第199話 メリー



「……んぅ?あれ?私……」


泣き疲れて眠ってしまったらしくベッドに一人寝かされていた。スイ様は離れているようでこの場には居ない。私が殺してしまった男もその姿は何処にも見当たらない。そう、私が人を殺してしまった。


「あぁ……」


人を殺してしまったというのに凄く感情が薄い。多分罪悪感の様なものがないからだ。あれに罪の意識を感じる方が難しい。それでも確かに私は人を殺した。その事実だけは決して覆らない。


「お父さんとお母さん、悲しんじゃうかな……」


パンばかり作ってきた人生だった。お父さんと一緒に生地を捏ねては練って笑いあった日々、お母さんと一緒にお客さんの相手をしてパンを手渡した日々、雨の日でお客さんが少ない日は売れ残ったパンをご近所さんに配ってはお返しに色々貰って楽しみにしていた日々、そんな日々の最後に私はこの手を赤く染めてしまった。


「うぁぁ……!」


それでも……それをしてもあの日々は戻ってこない。あの楽しかった、美しかった日々を取り戻すことは出来ない。お父さんもお母さんももう戻っては来ない。例え変わり果てた姿であっても見たいと思ってもその姿を二度と見ることは叶わないのだろう。

何故、何故なのか。何故私達に目を付けたのか。どうして理不尽にもあの日々を奪われなければいけないのか。恐らく奪われたのは私達だけではない。けれどそれを訴えることが出来るのはきっと私一人なのだろう。どうして、いっそ私も殺して欲しかった。こんな辛く悲しい思いをするのならばお父さんとお母さんが消えた日に私も一緒に殺して欲しかった。


「……ぐすっ」


けど、そう願ってもお父さんとお母さんはきっとそんなことを望んだりしない。どんな状況だろうと生きている事を喜んでる。命がある限り希望は生まれ続ける。お父さんの言葉だ。希望がある限り生きていく喜びは生まれ続けるのよ。お母さんの言葉だ。そしてその後二人して私を見つめて貴女のことよってそう笑うのだ。

そんなお父さんとお母さんを持った私に自死なんて選択肢は無い。誰かに殺されたりもしてやらない。どれだけ無様でも泣きながらでも生き続けるのだ。そう、それがどれだけ危険な橋であろうとそこが生き延びる最大の道なのならば。どんな選択だろうと二人は笑ってくれる。なら私は生きていける。


「見ているんだよね?ずっと……スイ様の後ろから」

「…………どうして気付いたの?」

「接客業を舐めないで。案外人の視線って見られている側は気付くんだよ」

「……なるほど、勉強になる」

「後声も聞かせるならせめて別の場所で響かせるか声の質ぐらい変えた方が良いと思う」

「む、分かった。これからは気を付ける」

「スイ様って」

「……」

「……魔族だよね」

「……」

「その沈黙は肯定と取られてもおかしくないよ。案外交渉事は苦手なの?」

「……まあね、したことは無いかな」

「……スイ様は怖い魔族なの?それとも」

「メリーから見た姿が真実だよ。それ以上の言葉が必要かな」


その言葉だけで十分だった。スイ様……お父さんとお母さんが居なくなって何故か店が別の人に使われていて一人途方に暮れながら持ち出すことを許された器具で何とか路銀だけは稼ごうと体育祭の中飛び込んだ。そこで恫喝してくる男達に怯えていたら助けてくれた。正確にはあの時はアルフさんが助けてくれたけどその後スイ様が許可してくれたからだと言われた。

スイ様はお金をいっぱい持っていてどうやら凄く強くもあって貴族のようなドレスで常に身を飾っている小さくて可愛らしい女の子。基本的に笑うどころかピクリとも表情が動かないけれどアルフさんと一緒に居る時や怒った時なんかは表情が激変する。アルフさんと一緒に居る時は見ているこっちが恥ずかしくなるほどベタベタで甘々な雰囲気の恋する乙女。怒った時は凍えるような瞳と全身から発される強大な威圧と殺気を放つ人を人と思わない怪物のような存在になる。

恐らく平凡に過ごしていくだけならばこんな事を言う必要は無い。気付かない振りをして何食わぬ顔でドゥレさん達の所に行ってパンを作っては届けておけばそれで済んだことだろう。だけど私は気付いてしまった。スイ様が泣き喚く私の為に抱き締めてくれた時、身体を抑えきれない程の怒りで震わせていたことを。

あの人が怖い魔族だとは知った後でも思えない。むしろ何処までも心優しい少女だ。まあ少女といってももしかしたら私よりも遥かに年上の可能性もあるのだけど。というかあれで何百年も生きてますって言われたら割と本気で驚く自信がある。


「そっか、うん。そうだよね」


魔族の事なんて殆ど知りはしない。凄く怖い、凄く強い、その程度にしか知らない。だから他の魔族はきっと恐れてしまう。だけどスイ様の事は信用出来る、いや信用したい。あの人は魔族だけど心優しく他人の為に怒ることが出来る人なのだと。そしてそんな人に私は望んでしまった。あの人の為に何か出来ないかと。


「……えっと、ごめん。スイ様が何処に居るか分かるかな?」

「スイ様なら……あぁ、どうしようか。一応ね、僕は止めるようには言ったんだ。そこだけは覚えておいてね。スイ様なら商業ギルドに向かったよ。君の両親の店を取り戻すって。まだ向かったばかりだし流石に全力疾走まではしていないと思うから走ればまだ間に合うと思うよ。どうする?」


スイ様が急いでいたら絶対に間に合わない。ここから商業ギルドまでは走っていっても普通に三十分以上掛かる。


「あなたに運んでもらうことは出来る?」

「出来るけど姿を見せるつもりは無いから物凄く荒い運び方になるよ?良いの?」

「うん。お願いします」


ならこの人に運んで貰おう。スイ様の背後でずっと隠れる事が出来るほどには能力がある。体重としては軽い方の私なら運べるのではないだろうか。


「……はぁ、分かった。失礼するよ」


見えないその人の腕に持ち上げられる。腕は細く小さい事は分かった。ついでに肩らしき場所に顔が当たったけど……えっと、思った以上にこの人小さい?身長が小さいとかそういうのじゃなくてまさか年齢的に?えっ、嘘だよね?

私をお姫様抱っこで持ち上げたその人は何故か窓に向かう。まさかここから屋根伝いに向かうの?確かに一直線に行けるから早いだろうけど荒いってそういう事なの?後私の目がおかしくなければ私自身の腕が見えないのだけど。私も見えなくなっているんだろうか。


「舌噛まないようにね」

「う、うん」


屋根伝いぴょんぴょんコースだね。頑張ろう。次の瞬間屋根にふわって感じで乗るとかなりの速度で屋根を爆走し始めた。私は舌を噛まないように悲鳴を堪えていたけど早いよ!?最初のふわって感じで行ってくれないの!?馬車を超える速度で屋根という不安定な場所を飛び跳ねを駆使して行くと酔うという異次元の経験をした私は商業ギルドに着いた瞬間お手洗いを借りた。スイ様より早く着けたから良いけどこれで着くの遅かったら多分泣いていたと思う。

暫くしてからスイ様はやってきた。私が居ることに気付くと見えないこの人の方を見る。凄い、視線が複数になったせいでさっきまで分かっていたこの人を見失った私と違って一発で見抜いた。スイ様は此方に向かってくる。


「メリー、どうしてここに?」

「……えっと」

「……あぁ、そこの子に教えて貰ったんだね?」

「は、はい。それで私」

「……お店はもう良いと?」

「え?あっ、はい」


何も言っていないのに理解された。凄い。


「そっか。分かった。ならギルドマスターにでも話を通しておくよ」

「へ?」


ギルドマスター?商業ギルドの?この人何をしたんだろう。


「メリーの事について話しただけだよ。それの調査とかをメリー本人が望んでいないから打ち切っても良いってことを伝えておく」


あぁ、なるほど。本来私に対して行われたあの男の行為は犯罪行為だ。ならギルドマスターに伝えられるのは当然かもしれない。


「……まだ何か話したいことがあるみたいだね。とりあえず伝えてきたら後で話そうか」


本当に私の事を理解しているようだ。ここまで理解されているともしかしたら私の好きそうな人物像を演じていたんじゃないかと疑いたくもなるけれどこの人からはそんな雰囲気を感じない。感じないだけで隠している可能性もあるけどそこまで気にしない。どちらに転んでも私はこの人の為に働きたいと思ったことは事実で変わりはしないのだから。


「はい。スイ様」


なら私はこの人の味方になろう。どんな事があろうとも例え裏切られたとしてもきっとこの思いは変わらない。多分私はほんの少しあの男を殺してスイ様に抱き締められた時に致命的に壊れてしまったのかもしれない。でも不思議とそれは嫌ではない。スイ様になら壊されても良いと思える。絶対におかしいけど……絶対におかしいのだけれど……私は今凄く満足している。

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