④止まらない!
懐かしい味との再会に、ココハは目を細めた。
もちろん、厳密に言えばそれはあの時のマーストュイユとは違う味付けだ。
おばあさんが作ってくれた料理は、少し舌がぴりっとしたのをココハはいまでも覚えている。
けど、それが些細なことだと思えてしまうくらい、この料理には懐かしい思いをよみがえらせる魔法の力があった。
あの時と同じように、ココハは夢中で匙を動かして、スープに浮かんだ野菜を平らげていた。
――あの人のこと、どうしていままで忘れてたんだろう。
あのおばあさんに助けてもらわなければ、ずっと迷子のままだっただろうし、言われた通り、荷馬車にひかれてたりしていてもおかしくない状態だった。
そんな恩人のことがいまのいままですっぽり抜け落ちたまま、サラマンドラを後にしてしまった。ほんのちょっと、後悔の念が湧く。
エメリナかノエミに頼んで代わりにお礼を言いにいってもらおうか、なんてことも一瞬考えたけど、正確な住所もわからない。
ともかくも、温かな料理が胃に満ちるたびに、五年越しの感謝の気持ちがココハの胸の内に湧きあがってくる。
そんな感慨にふけりながら、いつの間にやら、マーストュイユを完食してしまっていた。
しっかりスープまで飲み干し、空っぽの器がココハの手の中にあった。
「あ、あれっ?」
それを見て、ココハは目をぱちくりさせる。
体感だと、一瞬で料理が消えてしまったみたいだった。
もちろん、お腹にはおいしい料理を食べた満足感があふれている。
でも、心は「もっともっとおいしいものを食べたい!」と叫んでいた。
イハナたちのほうを見やると、みんなにこにこと笑ってココハを見守っていた。
そんな彼らの視線にも気づかないくらい夢中になっていたと気づいて、ココハは恥ずかしげに後頭をかいた。
「どうだった、味のほうは?」
テオが優しい声音で聞く。
もちろん、答えは決まっている。
「おいしかったです! その……とっても、おいしかったです」
何か言い足そうとしたけど、それ以外の感想が出てこなかった。
まるっきり語彙力のない返答だけど、筆舌に尽くしがたいとは、こういう時のためにある言葉だろう。
「うむ、よきかなよきかな。で、ココちゃん、次はどれにする?」
「そ、そうですね……!」
イハナにさらりと聞かれ、ココハは勢いこんだ。
次が選べる!
それはなんと幸せなことだろうか。
イハナ隊のみんなが届けてくれた料理の包みが、色とりどりの宝石箱のように思えてくる。
「あ、じゃあ、これにします。見たことない料理だけど、おいしそう!」
ココハの手に取った包みを目にして、イハナ隊の面々が少々わざとくさく「おおっ」と声をあげた。
「さすが、ココハちゃん、お目が高い」
そう言って笑顔を見せたのは、イハナ隊の中でも一番若手のフィトだ。
ココハが選んだのは、はっきり言ってあまり見ばえのよくない料理だった。
ぱっと見て、泥だんごのようというか、砂漠のミニチュアのようというか、土色のペーストがお皿いっぱいに盛りつけられていた。
でも、漂ってくる野性的な匂いは、マーストュイユに勝るとも劣らず胃袋を刺激するものだった。
食いしん坊の級友ノエミと一緒にサラマンドラにある数多の飲食店を食べ歩いたココハの直観が告げていた。
――これ、ゼッタイうまいやつだ、と。
「そいつはうちの田舎の郷土料理で、モルゲンセラっていうんだ」
フィトが嬉しげにそう告げる。
「へえ~、フィトさんって、どの辺りの出身なんですか」
「サラマンドラより、もうちょっと北のほう。山ん中だよ」
だとすると、今回の旅とはほぼ真逆の方角だ。
「けど、ココハちゃん。たくさん料理があるなかで、そいつを選ぶなんて勇気あるな」
「えへへ。目よりも鼻と胃袋の声を信じてみようと思いまして……」
ココハの言葉に、フィトは声を上げて笑った。
「まあ、見た目はアレだけどな。こいつは、キジとか野ウサギとかブタの肉をパンくずと混ぜて焼き上げてるんだ。ウソかホントか、俺のじいさんのじいさんの、そのまたじいさんの代から作られてたんだと」
「へえ~」
フィトの解説を聞いていたら、ますます食欲が湧いてきた。
待ちきれない、とばかりにココハはモルゲンセラという名のその料理を、食い入るように見つめた。
フィトを上目遣いに見て、ぼそりと問う。
「食べてもいいですか?」
「おう、もちろんだとも。味は保証するぜ」
「あんたが作ったんじゃないでしょ~が、フィト」
イハナが横からそうツッコミを入れたけど、ココハはもうそれをほとんど聞いてなかった。
匙でがしがしと削り取るように、泥だんごの山をすくって口に運ぶ。
「いただきま~す」
ぱくり、とくわえた瞬間。
「んん~!」
ココハの目の中に星が光った。
すかさずに二口目。三口目と頬張りつづける。
塩と香辛料で控えめに整えられただけの味付けが、かえって肉の味を最大限に引き立てていた。
あっという間に半分以上を平らげてしまうココハ。
さすがに喉が渇いて、一旦食べる手を止めて、お茶のコップを取った。
そのタイミングでフィトが聞く。
「どうよ、感想は?」
ココハはごくごくと喉を鳴らしてから答えた。
「なんというか……これを知らなかったなんて、いままで人生損してた気分です」
「だよな! 見た目悪いからって、サラマンドラでももっと流行れって話だよな」
「はい! ですです」
二人でうんうんうなずきあって盛りあがる。
けど、ココハはそれ以上話しているのももどかしい、とばかりに食事を再開した。
そして、マーストュイユの時と同じように、あっという間に器を空っぽにしてしまった。
「ふう~」
お肉メインのモルゲンセラは、食べごたえバツグンの料理だった。
しかし……しかし、である。
もっともっとおいしいものを食べたい。
ココハの中の本能的な欲求は止むことなく、心に訴えかけてくる。
「とってもおいしかったです~。じゃあ、次ですね!」
意気揚々と包みを見渡す。
そして、三品目、四品目、と次々に料理を平らげていった。
それもやっぱり絶品だった。
「うっぷ。さ、さあ……次、どれにしようかな~」
ココハの動きも鈍くなり、お腹がぱんぱんに膨らんでくる。
それでもココハの食欲……というより”もっともっとおいしいものを食べたい“という欲望は収まらなかった。むしろ、食べれば食べるほど無限に湧きあがって感じられた。
「ココハちゃん、さすがにちょっと食べ過ぎじゃないかな」
テオがやんわりと注意する。
「ゔっ……」
ぎくり、と肩をこわばらせるココハ。
“食べ過ぎ”今日一日何十回もココハ自身が人に注意してきた言葉だ。
自分が言われてしまっては立場がない。
「も、もう少しくらいなら平気なはずです。大丈夫です!」
「って言ってもな~。差し入れ持ってきた俺らが言うのもナンだけど、救護のココハちゃんが動けなくなったらマズいんじゃねえか?」
フィトもそう言ってくる。
ぐうの音も出ない正論だった。
「そうだなぁ。腹八分目にしとくのが丁度いいかもしれんな」
二人とも意地悪で言ってるのではなく、ココハの身体を心配してのことだ。
それくらいココハだってわかってる。
けれど……、どうしても未練は断ち切れない。
「そ、それはそうですけど……。あ、甘いものならまだまだいける気がします。きっと!」
「う~ん」
「せっかく街の皆さんが差し入れてくれたものを残してしまうのも悪いですし……」
こんな量食べきれるか、と最初にツッコミを入れていたことなんてココハはすっかり忘れていた。
と、その時、それまで黙っていたイハナが、ばしんと自分の膝を打った。
「よっしゃ、わかった! たしかに街の人たちのお礼をムダにしちゃったら気が引けるわよね」
「イハナさん……!」
ココハはきらきらと目を輝かせて、イハナの顔を見やる。
けれど、次の彼女を聞いて、絶望がココハを襲う。
「フィト、隊のみんなを呼び集めてきて。隊商の胃袋の力、見せつけるわよ!」
イハナの命令に、その場にいる全員がその意図を察した。
「い、イハナさん……。まさか……」
「だいじょーぶ。ココハちゃん宛の差し入れは旅の仲間であるあたし達がきっちりかっちり、おいしくいただいておくから!」
イハナはばふ、と自分の豊かな胸を叩いて自信満々に言う。
「りょーかいです。んじゃ、ぱぱっと呼び集めてきます!」
「頼んだわよ~、フィト」
イハナの意を汲んで、フィトが素早く立ち上がり、その場を後にした。
テオも、さっそくとばかりに包みを開けはじめる。
「さ、ここはあたしたちに任せて、そろそろ修道院長さんたちのとこに戻ってあげないとじゃない?」
「う、それは、その……」
「大丈夫だよ。ココハちゃんに代わって、ちゃんと街の人たちにもお礼は伝えておくから」
テオにもそう優しく告げられ、それ以上ココハは何も言えなかった。
「あの……せめて、デザートだけでも……」
「ん? なんて?」
すでに食事に取りかかろうとしていたイハナとテオは、おずおずと言うココハの声を聴き洩らした。
「いえ……なんでもないです」
そうこう言っているあいだにも、自分の満腹感を自覚しはじめるココハ。
数多の食べ過ぎ患者を診てきた経験から、これ以上はマズいと悟る。
イハナの提案は、さすがの好判断と言うべきだろう。
「じゃあ、その……お願いしますね」
頭を下げて、ものすご~く後ろ髪引かれながらも、すごすごと歩き始める。
そんなココハの背に、
「うっわ、なんでシンプルなマリネでこんな味が出せるわけ!?」
「隊長、こっちのサラダもうまいですよ。これ、サラマンドラでも商売にできないかなぁ」
興奮気味に料理の感想を言い合うイハナとテオの声が聞こえてくる。
「うぅ……」
ココハもすでに、十分な量食べてはいるのだが……。
それでも、イハナ達に声が届かないほど離れたあとで、叫ばずにはいられなかった。
「え~ん。イハナさんの鬼~!」
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