⑥報酬のゆくえ

「あ……あうぅ……」


 さっきからずっと、ココハは「あうあう」と口をぱくぱくさせて、人間の言葉を発せなくなっていた。

 椅子から腰を浮かせてはまた座ったり、目を泳がせたりと明らかに挙動不審で、額にはだらだらと変な汗が流れて止まらなくなっている。

はたから見たら、何か悪いことして取り調べられている人かな、と思うようなありさまだった。

 けどもちろん、ココハが犯罪者になったわけじゃない。

 

 ここは修道院の一室。

 ココハの他には、テーブルをはさんで向かいの椅子に評議会の一員チャボが座っていて、二人を囲むように修道女の三人、それとイハナが立っている。

 

 ココハは唇を引き結んで、テーブルの上を険しい顔で凝視している。

 そこには燦然と輝く金貨が積まれていた。女王陛下の横顔が刻印された、この国で最高価値を有する貨幣だ。

 ココハが学士時代を通して、見たこともない大金だった。


「以上、追加報酬も含めた謝礼金全額だ。誤りがないか、よく確認してほしい」


 動揺しまくりのココハと対照的に、チャボは落ち着いた声音で言う。

 ちらりと目線をイハナの方に向けて、


「根拠のない数字じゃないぞ。見積り以上の魔法薬作成、うまいもん祭り当日の立ち働き、街の者たちの感謝の声もすべて加味して、評議会全員から承認を得た正当な追加報酬だ」


 けん制するみたいに、そう付け加えた。


「わかってるわよ~。修道院のみんなもほんとにがんばってたし、順当な額だとあたしも思う」


 イハナの言葉にココハははっとなって、


「そ、そうでした!」


 どういうわけか、テーブルの上の金貨を数え、四等分しはじめた。


「ちょっとちょっと、ココちゃん何やってるの?」


 イハナに問われ、ココハは手を止めないまま答えた。


「何って、わたしの分とマカレナ院長、レナタ副院長、リタちゃんの分でちゃんとわけないと……」

「いやいやいやいや」


 その場にいた全員から総ツッコミが入る。


「それ全部ココちゃんへの報酬だからね」

「そうです。わたしたちはただココハさんのお仕事を手伝わせていただいただけで……」

「そうそう、修道院の奉仕活動ってやつ」

「お~。じゅーじつしたかつどーでした」

「しかし、ココハさんが納得されないようなら、修道士の方々にも別途謝礼を……」

「だ~め~よ。三人が働いた分も加味しての金額でしょ、これ。どうしても払いたいっていうなら、ココちゃんが臨時の雇用主だとしてこの中から差っ引くとしたら……」

「いけません! これはココハさんへの謝礼です。わたしたちは金貨一枚たりとも受け取るわけにはいきません」

「だね。お礼を言いたいのはこっちのほうだし」

「おれいならおかしをたっぷりもらいましたしな~」

「え、ちょっとリタ、それ聞いてない。いつどこでだれに?」

「リタ。あなたひとり占めする気でしたね。修道士として、隠しごとなんてあるまじき行いですよ」

「んー。言おうと思ってわすれてた。ちゃんとみんなでわける。ポントローレ以外」

「あんた、ほんとそれ好きだけどさ。あんまり食べ過ぎると虫歯になるよ?」


 修道女の三人、イハナ、チャボの間でケンケンゴウゴウと議論が始まってしまい、ココハは授業で叱られた時みたいに肩をちぢこまらせていた。


「うぅ~」


 意味なくうなり、ちょっと涙目にすらなる。

 当人をよそに、報酬についての議論はさらに過熱していた。

 ――もう一度、修道女たちの働きを加味して計算しなおしては?

 ――三人が手伝うことになったのはあくまで成り行きで、ココハ自身の働きを正確に評価するとすれば……

 ――町に貢献してくれたお礼として、いっそ修道院としても謝礼を……


 数字が次々と書き換えられて、ココハはますます混乱する。

 ぐるぐると目が回って、どんどん、どうしていいか分からなくなってきた。

 そして、自分でも気づかないままに、


「寄付! ぜんぶ寄付します!!」


 そう叫んでいた。

 みんなぴたりと口を閉じて、ココハの顔に視線を向けた。


「マカレナ院長。ヒラソル女子修道院は寄付って受けつけてるよね? 修道院だもんね?」


 勢い込んできくココハに、マカレナは困惑しながらもうなずいた。


「え、ええ。当院はほとんど皆さまからの寄付で成り立っていますが……。でも、これほど高額の寄付を頂いたことは――」

「じゃあ、それで! チャボさんもイハナさんも、寄付なら問題ないですよね?」


 後半の言葉は聞き流して、ココハは言う。


「それは、もとよりこちらにはなんの文句もあろうはずのない話だが……」

「ココちゃん、ほんとにそれでいいの? 自分が何しゃべってるかちゃんと分かってる?」


 イハナたちは心配げにココハの顔を覗きこんだ。

 それでちょっとだけ、彼女も冷静さを取り戻してきた。


 改めて、自分の口走ったことについて考えてみる。

 言うまでもなく、多額の報酬は魅力的だ。

 けど同時に、魔導学院を卒業したばかりの自分には、分不相応だとも思えた。

 故郷に戻る旅の途中で先立つものがあるのはありがたいけど、しばらくはイハナ隊のみなと一緒なのだし、お金の心配はあまりない。

 大量の金貨はかさばりすぎるし、なれない大金を持っていて、野盗の類にかぎつけられないともかぎらない。

 何より、いつ落っことしたりしないか気が気でなくなってしまうだろう。

 

 そんなようなことを、ココハはたどたどしくみなに語った。


「そうか。ココハさんが旅の身であることを考えれば、現金ではなく換金性の高い品でお支払いすべきだったか。となると宝石類をいまから――」


 腕組みしてつぶやくチャボに対して、ココハはあわててぱたぱたと手を振った。


「あ、ほんとにかさばるとかはおまけの理由で……。修道院のみんなだったら、このお金をちゃんとしたことに使ってくれると思うし、わたしが持ってるより有意義かな~って」


 ココハの言葉に一同から「おおっ!?」とどよめきが起こった。

 何度も何度もほんとにそれでいいのか、と念押しされたけど、聞かれるほどにかえってココハはそれが一番だと確信してくる。

 みなにも、ココハの意志がかたまったのが伝わったみたいだった。


「なんと素晴らしい! 君はこの町の救世主だ」


 チャボは勢いよく椅子から立ち上がって、拳を熱く握りしめて、


「私は決めたぞ。ココハさんの像を腕の立つ職人に作らせ、毎年うまいもん祭りの開催時には食い倒れの女神として広場に――」

「絶対に! ゼッタ~イに止めてください!!」


 ココハは大声でチャボを止めた。

 そんなことになったら、恥ずかしいなんていうもんじゃないだろう。

 まさか、とは思うがノリと勢いでいろんなことを決めてしまうこの町のことだ。

 ありえないことではないと思い、ココハはさらに何度も何度も言葉を重ねて止めにかかった。

 あと、“食い倒れの女神”ではココハが大の食いしん坊みたいだ。


「あの、ココハさんの像、ミニチュアでもかまいませんので修道院にも一つ作っていただくことは……」

「マカレナ院長まで何を……」

「ああ、もちろんいいとも」

「いくありません! チャボさん、わたしゼッタイ止めてって言ったばかりですよね!?」


 顔を真っ赤にして言うココハを面白がって、イハナが声を上げて笑った。

 それに釣られて、修道院のみんな、その後にチャボも笑う。

 当のココハもなんだかおかしくなって笑いだした。

 笑いの輪が収まったあと、マカレナ修道院長が改まった声でココハに話しかけた。


「ココハさん。本当にありがとうございました。頂いた寄付金は町のみなさまのために役立てることをお約束します。ほんとに何から何までどうお礼を言っていいか……」

「院長、院長」


 くいくいと、レナタが横からマカレナの袖をひっぱった。


「アレ、ココハさんに渡さないと。寄付してくれた人なんだから」

「あ~、そうでした! 大事なことを忘れていました」


 パンと手を打つマカレナ。

 リタもレナタの言葉に反応を示して、


「とっておきもってくる」

「ウチも! いままでで一番できのいいやつ」


 リタとレナタの二人が競うように駆け足で部屋を出ていった。


「わたしも少し失礼しますね」


 言いおいて、マカレナもいそいそと二人に続いた。

 残された三人は、ぽかんとその後ろ姿を見送る。

 イハナがチャボに「何か分かる?」と目線で問い、彼は苦笑とともに首を横に振った。


「あの、イハナさん。ごめんなさい。勝手に決めたりして……」


 マカレナたちを待つあいだ、ココハが肩をすぼめて言う。


「ああ、寄付のこと? んー、まあ商人のあたしとしてはちょっと思うとこもなくはないけど、ココちゃんが決めたことだもん。文句言ったりはしないわよ~」


 イハナは笑ってそう返す。

 屈託のないその顔を見て、ココハもほっと胸をなでおろした。


 ややあって、修道女の三人が部屋にもどってきた。

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