第257話 不機嫌なスイ



動かないイーグの身体を抱き締めてどれだけ経ったのだろうか。既に身体は冷たくなっていてそこに命の灯を感じさせない。その首筋からほんの少しだけ出ていた赤い血も今では流れも止まり固まっている。


「イーグ……私ね。きっとイーグのこと好きだったんだよ。この世界に転生してアルフと付き合ってから分かったんだ。誰かと恋人になって初めて気付くなんて……ごめんね。もう遅いかな……?」


その声に答える者は無い。


「この気持ちに早く気付いていたらもしかしたら自殺もしてなくてお父さんとお母さんが死んだことを泣きながらもイーグ、ううん、拓や湊ちゃんと一緒にまだあっちの世界で過ごしてたのかな?」


冷たくなったイーグの身体を毛布で包む。こんなことをしても意味が無いのは知っている。イーグの病に蝕まれ弱った身体に自らの牙を突き立て殺したのは自分なのだから。


「あっちだと服とかはこの世界に比べて沢山あるからね。綺麗な服とか可愛い服とか色々着て啓太君が恥ずかしがるのを見れたかも。ゴシックドレスは可愛いといえば可愛いけど作ってくれた物しか持ってないしもっと色々着てみたくはあるんだけど。私センスは無いから自前で服を作るっていうのは、ね?服作りの時もこの世界のものを真似しただけだし」


少しずつ辺りが暗くなり即席で作った部屋の中も暗くなっていく。スイの瞳はそれでもイーグの安らかな死をその目に焼き付けていく。


「啓太君が情熱的な告白とかしてたなら一緒に笑って過ごしたかもしれないのに。変な所でヘタレなんだから。勘も鈍いしね。檸檬とか蜜柑とかって言葉で分かって欲しかったよ」


心做しか申し訳無さそうに見えるイーグの鼻を摘む。すぐにやめてイーグの身体にもたれ掛かるかのように頭を乗せる。


「馬鹿」


短い一言。そこに込められた感情はきっと誰にも分からない。スイは暫くそうしていると少しずつ瞼が落ちてくる。ほんの少しイーグの身体を抱き締める力を強くしてまるで逃避するかのようにスイはその意識を落とした。



「……んぅ?」


何時間そうして寝ていたかは分からないがふと目を覚ますと辺りが騒がしくなっていた。その騒がしさの原因はどうも小屋の周りにあるようで囲まれているのが分かる。まあ海の近くにポツンと小さな小屋があれば驚くかもしれないが周りの気配を感じてそこに知っている気配があるとなれば話は別だ。


「……」


少し不機嫌になりながらも着ながら寝たせいでくしゃくしゃになってしまったドレスを適当に魔法も使って伸ばす。そうして人前に出ても大丈夫な状態にしたら小屋の扉を開く。そこには私の知っているものと知らないけれど誰かは分かる存在が居た。


「アイリスにアルドゥスの国王様かな?アレイド・グイ・アルドゥスだっけ?」


緑の髪の一見メイドに見えるアーティファクト、天楽の群命アイリスにその斜め後ろに居る豪奢な服を着た男性、その左には見たことは無いが恐らくは先々代の勇者であろう男性、そして十名からなる精鋭部隊と思われる騎士達が小屋の前に居る。現在の勇者である拓が居ないのは魔族の襲撃に備えてだろう。


跳ねる獣エカーテンまで使って追い掛けてきたの?馬鹿みたい」


イーグとのやり取りが余韻として残っているからかスイは珍しく最初から不機嫌であると分かる表情と声音で嘲笑する。それを聞いたアイリスが眉を顰める。言葉通りならばアイリスの機能を把握しているという事に他ならないからだ。


「イーグは何処だ」


そんな中で王様と思われる男性はスイの言葉を無視して問い掛ける。スイはその不機嫌そうな表情を更に濃くすると自らが出て来た小屋の中を見る。そして苛立ちながらも小屋の扉の前から少し離れる。どれだけ苛ついたとしてもイーグと男性が長く共に生きた仲だということは分かっているからだ。

素直に退くと思っていなかったのか男性が不思議そうな表情を浮かべるがすぐに小屋の中に入っていく。騎士達が慌てるが賢者と思われる男性はそこまで慌ててはおらずスイの方をじっと見る。アイリスもまた小屋よりも恐ろしく強いと分かるスイの方を油断無く見つめる。

暫くすると男性の嗚咽が聞こえてくる。小屋の中に入らなかった騎士達の何人かはスイを警戒しているのだろうがその嗚咽を聞いて何があったのかを察したのだろう。瞳が潤んでおりいざ戦うとなった時に動けるとは思えない。


「嬢ちゃん、悪いが話を聞かせて欲しいんだが良いか?」


油断無く警戒しながらも賢者と思われる男性がスイに話し掛けてくる。それに対しスイは顔を向けもせず適当な平地に椅子と机を出して座ってから言葉を返す。


「答えても良いと思ったら答えてあげるよ」

「よし、じゃあ最初の質問といこうか。どうして武聖イーグを連れ去った?」

「答える必要性が無いね。もっとマシな質問すれば良いと思うよ」

「いきなりだな。武聖イーグを殺したのは君か?」

「放っておいても死ぬ人を殺したからと言って何かあるの?」

「……よし、武聖イーグが居なくなる日に魔族の襲撃があったがあれは君の指示か?」

「殺すよ?」

「多分いつもの定期襲撃だと思ってたけど一応聞いておかないとな。次だ。君はフォーハっていう魔族を知っているか?」

「魔軍総大将」

「知っているのか。なら」

「貴方達が示し合わせて戦ってることも知ってるしフォーハが魔軍の中の敵対者を貴方達との戦争という茶番の中で殺してるのも知ってる。勇者召喚の中身も知ってるしアルドゥスの先祖がアイリスを盗み出して自分達の物にしたことも知ってる」

「なっ……」

「アイリス、権限者コード"終末の獣"起動。マスター変更、スイ」

「最上位コードを認識しました。マスター変更スイ」

「父様達の物をずっと持たせるのも腹が立つからね。千年も奪っていたんだからもう返してもらっても良いよね」

「何をした!?」

「言葉通りだよ。アイリスを返してもらっただけ。下らない人族に仕えていた気分はどう?」

「今更ですが反吐が出ますね。どうやら認識の齟齬も発生していたようで自分でも気持ち悪くなるくらい尽くしていました。是非とも記憶を消去したい位です。マスターなら出来ませんか?」

「出来るけど駄目だよ。それはむざむざ奪われた自分の罰だと思いなさい」

「分かりました。ああ、それと出来るならですが武装の類のロックも解除して頂けると有難いのですが」

「何でロックされてるの?」

「さあ?衰えていく自分達の力では私を従えられないと思ったのかもしれません」

「奪っておきながら面倒な。コード"破壊の歌声"起動。武装全アンロック」

「武装コードを認識しました。武装全アンロック」


アイリスが認識した瞬間どこからともなくアイリスの右手に槍が現れる。いやどこからかは分かっている。アイリスの右腕からスライドするかのように槍が現れたのだ。


「アイリス、跳ねる獣エカーテン

「分かりました。跳ねる獣エカーテン起動。同一個体を呼びます」


アイリスの背部から何かが飛び出しそれが地面に落ちた瞬間そこからアイリス達が飛び出してきた。その手には幾つもの武器を持っておりアイリス達が常に情報を共有しているということを理解させる。


「じゃあ任せるね」

「はい。マスター」


アイリスの声を聞きながら小屋の中に入っていく。そこではベッドの上で眠るイーグと足を着くのも構わずにイーグを見て泣いている男性、そしてその傍らで泣いたり潤んだ瞳を拭っている騎士達が居る。スイが入って来た事に気付いたのだろう。騎士達が警戒しているがそれにも構わずにイーグの元までやってくる。


「君が殺したのか?」

「既に死にかけだったけどね」


殺した事は否定しない。死にかけていたとはいえまだ生きていたのは事実なのだから。しかしそれを聞いても男性はそうかと一言言ったきり何も言わない。


「イーグは私が連れて行く。悪いけど貴方には渡さない」


その言葉は聞き逃せなかったのだろう。男性が涙で赤くなった瞳をスイに向けて睨み付ける。


「幾ら睨んでも私は意思を曲げないよ。イーグは私が連れて行く。これは決定事項だ」


イーグの身体に触れて持ち上げる。死体は指輪に入る。そう分かってはいたがそうやって物のように扱いたくなかった。その後魔法でイーグの身体を丁寧に保護していく。空気中の魔力で強度も高く持続するようにしたので二度とイーグの身体に傷が付くことも時間の流れで朽ち果てる事も無い。


「イーグを何処に連れて行くつもりだ!」

「私が生まれた場所」


スイはそう言ってイーグの身体を落ちないようにしっかりと抱き締める。男性や騎士達が何もしないのでそのまま小屋から出るとアイリスが出迎えてくる。それを見て追い掛けてきた男性が戸惑った表情を浮かべる。


「アイリス、跳ねる獣エカーテン起動」

「場所は何処でしょうか?」

「火の街リュノス」

「畏まりました」

「それとアイリス」

「はい」

「暫くの間はそこの男に仕えなさい」

「な、何故でしょうか?もしかして私があのような愚物に仕えていたのが気に食わなかったのですか?どうかお許しを。私が悪かったのです。何卒ご勘弁を!」

「違う。貸してあげるだけだよ。終わればその代金は貰うから。終わる前には色々と引き継いで後腐れなくこちらに来なさい。そいつは気に食わないけど他の働いてる人まで困らせる趣味はない」

「なるほど。そういうことでしたら分かりました。やはりマスターは至高の存在。民草への優しさも忘れないその」

「良いから早く飛ばしなさい」

「も、申し訳ありません。では起動します」


男性はアイリスとの会話を聞いても何が起きているのか理解できないのだろう。頻りに辺りを見回しては無意味に視線をさまよわせる。


「アレイド・グイ・アルドゥス。今暫くはアイリスを貸してあげる。必ず徴収しに行くからそれまで精々死なないようにね」


スイはそれだけを言うとアイリスの近くに寄る。そうしてアイリスの機能の一つ、跳ねる獣エカーテンの能力でその場を去ったのだった。残されたアレイドと晃と騎士達は呆然としアイリスがそれを見て不服そうに鼻を鳴らしたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る