③思い出の味
マーストュイユ。
厚切りにした野菜をトマトベースのスープでじっくり煮込むシンプルな料理だ。
カブや、ニンジン、根セロリ、ゴボウといった根菜類をメインにするのが一般的だが、その他にもナスや青菜、ジャガイモなどを混ぜることもあり、バリエーションは様々だ。
それは、ココハにとって思い出深い一品だった。
と言っても、故郷の料理ではない。
むしろ逆。魔導学院に入学するため、サラマンドラに上京してきて初めて食べた料理が、このマーストュイユだ。
――なつかしいなぁ。そう言えば、あの時以来、これほとんど食べたことなかったっけ。
それもそのはず。
マーストュイユはどちらかというと庶民の家庭料理というイメージが強く、食堂のメニューに並ぶことは稀だ。
サラマンドラで魔導学士として暮らしていても、食べる機会はあまりない。
代わりに各家庭によってレシピは千差万別で、その家の伝統的な味つけが親から子へと受け継がれている。そんな”家庭の味“の代表みたいな料理が、「うまいもん祭り」の出し物として食べられるのはちょっと意外だった。
しっかりと熱を閉じ込める容器のおかげで、ココハがふたを開けた時もまだ、料理からはほくほくと湯気が立ちのぼっていた。 おいしそうな匂いが、忙しさにすっかり忘れていたココハの空腹感を刺激した。
ぐう、とお腹から大きな音が鳴る。
恥ずかしげにちらりとイハナ達のほうをちらりと見やると「それが当然の反応だ」とばかりに笑顔でうんうんうなずいている。
軽く苦笑を返して、ココハは手元の料理に視線を戻した。
「いただきます!」
丁寧に手を合わせ、匙を手に持つ。
ごろごろとしたニンジンのかたまりを、スープと一緒に口に運ぶ。
ぱくり、と一口食べた瞬間――、
「んん~!」
ココハは声にならない歓声を心の中で上げていた。
人は、あまりにも美味なものを食べると「おいしい」という言葉すら失ってしまうみたいだ。
じっくりと煮込んで柔らかくなったニンジンの食感とスープの味わいが、口の中で溶け合う。
そして、その味はココハの意識を一瞬にして五年前――初めてサラマンドラに上京したその日へと連れていった。
***
「や、やっと着いた~」
目じりに涙さえ浮かべ、ココハは一人、へろへろの声を上げていた。
丘の上から見えるのは、大都市サラマンドラの街並みだ。
さんざん道に迷ったせいで、空腹と疲労と寝不足でほとんど行き倒れ寸前だった。
無事辿り着けたのが奇跡のようだ。疲れすぎて夢か幻覚を見ているんじゃないかとすら疑ってしまう。
ほっとしてその場にへたりこんでしまいそうになるのをなんとかこらえ、旅人用の杖にすがりつくように丘をくだってゆく。
入り口の門で無事手続きを終えて中に入っても、とても初めての大都会に感動する余裕もなかった。
「やっと野宿から解放される!」と思ったものの、人も建物もあまりに多すぎて、どこに向かっていいのかもわからない。
魔導学院の場所を聞くことすら思い浮かばないほど、疲れ切っていた。
人混みに揉まれながら、行く当てもなく、ふらふらと街をさまよい歩くココハ。行き交う人の量が多すぎて、ただただそれに流されている感じだ。これでは道に迷っていた道中とあまり変わりなかった。
道行く人の足取りはみんなせわしげで、ボロボロの身なりのココハにかまうものはだれもいなかった。
ココハにとって、こんなにたくさんの人も建物も、見るのは初めてのことだった。
街に着くまで無人の山野で野宿続きだったから、ギャップもひどい。
「あふぅ~」
人酔いして目を回してしまったココハは、夢遊病者のように街をさまよう。
人混みから逃げ回っているうちに、いつの間にかココハは大通りのど真ん中を横切るように歩いていた。
「きゃあっ」
ちょうど直進していた、大柄な男の人とぶつかってしまう。
突き飛ばされるような形になって、ココハは道端に尻もちをついた。
「ん? ごめんよ」
職人風の格好のその男の人は、ろくにココハのほうも見ずに、急ぎ足で行き過ぎてしまった。
道行く人もたちも無関心な様子で、道端に座り込む形になったココハを、ちょっと迷惑そうによけて歩く。
「うう……」
幸い、お尻がじんじん痛むくらいで、大したケガはなさそうだった。
けど、いままで倒れそうになるのをなんとかこらえて歩いていたのが、ひとたびお尻をついてしまうとすぐには立ち上がれなかった。
どっと気力が抜けてしまったみたいだ。
忙しく過ぎゆく街の営みの中、自分ひとりがポツンと世界から置きざりにされてしまったみたいな気分だった。
情けないやらむなしいやら、こんなことで、いったいなんのためにサラマンドラまでやってきたんだかわからなかった。
魔法医になるため、一念発起して片田舎の故郷からここまで旅をしてきたとはいえ、この時のココハはまだ十三歳の少女だ。
ひとたび気力が萎えてしまうと、悲しい思いばかりが胸にいっぱいになって、どうしようもなかった。
「わたし、なんでいっつも……こんな……」
意味をなさないつぶやきが口から洩れる。
いよいよ、声をあげて泣きそうになった、その時――、
「ちょっとあんた、なにやってんだい」
雑踏のなか、自分に向けて呼びかける声がたしかに聞こえた。
「へ?」
顔を上げると、一人の大柄なおばあさんが目の前に立っていた。
顔はしわくちゃで髪は真っ白だけど、体格はがっしりとしていて、ココハの倍くらいは力がありそうだった。
目が細く、眉根が寄っていて、ぱっと見て不機嫌そうに見えた。
「あ、ご、ごめんなさい」
「別に怒っちゃないよ。ほら、立ちな」
ぶっきらぼうな声で言って、おばあさんはココハの腕を取り、畑から野菜を引っこ抜くみたいに豪快な手つきで、立ち上がらせた。
「わっ!?」
「そんなとこに座って、ホコリだらけじゃないか」
ぶつくさ言いながら、畑で獲れた野菜の土を落とすみたいに豪快な手つきで、ココハの背中やお尻をばしばしはたく。
「ひゃうっ!?」
ココハはびっくりしすぎて、まったく抵抗もできなかった。
固まってしまったココハの全身をじいっと見て、おばあさんはやはり不機嫌そうな低い声で言う。
「見たとこ長い旅をしてきたみたいな恰好だけど、この街は初めてなのかい?」
「え、あ、はい……」
「だれか知り合いでも?」
「え、いや、その……」
矢継ぎ早に問われ、ココハはうまく答えられずにまごついてしまう。
「まあ、別に答えんでもいいさ」
ココハの返事も待たず、おばあさんはすたすたと歩き始める。
あわててココハはその背中に呼びかけた。
「あ、あの、ありがとうございました」
頭を下げるココハを、おばあさんはちらりと振り返った。
「なに、ぼさっと突っ立てるんだい。腹減ってるんだろ。ついてきな」
「へっ?」
「早く!」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
おばあさんの剣幕にびっくりして、ココハは何が何やらわからないまま彼女について歩く。
彼女は歳を感じさせない健脚ぶりで、油断するとあっという間に人混みにまぎれて見失ってしまいそうだった。
倒れそうなくらい疲れているのも忘れて、ココハは必死でその後についていった。
おばあさんは大通りをそれて、小さな路地を何度も曲がって歩く。
ついていくので精一杯なココハには、道を覚える余裕なんてとてもなかった。
もう、一人で元の場所に戻れと言われてもゼッタイに無理だろう。
おばあさんが角を曲がるたび道幅は狭くなり、人の姿もなくなる。
背の高い集合住宅が多く、表通りに比べるとずいぶん薄暗かった。
「着いたよ。狭い家だがね」
「家?」
おばあさんが立ち止まったのは、両隣とぴったりくっついた、レンガ造りの家だった。
まるで塀に扉がくっついているみたいな建物だ。
その長屋のような家屋は、ほかの街では見たことのない造りだ。
なんでおばあさんの家まで連れてこられたのか、ココハにはさっぱりわからなかった。
「何してるんだい。早く入っておくれ」
一足早く扉を開けたおばあさんが、中から呼びかけてくる。
「は、はいっ」
あわててココハも、扉をくぐった。
家の中は奥行きがあって、外観から想像したほど狭くはなかった。
何より、ココハの田舎では見ることのまずない室内ランプが部屋を照らしていて、明るく広々として見せていた。
「そこに座ってちょっと待ってな」
「はぁ……」
おばあさんは目で木の椅子とテーブルをさし、自身は家の奥へと引っ込んでいった。
ココハは呆気に取られていたが、ともかくもどこかに座れるのがありがたかった。
椅子に腰かけ、物珍しげに室内を見回す。
後になってココハも知ることだが、そこはサラマンドラに住む庶民の、ごく平均的な家屋だった。
全体的にごみごみと物にあふれていて、家具や調度品は使い込まれて色あせている。けど、どれもこれも見たことのないものばかりだった。
なんだか妙なことになったぞ、とココハは思ったけど、疲れきったいまの頭では、いったい何がどうして自分が見ず知らずのおばあさんの家にいるのか、考えるのは難しかった。
おばあさんに呼びかけて聞くのもなんだか怖くて、ココハはおとなしく椅子に座っていた。
最初はカチコチに固まっていたココハだけど、おばあさんを待つうちに忘れていた疲れが、どっと全身に押し寄せてくる。
室内は外よりも暖かく、ランプの灯は目に優しく、つい、うとうとしはじめるココハ。
「人の家で寝てるんじゃないよ。ほら、食いな」
「あっ、ご、ごめんなさい!?」
呼びかけられて、ココハはびくりと目を覚ました。
いつの間にやら、おばあさんはテーブルの上に大きなお皿と水の入ったコップを並べていた。
そして、皿の上のスープのような料理からは、たまらなくいい匂いがした。
「マーストゥイユだよ。食べたことは?」
「……えっと、初めてです」
「そうかい。ま、腹が減ってりゃ、なんだって食えんことはないだろ」
食えないことも何も、ゼッタイおいしいに決まっている。
匂いと見た目だけで、ココハはそう断言できた。
そもそも、温かな料理自体がものすごく久しぶりだった。
文句の出ようはずもない。
けれど、ココハは食器を手に取るのをためらった。
「あ、あの……ほんとにいいんですか?」
「何がだい?」
「その、いただいてしまって……」
「当たり前だろう。なんのために作ったと思ってるんだい!」
おばあさんはちょっと怒鳴るみたいに返した。
街に着くまでの道中、サラマンドラは都会なぶん、悪い人もたくさんいる、といろんな人からおどされていた。
親切にしてくれる人がいたら、詐欺師だと思えと。
けど、このおばあさんはどう見ても詐欺師のようには見えなかった。
何より、この料理を前にいつまでもがまんしていられなかった。
「い、いただきます」
スープには香辛料が混ぜてあるのか、ぴりっとほんのちょっと舌を刺激する。
何より温かかった。
ほくほくのスープが口の中、そして喉を通ってお腹の底をじんわりとあたためてくれる。
一口食べると、もう止まらなかった。
料理を味わう暇もなく、夢中になって食べた。
「もっとゆっくり……はぁ、よっぽど腹が減ってたんだね」
おばあさんが呆れてため息をつく。
一口食べるごとに熱と栄養が全身にいきわたっていくみたいだった。
おいしい。
そう心から思った時、何故かココハの瞳から大粒の涙がポロリとこぼれた。
「あ、あれ?」
「なんだい。泣くやつがあるかい」
「ず、ずいまぜん」
鼻声で謝りながらも、ココハの涙は止まらなかった。
自分でもなんで泣いているのかよくわからない。
ずびずびと、鼻をすすりながらも手と口は休めず、出された料理をあっという間に完食してしまった。
「呆れたもんだね」
そうつぶやきながらも、おばあさんの目じりは最初に会った時よりも優しげにやわらいでいた。
空いた食器を片づけて、今度は温かなお茶を自分用とココハ用に持ってきて、ココハの向かいの椅子に座った。
「どうだい。少しは落ち着いたのかい」
「は、はい。あの……とってもおいしかったです!」
「ん。ならいい」
それきり、おばあさんは何も言わなかった。
ココハもどうしていいかわからず、お茶をすすりながら、ちらちらと相手の顔をうかがう。
「あの……ほんとにありがとうございました」
「おおげさに礼を言うようなことじゃない。昔はサラマンドラの街の人間は、旅人を見たらうちに入れて料理を食わせてたもんだ。いまじゃ、どいつもこいつもすっかり冷たくなって、そんな風習忘れちまってるがね」
「そうだったんですね」
「まあ、あんたの場合は、ほっといたらそのうち荷馬車に引かれそうだったしね」
「うぅ……すみません」
再び間があき、二人は無言でお茶をすする。
次に口を開いたのは、おばあさんのほうからだった。
「……で、いったいなんのようでこの街に来たんだい」
「あ、その実は……」
問われて初めて、ココハは自分が名前さえ名乗っていないkとおに気づいた。
改めておばあさんにあいさつし、自分の経歴を話して聞かせた。
ココハの話を聞き終えたおばあさんは、小さく鼻を鳴らした。
「ふうん、あんたが魔導士ねえ」
「やっぱり、そうは見えませんか?」
「ちっとも見えないね」
きっぱり断言され、軽く落ち込むココハ。
けど、実際自分でもちゃんと魔導学院の授業についていける自信はまったくなかったから、がそう言われるのも無理はなかった。
そんなココハの様子におかまいなく、おばあさんはズバズバと言う。
「まあ、つまんない出世のために魔法を勉強しようなんて連中よかよっぽどマシさ。待ってな、いま地図を書いてやる」
言い終わらないうちに、おばあさんは椅子から立ち上がっていた。
だんだんとココハにもわかってきたけど、不機嫌そうに見えてもこれがおばあさんにとっての普通で、別に怒ってるわけじゃないみたいだ。
三度奥へ引っ込んだおばあさんは、今度は紙切れを持って引き返してきた。
「まだ、この時間なら門も閉まってないだろうさ。とっとと行きな」
手書きの地図をココハの胸に押しつけて、おばあさんは言う。
「え、でも、何かお礼を……」
「そんなもんはいい。受付が終わっちまったらどうする気だい」
「でも……」
「飯食って元気になったんだろ? 早く走りな!」
部屋にあったほうきを持って、忍び込んできたドラ猫を追い払うみたいに、ココハを玄関に押しやる。
「あっ、は、はい。その、どうかお元気で」
「いいから。とっとと行きな!」
おばあさんの剣幕にびっくりして、ココハはしどろもどろに頭を下げながら家を出た。
言われた通り、地図を片手にダッシュする。
――ちゃんと魔導学院に着いたら改めてもう一度お礼に来よう。
内心、ひそかにそう決める。
でも、地図をもらってもやっぱり道には迷ってしまい、通りがかる人に片っ端から場所を聞いて、魔導学院に辿り着いたのは、日が暮れるギリギリ前だった。
無事入学してからもしばらくのあいだ、息もできないくらいドタバタとあわただしい日が続き、お礼に行きそびれてしまう。
それから五年。
サラマンドラの街で、初めて親切にしてくれたおばあさんのことはすっかり忘れてしまっていた。
あの時と同じ味を再び口にするまで――。
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