第213話 ただ向かえ



右手に付いた赤い雫をただ流れるがままに放置する。洞窟に静かに落ちる音を聴きながら三十階層まで戻ってきた。中には当然蒼龍のエガーテが居た。普通の相手ではそもそも会うことすら叶わない相手だ。エガーテは何も言わずスイに背を向けた。要らない気遣いだ、泣くわけじゃない。

そう私と彼ではそもそもの立ち位置があまりに違いすぎる。片や魔王の娘、片や人族の貴族の息子、互いの立場は違い互いの目的も違い互いの生き方も全く違う。どれだけ殺したくなく思っても恐らく最後には敵対するのだろう。

だけどもう少し普通に接する時間が欲しかったとも思わなくもない。学園に居る間くらいは普通の友達として接したかったと思う。決して凄く仲が良かった訳では無い。だけど他の見知らぬ誰かよりは仲は良くなれると思っていた。

でも現実にはそうは行かなかった。彼は私と敵対する道を選び私は彼を殺す選択をした。それが現実でそれが変わらない過去だ。私の腕に貫かれた彼は最後に笑っていた。悔やむ事は無いと言わんばかりのその笑みに酷く心を揺さぶられた。


「ふぅ……」


少し溜め息を吐いた後酷く不機嫌な表情で後ろを振り返る。そこに居たのは何処からか直通の通路を作って貰ったのかグルムスが立っていた。グルムスはかなり真剣な表情で私は不機嫌な表情を消して向かい合う。


「どうしたの?」

「スイ様、予定外ではありますが貴女には今から全力で魔の大陸西方に向かい西の魔王アガンタ様と妻ミュンヒ様に会いに行ってもらいたい」


グルムスの言葉に驚く。何故いきなりその名前が出たのか理解出来なくて混乱する。


「どういう事?」

「意味はあちらに向かえば嫌でも分かります。私が向かえば直ぐにバレるでしょうがスイ様のお姿はまだ誰にも知られておりません。どうかあの方々の元へ」


グルムスはそう言うと膨大な魔力を放ち空間を歪めた。その先に見える光景は恐らく魔の大陸北方の母様が治めていた付近だ。打ち捨てられた村の様子が見える。


「何かは分からないけど帰る時は私一人か。また旅をしないといけないんだね」


少しばかり寂しくなるが行くしかないだろう。私はグルムスに後を頼むとその空間に飛び込んだ。



魔の大陸、父様が生きていた時代では五人の魔王によって統治されていた大陸だ。それぞれ魔王の力によって独自の進化を遂げていて大陸をぐるっと廻れば同じ姿でありながら全く異なる進化を動物も魔物も遂げている。そこに住まう魔族も自分にとって住みやすい位置へ移動するので特色が生まれていた。

魔の大陸北方はその中でも寒い地域だ。母様の素因は治癒、氷、雷、守護の四つだけだ。正確には治癒の素因が五個、氷の素因が三個あるので合計十個で魔王となる。千年の間に増えていなければその数の筈だ。

そして氷の素因によって北方は雪に閉ざされており自然の要害によって護られた場所となっている。出現する魔物は当然この環境に特化した存在でこうした魔物を狩り別の地域に売ることで特産品としていた。

極寒環境でも育つ野菜や果実、魔物の素材、特殊な鉱石、そういった物を売り出すのだ。今回向かう西方も同様にその環境に特化した存在がいる。まあ今はとりあえず北方から抜けなければいけないのだが。


「さ、寒い」


動こうにもかなりの寒さで一歩進む度に身体中が冷えていき五歩も動いたら暫く動けなくなる。想定していた以上の寒さに驚く。なので立ち止まると身体の構造を少し変える。

本来なら暑さ寒さは感じないのが魔族の身体だ。だけどそれじゃ私が人であった事を忘れてしまいそうで嫌だったから人であった時と同様に感じられるように変えていた。それを元に戻す。

私が人であった事を忘れてしまったとしても今の私を愛していると囁いてくれる人が何人も居る。ならば私はこの身体と真剣に向き合ってみようと思った。切っ掛けが無くてうだうだと長引かせたけど良い機会だ。


「ふぅ……暖房とか冷房とか必要無さそうなのが凄いね」


あれほど寒かったのに今では適温と呼んでもおかしくないように感じる。今ならこの降り積もった雪の上でも寝ることが出来るだろう。やらないけど。流石に風邪を引きそうだ。魔族は人族や亜人族と身体の構造が違う。なので比較的病気には強いのだが風邪等の弱い病気でも確率こそ低いものの罹る事もある。


「とりあえず北方から抜けようか」


いつか使った認識阻害のローブを指輪から出して羽織ると雪の少なそうな方面に向かって歩き出す。吹雪いている場所で西か東かなんて流石に分かりはしない。中央に向かって北方を抜けたら改めて西方に向かって歩いていこう。あまり中央には近付きたくないが近付いただけで問答無用に殺される訳ではあるまい。ヴェルデニアは私の顔どころか存在すら知らないだろうし。

ティルは脱ぐと変化を促し小さな羽の様な形にすると私の背中からぴょこんと生える形にした。本来のティルの形を知らない魔族が居るとは思えないからちょっとした小細工だ。吸血鬼族の中にも羽があったり角があったり牙が長かったりと特殊な形をしている者が多いので私のこれも理解してくれるだろう。吸血鬼の角は髪に隠れてほぼ見えないけれど。ちなみに私には無い。強いて言うならほんの少しだけ伸びた犬歯ぐらいだ。つまり標準の吸血鬼である。

グライスはティルの内側に入れた。やるとは思わないが指輪の中に入れていて中を検められると困る。というかサラッとやったけどティルの形とグライスの大きさ的にどう見ても入らないのだが何故入ったのだろうか。

歩き続ける事五時間が経過した。まだ北方ではあるがそろそろ中央に出る事だろう。北方で走る事は原則辞めた方が良いと言われている。常に吹雪いているので体力の消耗を抑えるためと闇雲に走ったところで目的地に到着出来ないのとたまに川や湖がありそこが凍った上で雪が積もっていたりするからだ。魔族が全力で走ろうものなら踏み抜いて水の中に転落である。グルムスは全力で向かって欲しいとは言っていたが流石にここで全力で向かえとは言わないだろう。


「中央か」


北方の切れ目が見えてきた。吹雪が唐突に切れた場所。そこが中央と北方を区切る明確な境界線だ。検問をする兵士などは居ない。そもそも魔族同士で争うことなどかつての神々の大戦時代を除いて殆ど無い。小競り合いや強者を求めて戦いを挑む者は居なくならないが街中でそう言った行為を無くすため大きな街には闘技場が存在する。

人族や亜人族と交流を行う予定なので数は少なめでも構わないがある程度の検問所位は作っておいた方が良いだろう。北方を抜けると周辺を見渡す。あっちにグード岩があるから逆のこっちか。グード岩は東の魔王エルヴィアによって生み出された人口鉱石なのである方角は東となる。

西方に向けて歩いていくと魔軍の兵士達を見付けた。父様に忠誠を誓っていた者達だ。少し遠目から話を聞くとしよう。


「アガンタ様達は大丈夫だろうか」

「心配だな。くそ、何だっていきなり西方攻めなんか始めやがったんだあの若造が」

「口を慎め。誰かに聞かれようものなら俺達の首が飛びかねない。そうしたらまたあの若造が強くなるんだぞ?」

「忌々しい」

「アガンタ様とミュンヒ様には逃げ仰せて欲しいものだが」

「……まあ難しいだろうな」

「最悪だぜ。つまりアガンタ様達の素因を奪おうって魂胆だろ?誰か殺してくれあいつを」

「フン、中々の発言だなぁ?」


話を聞いていたら別の場所から偉そうな魔族が一人歩いてきた。私の知らない魔族だから千年の間に魔軍に入った新入りかあるいはヴェルデニアに付いてきたゴミだ。発言的にゴミだがどうだろうか。


「お前がヴェルデニア様への殺意を口走っていた事は報告させてもらおう。ヴェルデニア様の力となれるんだ、感謝しろよ?」


敵だね。しかし喋っていた魔族達は抵抗しない。いや出来ないのだ。感じる力がかなり少ない。恐らく無理やり素因を抜かれているのだ。それに対してゴミから感じる力は彼らの三倍はある。だが私からすれば正直ゴミでしかない。さっさと掃除させてもらうとしよう。隠れていた場所から一気に飛び出すとゴミは一瞬反応したがそれ以上に私の方が早い。跳び上がると錬成でワイヤーを作ると首に引っ掛けて体重で首を絞めた直後切断された。悲鳴を上げることすら許しはしないよ。

目の前でゴミが死んだ事で兵士達は警戒する。それを見ながらゴミの素因を抜き取り完全に殺す。ゴミは素因が無くなったことで消滅する。


「……貴方達の変わらぬ忠誠に感謝する。もう暫く待って欲しい。必ずその忠誠に応えると誓う」


私がそう言うと兵士達は一瞬呆然とした後意味を理解したのかじわっと涙を滲ませると跪いた。


「「「我等の忠誠は未来永劫変わらず在ります」」」


その言葉に私も胸が熱くなる。フードを外し顔を見せると少し涙目であったかもしれないけれど満面の笑みで彼らに感謝の言葉を告げて彼等の元を去った。

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