第97話 不思議な海
波が立てる静かな音を聴きながらスイは甲板で寛いでいた。現在スイは行商人達が乗ってきた中型の帆船に乗って法国セイリオスに向かっていた。どうやら海の都ロフトスと協力関係にあると思っていたがそれは正解だったようだ。船に乗ってから既に二日が経過しているが魔物からの襲撃ははぐれたと思われる魔物が数回だけで後は順調だ。ちなみに直線距離を行けば二日も掛かることなど無いのだがこの世界において海というのは非常に理解しがたいものとなっている。
東に進んでいた筈の潮流がある場所を境に真逆に進んで船を破砕する《
当然まともに航海など出来るわけもなく予兆を察知してひたすら回避に努めなければ船ごと沈められかねないのだ。つまり直線距離では絶対に進めない。
「つまり熟練の船乗りしか海には出られないってこと?」
と先程までリーダー格の男性ユルドに話を聞いていたスイが問い掛ける。
「まあな。とは言っても熟練するまで生き残れるやつは少ないけどな。どうやっても不慮の事故ってものは減らないから熟練とまで呼ばれるようになる船乗りは大して増えはしない」
甲板で寛いでいただけのスイにわざわざユルドが教えにきたのはスイが不機嫌になりかけているのをユルドが察知してやってきたのだ。不機嫌になりかけているのはその事情を知らなければ当然だが思った以上にまともに進まない船に苛立ちを感じたからだ。しかし海の事情を聞いたスイはその苛立ちを捨てる。セイリオスに向かうのを遠回しに邪魔していたわけではないと分かったからだ。
「ちなみに訊くけど後何日位でセイリオスに着く?」
「はっきりと明言は出来ないがセイリオスから獣国に入るまでに一週間掛かったということだけは言っておこう」
どうやらスイの退屈な海の旅は後五日は掛かりそうだ。スイはそれを知り思わず溜息をついた。
船に乗り波に揺られる事五日スイ達は海のど真ん中で立ち往生していた。理由は簡単、目の前で渦潮が発生したからだ。海の脅威の一つ《奈落》だ。この渦潮の嫌な所は発生した場所から一切動かないことだ。この一切というのは渦潮ならば当たり前といえば当たり前だがそれが魔法で渦を消そうとしても消えないということなら話は変わる。潮の流れを変えても渦はそこにあり続けるのだ。傍迷惑な渦潮である。
そしてその傍迷惑な渦潮によってスイ達は立ち往生を余儀なくされているのだ。幸いなのが渦潮自体は数日で消えるということだろう。但しそれはこの渦潮が数日は消えないという意味でもあるのだが。ちなみに迂回すれば良いという話でもない。何故ならこの渦潮は目に見える範囲が全て渦潮と化しているという余りにもふざけてる規模だからだ。迂回だけで何日掛かるか分かったものではない。
「はぁ。どうしようもないと分かってはいてもこれは中々苛々するね?ティー」
スイが話し掛けたのは行商人の中でも比較的若い男性だ。名をティレッタと言う。どうも名前が女性的で嫌だと言うので仲間内ではティーと呼ばれているらしい。
「そうっすねぇ。こればっかりは回避しようがないっすから運の悪さを呪うしかないんすよねぇ」
海の脅威の中で唯一発生兆候が一切読めないという船乗り泣かせの脅威が《奈落》なのだ。最も嫌われているものでもある。船乗り達の話では港が見えてようやく帰れると思った瞬間目の前で発生されて港付近で五日間漂ったという笑い話もあるくらいだ。本人達はかなり嫌だっただろうが。その時の船乗り達の顔は無表情だったという。少し見てみたかったと思ってしまったスイだった。
「ん、この規模だと鎮まるのにかなり時間掛かりそうだよね?」
「いやあ?どうっすかね。多分これも四、五日したら鎮まるんじゃないっすかね?奈落は規模関係ないみたいっすから」
「そうなの?」
「そうっすよ。公園くらいのすげぇちっこい奈落も六日掛けて鎮まったって話もありますからね」
やはり海の脅威の中でも一番理解しづらいものらしい。そもそも目の前で音を立ててぐるぐると回る渦潮が近くに錨を下ろして止めている船を引き込まない時点で不思議現象なのは良く分かる。むしろこれで普通の渦潮ですと言われた方が理解出来ない。
ちなみにスイが魔物の仕業かと訊いたところそれはないと行商人達全員から否定された。どうも渦潮は海中からではなく海面のみで発生しているらしく海中にいる魔物が引き起こしたとは考えにくい、また魔物もまた渦潮に引っ張られて死んでいるのが多数あるかららしい。それなら《奈落》という魔物がいると思った方が違和感がないらしい。どう見ても魔物ではないのでその線もないが。
「へぇ、これも四、五日したら消えるんだ」
あまりに広大な範囲が数日で凪ぐというのだ。理解し難いがそれが異世界特有の現象だと言われたら否定出来ない。全く地球での渦潮を見習ってほしいものだ。あっちは普通に船を引き込んでくるが。
「それよりこっちで釣りでもしないっすか?魚群を見つけたらしいんで今ならいっぱい釣れると思うっすよ」
どうやらティーはスイのことをそれなりに好意を持っているらしくこの五日間暇さえあれば話し掛けてくる。スイも好意を向けて来る相手を邪険にするつもりはないうえ海の上という娯楽もない場所なので誘われるがまま付いていく。その様子を見た男達はティーを応援する者や逆に嫉妬の視線を向けて来る者、微笑ましそうに和む者など色々と別れる。
「それよりこっちで遊ばないか。今皆でボードゲームをしてるんだがどうだ?」
話し掛けてきたのはティーに嫉妬の視線を向けて来ていた者の一人、こちらもそれなりに若い男性で名はミンクスだ。ティーは茶髪茶目の活発そうなイケメンに対しこちらは赤髪赤目の優しげなイケメンだ。客観的にスイの状況を見たらお前は何処の乙女ゲームの主人公だと突っ込みを入れたくなる。つまりそれだけスイの周りにはイケメンばかりになっているのだ。
ミンクスの後ろで手を挙げている男達もタイプは違うがイケメン揃いだ。むしろ行商人達は全員それなりに標準を超えているように感じる。恐らく行商人に扮しているであろう兵士達だが顔を基準に選んだのかと疑いたくなるほどだ。
「ん、釣りするからごめん」
ミンクスもスイに好意を抱いているのは分かるのだがティーと違いどうも顔で選ばれた感がしてスイ的にはあまり好ましいとは思わない。ティーはこの五日話していてスイの内面を全部ではないとはいえ見て好意を持ってくれたみたいなのでティーの方を優先したいのだ。まあ告白されたとしても付き合ったりするかといえば否だが。
断られたミンクスは悔しそうな顔をして離れていく。一方ティーは嬉しそうな表情を隠そうともしない。ちなみにここまでスイに行商人達が打ち解けている理由で思い浮かぶのはこの五日間食事を担当してあげたり雑用をこなしたり魔物からの襲撃を船に全く影響なく倒したりしていたからだろうか?
「こっちっすよー」
笑顔で船の後ろに向かっていくティーを追い掛ける。非常に穏やかな時間が流れていた。
「消えたっすね。ようやく移動出来るっすよ。食事はスイのお陰で飽きはしなかったすけどそろそろ肉も食いたいところっす」
《奈落》が発生して五日が経過して消え始める。徐々に消えるのではなく発生と同様予兆無く消えるのだ。とは言っても一瞬ではなく十分程度掛かるが見渡す限りの渦潮が十分程度で消え去るのだ。全くと言って良いほど理解不能な光景である。
「不思議」
「そうっすよねぇ。不思議な現象っすよねぇ、まあ考えても分からないっすしそういうのは頭の良いやつに考えさせれば良いんすよ」
ティーの言葉にスイは頷くと考えるのをやめる。というか考えても分からない。これが地球にも似たような事例があるなら分かったかもしれないがどう見ても異世界特有の事象だ。分かるわけがない。
「そろそろ港が見えてくる筈っすよ。街に着いたら案内するからちょっとだけ待っていて欲しいっす」
街に着いてからの案内役はティーに決まったらしい。異論は無いので頷いて再び海を見る。スイの視力では既に港が見えているがそんな無粋なことは言わない。
「ちょっと楽しみかも」
早く帝都に戻りたいとは思うが少しだけ楽しんでも良いかなとスイは思った。
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