第32話 イルゥという少女
運ばれてきた食事は質素で薄味ではあったが素材の味を生かしていて美味しかった。スイは食べながらちょくちょく隣の椅子に置いたイルゥに食事を与えていた。貧しい生活をしているようで痩せ気味で少し心配になったのだ。
大人ならまだしも小さな子はちゃんとした食事をしないと将来的に身体が弱くなる。それでも話を聞く限りではイルゥはまだ同年代の中では食べられている方らしい。
「はむ、お姉ちゃん、あむ、イルゥは、んみゅ、食べているのです、はぐっ、って食わせ過ぎなのです!」
食事をちょくちょくというより殆どイルゥに食わせてしまったがスイは最悪吸血していれば何年単位で生きられる。優先順位はイルゥの方が高いのだ。
「駄目、ちゃんと食べて」
そう言うとスイはパンを千切ってはイルゥの口に押し当てる。そうすると遠慮しながらも小さな口を開けるので何だか小動物に餌やりをしている気がしてきた。
「スイも食えよ」
あげていたらアルフがスイの口にパンを当てる。スイもまた小さな口を開けて口に含む。
「……(アルフって結構恥ずかしいことするなぁ)」
そんなことを思いながらももぐもぐ口を動かす。その様子を見ていたステラ達は雛に餌をやる少女に餌やりをする少年という感じの何だかほっこりする光景に頬が緩むのを抑えられなかった。スイが食事を終えるとイルゥを抱き寄せそのまま膝の上にまた乗せる。
「お姉ちゃん、イルゥはお手伝いしないといけないのです。出来たら離して欲しいのです」
「駄目。子供は遊んで過ごしたりするのが仕事なの。手伝うのはもう少し大きくなってからにしなさい。何だったらハルテイア達を働かせてあげるから」
そう言うと困ったような表情を浮かべるイルゥ。スイは自分でも酷いことを言っているのは当然分かっている。父親らしき存在は見ていないが厨房の方からハルテイア達以外に二人居ることは何となく分かっているためその二人が両親だろう。親子三人で切り盛りしているらしい宿屋で一人娘?を働かせないのだ。酷い話だと思うが何故かここを引いてはいけない感じがスイを突き進ませる。
「お金が必要なら暫く生活出来るように渡してあげる。それでも必要になったら宝石でも渡して何時でも換金できるようにする。だから今は働いちゃ駄目」
「スイ、何だかおかしいぞ。どうしたんだ?」
アルフがスイに疑問を投げ掛ける。その言葉で何か思い当たる事があったのかハッとしたスイはイルゥを離すと二階に上がる。部屋に入ってスイはベッドに飛び込む。
「…………はぁ」
スイは溜め息をついて布団に潜り込む。布団の中でスイはイルゥの姿を思い浮かべてすぐに消した。
「湊ちゃん……」
幼い頃の幼馴染みに酷く似た雰囲気を持つイルゥはスイを動揺させるには充分すぎた。
そのまま寝入っていたようで翌朝同じ格好で起きたスイは
「カーン、カーン、あーさでーすよー!」
イルゥが小さなお玉で玩具のフライパンのようなものに打ち付けながら可愛い声で起こしていく。意外に甲高い音が出ているので結構目を覚ましやすい。
「あっ、お姉ちゃん起きたです?」
部屋を開けたらイルゥが飛び込んでくる。
「ん、起きた。昨日はなんかごめん」
「?何がです?」
「ちょっと困らせちゃったから」
「それなら気にしてないです!お姉ちゃんはイルゥを思って言ってくれたって分かってるですから!」
「ん、ありがと」
「それよりお姉ちゃん朝ごはんなのです。食べるですか?」
「貰う。イルゥはちゃんと食べた?」
「はいです!昨日お姉ちゃんにいっぱい食べさせてもらったのを見てたみたいで今日はいっぱい食べさせてもらったですよ!」
「そう、それなら良かった」
二人は話しながら一階に降りる。アルフ達は朝の鍛練をしているからか既に起きていて浄化を使えるステラに綺麗にしてもらっていた。アルフがスイを見て近寄ってくる。イルゥは厨房の方へと向かっていった。
「起きたんだな」
「ん、昨日はごめんね」
「別に良いよ。スイにも色々あるだろうしな」
アルフ達はスイが前世関係で何かあったと推測していて実際それは合っている。幼馴染みの姿とイルゥを重ねたが故の動揺だったのだから。
「ありがと、皆はもう食事はした?」
「まだだよ。鍛練してたからなぁ。そういえばずっと思ってたんだけどスイって鍛練とかはしないのか?」
アルフの問い掛けに首を振る。
「私はしても身体に還元されないからね。戦いの感覚を忘れないだけならアルフ達との組手で充分だよ」
魔族というのは身体が頑丈で人族や亜人族と比べてかなりの強さを誇るが実はそれ以上に強くならない。魔族の強くなる方法は新たに素因を獲得するか体外からの魔力の取り入れしかない。
それにしたって属性素因だと相性があり獲得出来ない可能性も高いし獲得出来る数にも限界がある。体外からの魔力の取り入れにはそういうことはないが身体の全てを魔力で構成している謂わば魔力生命体とも言うべき魔族では自身の身体の崩壊を招く危険性も存在する。リスクとリターンを考えたら割に合わなさすぎるのだ。
「それにスイの戦い方って結構独特だよな。力押ししたかと思ったら繊細な動きで投げてきたりするし」
「ん、力押しはこの身体になってからだけどね。アルフが言ってるのは柔道かな?」
「その柔道って教えてはくれないのか?」
「教えるのは良いけどあれは組手だから良いのであって実戦であんな悠長に投げてられないよ?足運びぐらいなら教えても大丈夫そうだけど微妙かな?」
「そっか。なら良いや。実戦に使えそうにないならやめとく。応用も苦手だしな」
「分かった。あぁ、そうだ。アルフは魔法ってあんまり使えないんだよね?」
「そうだな。魔力の動かし方とかは魔闘術で分かるけど魔法自体は苦手だな」
「魔力は動かせるなら身体に纏う魔法とかを考え出してみたらどうかな?」
「どういうことだ?」
「つまり拳を起点に発動する魔法とか蹴ったら発動するとか防御したら発動するとかみたいな。魔闘術で身体に魔力を纏わせられるなら出来ると思うんだ。アルフとフェリノの魔力は白狼族にしては多めだから多少なら使っても大丈夫だと思う」
スイがそう言うとアルフは何か思い付いたのか考え込んだがそのままだと鍛練にまた行きそうだったのでテーブルまで引っ張っていく。イルゥが食事を運ぼうとして途中で降りてきたカレッドが引き継いで持ってきた。
「むぅ、お姉ちゃん達はイルゥを駄目にしてしまいそうなのです」
少しだけむくれたイルゥが可愛くてついつい昨日と同じ様に食べさせてしまったスイだった。
「おらぁ!」
アルフが振りかぶったコルガが途中で爆発して急加速しスイへと迫る。スイはそれを見ながら紙一重で避けアルフの懐に潜り込む。拳を当てようとした瞬間にアルフとスイの間にステラが操るヴァルトが飛び込んでくる。スイはすぐに方向転換して後ろに下がると同時にフェリノが横から突然出てきてフィーアで突いてくる。それを服の袖で引っかけるように纏わりつかせフェリノから剣を取り上げる。剣を失ったフェリノが一旦下がろうとしたので取り上げた剣をフェリノに向けて投げて服に刺し地面へと固定する。
「あぐっ!」
地面に当たった際に受け身を取れなかったのかフェリノは辛そうな声をあげる。アルフが幅広の刀身を持つコルガで薙ぐように振る。スイはそれを飛び上がり避けると飛んできていたヴァルトをアルフへと蹴飛ばす。咄嗟に防御したアルフの腕を握りぐるりと回り込むように後ろに回り勢いを付けて地面に叩き付ける。その際にコルガをアルフから奪い取ると夢幻で消えて回り込んでいたディーンに当てる。
アルフがすぐ復活して足を掴もうとしてきたのでアルフの身体の下に爪先を入れてそのまま上に飛ばす。空中に浮いたアルフを回し蹴りで悶絶させた後、ステラに向かって走り飛んできたヴァルトを全て掴み取る。ステラはすぐに魔法を唱えると地面が隆起して壁となり壁の横からは強烈な風が巻き起こる。しかしスイはそのまま壁を殴って壊しステラへと近付く。ステラはヴァルトで切りかかってきたがそれを躱し掌打を打つ。アルフが再度突撃してきたので振り返り様に回転の勢いを付けて投げる。
「ん、少しずつ連携が取れてきてる。強くなってきてるね皆」
全員が動けなくなったところで鍛練が終了した。神癒を掛けていると宿の中からイルゥが口を開けてポカンと見ていた。終わったのを確認した後、走って近寄ってくる。
「皆凄いのです!お兄ちゃんはあんな大きな剣を振り回すですしエルフのお姉ちゃんは不思議な魔法を使ってたのです!でもお姉ちゃんはそれを全部避けてたのです!凄いのです!」
興奮気味ではしゃいでいるイルゥを撫でて落ち着かせていると何も言われなかったフェリノとディーンが少し落ち込んでいたので二人も呼んで撫でる。二人は目立つ動きはしないで地味な役割に徹していたため印象に残らなかったのだろう。
「スイ様がお強いのは分かっていましたがアルフ様方もお強いのですね」
離れて見ていたダスターがそう評価する。
「ん、皆は弱くなった亜人族の中でも比較的強いと思う。出会った頃はまだまだだったけど今はそれなりになった。魔族との戦いにはまだ出せないけど」
後半だけはイルゥが居るため小声で話した。ダスターも似たような評価のようだ。
「そうだ。ダスター達もアルフ達を鍛えてあげてくれないかな?私だけじゃ手が回らないしハルテイア達もある程度は鍛えてあげないと」
「ハルテイア達もですか?彼女達は戦力になるとは思えませんが」
「それでも良いからして。どうせ今すぐには動けないし鍛える時間ならあるから」
「分かりました。スイ様の仰せの通りに致しましょう」
ダスターは頭を下げると宿の中へと入っていった。
「はっ!撫でられて気持ち良くなってたら駄目なのです!まだ食事の配膳終わってないのです!」
イルゥが走って戻っていったが結局配膳自体はカレッドにやられてしまいむくれてしまっていた。
「お姉ちゃん達はイルゥを駄目にする使者さんなのかもしれないのです」
そんなことを言って頬を膨らませるイルゥをスイはぷにぷにして過ごした。
表通りに一度行ってみたスイ達だったのだが最初に嫌な予感がした通りにかなり酷かった。
浮浪児らしき子供がそこらに結構な数で居たり小さな路地の中を覗くと死体と見間違いそうになる男が横たわっていたり明らかに柄の悪い男達が店を冷やかしていたり借金の取り立てをしていたり店をやって成功しているらしい者もかなりの高額で商品を売り付けていたりする。
「わぁ……これは酷い」
思わず声が漏れてしまうほど悲惨な状況である。人の様子も余裕がないようでかなり目がギラついている。スイの姿を見て浮浪児達が既に三回程スリに来ようとしてカレッドやウォルに追い払われていた。
「ん、裏通りの方が余程マシなんだね。戻ろっか」
スイのその言葉に全員が頷いたのは仕方無いことであろう。しかし、スイの目の前に男が来てわざと進路を妨害する。ぶつかりそうになったので止まって回避しようとすると男がぶつかりに来た。スイが男にぶつかる前に回避すると当たらなかったためかよろけて倒れそうになったのでスイはアルフに目配せをする。アルフは倒れそうになった男をしっかりと支える。男は当たり屋だと思われたので怒鳴ろうとする前に先に声をかける。
「どこ……!」
「大丈夫ですか?いきなり倒れそうになるなんて病気かもしれません。良ければ治療しましょう。ほんの少しの気休めではありますが楽になるかもしれません」
スイがしっかりと周りに聞こえるように声をあげたので男は何も言えず大丈夫だとだけ言ってそそくさと去っていった。
「……早く戻ろう」
今度は何事もなく戻れた。戻ってきたスイはテーブルを拭いていたイルゥを見付けるとするっと背後に回って抱き寄せると暫く動かなくなってしまった。イルゥは抱き締められて動けないまま困ったような表情で地面から浮いた足をぷらぷらさせていた。
スイがシェアルの街に来て四日が経っていた。その間宿屋「和み亭」に宿泊客が来ることはなかった。というより王味亭と同じく食事だけも出来るのだが食事客すら来なかった。正直ここまで来ると何で宿屋が経営できているのか理解できない。しかし話を聞くと両親は副業で宿屋をしているらしい。
本来は料理人と服飾職人のようだ。家を買うより宿屋を経営した方が安上がりなのだそうだ。何故そうなるのか良く分からないが異世界ならではの価値観で値段が決められているのだろうし気にしないことにした。いや実際は気になったが教えてくれなかったので諦めただけだ。
鍛練をするかイルゥと遊ぶかでひたすら過ごしていたがそろそろギルドの依頼を受けないと面倒な事になるので再び表通りのギルドへと向かう。アルフ達だけだと奴隷だと侮られてかなり面倒臭くなりそうだったので仕方無くスイも一緒に行くことになった。そうなるとカレッド達も全員付いてきたしハルテイア達も主従契約を済ませたので一緒に行かなければいけない。結局ぞろぞろと歩くことになった。
ちなみにハルテイア達の服はスイがタウラススパイダーの糸で半魔導具化した服を与えている。だけどギルドに行く前にハルテイア達の普通の服を買いに行くことにする。一着しかないのもそうだが半魔導具化しているので微量の魔力を使い続けるのだ。ハルテイア達の中には魔力が少ない者も居るので普通の服がないといつか倒れてしまう。やはりかなりの高額で売られていたので毛糸だけ大量に買って後でスイが編むことにした。安上がりだし質が悪い上に趣味も良いとは言えない服を着させるよりかはマシだろう。ハルテイア達も特に異論はないようだった。
ギルドに入ると殆ど冒険者が居ない。居るのはこの街育ちだと思われる柄の悪い男達だけだ。スイ達のような他の街からの冒険者らしい者は見当たらない。冒険者達にかなり避けられてるのだろうなぁとは思ったが言葉にはしない。掲示板に向かうとこちらを見ていた男達が歩いてくるのが見えた。無視して依頼を眺めていると声を掛けられる。
「おいおい、嬢ちゃんここは冒険者が依頼を受けるところだぜ?子供は帰ってママと一緒に過ごしとくんだな」
「知ってる。私は冒険者じゃないけどこの子達の主人だから居るの。悪いかな?」
スイはギルドで仮登録こそしているが厳密には冒険者ではない。そのため男達に普通に返したのだが男達は本当に冒険者じゃないとは思っていなかったのか一瞬言葉に詰まる。まあスイの姿から冒険者登録など本来なら出来ないのだが酔っていて正常に判断できなかったのだろう。
「奴隷かぁ。なぁ嬢ちゃんよぉ。こいつらを俺達にくれよ。そしたら……」
男が言い切るよりも前にウォルとレフェアが動き男の首に剣を当てる。
「一応今護衛依頼を受けているからよ。脅迫紛いのことをしようとしたお前を俺達は衛兵に突き出しても良いんだがどうされたい?」
そう言ったウォルに男は青ざめながら謝罪をする。剣を当てられたせいで酔いは覚めたようだ。
「ん、もう絡まなかったら良いよ」
スイはそれだけを言うと掲示板を眺めていると和み亭の近くで掃除の依頼があったのでそれを受けてギルドを後にした。男の憎々しげな視線を受けてやっぱり面倒な事になったとうんざりしながら。
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