第162話 ある女性の悲劇



それは突然やって来た。私の身体が死を訴えて咄嗟に背後に居た冒険者側へと飛び込んだ。この攻撃は明らかに私のみ狙ったものだ。ならば冒険者達を巻き込むことはないだろうと判断したのだ。そしてその判断は正しかった。首を刈り取る一撃は空を切り追撃は無い。残念な事に躱し切れずに右目の辺りを裂かれたが命に比べるまでもない。


「何!?アスタールさん!?」


背後の冒険者が私の身体を抱き留めて右目を怪我した私に対して悲痛な叫びを上げる。しかし私は何も言わずに指輪からアーティファクト群を取り出す。不味いな。この敵はどう考えても私の実力を大幅に上回る。逃げ切る事は不可能だろう。くそっ!スイ様の為にこの者達を連れて行こうと行進したのが仇になったか。


「コルン、貴女は逃げなさい。この襲撃者は私だけを狙っているようです。帝都へ行きなさい。いや、行け。私でもそう長くは持たせられません。早く!」


此処はアスタールとして行動してスイ様の元へとこの者達を送り届ける。スイ様ならきっと有効活用してくれる。恐らく私は死ぬがスイ様が生きている以上私が本来の意味で死ぬことはない。

それに……あの姿はスイ様が良く知っている。私を襲ったこの襲撃者は深き道にてスイ様と行動を共にした者の筈だ。何故ここに居るのかは知らないが魔族と本質的には変わらない私を見抜いたのだろう。

それが出来るのはただ一人。いやその役割を持つ者だけだ。つまりこの目の前の敵は勇者。


「ふふふ、何故私を襲ったのかは分かりませんが私が誰か分かっているのですか?」

「ん?あぁ、分かっているよ。教授だったよね?人を連れて何をするのかは知らないけど行かせるとろくな事にならなそうだ。だから殺すよ」


これは好都合だ。教授が魔族であると思っている。私の本質そのものを見抜いたわけではない。ならば私が此処で死んでも彼は気付かない。

そんなことを考えていたら私の目の前に冒険者が剣を構えて立ちはだかる。切っ先を勇者に向けて。


「何を……何をしているのですか!早く逃げろと言ったでしょう!」

「嫌だ!此処で逃げたらきっとアスタールさんともう会えなくなる。そう分かるんだ!だから嫌だ!」


私に対して好意を抱いているのは知っていたがまさかこの様な事をするとは!此処に居られた方が私にとっては邪魔だというのに!リンは逃げるための隙を窺っているようだ。それで良い。ならば私がコルンの説得をする。その後は逃げるだけの時間は稼ごう。

私が連れてきた商人親子や王子と王女、それを殺そうとした魔導師の女。これらはスイ様と関わりを持った。王女は知らないが王子関連で許されるだろう。というか許してくれないとあの国を壊したことを責められそうだ。


「コルン、此方を見なさい」


コルンの説得は諦めよう。説得している時間を勇者が与えてくれるとは思わない。それに美談のまま死ねばコルンにとっても良い筈だ。あとは私の羞恥心だけ捨て去れば良い。

コルンが振り向いた瞬間に私は彼女の身体を抱き締める。驚いた彼女の顔を見ながら私は彼女の唇に私のものを合わせた。完全に硬直したコルンとコルンが近くに居るせいで攻撃出来ない勇者を確認しながら私はコルンの首筋に優しく手刀をして気絶させた。涙を浮かべた彼女の姿を見てほんの少しだけ罪悪感が混じったが気のせいだと頭を振る。


「リン、コルンを連れて走れますね?」

「分かってるわよ。大丈夫なんでしょうね?」

「勿論です。私は教授ですよ?そう簡単にやられる訳がないでしょう?」


嘘だ。それに気付いていながらもリンは無理矢理納得する。そうしなければ逃げることも出来なくなると理解しているからだ。アスタールは自分の身の危険を知りながらも自分達を守る為に命を差し出そうとしているのだ。ならばその決意を無駄にしてはならない。


「必ず生きて帰ってきてよね。コルンが泣いちゃうわよ。泣いたこの子は面倒なんだから」


だからこれは無茶なお願いだ。でも言わざるを得なかった。生きて帰ると信じなければ走れる気がしなかった。


「ええ、当然です。私だって死にたくはないですからね」


そしてそれに笑顔でアスタールは嘘を吐く。例え力量的に勝っていたとしても彼が勇者でスイの味方である以上勝つ気はそもそも存在しなかった。まあ勝てる見込みは元よりないのだが。


「では行きなさい」

「分かったわ。さあ、聞いたわね!全力で帝都に向かって走りなさい!」


アスタールは彼が勇者である以上帝都にまで来ることはないと踏んでいた。立場やしがらみが行動を縛るからだ。まあそもそもアスタールの手から人を救えた時点で彼の目的の大半は達成しているので追う必要もない。


「では、勇者の踏み台となりましょうか」


そう小声で呟いたアスタールへと重荷が居なくなった勇者、拓也がその澄んだ氷のような剣を持ち踏み込んできた。

アスタールはそれに対してその数あるアーティファクトを使い時間稼ぎの行動を開始した。心中で死ぬことに対してスイに謝罪をしながら。



「ん?アスタールが死んだ?それなりに強くしたし見た目はアスタールなのに?」


スイが授業中にその控えめな胸を押さえてそう呟く。創命魔法によって作った存在の生死は何となくだが分かるのだ。ただしゴリラ達やうさちゃん、ウィーズル達のような一から創った訳ではない存在に対してはその能力は働かない。調べようとすれば当然眷属の反応によって分かるが何もせずに気付けるのは創った存在だけだ。


「誰が殺したんだろう……」


調べようとしてもアスタールは現在は活動休止状態だ。動かせる状態ではない。この休止状態が解ければ何があったかを聞く事は出来るがそれには最低でも数週間の期間が必要だ。


「ん、やっぱりこの辺りは改善したいな。原因を知るのが数週間後とか話にならない」

「それではこの問題を……スイ君。君に解いてもらおうかな」


初老の先生に言われたのでスイは考えながら歩く。ぼんやりしながらも書いた答えは満足のいく解答だったのかしきりに頷いているがスイは尚もぼんやりした様子で解答を書き切るとぽてぽて歩いて席へと戻っていく。その様子に何人かの男子生徒が悶絶して何人かはアルフを睨み逆に睨み返されて視線を逸らしたりしていた。

アスタールが死んだ場所は帝都からそれほど離れてはいない。獣国で別れた後帝都に向かって進んでいたのが分かる。だが途中でアスタールを殺す程の何かと出会い死亡した。帝都近くに凶獣が居た記憶はない。


「ん……見付けた」


アスタールが死んだ場所から帝都に向かって走っている様子の集団を発見した。発見と言っても細く広げた網のような魔力で感知しただけだ。だがこの集団の魔力に何か見覚えがある気がする。


「まあ良いか」


どうせもうすぐ帝都に到着する。その際に会いに行けば良いだろう。そう考えたスイは席に戻った後アルフに抱き着いた。


「アルフ、後でお願い」


吸血衝動が少しだけ出てきた。恐らくはアスタールが死んだ事による力の損耗のせいだ。これも課題にしようとスイは思いながら今はただアルフの体温を感じながらうとうとし始めた。

ちなみにこの光景は既に何回も見られているものだ。というより授業中ずっとこの状態だ。そのせいでスイへの指名が多い。間違いなく引き剥がす為だがスイとアルフは気付いていないのか気付いていて無視しているのか常にこの状態だ。その光景が最近始まった事からスイとアルフの関係が少し進展したのは分かったが誰も聞けなかった。とりあえず二人を除く全員は様々な感情を乗せて二人を見続けるのだった。

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