第87話 一つの決意



「……遅いな。再生に掛かる時間的にもう治ってる筈なんだけど」


拓也は自らが作り上げた土の部屋の外で待っていた。シャトラに訊いた限りでは再生に掛かる時間はおよそ六時間。しかし既に十時間以上が経過している。


「……入ってみようかな。でもまだ再生中だったら?あれだけの怪我だし治りきってない可能性も……」


うろうろしながら拓也は考える。そして簡単な方法を思い付いた。


「……中に呼び掛ければ良いじゃん。何でこんな簡単な方法を思い付かなかったんだろ」


自分が相当動揺していたのだと分かり拓也は苦笑しながら土の扉の前にやって来る。そしてほんの少しの穴を開ける。


「……ねぇ、起きてるかい?」


拓也の声に中でゴソッと音が響いた。どうやら再生は終了しているようだと安堵した。


「入っても大丈夫かな?」

「……ぁっ……ぃゃ」

「ん?」

「だ……だめぇ」


微かに聞こえたそれは確かに少女の声なのに違う別人の声に聞こえた。動じそうになかった凛とした少女の声は震えて嗚咽混じりの年相応の小さなか弱い少女の声になっていた。それに気付いた拓也は聞こえなかった振りをして入ることにした。もしも泣いているのだとしたら慰めてあげたいと自分本意な考え方で。


「……入るね」


土の扉を開ける。さっと周りを見渡すと少女の姿を壁際に見付けた。近付いていく。近くで見ると少女の姿は微かに震えているのが分かった。


「どうしたの?」


拓也の問い掛けに少女はまるで嫌々をするように首を横に振る。その最中にも身体の震えは止まるどころかむしろ増しているように感じた。なので拓也はそれ以上何も言わず少女の右手を優しく握り締めた。それでも少女の震えは収まらない。拓也は少女の目の前でぎゅっとその小柄な身体を抱き締める。


「……僕ね、大好きな姉さんが居たんだ」

「……ぅ?」

「怖い番組……怖いものを見た時とか病気で寝付けない時、嫌なことがあって泣いちゃってる時、色んな時にさ姉さんはこうやって抱き締めてくれたんだ。一歳年上ってだけなのにそこらの大人より凄く頼りになってさ。自慢の姉さんだったんだ。そんな姉さんが一番苦手だったのが多分こうやって僕をあやす時だったんだ。それでも一生懸命やった結果がこうして抱き締める事だったんだよ。だから……えっと、何が言いたいかって言うと頼りにしてよって事かな?」


拙くも自分の考えを打ち明けた拓也に少女が何を思っているのか分からない。けれど身体を離そうとはしないし震えが収まっているのは分かって少しは助けになれたかなと感じた。


「……ぁっ、わた、私怖い。怖いの」


言葉に詰まりながらも嗚咽混じりに少女は本心を話した。話している最中に震えが始まったが拓也はそれを更に強く抱き締める事で押さえる。


「は、はじめて私痛みを恐怖を感じた。戦いってこんなのなの?こんなに痛い思いをしないといけないの?こんなに怖い思いをしながら戦いに明け暮れないといけないの?どうして私なの?私がしないといけないの?母様や父様には格好付けたし色んな人に格好付けたけど本当は多分ずっと怖かった。それがシャトラによって表面化しただけ。魔物は見たら怖かったし殺気を向けられたら身震いした。魔法なんて得体の知れないものが使えるようになったし身体だって肉体じゃない!?魔力で構成されてるってそんな訳の分からないもので身体が出来てるって何!?そのくせ血は通ってるし痛みも感じる、どうせなら痛覚なんて無くなってしまっていれば良かったのに!食べるものだって気味の悪いものもあるしそいつらの大半は襲い掛かってくるんだよ!?」


今までに感じていた不満なども露出して少女が叫ぶ。それは少女のどこまでも素直な言葉であった。スイは決してこの世界に来たくて来たわけではないし戦いたかったわけでもない。幾ら親が言おうともスイにとってそれは重荷にしかならなかった。出来うる限りのことはしようとはするしやれるならやるが痛みや恐怖を味わいながらもやり続けられるかと言ったら否だ。スイの身体がこの世界の中で上位に位置する身体能力を持っていようがその心はあくまでも戦いとは無縁の生活を送っていた十代半ばの少女なのだ。それを知らない者からしたらその在り方は酷く歪だろう。


「そ、それにわ、私頭が、無くなったのに再生したんだよ?素因が無くならない限り死なないのは知ってる。けど、こんな、化け物みたいな身体……要らない。要らなかったよ!ねぇ、何で私なの?」


その問い掛けに拓也は答えることが出来ない。


「……ぅっ、うぅ…………」


涙を流す少女の小さな身体を拓也はきつくきつく抱き締めることしか出来なかった。



「……ごめん」


スイは少年に抱き締められながら泣いた自分を恥ずかしく思いながら小さく謝罪の言葉を呟く。それに対して少年は何も返さず頭を撫でてくる。そのどこまでも優しい態度に有り難く思いながらスイは少年の胸に顔を埋める。


「落ち着いた?」

「……ん」

「そっか。なら少しは良かったのかな」

「…………ありがと」

「どういたしまして」


少しおどけた態度でそう言う少年にスイは少しだけ笑みを浮かべる。きっと今は涙で顔が崩れているだろうけどこの感謝の気持ちが少しでも伝わればいいなと思った。


「……ねぇ」

「ん?」

「…………っ」


何かを言おうとしてるのが分かったのか少年は急かさずに待ってくれる。スイは少し言葉に詰まりながらもそれを伝える。


「スイ」

「すい?」

「……そう、それが……私の名前」

「すい、スイ、スイか(あれ?何処かで聞いたような気が?)」


拓也は頭の中でその記憶を反芻しようとするがその前にスイがぎゅっと胸に抱き付いてくる。それに少し驚きながらも拓也は抱き返した。スイにとって名前を明かすというのはそれなりに怖かった筈だ。何せ拓也の正体が全く分かっていないのだから。例え敵対している魔族であってもそれが分からない。その中で正体を明かすというのがどれ程の恐怖を孕むものなのか。そしてそれなのに明かしてくれたという事実が拓也の胸にじんわりと暖かいものとして去来してくる。


「……私の名前、分かってた?」

「名前は……まあ知らなかったけど君がどういう立場の魔族なのかは何となく想像はしてた」

「……知らなかったんだ」

「えっと、うん。魔王ウラノリアの娘で合ってる?」

「ん、合ってる。それに加えて北の魔王ウルドゥアの娘でもある」

「……ごめん。北の魔王云々は知らなかったな」

「………………もしかして私結構空回りしてる?」

「……あー、否定はしづらいかな」


拓也がそう言うとスイが拓也の胸に今度は顔を隠すように押し付ける。その耳が少し赤くなっているのが見えて拓也にあくまでも普通の少女と変わらないのだと思わせる。


「じゃあ僕も名乗……」

「らなくていい。貴方はそのままでいて」


名乗り返そうとしたら何故か止められた。理由は何となく分かる。恐らく身を案じてくれているのだろう。


「まあ、それなら仕方無い。立場だけならどう?」

「……それなら……いや駄目。貴方のことは味方だと思う。だからそんな立場で見たくない」


その言葉に信頼が寄せられているのが良く分かり少し気恥ずかしく感じる。


「……そ、そっか。分かった。なら確定させておこう 。僕は君の味方だ。裏切らないと誓うよ」


そう言った拓也の顔をフード越しにスイが見つめる。その人形のように整った顔を間近で見て自分の顔が少し赤くなっているのが分かったが態度には出さない。


「そっか……良かった」


そしてスイは花が咲いたような満面の笑みを浮かべる。その瞳こそ赤く腫れていたがそこに浮かんだのは純粋な喜色。スイのその笑みを見て拓也は再びこの少女を守り通すためにどんなことでもしてあげようと考えた。それは拓也の中で一つの決意として心に刻まれた。この少女のためならばこの世界を守るため自分はきっと<勇者>としてやっていけるだろうとそう根拠も無いのにしっかり感じられた。

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