第88話 静かな決着



荒野から少し離れた所に建っている屋敷に向かって二人は歩き出した。ほんの少しスイの足取りが重いのは気のせいか。拓也は先程から繋いでいる手をぎゅっと握る。

スイがふっと顔をあげて未だ顔の見えない拓也の顔をフード越しに見つめる。そして安心させるようににこっと笑った。そこに気負いの類いは無さそうで安堵する。

けれどそれは間違いだったのだろうか。スイの心が読みきれなかったのがいけなかったのか。それは分からない。分からないがこの時気付けてあげていれば酷くはならなかったのではないかと拓也は後悔する事になる。



屋敷に帰ってきた二人はシャトラに出迎えられる。


「お帰りなさいませ。もう夜も遅いことですし食事と風呂の用意をしております。どちらから致しますか?」

「食事」

「畏まりました。すぐに持って参りますので少々お待ちください。残念なことにこの屋敷には私一人しか居りませんので少々手間を取らせてしまいますが彼方の方の階段を上った先にある食堂にてお待ちいただければと思います」


シャトラはそう言うと何処かに行ってしまう。恐らく食事を取りに行ったのだろう。スイ達は大人しく言われた先にある部屋に入る。かなり大きい部屋だ。十人は容易に入るだろう。これでも小さい方だと言うのだから驚きだ。

上座に何の遠慮もなくスイが座る。最も立場が高いものだから合っているのかもしれないがシャトラは良いのだろうか。拓也は特に理由はないがスイの右隣の席に座る。わざわざ遠く離れる意味も無いと思ったのだ。実際に貴族達の食事に行った際は気を付けなければいけないだろうが今は良いだろう。食事を持ってきたシャトラも特に気にしている様子はないのでこれで構わないだろう。

持ってこられた食事は見た目にも豪華と分かる食事だった。上品に焼かれた何かの肉にソースがかかったもの、黄金色に透明感のあるスープ、綺麗に盛り付けられたサラダの上に小さなしかし確かに存在感のある魚や手間が掛かっているものばかりだ。

というか今更だがスイが叫んでいた気味の悪いものもあるという言葉にようやく理解できた気がした。肉の形的に鶏肉とは違うだろう。明らかに大きさが違う。かといって豚や牛なのかと言われたら断じて否だと答えられる。色や質感、食感、味、色々な要素がそういった普通の肉ではないのだとはっきり押し通してくる。スープも何が使われているか分からない。コーンスープのような味わいとは全く違い多少清涼感すら与えてくる。美味しいが原材料が気になるものだ。最後の魚に至ってはかなり自己主張が激しい。なにせ丸々置かれているのだから。しかも緑色の。なるほど確かに気味の悪いものである。

決して不味いわけではなくむしろ美味しいのだから余計に気味が悪く感じてくるだろう。一体何の成分で出来ているのか等が気になる筈だ。少なくとも拓也はこれを見て気になった。スイも肉やスープは気にしないようにしたようだが魚だけは一切手を付けない。一応拓也は口にして美味しいとは言ったがスイはそれでも遠ざけていた。シャトラも特に何も言わないので食わなくても良かったのだろうか。

食事を終えた後――スイは結局魚は一口も食わなかった――は風呂に入る。しかしあくまでも銭湯などでは無いため男女で別れてはいなかった。なのでスイに先に入るように伝えた。


「……別に私は一緒でも良いよ?」


と何故別れるのかいまいち分かっていない様子でスイに言われた際は物凄く焦った。スイにどう伝えようか迷ったが特に食い下がってくることは無かったので助かった。


「……あの子は……こう、男女の機微的なものに疎すぎないかな?」


拓也は少し頭を悩ませたが元はといえば地球で姉弟として過ごしている時にシスコン過ぎた拓也が可能な限りそういったものから遠ざけていたのが理由なのだがそういったことは知らないので分からない。

暫く拓也は良いよ?と口にした疑問顔のスイを思い出して可愛いことを自覚したらいいのになぁなんて阿呆なことを考えて一人悶々としていた。



「……ん、シャトラ」

「再びですかな?」

「分かってるなら早くして」


風呂から上がったばかりのスイは指輪から新しいドレスに着替えながら呼び掛ける。それは再戦の申し入れだ。先程酷い有り様で負けたというのに何故と思われるかもしれないがスイはそんなことは考えていない。

負けたことなどどうでもいいのだ。元よりまともに戦って勝てる相手ではない。シャトラの素因数は七つ、三つも違う相手ではあるが実際のスイの素因を数値で表すならおよそ四.六といったところ。全くと言って良いほど実力が発揮できない状態なのだ。それはウラノリアがヴェルデニアと戦う際に傷付いた素因が千年の時を経ても治りきっていないのが原因だ。

しかしスイはこの屋敷の構造、シャトラという番人からここに目当てのアーティファクト、癒狂の人形があると判断した。癒狂の人形というのは小さな西洋人形の形をしており高位の治癒魔法や治せないものすら治してしまう治癒という事柄に特化させまくったものだ。ただし軽い傷などで安易に使ってしまうとあまりの回復量にアスタールがなった異形のように過剰な回復で死にかねないものだ。しかも異形になってしまったらそれを治そうと治癒魔法を掛けて更に異形と化させるという悪循環を引き起こす危険なものでもある。ただし上手く使えば時間でしか治せない筈の素因の傷にも対応する超強力なアーティファクトでもある。

まあそれは今はどうでもいいのだ。スイにとってそれは後付けの理由。本当の理由はスイ自身にも良く分からない。ただ早くシャトラを倒して力を付けアーティファクトを回収したい。そのためならどれだけの事でもしようとスイはその透き通った翠の瞳に翳りを含ませながら小さな笑みを浮かべた。本人すら理解していない少し歪んだ笑みを。



「ふぅ……お風呂結構広かったし気持ち良かったな。やっぱり何日も入らないと気持ち的に気分悪いもんね」


拓也はそんなことを呟きながら風呂から上がる。勿論ここに来るまでの道中なんかは水を出して温め身体を拭いていたりしたので物凄く汚いということはないだろうがこういうのは気持ちの問題である。ちなみに水も温めるのも魔法である。魔法は万能である。


「そういえば後から入ったけど湯船にスイが浸かってたんだとしたら僕変態に思われた?い、いやいやそんなことないよね?そんなつもりで僕言った訳じゃないし……ちょ、ちょっと弁明してこようかな」


拓也は今更そんなことを思いながら少し足早に歩いていく。何処に居るか分からないが食堂にしか案内されていないしそこに居る可能性が高いと考えてそちらに向かう。


「……あれ?居ない。何処行ったんだろ?」


着いた先には誰も居ない。拓也は首を傾げながら色々な部屋に入っていく。しかし何処を探しても見当たらない。


「おーい?二人とも何処行ったのー?」


少し声を上げてみるが誰からの反応も得られない。ふと思い付いた考えに不安になってきた拓也は急いで最初の部屋に向かう。そこにも誰も居ない。まさかと感じた拓也は屋敷を飛び出す。そして周りを見渡してそれに気付いた。



「ああぁぁぁぁ!!」

「はぁぁ!!ふん!!」


貫手を、手刀を、掌打を、蹴撃を、廻し蹴りを、踵落としを、頭突きを、噛み付きを、肘打ちを、膝蹴りを、繰り出しては同じ技で全て返される。どこまでも力量が違うからこそ出来る後出しだ。なのに全てに打ち勝たれる。骨が折れ肉が削がれ満身創痍の状態になる。しかし止まらない。スイは現在痛覚の再現をしなくなっていた。痛いのが嫌だからという理由もあるのだがそれ以上に動きが鈍くなるからという理由の方が強い。

けどそれは万が一他者から見ればあまりに歪極まりない戦い方だろう。その証拠に遠くから見た拓也は思わず息を呑んだ。


「……あ、スイ」


小さく呟いた拓也の言葉に何故かスイは胸の奥が苦しくなる。そしてほんの少し動きが鈍った瞬間それは迫ってきていた。


「……ぁ」


シャトラの拳がスイの腹部に突き刺さる。痛覚が無かろうと気持ちの悪さ等が無くなるわけではない。スイは思わず膝を付いて吐く。


「ぐぶっ」


しかしその隙をシャトラは見逃さない。膝を付いたスイの小さな身体に引っ掛けるように足を差し込むと浮かして空中で足が上になるように回転させ地面に踏み込む。足と地面の間にスイの小柄な身体を挟みながら。


「ごえっ、ぁっ、ぐぅっ」


そのまま踏みにじってくるシャトラをスイは睨む。睨まれながらシャトラは一切の躊躇もなくスイの顔を踏み付ける。地面に擦り付けるようにスイの頭を踏み付けるシャトラに拓也は思いっきり斬りかかる。しかしそれはスイが展開した防御魔法で止められてしまう。


「や……めて」


スイの言葉に気付いた拓也は身体の動きを止める。


「こいつは……私が、眠らせるから」


その言葉の意味は拓也には分からない。しかしその真意を訊くより前にスイは踏み付けるシャトラの足を掴んで投げる。シャトラは空中で回転すると地面に着地する。


「……はぁ……はぁ」


スイはどう見てもボロボロである。致命的なダメージこそ負ってはいないようだが決して戦える状態ではない。拓也は止めるため歩こうとするがスイに睨まれる。


「来ないで。来たら私は貴方を斬る。これは本来私が受けないといけないものなんだ。これだけは譲れない。だから……お願い」


そう頼むスイの表情はどこか暗く感じたが拓也はそこに譲れない何かを強く感じて止まる。


「ありがと」


スイはそれだけを言うと再び戦いを挑む。それを拓也は唇を噛んでただ眺めるしか出来なかった。



戦い始めて既に何時間が経過したのだろうか。幾度となく打ち倒されその度に蹂躙されるその姿を見ながら決して目を逸らさずにスイを見つめ続ける。その瞳にあるのは心配と信頼。

傷付きながらも決して挑むのをやめないスイに拓也は何も言うことも何かをすることすら出来ない。だからこそ無力さを感じながらもせめて結末を見届けようとひたすらに見つめるのだ。

何時間が経過したのか、もしくは何日も、何ヵ月も掛かっていたようにも感じるほど長い時間の果てにスイの一撃がシャトラの胸に突き刺さる。


「……はぁ……はぁ……はぁ……シャトラ」

「ごふっ……あぁ、スイ様」

「おやすみ」

「あり…が……とう……ございま……す」


血塊を吐きながらシャトラが倒れる。急いで治癒魔法を掛けようと拓也が近寄るとシャトラの姿が薄れていき消えていく。


「なっ……!」


そしてそこに残ったものは一枚の写真のようなクリスタル。映っているのはシャトラと他にも複数人の男女だ。壮年の男性を中心に妙齢の女性が寄り添い白衣の男性が眼鏡を掛けた女性が色々な人物が映っている。


「……っ」


それを見てスイは涙を浮かべる。


「……これは?」

「父様と母様、シャトラ、テスタリカ、グレウフェイト、ローレア、グルムス、フォスター、イジェ、レントア、ハルムネ」

「えっと……?」

「私を作った人達だよ」


その言葉で理解した。ということはこの写真は死ぬ間際の写真ということか。


「シャトラは最初から死んでたってこと?」

「ん……このクリスタルを媒介に記憶を移していたんだと思う。けどそれは歪だよ。死んでいるんだから」


だからこその眠らせるなのかと拓也はようやく完全に理解した。何故頑ななまでに自分でやろうとしたのかも。


「そっか……じゃあこれで綺麗に眠れたかな」

「そう…思いたいな」


静かに涙を流すスイを胸の内に抱き締めて拓也は瞑目する。叶うならば安らかに眠れるようにと。

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