第259話 貴方の名前は
「この子の名前は?」
「名無しですのでどのようにでもお呼びして頂けたら宜しいかと」
「そっか。ねえ、君はどう呼ばれたい?」
「……?」
スイの問い掛けに男の子は不思議そうに首を傾げるばかりで答えようとしない。
「その子は名前どころか言葉すらまともに知らないのですよ。ですので多少お安く売らせて頂きます」
奴隷商はそう言って契約金として金貨三十枚を要求してきたのでその場で払う。三十枚程度で買えるなら安い買い物だと思う。まあ今の人族や亜人族に即金で払える者はそう居ないと思うが。
「分かった。なら貴方の名前は……シェス。今日から貴方の名前はシェスよ」
「……」
シェスと名付けた男の子は良く分かってはなさそうだったけどこくりと頷いた。その様子に教えるのは大変そうだなと思いながらもどこかほんわかとしていて私の心を少しだけ癒してくれた。
シェスを引き連れて地下室から出る事にする。途中で奴隷の男達が虚ろで言葉も返さない事に気付いたが正直どうでもよかったのでスルーした。地下室を出るとシェスは眩しそうに目を細める。あの暗い地下室から出ると確かに眩しいかもしれない。
そしてソファに寝かせてあるイーグを抱き抱える。そう言えば今更なのだが未だ姿自体は消していた筈だけどシェスは関係ないかのように私の事を最初から認識していた。幾ら強くても透明になる魔法はそういう強さだけで見えるものではないからシェスの瞳も特殊な力かそれに類する物を持っていると思うべきだろう。
「……」
シェスが私が抱き抱えたイーグの服を摘んだ後私の服を摘む。何がしたいのか分からず暫くやりたいようにやらせていたらイーグの身体の下に腕を潜り込ませて私から離すように持ち上げる。私が抱き上げるのではなく自分が抱き上げるという意味だとようやく分かった。
シェスはディーンよりも小さいにも関わらずその力は相当なものの様でイーグを抱き上げているのにその動きに疲れは見当たらない。流石に歩きにくそうにはしているがイーグの身体が地面に当たる事もなく安定している。
「疲れたら私がやるからね」
本人がやりたがっているのならやらせてあげようと思い、そう声を掛けた後は家から出ていく。当然のようにシェスにも魔法で見えなくさせたが家の外で待っていた奴隷商はそれをすぐに見破った。やはり看破系の魔眼とでも呼ぶべき何かを持っているのだろう。
「ではお嬢様、私はこれにて失礼させていただきます。縁があればまたお会いしましょう」
奴隷商はそう言いながら一礼をすると踵を返してまた歩き出した。今回は確かに良い買い物だったと思うがどうにも掌の上で転がされている感が半端じゃない。まあ奴隷商がスイの行動の制限など出来るわけが無いのだから気の所為なのだろうが。
「……ん、まあいいか。行くよシェス」
シェスは少しの間考えてすぐに後ろをちょこちょこと追い掛けてくる。少し可愛くてシェスの頭を撫でると不思議そうな表情を浮かべた後気持ち良かったのか目を細める。シェスの頭は触り心地が凄く良かった。勿論アルフやフェリノ達のようなもふもふとは違うがこれはこれで良いと思える。
少し寄り道もあったがリュノスの街からすんなりと出れた。門番達も違和感は感じるのだがやはり入った時と同様気付かれることは無かった。シェスが周りを物珍しそうに見ていたのが印象に残った。
街道から外れて少し待っていると恐らく正規の手続きで出てきたであろうナイトメアがスイの元へと馬を走らせてくる。初めて見るのかシェスはナイトメアと一緒に生み出された黒馬をじっと見つめている。食料として認識していないことを祈るしかない。
ナイトメアはシェスを見ると即座に戦闘態勢に移り腰の剣を抜き放つ。黒馬もそのナイトメアと同様に生み出された存在だからシェスをかなり警戒している。
「……姫様、危険です。お離れを」
「大丈夫。この子シェスは私の奴隷だよ。危害を私に加えたりは出来ない」
「……奴隷ですか?」
「そう。信じなくても構わないけど私の言葉も信じないってことになるよ?」
そう言うとナイトメアは慌てて剣を元に戻す。黒馬もそれを理解したのか警戒の目を少し緩めたように見える。
「……しかしどうしてそのような事に?」
「まあ色々あったんだよ。とりあえず移動するよ。馬車を出すからまた御者をお願いね」
ナイトメアは色々と言いたそうだったが私が馬車を出すと渋々と馬車に黒馬を繋げていく。まあ説明自体は比較的簡単ではあるが少なくとも街道から逸れているとはいえここで話す内容でも無いだろう。
私が馬車に乗り込むとシェスが少し困惑する。イーグの身体を見ていたので私が引き継いで馬車の中に入れるとシェスも乗ってきた。馬車の椅子はふわふわしているのでシェスは驚いた後その感触を楽しみ始める。
「……姫様、行先は?」
「迷いの森」
ナイトメアは私の言葉に何も言わずに馬車を奨め始める。黒馬はかなりの力持ちのようで速度がぐんぐんと上がっていく。シェスは窓からその景色を見ていたが途中で飽きたのか私に少し身体を寄せる。私がシェスの方を見ると純粋な笑顔を見せる。悪意に晒された事が無いのかそれとも晒されてもそれを苦にも思わなかったか。まあ奴隷になっているのだから後者だろう。
「迷いの森までどれくらい掛かる?」
「……二週間は掛からないと思います」
黒馬が早いからか想定よりは早く着きそうだ。私は指輪から串焼きと果実水を取り出すとシェスに渡す。シェスは受け取った後暫く困惑した後串焼きの匂いに負けたのか一口食べた後は目を輝かせて食べ始めた。私も自分用に串焼きと果実水を取り出すと食べる。
少し足りなそうだったので串焼きを何本か追加してシェスに渡すと受け取った後一つの串焼きを私の口元に持ってくる。一口食べるとシェスは満面の笑みを浮かべる。一応私が渡した物なのだけれど喜んでいるからいいかと好きなようにさせる。
「……♪」
シェスが喜びながら食べていたら突然食べ終えた串焼きの串を窓から投げ捨てる。いやもうそれは投げ捨てるというよりかは投擲という言葉が相応しい勢いだった。その串は勢い良く飛び茂みから飛び出した蛙の魔物に突き刺さる。頭部にぐっさりと刺さった串は半ばどころか奥の方まで刺さっていて間違いなくその魔物を絶命させたことが良く分かる。
勿論スイは隠れていた事も知っていたしナイトメアも知っていて襲ってこないならばと放置した。しかしそれを知らなかったとはいえシェスは馬車を挟んで五十メートルは先にいた魔物に気付きあまつさえ武器ですらない串で殺したのだ。やはりその戦闘能力はかなりの高さを誇るようだ。一応魔物とはいえ生物を殺す事に躊躇いがないのはその出生ゆえか。
「……」
キラキラした目でシェスが褒めて欲しそうにしていたので頭を撫でてあげる。やったことは確かに凄いのだから。但しスイが蛙が苦手で触るどころか近寄りたくもないということを考えなければだが。
「……ん、シェス」
流石に何度も呼ばれてシェスというのが自分の名前だと理解したのか聞く体勢になったシェスにスイは真剣な表情で話し始める。
「ごめん。あれは近寄れないから今後殺すのは良いけど指輪回収は諦めて?」
情けないことをシェスに頼んだスイに言葉の意味自体は分からないだろうがシェスは頷いた。スイは早急に言葉を覚えてもらおうとそう考えたのだった。
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