第308話 暗闇の花
「……」
少女が眠るその隣で少女の寝顔を見つめる一つの影が少女の頬を触る。その手には何の感情もなくただ触れているだけだ。暫しの間そうやって触った後影は部屋から出て行く。その影を見つめる者が一人居たことにも気付かずに。
スイが眠りに着いた後あまりにも何事も無く一年が過ぎようとしていた。その間変わらずアルフ達は天の大陸で鍛練を続けながら日々を過ごしていた。
学園にもまだ通ってはいるが既に殆ど出席していない。二年目以降の授業も代わり映えしなかったからだ。学園で生徒や教師相手に試合をするよりも竜族達との鍛練の方が効率が良いのだから仕方ないと言えるだろう。
アルフ達に用意されていた鍛練には七段階まであるらしいのだが一年が経過した頃には全員四段階まではクリアしていた。これにはドルグレイも驚いていた。というかディーンが一人で真正面からの戦いをクリアした事を驚いていた。
そんなディーンだが最近は妙によそよそしくなりアルフ達との行動を取らなくなってきていた。ステラは悲しそうにしていたが思春期だから仕方ないとアルフに言われて泣く泣く離れていた。何時の間にかステラがディーンに対してメロメロになっていて正直かなり驚いた。
「どうしたよアルフ?」
「デハークか。いや、最近ディーンがな」
「あのちびっこいの?」
「それ言ってやるなよ。それなりに気にしてるみたいだし」
「おう。で、あいつがどうした?」
「特に何かある訳じゃないんだがディーンがよそよそしくなってステラが悲しそうだなぁってだけだ」
「……なるほどな。まああんぐらいの年頃なら仕方ねぇんじゃねぇ?」
「だよな。まあ離れたりする程じゃないしステラもすぐに慣れんだろ」
「……そうだな。あ、つか悪ぃ。まだ用事あったんだった。んじゃな」
「ん、おう」
デハークが去った後アルフは徐に立ち上がると身体を
「ふぅ、やり始めるかぁ」
少し怠そうにアルフが鍛練に励み始めたのを離れた筈のデハークが眺めていた。
「……何とかしてやりてぇんだけどな。それはお前等の問題だ。頑張れよ」
呟いた言葉は風に流され消えて行った。
少女が眠る。それを眺める影は少女の頬を触る。以前はどう触っていたのだったか。どんな気持ちで触れていた?分からない。ただ今分かる事は気を抜けば壊してしまいそうになる程の、いや壊したくなる程の憎悪と憤怒に呑まれそうになるという事だ。
影はこれ以上耐えられないと言わんばかりに離れていく。その瞳は虚ろで何を考えていたのかは分からない。ただやはりその影を見つめる者が一人そこに居た。その者は痛ましげに表情を歪ませていた。
「ドルグレイ様ぁ。私って強くなってるのかな?分かんなくなってくるんだけど」
「間違いなく以前よりかは強くなったと思うが何故そう思う?」
「だって他の皆が鍛練突破して次の段階へ〜ってなってる中私だけ変わらずドルグレイ様だから圧倒される事は全く変わらないじゃん。強くなった実感なんて湧かないよぉ」
フェリノの言葉にドルグレイが唸る。このまま放置して実力に自信を持たせず卑屈にさせるのもどうかとは思うが、そもそもドルグレイが相手することになったのは竜族ではそもそも鍛練の相手として不適格だと判断したからだ。強くなった実感を湧かせる相手と言われてもパッと思い付く訳も無かった。
「むぅ。しかしどうやれば良いというのだ?竜族達とでも鍛練をしたいと?恐らくお前の速さに着いてこれずにリタイアして終わると思うが」
「それはそれで面白そうだけど……お兄ちゃん達と戦いたいかと言われたら違うんだよねぇ。どうしよ?」
「我に聞かれてもな……」
ドルグレイは暫く唸った後に何か思いついたのか表情が少し明るくなる。
「ふむ。間違いなくお前は勝てないがお前の実力を知っている者が居たな。少し呼んでみることにしよう」
「私より強い人かぁ。誰だろう?天の大陸に呼べる人なんだからかなり限られて……」
ドルグレイが交渉に成功したのだろう。目の前に転移の為の穴が開きそこから一人移動してくる。
「クヒャハハ、俺とやりてぇってフェリノ?」
「あ、結構です」
「まあそう言うなよ。実際俺はそれなりにアドバイスしてやれるぜ?」
「いーやーだー!?」
穴から出て来たイル・グ・ルーにフェリノが連れて行かれるのを見てドルグレイは少し満足そうに頷くと鍛練の監督の為に一緒に向かった。その日のフェリノはかなりボロボロで屋敷に戻るなり倒れ込んだのは致し方ないだろう。
少女が眠る。影は頬に触る事すら嫌がる。握り締めた掌からは血が滲む。噛み締めた歯が肉を破り血を垂らす。何も言わずに少女の元を去る。その影を見つめる者は居なかった。
「ステラと一緒の鍛練は初めてだね。頑張ろうか」
「ええ、けれど二人でやるって事はかなり厳しい筈よ。気を引き締めて行きましょう」
ディーンとステラが二人で手を繋ぐ。久し振りの手繋ぎに二人が笑い合う。それを見させられた独身の竜族達から呪詛かと見紛うほどの殺気が膨れ上がるが二人にそれを気にした風はない。
ディーンは十一歳になり一気に背が伸び、最初に会った頃の小さく痩せた姿からは想像出来ない程大きくなった。身長は百四十センチを超え未だに成長している事を考えると将来的にはかなり大きくなりそうだ。そのせいか鉤爪の形状をしているボラムがキツそうだ。
何処かで調整出来る人に頼むしかないだろう。二人して笑い合うその姿に嫉妬心でも起きたのか竜族の男性が近付いてきて二人を離す。
「えぇっと、だな。二人の鍛練はかなり簡単だ。お互いの居場所を一切知らされないまま合流してある地点に向かうというものだ。勿論私達はそれを邪魔するし合流した後引き離されたら不合格としてやり直しだ。個々では敵わないのなら仲間と合流するしかない。それをどれだけ迅速に出来るかを見るものとなる。心してかかれ」
「規模は?」
ディーンの問いに男が答える。それも最悪の答えとして。
「この大陸だ。君らは端と端からのスタートとなる。頑張れよ。ちなみに私なら絶対にやりたくない」
二人の顔が引き攣った。
少女が眠る。影は少女の頬を触る。愛おしげに?否、憎悪と憤怒に彩られたままに触れる。その影の瞳が少女の襟から覗くいっそ艶めかしさすら感じる白い喉元を見る。手を伸ばす。喉は小さく影の手であれば一周出来そうな程だ。そっと手を喉に添える。ぐっと力を入れるだけで握り潰されてしまいそうなそれに力を込めてやりたい。苦しむ顔が見たい。
止めようが無い程の憎悪と憤怒が影を突き動かす。殺してやりたい。この少女を。狂わせたこの存在をどうしようも無いほどに壊してやりたい。ゆっくり力を入れていく。
少女はそんな状態であれど動きはしない。いや動ける状態ではないのだ。当然だろう。もう少し、あともう少し力を入れれば儚い花のように手折れてしまうだろう。もう少し……もう少し……
「駄目だよ。それ以上するなら……僕は殺さないといけなくなる」
影は少女から離れる。声が聞こえた。何処からかは分からない。けれど聞いたことのあるその声は。
影が動揺した時その首に刃が当てられる。動けば死ぬ。それが分かるだけに影は身動きが取れない。
「分かってた。分かってはいたんだ。だけど信じたかった。でも状況がそれを許さなかった。分かってるんだ。最善はここで殺す事だと。スイ姉の為なら僕は殺せる。皆殺せる。それが僕の役割だから。闇の中に生きる僕の役割だから。例え誰であろうと殺す。けどもしかしたらを信じたら駄目なのかな。難しいよね。うん。でも僕はせめてスイ姉が起きるまでは殺さないでおく。もしも起きた時スイ姉が望むなら……僕は殺すよ。だから今は置いてあげる。スイ姉は連れて行くけどね。僕だってずっと見ていられる訳じゃないし……そんな事考えたくないんだけどね。ああ、何を言ってるか多分良く分からないよね。分からなくていいんだ。僕はちゃんと正気を持ってたというだけだから」
影に刃を突き付けたディーンは悲しげに微笑むと影から離れながらスイを抱える。そして窓から飛び立った。影はただ呆然とそれを眺めながら何処かできっと安堵していた。
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