第282話 それは重く苦しくて



まずはステラだ。死の回避デスアヴォイドによって即座に死ぬということは無いが危険な状態である事に変わりはない。急いで治癒魔法を掛けていく。しかし全身を包んだ黒い炎は消えても尚その治癒の効果を虚しく消し去っていく。


「ちっ、やっぱり通常の治癒魔法じゃ溶剣の炎に負けるか。消えた後ならいけるかと思ったんだけど」


ステラへと掛けられた治癒魔法はほんの少しの皮膚の再生をしただけで殆ど意味を為していなかった。


「仕方ない。ステラ少し待ってて」


ステラの治療を後回しにしてフェリノの治療を行う。フェリノは単純に骨が折れて臓器に刺さっていると思われる。治癒魔法で十分に回復可能だろう。


神癒コールヒール


しかしその目論見も外れてしまう。


「あ、れ……何で治癒魔法が掛かってくれないの……?まさか!?」


慌ててフェリノの状態を詳しく見ていく。するとフェリノの身体の中の魔力回路とでも呼ぶべきそれがズタズタに引き裂かれていた。恐らくヴェルデニアの膨大な魔力による追撃が入り魔力に対して耐性が強いとは言えないフェリノの魔力回路が壊されたのだ。そのせいで治癒魔法を掛けても上手くその回路に乗れず治癒魔法の構成が崩れてしまうのだろう。


「不味い。治癒が出来ない」


スイは頭を働かせていく。しかし既にその結論は出ていた為その思考は一瞬で終わる。


「シェス、ナイトメアを引き摺ってでもこっちに連れてきて。ディーン、無理矢理でも構わない。人災達を連れて来て」


二人はその言葉に即座に頷くと走り出す。その間スイは準備をし始める。程なくしてナイトメアを連れてシェスが戻ってくる。ディーンはまだ戻ってきていない。


「シェス、ディーンの所に」


手こずっていると判断したスイはシェスに応援を頼み自らは複雑怪奇な魔法陣を描いていく。その魔法陣は傍目から見てもかなり高度かつ繊細な魔法である事が分かる。シェスを送り出してから僅か五分後にディーン達が戻ってくる。人災達は特に怪我等はしておらず平和的に連れてきたと分かった。

その人災達はスイを警戒の目で見ている。当然といえば当然だろう。そもそも魔族であるという時点でガゼットとグイードは敵視していたしそもそも少し前に殺し合いをした仲だ。寧ろ連れて来れただけ良くやったと言うべきだろう。ちなみに散々なことをされているアスタールはもう涙目で帰りたそうだ。恐らく前回は仕方なくとしても今回の襲撃はしたくなかったのではないだろうか。


「ディーン、シェス、二人の血を貰うよ」


スイの身体の中に残っている魔力量では今回やろうとしている魔法は発動出来ない。いやそもそも一人でやる魔法でもなければスイが万全であっても魔力は足りないような魔法だ。それに即興で作っているので魔力の消費量など一切考えていない。その為桁外れの魔力量が必要となっていた。

血を貰うという発言からディーンは人災達を連れて来させた理由をはっきりと理解した。その為小さくボラムの万毒ヒュドラを発動し人災達にそれを染み込ませた。無味無臭で忍び寄るその毒には流石に気付く事も出来なかったのか次第に身体が痺れ出し四人の人災達は地面に崩れ落ちる。


「あぁ!?だから言ったんですよ!?絶対に碌な目に合わないって!私は帰りたかったのに!」

「うるせぇ!アスタールお前ほんとに性格変わったなおい!自信過剰気味なお前はどこ行った!?」

「む、動けん。毒か?」

「まあこうなるじゃろうとは思っておったがそもそもなんの為に動けんくするのかの?殺すだけなら秒殺出来るじゃろうに」

「殺すだけなら魔法一発で殺せる。だから大人しくしろ。終わったら解放してやる」


スイは短くそう言うと魔法陣を起動し始める。


「なんじゃこの…複雑過ぎる魔法陣は……我でも読み取れん」


アルシェの畏怖の声を聞きながらスイは全力で魔法の構成をしていく。万が一にも失敗すれば即座にそれは手痛い反撃となって返ってくるだろう。


「……すぅ……はぁ……」


深呼吸を繰り返しアルフ達を見つめる。その瞳には必ず助けるという固い意志が感じられた。


「創命魔法……異命混濁いめいこんだく異魂混濁いこんこんだく亜応純接あおうじゅんせつ


複雑な魔法が三つ重なり合って膨大な魔力が空間を彩り始める。その全てが緻密な計算によって動き始めその中心部に立つスイの姿は魔力の奔流によって浮き上がった綺麗な白髪と相まってまるで天使のように見えた。


「大丈夫、皆私が助けるから」






「うっ……」

「アルフ兄!?」


その少しの呻き声にベッドの近くで待機していたディーンが駆け寄る。しかしその呻き声が起き上がろうとしているものだと分かるとほっと一安心する。少ししてアルフが目を覚ました。


「…こ…こは?」

「宿屋だよ。ボリっていう小さな街の花家はなやって宿」

「花屋?」

「花の家って書いて花家だよ」


その言葉通り宿にしては妙に多くの花の匂いが感じられた。その全てがしっかりと計算されて置かれており亜人族で五感の鋭いアルフですら嫌な匂いとは感じなかった。


「何でこんな所に?」

「落ち着いて。まずアルフ兄はどの辺りまで覚えてる?」

「覚えてるのはスイを庇って変な黒い攻撃を受けてから反撃した辺りまでだな」

「ああ、やっぱりその辺りだよね。あそこから意識戻らなかったし。とりあえず落ち着いて聞いてね。まずあの日から一ヶ月経ってる。ずっと昏睡状態だったんだよ」

「一ヶ月……だと?」

「そう。色々とあったせいとはルーフェさんが言っていたけどまさか一ヶ月も寝たままになるとは思ってなかったよ」

「色々?いやそれは良いか。とりあえずスイは無事か?ディーンが落ち着いてるから死んではないんだろうが怪我とかはしてないか?」

「死んではないよ。うん。死んではね」

「どういう……」

「とりあえず今はもう少し寝ててよ。次に起きたら食事と治癒の結果を調べる。そこから行動ね」

「スイは」

「良いから!僕が今回アルフ兄達の面倒を見続けてたんだからちゃんと聞いて!」


ディーンの何時になく怒る声にアルフは口を噤む。どちらにせよ体力の低下は感じており既に眠気が来ていることもあった。


「分かった。だけど後でちゃんと教えて貰うからな」

「勿論、皆は知らないといけない事だからね」

「色々と気になるけどとりあえずは休ませて貰うよ」

「うん、そうして。ちゃんとどうなったかは教えるから」


ディーンのその言葉を信じアルフは再び横になる。ディーンはそれを見てから部屋を出ていった。


「……(一体何があった?スイは無事なのか?俺以外にも怪我をしたのが居るのか?フェリノとステラは?イルナ様は?人災達は?あの黒髪の少女は?分からない事だらけだが今は考えても仕方ないか)」


アルフは少しの間考えていたが動いて確認しないことにはどうせ分からないと考えてすぐに夢の世界へと旅立った。




「…………死んではないんだけどね。死んでは」


ディーンは小さくそう呟くと一つの部屋の中に入る。そこには一人の少女が眠っている。あの日から一ヶ月経っても起き上がる兆候すら見せないまるで人形のような少女。


「……スイ姉、今日アルフ兄が起きたよ。一ヶ月も寝てたんだよ。寝坊助さんだって怒ってあげてよ。だから……ねえ、早く起きてよ」


ディーンは指先をスイの頬に当てる。熱は感じる。当たり前だ。生きてはいるのだから。


「あら?またここに来たの?」

「ルーフェさん」

「ルーフェでいいって言ってるのに。ディーンちゃんは固いわねぇ」

「目上の人に生意気な口なんて聞けないですよ」

「ふぅ……でもそんな真面目なディーンちゃんも可愛いわねぇ」

「……また抱き締めてぐるぐる振り回すのだけは辞めて欲しいです」

「うっ、わ、分かったわ。だってエルヴィアったら中々子供を一緒に作ってくれないんだもの」

「生々しいです。少なくとも十歳の子供に話す内容じゃないですよね」

「……時々君が十歳に見えないのよね」


この一ヶ月の間にディーンの年齢は一つ上がって十歳になっていた。その性格や話し方からどうも十歳に見えないようだ。


「まあしっかりしないと皆意外と適当な性格してるから」


アルフは基本的に考える事が嫌いで力尽くで物事を解決しようとして何故かそれで解決するしフェリノは意外というか性格的に関わってきそうだが実は積極的に関わってはこない。ステラは基本的には考えるのだがある一定の許容値を超えるといきなりポンコツになるという変な欠点があった。それに気付いたのは翠の商会の運営にステラが手伝いに来た時に判明したのだがいきなりポンコツ化したステラは可愛かったとディーンは思い出した。


「そうなのね。ステラちゃんとかしっかりしてそうだったけど」

「基本はしっかりしてますよ。突然ポンコツ化するだけで。後細かい所には僕の方が気付きやすいから結果的に多く動いてるだけです」


ディーンのスイに出会うまでの人生ではどれだけ小さな情報でも大事にしておかないと後々後悔することが多かった。その為か情報収集という行為はディーンの人生の大半を占めているせいか逆に情報収集していないと落ち着かないのだ。

だけどそれで良いのだ。これからも恐らくその生き方は変わらないだろう。しかしそのお陰で主であるスイが助かったりアルフ達を助けられるのであればそれ程嬉しいことはない。それにそのお陰でこのボリという地図にも載っていないような街の情報も知っていたのだ。やめることは無いだろう。


「損な性格してるわねぇ」

「駄目ですか?」

「いいえ、良い子を捕まえたなとスイちゃんに感心してるわよ」


スイが褒められてディーンは嬉しそうに笑う。しかしその笑みはすぐに失われ代わりに悲しげな表情になる。


「スイ姉はいつ起きるかな」

「私では何とも言えないわね。イルナ様の言葉通りとしか言えないわ」

「……起きるまで最低でも年単位が掛かる…か」


別れ際に言われたその言葉がディーンの心を揺さぶる。そして再び小さく「起きてよ」と呟く。ルーフェは聞こえたが何も言わずその痛々しげなその姿を見て悲しげに瞳を伏せた。

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