。恐らくそれで自らを騙すか環境を誤魔化す事で影響を消したのではないかと」

「私達にそれをしなかった理由は?」

「人の感情を操作する魔法は夢幻ファンタジアにありません。既に掛けられた影響から逃れる事は出来ないのでしょう。だからこそ最初から知っていたのではという事です」

「人の感情を……操作する魔法。それが私達に掛けられていたって?」

「……はい。スイ様に感じていた好意は魔法により植え付けられたものです。そこに例外はありません」

「あ、あはは、なら……ううん、だからなの?今それを自覚したからなの?スイに対して凄く怒ってるのはそういう事なの?」

「……」


フェリノの問いにテスタリカは答えなかった。だがその表情は雄弁に語っていた。


「感情が反転したって言ってたよね」

「はい」

「どうして反転するの?」

「……デメリットとして反転させる事で効果を強くした魔法だからです。本来魔法の効果が続く限りデメリットが機能しないので私達は……」

「……これ、スイが魔法を稼働させたら戻るの?」

「いいえ、この魔法はスイ様に対して負の感情を抱いていない事が前提条件となります。元々好意を抱いているのならばそれを更に強く、好意も悪意も抱いていないのならば好意を抱きやすく、悪意を持つ者には効果を発揮しない。そういう魔法です」


テスタリカは話す間ずっと黙っているアルフの方を見る。顔を俯いていてどのような感情を抱いているか分からない。ただその身体から凄まじい程の怒気と魔力が溢れている事から危険な状態である事は分かった。フェリノもステラも同様だ。フェリノは多少マシな様だがあくまでそれはステラに比べたらという程度でしかない。


「ここに居ますか?」


そんな状況で呑気な声でメリーが扉を開いて入ってくる。結界は良く見たら既に壊れていて意味を成していない事を悟った。


「皆さんどうしたんですか?」


メリーがフェリノに近付いてその顔を覗き込む。怒りの感情を滲ませているフェリノを見て驚いたような表情を浮かべるがすぐにいつものような笑み、いや小悪魔のような悪戯な笑みを浮かべるとフェリノの尻尾をギュッと握りながら耳に息を吹き掛ける。


「ひゃん!?」

「そんな怖い顔してたら駄目ですよ?折角可愛い顔をしているのに勿体無いです。ほら、ステラさんもアルフさんも何をそんなに怒ってるんですか?師匠は確かに無自覚にイラッとする発言を偶にしますけどそこまで怒らなくても良いじゃないですか」


ステラの頬をムギュっと挟んでメリーはそう言う。メリーもスイの魔法の影響は受けているのにも関わらずスイに対して何の負の感情も抱いていない様に見える。


「メリー?」

「うひゃっ!?あ、あの、あくまでステラさん達を和ませようとしただけで決して師匠を馬鹿にした訳では!?」

「スイ様に対して怒っていないのですか?」

「へ?スイ様に?どうしてですか?」


テスタリカの問いの意味が分からないとばかりにメリーは首を傾げる。


「……スイ様に対してどのような感情を抱いていますか?」

「どのようなって言われても一言では表しにくいですけど……うぅん、恩人、いや上司?いや違う違う。何と言ったら良いかなぁ。まああの、好きな人ですかね?愛とかとは違いますけどそれが一番しっくり来る感じがします」


メリーはそう言うと小声で「とりあえず怒られないみたいだし良かった」と言ってからフェリノに向き合う。するとフェリノはメリーを見ていて口を開いた。


「スイに感じている好意は魔法によるものなんだって。だから私達は魔法が切れたらスイを嫌う様になってるって」

「???良く分からないですけど嫌いになったならまた好きになれば良いだけでは?その人の事が全部好きなんて人居ませんよ?大好きな親友とだって喧嘩はしますし愛していると言える親と子ですらすれ違ったり喧嘩するんです。その時の感情で嫌う事なんていっぱいあるでしょう。でもやっぱり根本は変わってなくて好きなものは好きなんです。嫌いになろうとしても好きなんです。好きだから嫌ったりもするんです。当たり前じゃないですか」


メリーはそう言うとフェリノを見て手を掴む。


「事情を良く知らないのではっきりとこうすれば良いなんて私には言えません。でも今はスイ様が嫌いになったんですよね?だったらまた好きになりましょう?あれだけ好きだったんです。きっとまた好きになれます。スイ様の事を全部知ってた訳じゃないですよね?今までのものが嫌いになったというなら次に知るものを好きになればいい。それだけの事ですよ」


メリーは笑いながらフェリノの手を取る。


「だから笑ってください。フェリノさんの笑顔が私は好きですから」

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