第222話 部屋から出たい



突然だが東西南北を表す地図記号というのを知っているだろうか?算用数字の四に近い形をしているあれだ。東西南北というから右が東、左が西と来て上に何故か北が来るうろ覚えだとまず間違いなく引っ掛かりそうなあの記号だがこの世界だと違うようだ。

アルダの部屋を掃除していたら軍用なのか割としっかり描かれている地図を見付けたのでふと見ていたのだがそこである事に気付いた。


「あれ?下が北になってる?」


ノスタークで地図自体は買ってはいたのだが結局あんまり使うことも無くステラに渡して以降見ていなかった。そもそもノスタークの地図では魔の大陸が描かれていなかったし不完全である事が分かったから流し見ただけで終わっていたのだ。ある程度の方向さえ分かれば用は無かったしね。

そして改めて地図を見て分かったのが魔の大陸北方と剣国が近いという事実。つまり北が下であり上が南ということだ。何故こうなったのかは定かではない。地図を描いている人で見知った者はクライオン位だが関係は無いだろう。魔の大陸の事をそもそも描いていないのだから分かっていたとも思わない。

恐らくだがこれまでの勇者達の言動などで変わったのではないだろうか?寒い方が北とか言っておけば魔の大陸に訪れた際にそこを北方にすると思うしと思ってからそれはおかしいと思った。

人族の大陸から魔の大陸に渡っていきなり寒くなったらそれは北とか云々より単に環境の変化としか思わないだろう。逆に魔の大陸のみしか知らないなら母様が治めていた場所が北方になっても何らおかしくない。もしくは東西南北を最初から間違えて覚えているかだ。


「……魔の大陸に千年以上前に勇者が居た?」


正直理解はしにくい。そもそも勇者召喚自体使われ始めたのがヴェルデニアのせいだ。千年以上前となるとヴェルデニアが生まれているかどうかすら怪しい。そもそもそんな時代に勇者召喚なんてされていたら父様の記憶に存在しないのがおかしい。


「……まあ良いか。考えても分からないし」


推測に推測を重ねた論なので考えても答えなんて分かりはしないだろう。それに分かってもただの暇潰しにしかならないし。そう結論を出すと掃除を再開し始めた。こういう時魔法は便利だと思う。手が届かなくても物は動かせるし重たい物もずらせる。埃なんかも舞い上がらせること無く集める事すら出来る。


「えっちな本とかもあるのかなぁ?」


アルダも一応男性だしそういうのに興味があってもおかしくない。まあ娼館みたいなのがあってそっちに行っている可能性もあるので無い可能性の方が高いが。

ベッドの下は一応見たが無かった。本棚の本も真面目な本ばかりでそういう類の本はなかった。ある意味見付けなくて良かったのだが健全な男性としては良いのだろうか?

そんな下らない事を考えながら掃除を終わらせる。気付けば全部終わっていた。二時間もしない内に終わるのは部屋が狭いと見るべきか魔法が便利過ぎると見るべきか。食事の用意もしているが後はじっくり煮込む程度で特に何もすることが無い。お風呂などは無いので無理矢理作りたいが幾ら何でもそれは無理だろう。


「今のうちに身体だけでも拭いておこう……」


誰に言うでもなく部屋の奥に行って服を脱ぐ。清潔な布を魔法で濡らすと身体を拭き始める。この世界に来てからこういった事も慣れてきた。身体をお湯で拭うだけというのは湯船に浸かりたいスイからしたら物足りない事この上ないが湯船がある方が少ないことも知っているので我慢する。まあノスタークでは我慢出来なかったし移動中は地面をくり抜いてでも湯船を作ってやっていたが。魔族であり身体自体がそもそも魔力で出来ているスイは汚れる事は殆ど無いので汚いわけでは無いのだがただただ浸かりたい。


「……むぅ」


身体を拭き終えたスイは少しだけ不満に思いながらも指輪から新しい服を出して着る。脱いだ服は魔法で洗濯をする。服は丈夫に作られているので中々破れない筈なのだがどうやら地面に着地?着弾した際にボロボロになっていたみたいだ。それでも破れるというよりほつれたりしている程度なのが凄いと思う。まあこの程度であれば放置していれば勝手に自動修復することだろう。今更だがこの服はある種のチートというものではないだろうか?

何もすることがない。適当な考え事で時間を潰してみたが飽きた。指輪の中身を整理しても構わないが大体覚えているからあまり意味が無い。出す時には頭の中にリストが出るから余計に。武器や防具の整備とか出来るならやってもいいのだがグライスは整備が必要無いしそもそも特殊な魔力を発しているせいで鞘から出したりしたら勘のいい魔族に気付かれる。防具はティルのみだがティルもグライス同様に気付かれる可能性が高いので指輪から出せない。


「外にも出られないしある意味軟禁状態?」


まあだからといってアルダに匿われている今が悪い訳では無いのだが。そもそもあの時アルダに拾われていなければ魔物に殺されるか魔軍の誰かに始末されていた可能性がある。あの時のアルダの素因はいまいちわからなかったがわざわざマントで包んでから拾った事を考えて隠匿か隠蔽、拾得に忘却といったその辺りの素因だろう。


「早く外に出たいな」


指輪から輸血パックを出して飲む。これはフェリノかな?甘くて爽やかな感じの不思議な味わいだ。何故か輸血パックのように一旦外に出すと味わいが変わるんだよね。少しとはいえ外気に触れるせいかな?それとも時間経過?まあ考えても仕方ないから良いか。そういえば血を飲むのも最初より抵抗無くなったな。今じゃ美味しそうに見えてしまうから味覚ってある意味恐ろしいなと思う。

外に出たいけど今のままでは難しいだろう。そもそも魔力が全く回復していない。そういえば暫く腕が無くなるかなぁとか考えていたけど最優先での治療をしていたら魔軍の宿舎に来る頃には治っていた。まあ魔力が殆ど無いということはこの腕はほぼ見掛けだけで中身スカスカという事なのだが。そう考えたら怖いな。


「……まあ生活する分には楽だから良いけど」


スカスカと言っても日常生活が送れないレベルではないしね。魔力回復するには多分最短でも二週間って所かな?掃除の時の魔法は身体の外側にある魔力を取り込んで使ったから自前では使ってない。外側の魔力は取り込んで吸収したら異貌か異形になるけどそのまま使う分には問題ない。まああんまり大量に取り込んだらほんの少しとはいえ吸収しちゃうから気を付けないといけないけど。


「誰に弁解してるのかな……」


ふぅっと溜息を吐く。誰かと話したい欲が出てくる。まあこの場だとアルダかグライスとしか話せないけどグライスが話すとなると特徴的過ぎる魔力が辺りに散らばるからね。グライスもそれは分かっているようで自重してくれている。

宿舎には窓があるけど中庭しか見えない。そして中庭には基本的に誰も来ない。まあ本当にただの庭だからね。木が植えられていて小さな池があってとごく普通の庭だ。窓から何となしに中庭を覗いていたら人が入ってきた。珍しい。その人は誰かと一緒に居るようだ。男性二人で話しながら歩いている。中庭の奥まった所まで行くと何か怪しい雰囲気になってきた。徐に片方の男性が手を伸ばすともう一人の服に手を掛けて……とそこで見るのをやめた。ついでに窓も閉めてカーテンも閉めた。部屋の入口側まで退避すると正座した。何故かは知らない。


「……」


何とも言えない。というか軍服二人とも着ていたけど魔軍内部でそういうのが流行ってしまっているのだろうか。だとしたらどうすればいいのだろう。もしかしなら男性二人では無いのかもしれないと思いたいけど骨格やら顔やらどう見ても男性だった。女性の男装とかではなく。


「嫌なものを見ちゃった。早くアルフ達の顔を見たい」


多分かなり真顔で言ったと思う。そういうのを否定するつもりまではないが見たいかと言われると全力でお断りしたい。百合は……フェリノやステラ相手なら別に良いかもしれないとは思ってしまったので否定しないでおこう。アルフが居る以上そっちに走るつもりは毛頭無いけど。


「……」


沈黙が痛い。下らない事を考えていてもさっきの光景が衝撃的過ぎて中々消えない。アルダの帰りを待ち望んだのは仕方ないと思う。その日の時間はいつもより長く感じた。

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