第283話 あの日の出来事



アルフが暫くの睡眠の後、眠っていても感じる程の空腹を察して目を覚ます。身体が休息を求めているのは分かるのだがそれ以上に空腹感が酷い。


「……まあ一ヶ月も寝ていたみたいだしな」


起き上がろうとしたが身体に上手く力が入らない。この一ヶ月という期間は深刻な体力の低下と筋肉の減少を促したらしい。動けそうにないので仕方なく声を上げてディーンに来て貰おうと考える。


「おーい、ディーン」


それなりの声を上げたつもりだったが喉も乾いていたのかあまり大きくはならなかった。しかし五感の優れたディーンはしっかり聞こえたらしく少ししてパタパタと駆けてくる足音が聞こえてきた。


「起きた?」

「おう。腹が減って仕方なくてな」

「それもそうか。それじゃ、ってその前に水でも飲んでおこうか。さっきの声殆ど潰れてたよ」

「助かる。さっきので喉がガサガサしてたんだよ」


ディーンの差し出した水を受け取ると一気に飲み干す。適度に冷やされていたのか美味しい。飲み干したのを確認してディーンがもう一杯と入れてくれたので今度は少しゆっくりと飲んで落ち着く。


「食事の用意してくるから少しゆっくりしてて」

「おう、悪いな」

「気にしないで。僕が好きでやってるんだから」

「それでもありがとう」

「うん、感謝すると良いよ」


わざとらしいその言葉に笑みを浮かべる。ディーンが部屋を出ていったのを見て改めてこの場所を確認していく。所々にアクセントとして花の装飾が飾られていたりして見る者を楽しませる工夫がされている。窓には小さな花が置かれているがあまり匂いは感じない。全体的に見た感想としてはかなりの高級宿っぽいとだけしか言えない。少なくとも帝都で泊まった宿屋よりかは高そうである。

アルフはそこまで考えて逆に言えばそういう高級宿でもなければこの街の治安がそこそこ悪いということなのかと考える。だが窓の外から聞こえる喧騒は和やかな雰囲気でありそういった不穏な空気は感じない。


「まあどちらにせよ食べて体力付けてからだな。じゃないと動けねぇし」


少し待機しているとディーンが部屋に戻ってくる。その手にはお盆が載せられており湯気を立てる美味しそうな食事が並んでいた。アルフはディーンに再度お礼を言うと早速と言わんばかりに食事に手を付け始める。小さな果物らしき物が入った一口サイズのパンに野菜の風味が感じられる透き通ったような色のスープ、塩と胡椒でしっかりと味付けされたスクランブルエッグにパリッと焼き上げられた肉の腸詰めに彩り豊かなサラダ、香り豊かな紅茶と今までに食べた物とは別格で王味亭に勝るとも劣らないレベルの食事だった。

一ヶ月も寝ているならもしかしたら途中で食えなくなるかもなどと思っていたがそんなことは無かった。アルフの胃が丈夫なのかそれとも食事が美味しいから感じなかっただけなのかどちらなのかは分からない。


「美味しかった?」

「ああ、王味亭と比べても遜色無いんじゃないか?」

「ふふ、そっかー。良かった」


ディーンのその言葉に違和感を覚えて見るとにこにこと笑顔である。


「それね、僕が大半を作ったんだよ?」

「は?」

「この花家って宿見た目こそ凄い高級宿なんだけどさ、偏見が凄くてね。僕達亜人族に対しての差別が半端じゃないんだ。って言っても毛嫌いしてるとかそういうのじゃなくて亜人族って基本的に尻尾だったり耳だったり付いててもふもふじゃない?宿に泊めたりするとベッドや至る所に毛が落ちるから嫌なんだって。実際僕達の毛はそんなに簡単には落ちないけど他の人族に比べたらまだ落ちる方だからね」

「だから食事も出したくないって?」

「いやそれに関しては僕が交渉したんだよ。万が一にも毒なんか入れられたら困るからこの宿に居る最中は食事は出さなくて良いって。代わりに厨房を使わせてってさ。お金を積んだらいけたよ」

「な、なるほど」

「今は翠の商会の方から定期的にお金が渡されるからそれを使ってるよ。今までは基本的にそれも使って運営してたけど状況が状況だからね。元々ポケットマネーってやつだし許されるでしょ。こっちにも商会展開させておいて良かったよ。知り合いも居たから商会に泊めるのもありかなとは思ったんだけど防備的には微妙だからね。その点この宿屋はそこそこのお金を取るからか安全面には気を付けてたから及第点って感じかな」


アルフが矢継ぎ早に出されるディーンの言葉に若干引いているとディーンの耳がぴくぴくと動く。


「ん?これは……もうすぐ起きそうかな?」

「誰がだ?」

「……そうだね。まだ言ってなかったからね。でも起きたみたいだし皆で集まってからにしよう。多分あっちもお腹減っているだろうし明日にでもまた話そう。今は寝ていて」

「分かった」


アルフの承諾の声を聞くとディーンが部屋を出て行く。動けないということがこれ程苦痛に感じるとは思わなかった。アルフは何が起きているのか分からないモヤモヤした感情を抱えながら恐らく今日は何も起きないだろうと考え再び眠ることにした。




「……て。……起きて、アルフ兄」


食事をしてゆっくりすると疲れが出たのか深い眠りに入っていたようでディーンに声を掛けられて目を覚ます。起き上がると何故か泣きそうな表情のディーンが目の前に居てぎょっとする。


「ど、どうした?」

「……良かった」


ディーンが涙を隠しもしないでアルフに抱き着く。事情が良く分からないがディーンの身体をしっかり抱き留めて頭を撫でる。


「ディーン、何かあったのか?」

「やっぱりかなり不安定なんだ。最初だけって言ってたけど本当なの?誰か教えてよ……」

「待て待て待て、ディーン落ち着け。深呼吸して何があった?」

「……アルフ兄が眠った後また四日眠ってた」

「……は?」

「……皆もまた眠ってる。起きてもすぐに寝て起き上がれないんだ」

「どういう事だ?」


アルフの言葉にディーンは少し落ち着いたのかアルフから離れる。しかし次から次へと涙を流していて一向に喋らない。泣き止むまで頭を撫でて待っているとようやく落ち着いたのかディーンが頭を撫でる手を止めようとするので仕方なくやめる。


「そうだね。最初から話をしようか。皆が起き上がるのを待っていたらいつまでも話せないし」


ディーンがそう言って少し居住まいを正す。


「あの日起こった事をアルフ兄達は知らないといけない。あの時アルフ兄達は死にかけていた。ううん、実際殆ど死んでたと言っても過言じゃない。でもスイ姉はそれを許さなかった」






「大丈夫、皆私が助けるから」


スイの発動した魔法はアルシェですら全く理解出来ないほどの緻密で繊細でそれでいて大胆な魔法だ。そもそも三つの魔法を組み合わせて使うような大魔法を一人でやろうとしている事がまずおかしい。どれだけの魔力量を持つ者だろうとそんな事をすれば一つとして魔法は成立せずそれどころか魔力を全て食われて死に至るだろう。


「な、あ、あれは……!」


ガタガタと震える身体を抑えつける事すら難しい。近くに居るだけで死を感じる程の濃密な死の気配。魔法が発動してから暫くしてから漂い始めたそれはたった一度だけアルシェが自らの身体を捨て去る時に感じた死の視線かみのひとみ。hey理を塗り替えようとした時に感じるそれは常人では耐えることも出来ず自害するであろう。アルシェの時は一つだった。しかし今感じるそれは優に十は存在する。現にその存在を理解したガゼット、グイード、アスタール等は自害しようとしている。それ程までに酷く恐ろしい存在なのだ。

アルシェが耐えられているのもそういう存在が居ると知っていたからに過ぎない。なのに小さな兎人族ウェアラビットの少年とその横の少年はそれらを完全に無視している。感じていない訳では無いだろう。だがそれを無視してひたすら自分達の主である少女を見つめている。


「ナイトメアを近くに」


スイの言葉にシェスは頷くとすぐに駆け寄る。スイの手が届く位置になると躊躇うことなくナイトメアの身体の中に腕を突っ込ませる。ズブッと入ったその腕はすぐに引き抜かれて中から死体となったイーグの身体が出てくる。アルシェは声を上げそうになったが近くに立つ兎人族の少年から強烈な殺気を感じて口を噤む。恐らくだが死から縁遠くなった筈のアルシェをこの少年は殺せるのではないだろうか。

ナイトメアの身体は魔力も同時に取られたのか少し身体が薄くなっている。シェスはスイがもう要らないと判断してナイトメアの身体を持って下がる。


「……イーグ、ごめんね。貴方を死後に汚すような事を私は今からする。恨んで」


スイはイーグの身体を一度だけ抱き締めると魔法陣の儀式の位置にその身体を横たえる。


「ふぅ……アルフ、フェリノ、ステラ。貴方達を今から私が…………」






「……待て、つまりそれは、今俺の身体は」

「アルフ兄達はスイ姉の眷属となった。武聖イーグの身体を移植するような形で身体を補完してね。それと三人にはスイ姉から身体を補完させる目的で……スイ姉の持つ混沌の素因をバラバラにしたそれらを移植されてる。更にスイ姉は混沌の中にある改竄の力を使って無理矢理三人を蘇らせて……その反動でスイ姉は今意識不明の状態だよ。起き上がるまでイルナ様が言うには最低でも年単位。最高だと……それこそ五十年経っても目が覚めることは無い」

「……!?」


知らされた事実に吐き気を催しかねない。アルフは顔を青ざめさせてディーンを見るがその表情に嘘の様子はない。


「アルフ兄達の身体は不安定な眷属化で暫くは普通の人族や亜人族みたいに成長するらしいよ。これはイルナ様も魔王様達も言っていたから間違いないと思う」


ディーンの言葉が遠くに聞こえる。自分達を甦らせる為に恋人がその身を犠牲にした。勿論死んではいないのだろう。だがその事実はあまりにも重くアルフの身にのしかかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る