第266話 名前も知らぬ主
「あら?起きた?」
宗二は床に放置されていたようだ。起きた時に気を失う前と寸分変わらぬ光景が目に飛び込んできたのだからそれは理解出来た。ただ凄まじく喉が渇いているのと腹が減っていることから気を失ってから一時間とかその程度ではないだろう。
宗二は自らを気絶させた元凶である少女を見る。美しい少女だ。流れるような白い髪は光を反射して幻想的な光景を映し出す。澄んだ翠の瞳は深い知性を感じさせる。見た目こそ幼い方ではあるがもう少し大人であれば世の男性の視線を独り占めしかねない。宗二はアネリしかそういう対象に見ていないので大丈夫だがこの少女の外見に血迷う人はかなりの数になりそうだ。
しかしそんな少女の口元は意地の悪そうな笑みで彩られており瞳には嗜虐的な光が点っている。どう見ても人を虐める事に愉悦を感じる性格なのが分かる。そして今その対象が宗二とアネリの二人である事も分かる。
「あぁ、起きたよ」
どうやら少女がすぐに殺すつもりがないというのは態度で分かったので素直に言葉を返す。とは言ってもそもそも抵抗すら出来なかったので少し諦めが入っているとも言えるが。そんな宗二の言葉に何を思ったのかはたまたどうでもいいのか少女は何処かを見つめ首を傾げる。
「ふぅん、貴方達って別に神に監視されていたりしないのね。されていると思っていたから少し拍子抜けしたわ。真達とはあまり会っていないから確認してないしね」
少女はそれだけを言うと自らの指に嵌められている指輪を触る。すると少女の掌に白パンが幾つも現れる。それと同時に果実水と思われる飲み物も現れる。それを何処かに置こうとして無かったからか少女は少し考えた後にまた指輪を触ると木で出来たテーブルと椅子が床にドスンと小さく音を立てて現れた。
「とりあえず貴方丸一日寝てたのだし食事でもしながら私の話を聞きなさいな。アネリは食べられるの?」
「俺の支配下にあるアンデッド達は元の身体とほぼ同じだ。食事も出来るし排泄関係もそのままだ」
「アンデッドというよりまるで時間制限付きの蘇生ね。不思議な能力。まあそういうことならアネリも食べなさい」
少女はアネリを立たせて俺の隣に腰掛けさせる。というか椅子とか出せるならさっきまでなんで床に座ってたのかと問い質したくなるが多分意味は無いのだろう。
「宗二はこの塔にあった書物は読んだかしら?」
「あぁ?書物?」
「宗二さん、私が読んだやつだよ」
「……何だっけ?」
「ほら、ここは魔王ウラノリアの娘さんが居るって」
「あぁ、思い出した。そんなのがあったな」
「その娘が私」
少女の言葉に目を瞬かせる。アネリは既に聞いていたのか特に驚いた様子は無い。だがあの書物の内容だと娘は現在ヴェルデニアと名乗る魔族と敵対している筈だ。何故こんな場所に居るのだろうか。アンデッド達の情報網はかなりの広範囲に散らばっていてそれらしき目撃情報も宗二の元に集まっている。それを考えるとこの少女は凄まじい速度でこの迷いの森まで突っ込んできたことになる。
「剣国近くに居たはずのお前がなんでこんな所に居るんだ?」
「あら?貴方の情報網って中々優秀なのね?でも残念ね。私みたいな魔族だと情報が伝わるよりも前に貴方の喉元に刃を突きつけられちゃうんだから」
少女はそう言いながらもそうするつもりはまるで無いのか指輪から瓢箪のような形の果物を出して爪で器用に皮を剥いていく。
「まあそれはそれで使いようがありそうだし別に構わないのだけど」
「使いようって」
「貴方はもう私の眷属だもの。
少女は笑顔でそんなことを言う。それと同時にピッと指先を動かして果物を真っ二つ、いや八つに切り分ける。
「この果物はナイフなんかの金属で切ると匂いが酷くなるのよね」
どうでもいいことを言いながら少女は切り分けた果物を摘んで口に運ぶ。二個目を摘むと少女は立ち上がり俺の背後に回ると俺の身体に
「驚かないのね」
「驚いてもどうしようも無いからな。んで?あんたは俺に何をさせたいんだ?」
「そうね。その前に表舞台に立てなくなっても大丈夫かしら?」
「要らね。そもそも表舞台に俺みたいな異端は立てないだろ。この世界でのアンデッド達の立ち位置ぐらいは分かってる。そしてそれを作る俺の立ち位置もな。真達に俺が生きていると知らなければそれでいい。元の世界に戻るつもりもないしな」
「いい返答ね。最高に近い。今貴方は私の眷属となっている。私が死ねば貴方も死ぬわ。逆は無いけど。代わりに貴方には私が死ななければ永遠の命と多少の再生能力、身体能力の向上が与えられている。それが眷属のメリットね。デメリットはそもそも眷属になれずに死ぬとかなんだけどそこはもういいわね」
「殺すつもりは無いとか言っときながら死ぬ危険があるやつを俺にやってたのかよ」
「ええ、眷属にでもしないと貴方を縛れないでしょ?安心なさい。貴方が私に従順で居続ける限り私は貴方を重用してあげる」
少女はそう言って俺の背後から俺の口の中に果物を入れてくる。少し酸っぱめだが味が蜜柑に近い。ただ口を閉じれない。少女が何故か指を入れたままにしているからだ。
「舐めても良いわよ?別に貴方に舐められようとどうでもいいもの」
そう言いながらも笑みを浮かべる少女を見ると舐めたら色々とまずい感じがする。さっきも感じたが少女は恐らく人を虐める事に愉悦を感じると思われる。舐めたが最後折檻される可能性は否定出来ない。
「別に貴方を壊そうなんて思ってないけどそこまで警戒されると少し面白くないわね。まあアネリで遊んで……」
アネリの名前が出た瞬間咄嗟に口を閉じてた。俺なら耐えられるかもしれないという希望的観測だがアネリに手は出されるよりはマシだろう。
「……ふふ」
少女の小さな笑いが聞こえた瞬間口の中で指が動いたと思った瞬間ミシッという音と共に奥歯が一本抜かれた。叫び出したくなる程に痛い。少女が今どんな表情を浮かべているのか分からない。
「叫ばなかったからこれでお終いにしてあげる。そういう漢気があるのは嫌いじゃないわ」
少女が奥歯を引き抜きながらそう言う。俺の奥歯を少女は一度見た後そのまま塔の外に放り投げる。
「まあ奥歯程度ならもう治ってると思うけど」
その言葉通り違和感がかなりあるが奥歯がもう生えていた。特に噛み合わせとかに異常もなく不思議な気持ちだ。
「あぁ、それと今の私は私であって私じゃないから次に会う時はこんな感じじゃないと思うわ。偽物って訳じゃないから間違えないでね」
「意味分かんねぇんだけど?」
「分からなくても良いわよ?これは魔族にしか関係の無い話でもあるもの。話してあげると衝動っていうのが魔族にはあるのよ。それを今無理矢理喚起された状態って訳。まあ私がそんなものを無防備に喰らうわけがないのだけど」
少女が言うには衝動というものを無理矢理喚起する能力を受けた。しかしそれを無防備に食らうと手当たり次第に暴れ回ってしまうので手を打った。それが衝動というものを自らの中で別の存在として確立させて別の人格を与えた。どうやら本来の少女の性格は抜け目ない性格だったようでそうして分けた人格を後々吸収する事で衝動という現象そのものを制御下に置こうとしているらしい。元からそれなりに衝動を制御していたこともあって今回の事を良い切っ掛けにしようとしていると。
「……なんというか考える事が凄いな」
「そうよね。私自身驚いているもの。私がした事でもあるのだけど不思議な会話ね」
「だけどそれならお前は暴れ回らないとおかしくないか?」
「そうね。今はアンデッド達を殺して少し落ち着いているけどまたすぐに暴れ回るでしょうね。私の元の性格が私という衝動を抑えようと思えばまだまだ時間は掛かるでしょう。本能を消そうとするようなものだし。上手く行けば衝動という力を完全に使えるから戦力的にはアップするのだけど。それまでに幾つの町が滅びちゃうのかしらね?」
「なら良い街が幾つかあるぞ。そこを教えてやるからそこの街で暴れ回ったらどうだ?」
「止めないの?」
「別に。俺やアネリに害がないならどうでもいい。それに教えるのはクソみたいな街だけだよ。真達とは違って俺は旅してたからある程度は知ってるんだ」
それに少女の目的を考えると人族の悪いやつや亜人族の悪いやつも殺害対象だろう。なら無差別に暴れて関係無い人が巻き込まれるより元からクソみたいな街の住民に限定したら被害も多少抑えられるだろう。
「ふぅん……?ま、いいわ。なら教えてもらおうかしら。私だって無為に人を殺したくはないしね」
そう言って少女は実に楽しそうに果物を口に含んだ。クシュッと潰れる音が妙に耳に残った。
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